冬でも頂に白く雪を残す山は、麓から見る分には美しい。だが頂上が少し靄がかかっているときや、山頂が雲で見えなくなっているとき、そこは火のない地獄と大差ない。
まだ山頂に誰の足も許したことがない、未踏の霊峰である。
裾野には美しい草原が広がり、蛇のようにうねりながら流れる大河へと繋がっていく。人が住むようになるのはこのあたりからだ。水を治めて街を築き、畑を作り家畜を飼っている。河を利用して、ものをやりとりする。
人が住むようになったので、その街には名前が付けられた。河の流れは船が遡ることができるほどに緩やかだったので、粉を引くには力が足りず、もっぱら風車小屋が利用されていた。山から吹き下ろしてくる風が、それを助けていた。
街の名前は、立ち並ぶ風車から取られた。
多くの人が初登頂を夢見る山にも、名前が付けられた。尊いものを示す名前が、与えられた。河には前から名前があった。その流れが至る先には、別の街がありそこで使われていた名前が、そこでも使われるようになったのだ。
しかし平原だけはずっと名前がつかなかった。何かが採れるでもなく目を引く生き物が暮らすでもなく、ただただ地味な草が咲くだけの野原には、名前が付けられなかった。
言って終えば、そこは道だった。人の領域から人ではない領域に行くための道。だから記憶に残らなかったのだ。
それでも興味がないから誰も眺めなかっただけで、そこには人が暮らすようになるずっと前から生き物たちが根付いていた。用心深く草の高さよりも上に顔を出さない臆病な草食獣たち。それを餌とする、同じく草に身を隠す狡猾なハンターたち。
植物だって、興味がないものには見分けがつかないだけで、驚くほどたくさんのものが隠れていたのだ。いくつかは人に有用なものもあり、後々薬として重用された。そのことを教えてくれたのが、そこで暮らしてきた生き物たちだ。
そのことに人が気づくのは、もっとずっとあとのことだ。
草原に与えられた名前は、薬箱を意味することになる。いずれにしろ、人が山を制し病を制するようになるあとのことである。
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