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namaeggg
2018-11-03 00:06:13
6436文字
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永遠なんて誓わない ⑥
後編その2.1です。まだ人間。
季節が移ろう。
都市部から郊外へ、スモークガラスで仕切られた遮音性の高い車窓の景色はまるで無声映画のように静かにスライドしていく。運転手と目を合わせることもなく気詰まりに満ちた車内でいつも酸素を求めるように後部座席の窓辺に寄り添うけれど、適温に保たれた空間では外気も伝わらない。街路樹の装いをとりとめもなく観察しながら、そんな褪せた映像を何年も繰り返し再生している。
やがて木々が途切れ、代わりに堅牢な城塞が視界を遮った。外壁に沿い徐行し始めた車は鈍重に開かれた鉄城門の中へと飲まれて石畳の上を小さく揺れていく。路傍は手入れされた芝生が広がって、葉先の上を風が転がるのを眺めているうちに車はいつのまにか停止していた。
「おかえりなさいませ、ワイスお嬢様。お荷物を」
「コートを預かりしましょう」
降車し玄関に入るなり、使用人が慇懃に彼女を出迎えた。それぞれに目を配り「結構ですわ」と軽くあしらうと、ワイスは絨毯の敷かれた大理石の廊下を足早に進んでいく。そのあとを一人が付き従う。
「荷物は結構と言ったはずです」
羽織っていた薄手のコートを畳みながら、斜めに束ねた髪を鬱陶しそうに後ろへと払い流す。
「お嬢様宛に書簡が届いておりました」
事務的な声にワイスはようやく足を止めて振り返った。微笑を崩さず使用人は分厚い封筒を差し出してくる。宛先を一瞥してすぐに内容は察せられた。控えめに謝意を伝え受け取ると、彼はすぐに踵を返していく。封筒に詰まった重さ分鈍くなった足を無理矢理動かして、ワイスは再び自室へと向かった。
部屋に近づくにつれて、たったっという彼女の軽快な足音が聞こえてくるような錯覚さえもして、ワイスは小さく苦笑した。気がかりを解き、そっとドアノブを回した。
「わう! わう!」
ドアを開けた途端、扉付近で待ち構えていた愛犬がいきなりワイスに飛びかかってきた。
「もうルビー。少しは大人しくできないんですの」
後ろ手に扉を閉めながらやれやれと気取って肩を上げてみせるも、千切れんばかりに尻尾を振り乱す姿に口角が自然と持ち上がってしまう。ルビーの実態はともかく、ワイスは大の犬好きなのだ。
うずうずしている彼女を尻目にワイスは悠然と机に荷物を置き、代わりに腰掛けにかけておいたバスタオルを手に取る。そして振り返り、ぴったり後をついて催促するように肉球を押し付けてくる前足を掴まえてワイスはしゃがんだ。
「ルビー、“まて”ですわ。“まて”です。そう、お利口ね」
大人しくさせている間にバスタオルをマントのように広げて彼女の背中にかけた。こうするとスーパーマンみたいで愛らしい。スクロールで写真でも撮ろうかしらなどと本気で思案を巡らせていると、彼女はもう痺れを切らしたように濡れた鼻先を伸ばしてきた。それをワイスは掌ですんでのところで阻止してみせる。
仕方なくキス、するようにみせかけてタオル越しに抱き締めたり、わしわし撫で回したり存分に“犬”成分を堪能する。いい加減焦らされたルビーが首元に甘く噛みついてきて、ワイスはようやく顔を離した。うーっと低く唸る彼女に気づかないふりをしてタオルの裾をしっかりと握り、銀色の瞳を見据えてからワイスはやっと、“よし”ともったいぶった態度で許可を出した。
「
――
ワイスってば最近イジワルだよね」
ペロリと唇を舐められた直後、耳元で囁かれる。お互いしゃがみ込んだまま、ルビーの体を引き剥がすと彼女はむぅと頰を膨らませていた。
「
……
いいから、早く服を着てください」
はらりと肩からずれ落ちそうになっているバスタオルを正してやりながら、ワイスはむっつりと答えた。
