黒竹
2024-02-01 02:14:27
20177文字
Public ひろがるスカイ!プリキュア
 

空にほどける

【ソラまし】十九歳。「花にわずらえ」の続き。

 広い洋館から三人がいなくなって、はじめのうちはずいぶん寂しく思ったものだけれど、人間、なにごとも慣れるもので、使われていない部屋の埃を払う時も、早起きしてひとりでランニングをする時も、もう胸の痛みを覚えない。
 それに、三日と空けず遊びに来る友人のおかげで寂しいと思うような隙間はほとんど埋められていた。
「賞を!? ましろさんが!? おめでとうございます!」
「あ、でも、大学生だけの小さいコンペみたいな企画で、それに佳作だったから本になったりはしないんだけど」
 照れ隠しに手を振りながら説明する。出会って五年が過ぎようしている異界の友人は飲んでいた紅茶のカップを置いて、「それでもすごいです!」振っていたましろの手を取りぎゅっと強く握ってきた。
 大学で文芸サークルに入り、その先輩から勧められて応募した絵本のコンペは、デビュー経験のない若い書き手を発掘するのがメインの目的だったようだ。二十作ほどあった応募の中から佳作として選ばれたのは五作品だったし、即絵本作家としてデビューできるわけでもない。本当に大したことじゃないんだけどな、とましろが首を縮こまらせた。
「どんなお話なんですか?」
「前に描いた、ソラちゃんとわたしたちのお話の続きみたいな。ヒーローが大きくなって、ずっとみんなを守ってるお話だよ」
 だからソラちゃんに伝えておきたかったの。やや申し訳ない気持ちも含みつつ続ける。勝手にソラをモデルにして書いてしまったので、賞をもらったら余計になんだか後ろめたくなってしまった。
 けれどソラは嬉しそうに首を振り、「光栄です」と口元を綻ばせた。
 スカイランドに戻ったソラは正式に青の護衛隊の隊員になって、日々シャララ隊長やベリィベリーと一緒に忙しく任務にあたっている。動物関連のトラブルはソラがいないと回らないよ、とは先日向こうへ遊びに行った時に同僚の隊員から聞いた話である。別に自分は関係ないのになぜか鼻が高くなったものだ。初対面ではひと悶着あったベリィベリーともすっかり良いコンビになっているらしい。書類仕事が苦手なソラを追いかけ回すベリィベリーの姿もよく目撃されているとか。
 そんなふうに、彼女はずっとヒーローをしていて、みんなのヒーローになっていた。
──あ、いけない。
 禁句を思い浮かべそうになってこっそり自身を戒める。ずっとヒーローに憧れていたソラがみんなに頼られるヒーローになっているなら、それは喜ばしいことだ。もちろん、ましろだってソラが夢を叶えていて嬉しい。その気持ちに嘘はない。
「ましろさん?」
「え?」
「どうしました? なんだかぼーっとしてましてたけど」
 物思いにふけっていた時間が長かったらしい。「な、なんでもないよ」両親が海外から送ってくれたミックスドライフルーツからオレンジを取り出して口にくわえる。ほのかな酸味が思考をクリアにしてくれた。
 紅茶を飲み干したソラがテーブルに頬杖をついてこちらを覗き込んできた。生真面目な彼女なのに、どうしてかいやに似合ういたずらっ子みたいな視線。うぅ、とましろは喉の奥で唸る。五年前からこの目に弱い。
「賞をもらったお話、今あるんですか?」
「一応、原稿は帰ってきたから、うちにあるけど……
「読んでみたいです」
 やっぱり。声には出さずにつぶやく。ソラはましろの書く絵本が好きなのだ。自分がモデルになっていることにも頓着していないし、それを目の前で読まれるましろの気恥ずかしさなんてこれっぽっちも理解していない。だからこんなふうに無邪気にねだってくる。
──大丈夫、だと思うけど。だってもうソラちゃんこれだけ鈍いし。今日のも今までと同じ、ただわたしが書いた絵本が見たいってだけだろうし。
 内心でぐるぐる考えつつ、立ち上がって原稿を取りに行く。ついでにソラのカップも取り上げた。おかわりを淹れてあげるつもりだ。今日のハーブティーはドライフルーツに合うように自分でハーブを調合したからちょっと自信があるのだった。
「あ、紅茶は私が」
 キッチンの場所も茶葉を入れてある容器も知っているから大丈夫、とソラが立ち上がる。勝手知ったるかつての居候知識を発揮してくるソラ。ましろの行く手を遮るように立ち位置を取って、カップに手を伸ばす。
「じゃあ、お願いしちゃおうかな」
 お客さんに飲み物を自分で用意させるのもどうかと思わなくはないが、彼女については「お客さん」と言い切ってしまうには微妙な立場だ。ましろもここばかりは甘えることにする。
 ソラにカップを渡すとき、少し見上げる形になった。
 出会った頃は同じくらいの背丈で、向かい合っても目線は同じ高さだった。それがあっという間に遠くなり、ソラの額があげはに並ぶくらいになって、今では彼女より指の幅一本分くらいは高くなっている。本人はシャララ隊長くらい大きくなりたかったようだが、それにはやや足りないところで成長が止まったので思うものはある模様。対してこちらはというと中学生の頃からほぼ変わらず、とうにツバサにも追い越されている。自分を磨く旅から帰ってきたツバサと久しぶりに再会した時は驚いたものだ。
「ソラちゃん、背伸びたねえ」
「なんだか一気に伸びたんですよね。護衛隊の制服を全部新調しなくちゃいけなくて大変でした」
 新しい制服ができるまで小さい制服を着るしかなくて隊員のみんなに笑われたり。思い出に肩を落とすソラに苦笑いする。
「でも、空が近くなった気がして嬉しいです」
「そっか」
「その代わりにましろさんの顔が少し遠くなってしまいましたけど。そっちは残念ですね」
…………
 こういう台詞になんの含みもないんだから、どうしようもない。
 溌剌とした活発な少女だったヒーローガールは、年齢を重ねるうちに相応の落ち着きも得て、スラリとした長身と、憧れの人に少しでも近づきたいと伸ばしている髪も相まって立ち姿は凛々しい。それでも根っこの部分ではあの頃のあちこちを飛び回っていた無鉄砲さも息づいている。それを知っていてなお、時々見とれてしまうのが自分でもどうかと思わなくもない虹ヶ丘ましろである。
