さちこ/Sharia
2024-01-26 22:54:27
2433文字
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まっかな手のひら

5.1(漆黒)のはなし

時折、自分の手が真っ赤に見える。
どろりとした液体が肌を伝って、服へ染み込み、わたしを全て染め上げていくかのような、そんな幻覚。
最初は両手だけだった。それが人を殺すにつれてどんどん広がって、足にまで滴っていて。
少し頭を振れば幻覚は消えるけれど、それでも結構心にくるものがある。

「あのね、アルフィノ。内緒だよ」
「わたしね、本当はただの人殺しなんだ」

人にその手を見せないように。
こんないち旅人であるわたしに英雄を被せる純粋な人々に、がっかりさせたくはないから。
だからわたしはいつも、隠すように滑り止めの布を丁寧に、丁寧に手へ巻きつけるのだ。

「だからわたしの手には触っちゃダメだよ。汚れちゃうもの」















……アルフィノ」

ユールモアの青空がよく見える、珍しく人の少ないパーラーの、小さな机の、真正面。
ん?と小首をかしげる少年がじいっと青い瞳をわたしへと向けている。名前を呼んだからわたしの顔を見ているのであって、さっきまでその視線はずっとわたしの手元へと注がれていた。

その首に巻かれたマフラーを思い切り頭の上まで伸ばし、彼の長い耳へと引っ掛けると、彼の柔らかな声が驚いたように張り上げられ、その小さな手が耳の付近をうろうろする。
そうしてしばらくもいもいと暴れた後、きっとマフラーの中でぶすぐれているのだろう声色で、わたしへひとつ抗議の言葉を紡ぐ。

「これでは見えないのだが」
「見なくていーの。面白いものでもないでしょ」

その気になればいつでも取れるだろうにそのままにしているのは気まぐれだろうか。アルフィノはそのまま器用にマフラーの下を持ち上げ、口だけ出して紅茶をこくりと飲み込んだ。
気を取り直して、手元を見る。相変わらず今日も元気に真っ赤っかだ。
端から隙間なく埋めていくように、白い布と黒い布を交互に見えるように巻いていく。
昔は怯えに怯えて全部覆うように巻いていたけれど、一度不気味がられてからは指と手のひらだけにしている。だって、きみに教えたとはいえ、これが見えているのはわたしだけだもの。

一度瞬きすれば、見えていた赤は消え去る。
ふぅとため息をついて、背もたれへと体を預ける。貰ったコーヒーを飲もうとして伸ばした手を、するりと横から盗まれた。
どうやらわたしが集中して巻いている間にマフラーを戻したらしい。腕を辿ればまだ幼い顔をしたきみが太陽の光を背に微笑んでいた。

「私はね、シャリア。君の手が好きなんだ。君は嫌いだと言うけどね」

白い手が私の右手を持ち上げ、あちこち擦り、撫で、握る。
消えていた赤色が再び溢れてくる。手のひらから順に、甲、指、手首と鮮血が隙間から漏れ出すように。じわじわとわたしの手を伝って、彼の穢れない白い手へと襲い掛かろうとした。
思わず反射で引っ込めても仕方がなかった。きみを汚すくらいなら嫌われた方がマシだった。
しかし、引っ込めたそれが完全に落ちる前に────きみの左手が再び血染めの手を受け止めた。
もちろん、血の音は聞こえない。だって幻覚だもの。自覚している分、これが自分の妄想だと突きつけられているようで余計に心が痛むのだ。

「あ、アルフィノ、離して? ね、いい子だから」
「今は悪い子でもいいさ。こっちに来てからずっと触れなかった君の手をやっと触れるんだから」
「ダメ、今はその、見えてるから、ダメ」
「私には見えていない」

事情を告げても、きみの侵攻は止まらない。
そういえばこちらに来てから一度も手を繋いだり、撫でたりしていなかったなと思い出す。いや、抱きつきはしたけども。
アルフィノがここに来て何年だったっけ。わたしとちがってみんなは年単位でここにいることを時折忘れそうになる。

「広い手のひらに長い指。少し小指の比率が短くて、今は見えないけれど、爪は横に大きくて丸かったね」

背後から抱きしめられるように腕を回され、少年の両手がわたしの両手を撫で回す。男性にしてはまだ高い声が、やわやわとわたしの頭の上にある耳に直接囁きかけた。こっちが座っているのをいいことに好き勝手されている。
指の隙間、親指の付け根の丸まり。まとめてぎゅう、と握られた時は悲鳴をあげそうになった。
すっかりわたしの視界では赤くなった少年の手は、仕上げと言わんばかりに一度手のひらに巻いた布を持ち上げ、ちょうど真ん中の窪みをかり、と形のいい爪で引っ掻いた。

「布、解いても?」
「なんでもいいから離してよぉ……
「おや、いいのだね。では遠慮なく」

都合のいいところだけ聞いた彼の手はスルスルとあっという間にここ数分の努力の結晶を無に返す。
彼の言う丸い爪が空気に露出して、愛おしそうにわたしの中指を少年の人差し指と親指が挟んで、ぐりぐりと押し潰してくる。
ひっと声を上げると、フッときみが鼻で笑った吐息が耳をくすぐった。

「ねぇ、シャリア。私はまだ君に守られる存在なのだね。一緒に罪を背負わせてはくれないのだね」

好き勝手していた手が、ぎゅうと手首を締め付ける。

「これはわたしの罪だもの。何がなんでもわたしが背負い切るから。勝手に持った気にならないでよね」

そう睨み上げれば、きみはクスクスと笑って、一度私の頭をぎゅうと抱きしめてから、正面の席へと再び着席した。
愛しい人、まだ汚いことを知らぬ真っ白な手の子。
君が清くいられるように、きっと守り切ってみせるから。

「さて、巻き直しだね」
「まさかまたずっと見てるつもり?」
……ダメかい?」
「うっ……わたしがその顔に弱いと思ったら大間違いなんだからね! さっさと夫妻の手伝いしてきなさい!!」
「そうか、残念だな……

きみが紅茶を飲み干して、席を立つのを見届けて、もう一度指へと白い布を巻き始める。
気づけば、わたしの手は弓だこが目立つだけの、普通の手に戻っていた。