あれほど可愛がった愛犬相手とは思えぬほど素っ気ない主人の態度に、険を解きふふっとルビーは吐息を零した。
「それって命令? それとも、お願い?」
未だに裸に慣れていないワイスをからかうように頬にキスしてくる。きちんとしつけなかったせいで彼女は味を占めてしまったようだ。
「こら、ルビー
……
」
「ワイスって本当に犬が好きだね」
裸のまま抱き締められて、くるまっていたバスタオルが解けた。先ほど甘噛みしてきた首を今度は労わるようにぺろりと舐め上げられたところでワイスはとうとう癇癪を起こした。
「も、もう! ルビー、いい加減にしないと怒りますわよ!」
「もう怒ってるじゃん。ワイスのおこりんぼー」
ひひっといたずらっ子のように笑ってバスタオルを拾い上げるとルビーは立ち上がった。背中に回したタオルを広げて「スーパーマーン!」と言いながらきゃっきゃと軽やかな足取りでクローゼットへと向かっていく。
ワイスは盛大に頭を抱えつつもクローゼットから楽しげに自分の服を何着か引っ張り出していた彼女を見守っていると、ルビーが急にはたと動きを止めて下着姿のまま振り返った。
「ねぇワイスは
……
私のこと好き?」
「なんです、突然」
訝しんでいると、ぺたんこに履き潰した犬柄のスリッパをぺたぺたと鳴らしてワイスの方へ近づいてくる。
「
……
ええ」
ほんのりと柳眉を下げて返答を求められるので、右往左往と目を泳がせながらもワイスは小さく首肯した。
「それって私が犬じゃなくても?」
「さぁ、どうかしら」
おどけて肩を竦めればルビーが再び膨れ面を作りワイスに襲いかかってきた。
「もーひどいよワイス!」
「こ、こら! ちゃんと服を着て
……
」
ぐいぐい力強く押してくるルビーともつれ合いになり、バランスを崩した拍子にぐらりと後ろに身体が傾いた。魔法陣を展開する前にルビーの腕が背中に回され、そのまま二人して床に倒れ込んだ。
「ワイス、大丈夫!?」
「平気です、それより貴女こそ腕を
――
」
ふと押し倒された格好であることに気づき、ワイスが慌てて顔を背けたところで部屋をノックする音が聞こえた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
二人分の転倒音が存外大きく廊下まで響いていたらしい。巡回中の使用人の呼びかけに思わず硬直し、のしかかっているルビーと数瞬見つめ合う。もう一度ドアを叩かれた。そういえば、部屋の鍵を締め忘れた気がする。思い出すと同時にドアノブがおもむろに下がっていく。まずい、と直感した瞬間、ワイスは返事を後回しにし彼女の顔を引き寄せた。
「失礼致します、お嬢様。
――
いかがなさいましたか?」
普段は冷静沈着な彼が珍しく引き攣れた声を出して、地べたに仰臥するワイスに恐る恐る尋ねた。
「い、いえ。ルビーがちょっと悪戯をしてきただけですわ。そうですわよね?」
固い愛想笑いを浮かべ、下着に埋もれた“彼女”の前足を掴んでワイスは必死に同意を求める。
ワイスに馬乗りになっていたルビーはフンと、つれなくそっぽを向いた。
新学期が始まるとアトラスでは急速に冬支度が始まる。日中は柔らかく膨らんでいた陽だまりも秋冷な風にさらわれて朝晩の寒気が日増しに厳しくなる。ルビーと日がな一日共に居られた夏を恋しく思う反面、感傷に浸る間もなく厳冬の兆しがすぐ足元まで這い寄っている。
じゃれ合いもそこそこに、着替えを済ませたルビーはワイスのデスクに椅子を並べてすぐに勉強に取り掛かった。留守番中人の姿でいられなかった分、彼女は殊更集中して励んでいる。夏に外の世界に触れたことが彼女にとって刺激的だったのかもしれない。自然の仕組みを知れるのが面白いと、理科の教科書を読むのが目下彼女の楽しみのようだった。
夕食後、シャワーを浴びたのち使用人に作ってもらったココアを持参し部屋へ戻ると、ルビーはまだ机に齧りついていた。扉を閉める音でようやくワイスに気づくと彼女は顔を上げてふにゃりと笑いかけてくる。