 ソラがキッチンに向かってから、貴重品を入れてある棚から原稿袋を抜き取って中身を確かめる。今まで書いた原稿は全部保管してあるから、今ではけっこうな量になっていた。エルに見せていたものはさすがに傷みが激しくなってきて、どうするか悩みどころだった。そういえば赤ん坊だったエルに落書きされてしまったものもあった。ショックじゃなかったと言ったら嘘になるけれど、今となっては微笑ましい思い出である。
 そういう思い出がたくさんあって、たぶん、これからも増えていく。
「おまたせしました」
 新しい紅茶を淹れてきたソラが戻ってきた。ましろも原稿を手にテーブルに戻る。少しワクワクしているような表情のソラがまた、あの目でこっちを見てきた。
「ましろさん、抱っこしていいですか?」
……読み聞かせをしてもらうほど、小さくないんだけどな……
「そういうことじゃありませんよ」
 分かっている。そういうことじゃないのも分かっているし、『そういうの』じゃないことだって虹ヶ丘ましろは分かっていた。
 とはいえ断れもしないのだけれど。ソラに、したいことがあったら先に言ってほしいと伝えたのは他ならぬましろ自身だし、それをソラが「先に言えばさせてもらえる」と解釈したのを正さなかったのも自分だ。
 クッションに腰を落ち着けて待ち構えるソラの膝におずおずと腰を下ろす。原稿を持っている手の下をくぐって、ソラの両手が腹部に回されてきた。
「へへっ、いつ抱っこしても、ましろさんはあったかいですね」
 それはあなたに触れられてるせいだよ、と、言えないまま五年が経っていた。
 逸る鼓動とか、ほんのわずかに熱っぽい吐息とか、落ち着かない指先とか、脱力できない背中とか。
 そばにいない寂しさには慣れたくせに、それらすべてが今でも慣れない。
「んー。私の中にましろさんが補給されていきます」
「ソラちゃんの中のわたしが切れちゃうとどうなるの?」
「きっと寂しくて泣いてしまいます」
 なにそれ可愛い。
 うっかり動揺した。
「んんっ」
 気を取り直すために咳払いをひとつ。原稿を両手で構えて視線を落とす。
「あるところに、みんなを守る勇敢な人たちがいました──」
「あ、これって青の護衛隊の制服ですね。とすると、この人が私ですか?」
「そうだよ」
「本物より何倍もかっこいいですね」
 謙遜なのか、ソラは照れ笑いしながら言ってきたけれど、ましろはそれに答えなかった。わたしの目にはこう映ってるんだよ、と言ってしまえば簡単だし、きっと彼女はそこまで言っても分かってくれない。
 街を襲う怪物と勇ましく戦い、けっして挫けず、ピンチになっても諦めず、子どもたちを救い、街のみんなに愛されるヒーロー。
 そんな少女の物語を訥々と読みながら、ましろはその隣にえがかれている女の子と目を合わせないようにしている。
……がんばってね。みんなのヒーローさん。そう言って、女の子は今日もヒーローを送り出すのでした。おしまい」
 ましろの身体を乗り越えた両手でソラが拍手をしてくれた。「素晴らしいお話でした」感じ入った様子で伝えてくれる感想がこそばゆい。言葉もそうだし、耳の後ろにかかる吐息も直接的な意味でくすぐったかった。
「でも、この子はヒーローと一緒には戦わないんですね」
 なんの含みもない疑問だった。ヒーローの隣に立つ、柔らかな桃色の髪の女の子。これといって特徴のない、描写にも際立ったところのないその子は、いつも家で留守番をしていて、ヒーローと一緒に戦うことはなかった。
 ソラは不思議そうに首を傾げている。「この子はましろさんじゃないんですか?」
 ましろはどう答えようか悩んで、それから、静かに持っていた原稿を伏せた。
 キュアプリズム。キュアスカイと一緒に戦う一人目の友達。一緒に戦う理由なんてなくてよくて、ただそうしたくて、ただそうしていた。
 何もなくて、何もできなくて、なんでもなかった少女をプリキュアにしてくれたのは、今ここで背中を温めてくれている友人だった。
「ソラちゃん」
「はい?」
「わたしね。プリキュアじゃなくなっちゃった」
 背後からは無音だけが届いた。声もなかったし、息を呑む音なんてものもなかった。ソラがどんな表情をしているのか分からないから少し不安で、けれど腹部に回っている彼女の手にすがる気もなかった。
「ミラージュペンは……
「前に力を失った時みたいに、灰色になって消えちゃった」
「そう、ですか」
「おかしいな、あげはちゃんがプリキュアになったときと、わたしまだ同じ年なのに。どうして変身できなくなっちゃったんだろう」
 あげはがミラージュペンを失ったのは二年ほど前のことである。保育士になる夢を叶えて、ソラシド市が運営する保育園に就職してしばらく経ってからだ。「プリキュアの力がなくても最強の保育士にはなれるしっ」と、本人はあまり気にしていないようだった。その言葉通り、彼女は今もその身ひとつで子どもたちに向き合い、保育士として全力を尽くしている。
 それならきっと、あげははプリキュアとしての使命を果たし終えたに違いない。誰かを守る方法が力ではなくなったから、また別の形で彼女は最強を目指し始めた。
 翻って自分はどうだろう。まだ学生で、絵本作家になる夢も叶えてはおらず、守るべき人は──。
 守るべき、人。
 誰だろう。
 振り返ってソラの顔を伺う。彼女はいつもどおりの穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
 ぎゅっと抱きすくめられて思わず顔を背けた。赤くなってないかな、ソラちゃんに見えてないといいけど。バクバクと暴れる心臓を手のひらで押さえ込みながら、「な、なに、ソラちゃん?」できるだけ平静を装って問いかける。
 ソラは全くこれっぽっちも気づいていないようで、穏やかな表情と声のままましろに語りかけてきた。
「大丈夫です。もしかしたら、ましろさんのプリキュアの力は一休みしてるだけで、また復活するかもしれませんよ。なにせ私たちの希望や想いは消えることがありませんから」
 自信満々に言ってくるソラに苦笑が出てしまって、それでましろの肩の力も抜けた。「そうかな」そっとソラにもたれかかってつぶやく。「そうだといいな」
「そうですよ。それに、もしプリキュアになれないままでも、私がましろさんを守ります」
「守られてばっかりじゃ嫌だよ」
「それでは、ましろさんが私に力をください。あなたに頑張れって言ってもらえたら百人力です」
 シャララ隊長のキラキラパワーよりすごいかも。喉で笑いながらソラがうそぶく。まさか、と笑いながら、それでもましろは軽くなった心の分、ソラに素直に甘えた。
 何もできなくて悔しいと泣いたことがあった。ただの学校行事だったけれど、頑張っても届かなくて、ソラと同じところに立てなかった自分が嫌で。
 彼女はましろのそんな負けず嫌いなところも知っているから、いつだってましろのほしい言葉をくれる。
 くれないのはひとつだけだった。


 にっ、と一音だけ飛び出たところでましろの喉が締まって続きが消えてしまった。すうっと息を吸い込んでもう一度。
「二ヶ月っ!?」
「はい……
 心持ちしょんぼりした様子のソラが、ましろの正面で正座したまま頭を垂れる。
「辺境の村で、作物を食い荒らして枯らしてしまう虫が大量に発生したそうなんです。これからその虫を追い払うんですが、卵が少し特殊で、下手に割ろうとすると爆発して危険なんだそうです。なので、卵が孵化してから対処しないといけなくて、その卵が全部かえるまで二ヶ月かかるらしく。それまで青の護衛隊の選抜隊はその村に滞在して虫の対処にあたるそうです」
 というわけで、来週から二ヶ月ほどはこちらに来られません。ますます首を落とすソラに、ましろとしても上手い慰めをかけられない。
 二ヶ月。出会ってからこっち、そんなに長い間会わないことなんてなかった。
「あ、でもあの、その村ではスカイジュエルがよく採れて、しかもすごく大きいらしいんです。きれいなのがあったらお土産に持ってきます。それと、名物のお菓子もおいしいみたいで」
 わたわたと手振りを加えながらとりなそうとするソラの胸に飛び込みたいのをぐっと我慢。ここで我侭を言ってしまったら、彼女がこの家を出た時とおんなじだ。
 唇を噛み締めてうつむいた。大丈夫、二ヶ月なんて大したことはない。ちょうど、大学の課題をまとめないといけないし、サークルに提出する作品だって仕上げないといけないし、そうだ、あげはと出かけようって約束もしていた。その日程を決めやすくなったと思えばいい。
……任務って、危なくない?」
「うーん、そうですね、少し凶暴な虫ではあるようですが、私はベリィベリーさんと組むことになっていますし、選抜隊の人たちはみんなすごく強いので心配いらないと思いますよ」
「そっ、か」
 ソラとベリィベリーは若手隊員の中でも注目株らしくて、スカイランドに遊びに行くと二人の評判をよく聞く。将来の隊長と副隊長なんじゃないか、なんて気の早いことを言う人までいる始末だ。今でもコンビを組むことが多くてパトロールとかも一緒に出ていると、当のソラから聞いたことがある。
……キュアプリズムになれたら、わたしも手伝えたのかな」
「ましろさん?」
 急な物言いにソラが怪訝な顔をする。言外の意味には気づいていないようだった。後悔する。たらればを言っても仕方ないのに、思わず口をついてしまった。
 彼女の隣に他の人がいるのが嫌だ、なんて、どんなことがあっても言ってはいけないのに。
 両手を取られて、なだめるように親指でさすられた。何度も繋いだ手だった。日常の中でも、特別な日も、戦いの中でも。長年の修行の成果なのかソラの手のひらは固い。それでも泣きたくなるほど優しいのだった。いつだって。
「キュアプリズムが応援に来てくれたら大変心強いですが、それじゃあましろさんのお勉強が止まってしまいます。ましろさんはこっちで学校の勉強を頑張ってください」
「うん。そうだよね。ソラちゃんの言うとおりだよ」
 ソラの手が離れて、ひたりとましろの頬に当て……られる直前で止まった。
「さわっていいですか?」
「うん」
 無事にお許しが出た安堵でソラの頬が緩み、そのままの表情でましろの頬に触れてくる。盲目の人がかたちを確かめているような手つきだった。見えるままの記憶だけではなく、触感でもましろを覚えていたいというような、そんな触れ方をした。
「トンネルがあればいつでも会えるって思ってたのに。そうでもないんだね」
……はい。すみません、私が最近、ちょっと忙しくなってしまって」
「それはソラちゃんが頑張ってる証拠だよ。大丈夫、待ってる。だから」
 元気で帰ってきてね、と言いかけて口をつぐんだ。
 ここはもう、彼女の帰る場所﹅﹅﹅﹅ではない。
……気をつけて行ってきてね」
「はい」
「出発はいつなの?」
「四日後のお昼です」
「じゃあ、くもパン焼いて持っていくよ。お見送りくらいはしてもいいよね?」
「もちろんです。来てくれたら嬉しい」
 今回は青の護衛隊まるごとが向かうわけではなく、選ばれた一部の隊員だけが辺境に赴くので見送りもそれほど盛大ではないらしい。隊長や副隊長が出陣する際は、それはそれは賑やかになるんだけれど。
 頬から髪に手を滑らせながら、ソラがほんのりと目を細める。
「本当は、本当はですね」
「ん……?」
「ましろさんを連れていけたらいいのに、って、思います」
「ソラちゃん……?」
「おかしいですよね。大切なお友達が夢を叶えるために大学で頑張ってるのに、そんなことを思うなんて」
 髪に触れていた手を握り、友達の邪魔するなんてヒーローのすることではありませんと鹿爪らしい顔をするソラ。これが本気で言っていると確信できてしまうんだから始末が悪い。


 青の護衛隊の詰所で荷造りをしていると、横からベリィベリーが覗き込んできた。忘れ物がないかチェックしてくれるつもりのようだ。親切心だとソラは思っているけれど、実は信用されていないだけかもしれない。これまでも何度か忘れ物をしてベリィベリーにフォローしてもらっているので。
……今日は大丈夫みたいだな」
「ほんとですか? 良かった、これで一安心です」