「ありがとう、ワイス」
差し入れのマグカップを両手で受け取ってフーフーと息を吹きかける。
「ルビー、用心しなければなりません。わたくし以外の誰かが部屋に侵入したらどうするんです」
ワイスはあえて厳しい口調で窘めた。かれこれ数か月人間のルビーと過ごしてきたけれど、ワイスの腐心もあっていまだ彼女の存在は公にされていない。使用人達には無許可で自室に入らないようこれまで以上に厳命しているが、ワイスが不在の間は彼らのルーチンワークであるルビーの世話や室内の清掃で入ることもあるだろう。もしもの事態には隠れて対処するようにと、人間になった初日からルビーには口酸っぱく教えてきた。
「あうう、ワイス厳しい
……
」ちびちびとココアに口を付けていたルビーは首を窄めた。「ちゃんと耳は立ててるよ。ヒトの耳だとそれほど聞こえないけど
……
でもワイスの足音はわかるもん」
「わかってます。貴女が真面目に勉強していることも」
「えへへ」
隣に座って頭を撫でてやるとルビーはマグカップから顔を離して嬉しそうに目を細めた。
ルビーが勉強を再開すると、ペンを走らせる音だけが心地よく部屋に降り積もっていく。時々質問に答えながら、ふとワイスは彼女の横顔を見遣った。一心に教科書に向かう姿は精悍でやたらと大人びて見えた。
「ずいぶん精が出ますのね」
「うん。ワイスがいるうちにやっときたいんだ」
他意なくそう言って、ルビーはさらにページを捲った。
ワイスの真似事で始めた勉学も、今では自主的に取り組んでいる。犬のままでは得られなかった知識を得てどんどん視野を広げていくルビーは、この先一体何者になっていくのだろう。そして自分は一体何者になりたいのだろう。
ワイスはデスクの端に放置していた封筒に手を付け、中身を確認する。はたしてそこにはビーコン・アカデミーの入学証明書一式が入っていた。このことは父と親交があり、オズピン学長とも縁の深いアイアンウッド将軍より先だって知らされていた。というより、屋敷ですれ違った際世間話のついでにうっかり彼が漏らしてしまったのだ。
「アトラスを志望しなかったのは実に残念だ。ウィンターのように」と彼は冗談交じりに口惜しんでいた。優秀な姉と比べたら彼はきっとがっかりするだろう。アトラスに留まればずっと何かに比較され続ける。家名に。姉に。心のどこかでは
――
それを忌避したかったのかもしれない。
律儀に送られてきた合格通知。いよいよ水槽の外へ出て航海する舵を手に入れた。これでもう父に口出しはさせない。自分の進路を自分の意志で選び取ったのだ。自分自身の力をこれから証明し続ける。それは何よりも待ち焦がれていた未来であるはずだった。
「
――
どうしたの?」
「えっ?」
ルビーの声が深く沈み込んだ思考を掬い上げた。
「なんだかさっきからぼーっとしてるみたい」
身を乗り出し、彼女は心配そうに顔を覗き込んでくる。
「もしかして、眠くなっちゃった?」
「そう、かもしれません」
吸い込まれそうな眼差しからどうにか目を逸らしながら、ワイスは下手に誤魔化した。するとルビーは微笑んで、ワイスの頭をよしよしと撫でてくる。いつも自分がルビーにしてあげるみたいに。
「それじゃーあ、一緒に寝よっワイス」
「いつも一緒に寝てるでしょう」
面映さをため息で隠すワイスの手を取って、ルビーは立ち上がった。
「ワイスの体はアイスみたいにひえひえだから私があっためてあげる!」
「誰がアイスクイーンですって?」
「なにそれ、アイスクリームってこと?」
姦しく言い合いながらベッドへと向かい、二人で布団に滑り込む。ルビーはすぐさま身をすり寄せてきてワイスの体をひしと抱き枕にしてくる。湯たんぽのような体温に心安らぐが、ルビーはさらに首元に顔を埋めると犬のように鼻頭を押し当てて、しまいには口唇で触れてくるので(以前よだれでベタベタになってしまったことがあったので舐めることだけは固く禁じた)すっかり目が冴えてしまった。
「ルビー、その」
「うん?」
「わたくし本当は眠くなくて、」