「油断しない。この前の任務で出発直前になって遠征用のマントがないって騒いでたの、忘れたとは言わせないから」
「は、はい、気をつけます……
「あれ、この袋なに? 空っぽだけど」
 遠征用リュックの隅に差し込んであった小袋を見つけたベリィベリーが尋ねてきたので、ソラはそれを引っ張り出して軽く広げて見せた。
「お土産のスカイジュエルを入れるための袋です。あちらのは純度は低いけど大きいのが多いそうなので、いくつか持っていこうと思って」
「ふぅん。そういえば、そんな話も聞いたっけ。どうせなら加工品を買っていけば? 大きいから飾りとか実用品とかに加工しやすくて、手頃な値段で売ってるらしいよ」
「そうなんですか? いいですね、向こうについたら探してみます」
 ベリィベリーは隣で愛用のグローブの調子を点検している。キラキラパワーを宿す大切な装備だ、調整にも余念がない。
 なんとなくその光景を眺めながら、不意にグローブのはまっていない手を掴んだ。
「わ!? なんだよいきなり! 邪魔すんな!」
 乱暴に振りほどかれて、残った自分の手を見る。それから同僚の顔を眺め、うん、とひとつ頷いた。
「ベリィベリーさんにはぜんっぜんソワソワしませんね」
……なんの話?」
 ソラとは対照的に身長が伸び悩んでいるベリィベリーは、やや顎を上げ気味にしてこちらを見やってくる。そういえばましろと同じくらいかもしれない。「ちょっと失礼」おもむろに抱き寄せて背中に腕を回した。「うわー!」全身に鳥肌を立てたベリィベリーが両手を振り回して暴れるがソラはどこ吹く風で受け流し、腕の中に彼女を閉じ込め続けた。
「離せバカ!」
「やっぱりましろさんとは全然違いますねえ」
「なに訳分かんないこと言ってるんだ、いいから離せってば!」
 ベリィベリーもずいぶん鍛えているし、ましろと違って当然なのかもしれない。ましろはもっと柔らかいし、ふわふわしているし、いい匂いがするし、触れるところみんなスベスベだし、体温が高いのか頬をくっつけると温かいし、なんだか優しくしたいような、その反対のような不思議な気分になる。あげはに抱きつかれてもベリィベリーに抱きついてもそんな気持ちにはならないから、きっと彼女だけなんだと思う。
 ようやく力の抜けた腕から脱出できたベリィベリーは、肩で息をしながらソラの言葉に「当たり前だろ」と返した。
「特別な相手とおんなじになるわけないって、考えなくても分かるでしょ」
「特別、ですか? 確かにましろさんは私の初めての友達ですけど、ベリィベリーさんだって特別な仲間ですよ」
「は?」
「エルちゃんだってスカイランドのプリンセスとして特別な存在ですし、もちろん、パパもママも、弟のレッドだって特別です」
「ま、待ってソラ。そういう話をしてるんじゃない!」
 絶妙に噛み合っていないことに気づいたベリィベリーは、こころなしか焦った様子でソラの肩を強く掴んだ。ソラはきょとんとした目でなすがままになっている。
「ソラ……お前……ましろをなんだと思ってるの……?」
「ですから、大切なお友達です」
「嘘でしょ!?」
 あれで!? あれだけあれがあれなのに!?
 動揺しすぎて代名詞しか出てこない。おかげさまでソラにはまったく理解できなかった。
 ベリィベリーとしては、ソラのスカイランドでの様子を尋ねてくるましろの表情とか、自分に向けられるほのかな嫉妬とか、一緒にいる時はやたらと手を繋いでいるところとか、ソラが休暇申請をしている時のつま先が地面から浮いている様子とか、そういうのは全部、そういうことだと思っていたのだ。
 それなのに、ああ、それなのに!
「付き合ってないの!?」
「え? どういうことです?」
「ましろと! 恋人じゃないのかってこと!」
 もう婉曲表現とか比喩とか使ったら絶対に伝わらないと確信したベリィベリーは直球をぶん投げた。それでもソラはきょとんとしたままだった。
「こい……びと?」
「うそぉ……
 ソラに詰め寄っていた身体から力が抜けていく。まさか本当に無自覚だったなんて。そしてどう見ても自覚していたましろが何も言っていないなんて。
 ソラは崩れ落ちそうなベリィベリーを支えてやるべきか少々迷っていた。どうも今はそうするべきではない気がしていた。理由は分からない。
「ソ、ソラ、なんでましろのことを友達だと思うの……?」
「それは、だって、約束したからです。五年前、ましろさんに『ずっと友達でいてくれますか』と聞いたら、ましろさんが『もちろん』って答えてくれたので」
 だからずっと友達でいられる。それはソラにとって安心材料だった。あの約束があるからましろと友人でいられるし、いつでもそばにいられるわけじゃなくても繋がっていると思える。
 ましろのことを考えると胸がソワソワする。
 そうなってからもう五年が経っていた。
 たぶん、初めての友達で、本当に本当に大切だから、彼女に対しては少し臆病になっている。それが胸の小さなざわめきを呼んで、ソラをかすかに落ち着かせなくさせる。
 ベリィベリーは顔を両手で覆って天を仰いでいる。
「ソラ」
「はい?」
「お前は間違っている!」
 ビシィッと指を突きつけて叫ぶベリィベリー。五年前の意趣返しみたいになったが二人とも思い出しはしなかった。
 ソラはいきなり間違ってるとか言われてショックは受けたが、それと同時に「なにが?」という疑問符も浮かんだので、なんとも中途半端な、落ち込んでいるとも怒っているとも言えない表情でベリィベリーを見下ろした。
「それはまあ、私だって常に自分が正しいとは思ってませんし、間違うこともあると思いますが」
「そういうことじゃない、お前自身の気持ちの話をしてるんだ」
「気持ち?」
 ベリィベリーは突きつけていた指を引っ込めて腕組みをし、深々と嘆息する。なんで分かんないだと全身で訴えかけているそのポーズにもソラは首をかしげるばかりだ。
「ソラ。お前背が伸びたよな」
「ええまあ、ご覧のとおりです」
「じゃあ、今のお前が五年前と同じつもりで新しい服を買ったらどうなる?」
「そんなの着られるわけがありませんよ。さすがにあの頃と同じサイズの服は入りませんから」
「そういうこと」
「えぇ……?」
 どういうこと?
「一度、ましろとずっと友達だって思ったって、それが変わることもあるんだ」
 ソラを言葉の針で突っつきながら視線でも圧をかける。ベリィベリーとしてはましろに同情するしかない。こいつ本当に鈍いな。呆れ果てるベリィベリーだったが、それでも良き友人として悩める少女の背中を押してやることにする。
「考えろ、ソラ・ハレワタール。ましろの優しさに甘えてないで、ちゃんと自分に向き合え」
 ソラの胸を拳でひとつ叩いて鼓舞する。先生の授業はここまで、あとは宿題です。
 ソラは叩かれた胸は痛くなかったが、内側に、なにか小さな玉みたいなものがあるような、不可思議な感覚を覚えた。
「ましろさん……
 初めてできた大切な友達で、ずっと友達でいたいと思って、ずっと友達だよと言ってくれた。
 間違っているとは思えないんだけれど。
 それとも、間違っているんじゃなくて、違っているんだろうか。
 あるいは、何かが掛け違っているのかもしれない。
 完全無欠の友情からなにかが欠けて、なにかが違ってしまったんだろうか。
……あれ?」
 そうじゃない。違うのは自分じゃなかった。
 違うのはましろだ。虹ヶ丘ましろというたったひとりの存在。他の誰とも違っていて、他の誰より大切で、他の誰にも──。
「誰にも……
 あれ?
 なんだろう。
 不意に生まれた、あるいはそこにあることに気づいた『それ』がなんなのかベリィベリーに尋ねたくて振り返ったけれど、彼女はとっくにグローブのメンテナンスを終えて詰所を出てしまっていた。
 残されたソラはその場に立ち尽くして呆然としている。
 顔が熱い。
 手のひらで自分の頬に触れてみると、ましろに触れるたびに感じていた熱と同じ熱さだった。
 これって。


 護衛隊みんなの分の差し入れとして焼いたくもパンを両手に抱えてトンネルをくぐる。連絡を受けて待っていた隊員が嬉しそうにパンの入った袋を受け取ってくれた。
「あの、ソラちゃんはどこですか?」
「ハレワタールなら、もう出発地点の街の境界にいるはずですよ。選抜隊は朝からそっちに集合してるので」
「ありがとうございます」
 隊員が教えてくれた詳しい場所をメモしてからそちらに向かうと、やがて人だかりが見えてきた。隊員たちの家族や友人だろうか、思い思いに隊員と話したり餞別を渡したりしている光景が広がっている。
 その中から目当ての少女を探していく。集団の隅に、長旅に備えたマントを羽織ってベリィベリーと話し込んでいるソラを見つけた。「ソラちゃん!」心が逸って小走りになる。声が聞こえたのか、顔をこっちに向けたソラがましろを見つけて目を輝かせた。
「ましろさん!」
 大きく手を降って出迎えてくれるソラのところまでたどり着いたましろは、少しだけ息を切らせて立ち止まる。ランニングは続けているけれど、やっぱりそれだけじゃ運動不足かも、と内心でちょっとだけ反省。
「もしかして、もうすぐ出発?」
「いえ、あと三十分くらいはありますよ。みんなが乗るための鳥さんたちを待っているところです」
 良かった、みんな旅支度を終えているから時間を間違えてしまったのかと焦ったけれど、そうではなかったようだ。
 選抜部隊の隊長に確認したいことがあるからと、ましろとの挨拶もそこそこにその場を離れたベリィベリーを見送ってから、並んでベンチに腰掛けた。
 大袋に入れたくもパンと、行きがけにつまめるように小分けしたものをソラに渡すと、彼女は目がなくなってしまうくらい満面の笑みになって大事そうにリュックの一番上にしまった。辺境の町は鳥に運んでもらっても二日はかかるそうなので、旅程の中で食べてもらおうと準備したのだった。楽しみです、とソラの相好は崩れっぱなしだ。
「ひとつだけ、今食べてもいいですか?」
「もちろん。ソラちゃんのために焼いてきたんだから、ソラちゃんが好きに食べていいよ」
「では遠慮なく」
 ソラが小分けの袋からひとつ取り出して、手で器用に半分に割ると、片方をましろに差し出してきた。ん、と軽く首をかしげるましろの鼻先に小麦とバターの良い匂いが漂う。朝食はとってきたけれど、お昼にはまだ少し早いこの時間、これくらいなら簡単に入るけれど、ソラも小腹が空いているんだろうか。
「一緒に食べるとさらに美味しくなります」
「ふふ、そうだね」
 それじゃあと差し出されたパンを受け取って早速ひと口頬張った。ソラも大きく口を開けてかじりつく。んん、と満足そうに唸って味わうソラの隣でましろもパンを噛み締めた。家でヨヨと食べていた時も美味しかったけれど、今は、それとはまた違った意味で味わい深い。
 離れたところで砂埃が立ち始めたのが視界に入る。どうやら鳥たちが到着したようだ。補給の水を飲んでいる大きな鳥たちを眺めるともなく眺めつつ、隣のソラのほのかな気配を感じている。
 彼女の隣にいるのは落ち着く。想いがどうであれ、あげはやツバサ、エルと一緒に過ごしていたあの時間はましろに疑いようもなく安息を与えていた。ヨヨとふたりきりだったあの家が急に賑やかになって、朝も昼も騒々しくて、夜は静かだった。エルを寝かしつけて、ツバサも鳥かごに入って、あげはは自分の部屋で勉強をしている、そんな時間が毎日あった。そんな時間によくソラとふたりで話をしていたものだった。とりとめもない、学校での出来事とか、出かけた先のちょっとしたアクシデントとか、新しく買ってきた本の内容だとか、ヨヨと世話をしている花がもうすぐ咲きそうだとか。
 激しい雷雨の夜とか、怖い夢を見てしまった日は、リビングで肩をくっつけながらヨヨの作ってくれたホットミルクを飲んだ。砂糖をたっぷり入れて甘くしたやつ。やけどしない程度に温められた飲み物はいつだってソラとましろの肩の強張りをほぐしてくれた。それでも足りない夜は一緒に毛布に潜って手を繋いで眠った。大丈夫ですよ、ましろさん。優しく囁いてくれる呼び声が心地良くて、どんな日でもいつの間にか眠ってしまっていた。
 ソラがいればなんにも怖くなくて、大丈夫というなんの根拠もない慰めも信じられた。
 そういうの全部、嘘じゃない。
 嘘じゃなかった。
 半分のくもパンを食べ終えて、ソラの肩にもたれかかる。「ましろさん?」訝るような呼び声に応えずにいたら、ソラも何も言わなくなって、肩に乗せた頭にこつんと自分の頭を触れさせてきた。シャララ隊長の真似をして伸ばしている髪はもうずいぶん長い。肩から落ちた彼女の髪をつまんで編み出す。ある意味やや失礼な手遊びを、しかしソラは止めるでもなくましろの好きにさせた。小指ほどの細さのみつあみはどんどん長くなっていく。