身じろぎ体を僅かに離せば、ルビーが目を丸くさせている。彼女に何と伝えるべきか何度か言いよどむも、ワイスは口を開いた。
「
――
久しぶりに絵本を読んで差し上げますわ」
「ほんと!?」
ルビーに子ども扱いだと非難されるかと思ったが、ことのほか食いついてくれたのでほっと胸をなでおろす。夏ほど触れ合う機会が減ったせいで彼女の抱きつき癖は治るどころか更に悪化してしまった。それでも日中一人ぼっちでお留守番をしているルビーのことを慮るとどうにも強く拒否することができない。
書架に戻していなかったいくつかの絵本の中から適当にチョイスしてワイスがベッドへと戻ると、枕の前でルビーは体育座りの体勢で小さく前後に揺れながら待機していた。
「ワイス、早く早く」
枕をぽんぽんと叩く彼女に誘われるまま背後に回り込む。そうしてワイスの足の間にすっぽりと体を収めるのがルビーの犬の頃からのお気に入りポジションだった。さっそく腕を前に回して絵本を読んであげようとするけれど、大きくなった背中越しでは以前と同じようには難しくなってしまった。
「ルビー、」
「なぁに?」
「その、読めませんわ
……
」
申し訳なさそうに伝えると、あそっか。と得心した様子でルビーが後ろへ移動してきた。
「ワイスが前に来て。今日は私が読んであげる!」
言われるがままそうすると背後からルビーの腕が伸びてくる。優しく抱き締められるとあたたかな気持ちに満たされる。まるで、オーラに包まれているかのような、不思議な安心感。
「ワイスは小さいまんまだね」
肩に顎を乗せて、にししと笑う吐息がこそばゆく耳元を掠めていく。それから饒舌に、落ち着いた声でルビーはお伽噺を紡ぎ始めた。
「
――
鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」
彼女に背を預けながら、ワイスはゆったりと耳を傾けていく。
ルビーは成長している。彼女の成長を親心のように嬉しく感じる一方で、ワイスは内心焦りを募らせていた。うすうす抱いていたこの疑惑は、もう確信に変わっている。
彼女は完全に人間になりきれていない。
犬は約一年で成犬を迎えるという。人としてはあまりに早い彼女の成長スピードも犬に置き換えてみれば腑に落ちた。甘えん坊な性格のせいで幼くみえるが、ふとした拍子にまるでウィンターと対面した時のような感覚に陥ることがある。そう、彼女はもうほとんど大人の女性だった。
ワイスは恐れた。確かに、ルビーが人になることを夢見ていた。けれどもそれは、人間が犬よりも長寿だからだ。せっかく人になってもこのまま犬と同じ速度で成長していくのだとしたら、結局彼女はどれほど長生きしてもワイスを置いて二十年も満たずこの世界での役目を終えてしまう。それでも心につきまとう人の姿に対する執着は、一体どう説明したらいいのだろう。
「なんてキレイなお姫様、まるで眠ってるみたいだ
……
」
絵本はちょうど永遠の眠りについた白雪姫のもとに王子が訪れる場面に差し掛かっていた。そこで、ページを捲るルビーの手が止まっていることに気づいた。不審に思っていると、唐突にうなじに柔らかな感触がひとひら落ちた。
「んっルビー
……
?」
振り返ると、ハッと跳ねて我に返ったようにルビーが慌てた。
「ご、ごめんワイス! 私、もう眠くなっちゃった。もう寝るね」
おやすみワイス。と早口でまくし立て、先にシーツに入ってしまう。すっぽりと頭まで隠すように潜り込むルビーに首を捻りつつも、はみ出しているブルネットを優しく梳いてやる。読みかけの絵本を閉じようとして、姫の目覚めのシーンが目に飛び込んできた。
ベッドサイドランプを消灯し、背を向けて横たわる彼女の隣にワイスも体を滑り込ませ、そうして今夜も二人で眠りにつく。
その日、ルビーはパジャマを脱がなかった。
(to be continued.)
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