 これはつまり、ましろのちょっとした抗議なのだった。置いていくなら変な髪型にしてやるぞ、という無言の我侭。そうしていてもみつあみは跡になってしまうくらいきつく編まれているわけではなく、ましろが手を離したらすぐにほどけてまっすぐに戻るくらいのものだ。元々ストレートでコシが強いソラの髪はそんなちょっとした悪戯にはびくともしない。
「こっちに戻ってきたら、一番にましろさんに会いに行きます」
……うん」
「お土産話もたくさん仕入れてきますから、また一緒にお茶をしながら話しましょう」
「うん」
 ソラがそっと手首を掴んできて髪の毛をいじる悪戯をやめさせた。そのまま指を絡めてやんわりと包んでくる。
「すみません。そんな顔をさせてしまうのは、あなたのヒーロー失格ですね」
 そんなことない、と反論しようとしたのに喉が詰まって声が出なかった。泣くのは堪えた。たった二ヶ月だし、もう十四歳の頃ほど弱くはない。
 たった二ヶ月なのだ。アンダーグ帝国との和平が締結されたとはいえ、青の護衛隊の任務は多岐にわたっていて、これからソラはどんどん忙しくなるんだろう。二ヶ月どころか半年、一年も会えないなんてこともあるかもしれない。今からこんな体たらくでどうするんだという話だ。
 ずっと友達でいると約束したから、きっとずっと彼女との絆はなくならない。それでいい。それでいいと思わなければいけない。
「ソラちゃんは」
 ぎゅっと絡んだ指に力を込める。
「みんなのヒーローだよ」
 青の護衛隊に入りたくて故郷を飛び出した彼女の夢の場所がここだ。スカイランドの、王と王妃に認められた、たくさんの仲間に囲まれた、憧れの人の背中を見ることのできるここが。
「まーしーろーさん」
 ちょっとムッとしたような声だった。そんな呼び方をされたことがなかったから、驚いて思わず身を起こす。顔を上げるとやっぱりムッとしたような顔のソラがこちらを見ていた。まっすぐに、彼女の信念みたいに。
 両手で頬を包まれる。挟み込んできた両手はいつもより熱い。
「私が挫けそうになった時、あなたが私をヒーローにしてくれたんじゃないですか。あの時の手紙、ヒーロー手帳と一緒にずっと持ってますからね、私。それを忘れてほしくないですし、否定もしないでください。ましろさんの優しい心を否定するなんて、いくらましろさんでも許せません」
……ご、ごめんなさい」
「あなたが『戦わなくてもいい』って伝えてくれたから、私は戦えるようになったんです。ましろさんはヒーローガールの恩人ですよ」
 もっと誇っていいとソラは言う。あの時もソラのそばにはいなかった。彼女が戻ってくるのを待って、それまでに彼女のあるべき場所を守ろうとしていた。
……そっか」
「はい」
 ニッと幼さの見える調子でソラが笑い、それは十四歳の彼女の面影が濃く出ていて、うっかりましろもふにゃりと笑った。
 次の瞬間、ソラの表情が強張る。不思議がっていると彼女はパッと手を離して胸まで上げた。お手上げのポーズか、もしくは降参?
「あっ、聞く前にさわってしまいました! すみませんましろさん、急にさわって怖くなかったですか!?」
「えぇ〜……
 こんな時でもあの約束って有効なんだ。さすがに少し呆れてしまう。言い出したのはこっちなんだけれど。
 ソラに押し倒されたのはあれっきりで、あれ以来、彼女は律儀に毎回許しを請い、ましろは特に深く考えず「いいよ」と答えていた。すでに形骸化した約束はあってないようなものだと思っていたけれど、ソラのほうはわりと真剣に守ろうとしているらしい。
 というか、あれはそういうことだと思っていたんだけれど、実はそんなことはなかったのかもしれない。気の迷いとか、本当になんの意味もない、ソラの悪ふざけみたいなものだった可能性が濃厚になってきた。大切な友達ですとは何度も言われているけれど、それ以上の言葉も態度ももらったことはない。もしかして独り相撲だったのかも。今さらながら気恥ずかしくなってくるましろだ。しかもその場合、確実に失恋することになるおまけ付きである。
 泣きたい。
 それならいっそ、この二ヶ月は有意義なものになるのかもしれなかった。二ヶ月もあったら吹っ切れるんじゃないだろうか。たぶん。もしかしたら。できたらいいな。
「青の護衛隊、遠征部隊集合!!」
 男性隊員の大きな声が響いた。もう出発時間になってしまっていたようだ。
「あ、もう行かないと」
 名残惜しさを隠そうともしないで、ソラは中途半端に立ち上がり、しかし後ろ髪引かれた様子でその場に留まっていた。そうしている間にも護衛隊の隊員たちは素早く整列しており、これは遅れてはいけないのでは、とましろのほうが焦ってしまう。実際、端にいるベリィベリーが射殺しそうな視線でこちらを睨んできていた。ましろが慌ててソラの背中を向こうに押しやる。
「ソラちゃん、早く行かないと。みんな待ってるよ」
「は、はい。それでは、行ってきます。くもパンありがとうございました」
「うん。そうだ、帰ってきたらソラシドパークに行こうよ。紋田さん……バッタモンダーがまたバイトを始めたんだよ。ホットドッグ、一緒に食べよ」
「え? ましろさん、バッタモンダーと会って」
「ソラ! お前いいかげんにしろ!! もう整列してないのお前だけだぞ!!」
 しびれを切らしたベリィベリーが蹴りつけそうな勢いで駆け寄ってきてソラの首根っこを捕まえた。「いたたっ、今、今行きますって!」ソラは弱り目になりながらベリィベリーから逃れようとするが、強さを追い求めている同僚はバランスを崩したソラをやすやすと押さえ込んで集合場所に引きずっていった。
 後で叱られないといいなあ、と心配しながらその様子を眺めるましろ。ソラは遠征部隊の一番後ろに並んで、見送りの人たちから声援を受けながら鳥に乗り込んでいた。ましろは見送りの住人に交じるのも気が引けて、ベンチのところでソラが出発するまで見送ろうと佇んでいる。
 人一人乗せても平気なくらい大きな鳥の羽ばたきは激しい。風が渦巻いてましろは思わず目をつぶる。
 砂埃がやむのを待って目を開けると、その場に浮いた鳥の上で、ソラがまっすぐにこちらを見つめていた。
「ましろさん!」
 真っ青な空から落ちてきた少女は、故郷の空を背に、出会ったときから変わらない優しい笑顔を浮かべた。
「前に、ずっと友達でいてほしいとお願いしましたけど、あれ、取り消させてください!」
「え……?」
 喉から胃のあたりにかけて冷たいものが落ちていく感触がした。それって、それってどういう、意味?
 ソラはずっと笑っている。ましろの大好きな笑顔だ。大口を開けていても、ほのかに口角を上げているだけでも、どんな時でも優しさの変わらない笑顔。
「あなたを愛しています」
 ぶわりと風が舞った。鳥の羽ばたきがましろの視界を奪う。
「帰ったら、ましろさんの気持ちを聞かせてください」
 さっきより遠くなった声に慌ててベンチを離れて駆け出すけれど、そんなことで彼女のもとには行けやしない。
 ベリィベリーにせっつかれでもしたか、ソラを乗せた鳥はもうずっと遠くに飛んでいってしまって、どんなに声を張り上げても届きはしなそうだった。
 ましろの双眸が大きく見開かれる。
「え……えぇ〜〜!? 今ここで!?」
 こんな、みんなのいる前で!?
 呆然とするましろだったけれど、意外にも周囲の人たちは平然としていた。公開告白を目の当たりにしたとは思えない態度にましろのほうがうろたえてしまうが、考えてみればスカイランドは結婚の際に崖から大声で宣言する文化があるのだった。あれと似たようなものだと思われたのかもしれない。
 へたり込んで顔を覆う。いきなりの展開についていけない。
「急すぎるよ……
 二ヶ月後、どんな顔をして彼女を出迎えたらいいんだろう。
 これは二ヶ月かけて考えないといけない難問かもしれない。


「ソラちゃんのばか。なんであんなところであんなこと言うの」
「す、すみません……。帰ってから言おうと思ってたんですが、遠征している間にましろさんがバッタモンダーと仲良くなりすぎたら困るなと思ったらつい……
 部屋に入るなりソラに飛びついてぎゅうぎゅう抱きしめながらその首筋に顔をうずめる。ソラはオロオロと手をさまよわせていて、それもましろは不満だった。
「さわっていいよ!」
「は、はい、では……
 そっと背中に腕が回ってきて遠慮がちに抱きくるまれた。あんなことをしておいて何を遠慮しているんだろう。
 おかえりよりもお疲れ様よりも先に「ばか」が出てしまったのは我ながらどうかと思うが、口をついて出てしまったものはしょうがない。そして怒っているはずなのに幸せを感じてしまうのもしょうがないのだった。
 ソラが背中を撫でてなだめてくる。泣いている友達に手を差し出すことしかできなかった彼女のそれは成長だ。
「ヒーローは、正しさについてずっと考える」
「ん?」
「シャララ隊長の教えです。五年前、私はましろさんとずっと友達でいたいと思いました。それは本当だし、あの時の気持ちとして間違っていたとは思いません」
……うん」
「けど。いつからなんでしょうね。違ってたみたいです」
 友情を壊したくないと思う気持ちも、友情じゃない別のなにかが生まれたのも本当だった。一度出した答えが絶対の正解だと信じ込んだまま五年が経って、いつから違っていたのかなんてもう分からない。
 何が正しいか考えるのをやめてしまったから気づかなかった。
 そう語る彼女の手のひらはずっと同じように温かくて変わらなかった。
 ましろの腰のあたりで手を組んで、甘えるようにもたれてくる。並ばなくなった目線の代わりに包み込んでくれる腕があって、その抱擁はましろの意固地を溶かしていった。
「ましろさんの気持ちが聞きたいです」
 その声は十全な優しさに満ちており、きっと何を言っても受け入れてくれる。
 ましろはひとつ息をつく。
……ソラちゃんは、ずっと憧れてた青の護衛隊に入って、みんなを守るヒーローになった、って、そう思ったの」
「はい」
「だから、もうわたしの……わたしのヒーローって言っちゃいけないんだって」
「そんなことありませんよ」
 言ったでしょう? クスクス笑いながらソラが抱きしめてきた。力強いのにそれはましろを髪の毛一本ほども傷つけない。
 少しだけ身を捩ってソラの腕から力を抜かせて、手のひらを彼女の両頬に当てる。見上げた先にあるのは澄んだ瞳だった。どこまでもどこまでも透明で、覗き込んでも果てのない瞳だ。無限に広がる青い空。本当にそうだ。その形容は彼女にこれ以上なくふさわしい。
「プリキュアにもなれなくて、もうあなたと一緒に戦えないし」
「それも構わないって言いました」
「おばあちゃんにトンネルを開けてもらわないと気軽に会いにも行けないし」
「その分、私が会いに来ます」
「お留守番のたびに拗ねちゃうかも」
「そんなところも可愛いです」
「ベリィベリーさんのこと好き?」
……そういうこと聞きます? 好きですけど、ましろさんを好きというのとは違う好きです」
「なんでいつもわたしを抱っこしたがったの?」
「あなたにさわりたかったからです。も〜、気づいてない時のことを聞かれるのすごく恥ずかしいんですけど」
 「というか、私いつまで待ってればいいんですか?」やや困り顔になったソラが唇を尖らせる。途中からからかい出したことに勘付いたのかもしれない。
 頬に触れたまま目を細める。忠犬よろしくじっと言葉を待つ彼女の額まで指先でそっとなぞった。
「ソラちゃん」
「はい」
「あなたはわたしの特別」
 他の誰とも違って、他の誰とも重ならなくて、他の誰にも代わりはできなくて、他の誰にも。
「誰にも渡したくないよ」
「──はい」
 額をなぞる指先を取られて、そっと唇が当たる。
「ソラ・ハレワタールはあなたのものです」
「わたしをソラちゃんの恋人にしてくれる?」
「もちろん。こちらこそ」
 一歩離れて、右手を差し出す。それを見下ろしたソラが照れくさそうにへへっと笑った。
 何度手を繋いだかは覚えていないけれど、この握手﹅﹅﹅﹅が初めてなのは確実だった。
 そっと繋がった手と手はいつもよりほんの少しだけ熱い。
「えっと、これからもよろしく……
「は、はい、よろしくおねがいします……
 握手をほどいて、ソラの両手を掴む。わずかにうつむいたましろにソラが怪訝そうな顔をした。
「わたしは学校があるからスカイランドに住むわけにはいかないし、ソラちゃんは護衛隊のお仕事があるからソラシド市に住むわけにはいかない。だから、わたしの気持ちがソラちゃんの邪魔になるんじゃないかって怖かったの」
 いつでも会えるなんて嘘で、大人に近づけば近づくほど自由は失われて、無限大に広がっているはずの未来は困難ばかりが見えてくる。それでも諦められなくて彼女を手放せなかったのは、弱さだっただろうか。
 ソラは小さく肩をすくめると、ましろの頬をむにっとつまんできた。痛くはないがむにむにされているとなんだか子供扱いされているようで複雑な気分になってくる。
「それは、どうしたらいいか私にも分かりませんが。邪魔なんてことはありませんよ。けど、考えましょう。できるだけ一緒にいられるように、ふたりでいい方法を探すんです。あげはさんやヨヨさんに聞いてみてもいいし、ツバサくんならいい案を持ってるかもしれません。そうやって周りのみんなに頼りましょう。私たちはふたりですけど、ふたりきりじゃないんです」
 一人で悩まなくてもいいし、二人で立ち往生することもない。周りを見回せば助けてくれる人たちがたくさんいて、彼らの力を借りることはけっして悪くはない。
「ヒーローは助けてもらうことをためらわない。あ、これもヒーロー手帳に書いておこうかな」
 得意げにするソラに思わず吹き出して、「そうだね」彼女の首にかじりついて目を閉じた。
「みんなで考えよっか」
「はいっ」
「でもそれ、明日からでもいいかな?」
「構いませんけど……?」
「今日だけはわたしがソラちゃんを独り占めしたい、かな」
 せっかく恋人になれたんだし。
 友達とはしないことも、したい。
 「いい?」と瞳を覗き込みながら聞いたら、珍しくソラの目が泳いだ。
 八級くらいはあげてもいい泳ぎっぷりだった。


 友達とはしないようなことをしたその日の夕暮れ時、ソラがリュックからきれいにラッピングされた箱を取り出した。なんだろうとソラの背中にはりつきながら覗き込む。
「ましろさんにお土産です」
 細長い箱はソラの持っている感じからするとそれほど重くはなさそう。手渡され、「開けていい?」「どうぞ」促されるままにリボンをほどいて開けてみる。
「えっ」
 それを認めた瞬間、上ずった声が勝手に出てきた。反射的にソラの腰を確かめる。彼女が肌身はなさず身につけている物はやっぱりそこにあった。
「ど、どうしてミラージュペンが!?」
 箱に収まっていたのは、ソラが今でも持っていて、ましろがかつて持っていた力の象徴。けれど、やや落ち着いてから改めて見れば、形はそっくりだけれど別物だと分かる。濃い青色をしたそれはましろにも見覚えのある質感だった。
「あ……スカイジュエル……?」
「はい。スカイジュエルで作ったペンです。この前の任務で行った村がスカイジュエルの加工が名産でして。特注で作ってもらうこともできたので、任務の間に頼んでおいたんです」
 こちらの世界で言うガラスペンに近いもののようだ。美しい彫りと造形のペンは日にかざすと光を反射してきらめく。代わりというわけではないんですけど、とソラは遠慮しながら言った。ミラージュペンを失ったショックを見せられたことがずっと引っかかっていたらしい。
 ましろは壊れ物を扱うみたいに両手でペンを捧げ持った。彼女の隣にいられる証だったあのペン。あれを失くしてしまったらもう一緒にいられないかもしれない、そんなふうに不安になったこともあった。
「それを私だと思って、というのは言いすぎですが」
 ごまかすように笑い声をあげてソラが目を逸らす。さすがに気障ったらしいと思ったのだろう。
「ありがとう、ソラちゃん。すごくソラちゃんらしい贈り物だね」
 スカイランドでしか採れない石と、プリキュアでなければ知らない形。そして、ましろがもうそれを持っていないと知らなければ作られることのないペン。
 それはもしかしたら、ふたつの世界でただひとり、ソラ・ハレワタールだけが作り出せた物であるのかもしれなかった。
 身体の奥から湧き上がってくるものに耐えつつ、ましろがまっすぐにソラを見つめる。
「ソラちゃんはすごいよ。いつもわたしがほしいものをくれるもん」
「そうですか? そうなら嬉しいです。ましろさんが喜んでくれるなら、どんなことでもしたいです」
「ほんと?」
「ええ、もちろんです」
 胸を叩き、任せてくださいと強気に出るソラ。ましろはスカイジュエルのペンを大事に大事に箱に戻すと、ソラににじり寄って前髪が触れ合いそうなくらい顔を近づけた。
「今、わたしが何してほしいか分かる?」
 至近距離でつばを飲み込む音がした。
……あの……さっきまでたくさんしてたと思うんですが……
「だめ?」
「そんなこと……
 うう、と唸る声が小さく届いて、優しく優しく、唇が唇に触れてくる。

 ソラは「押し倒していいですか?」なんて聞かなかったし、ましろももう怖がりはしなかった。