ゆい
2024-01-26 20:39:57
4031文字
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【宗みか】全部僕が悪いから

みかちゃんを怒らせちゃったしゅうくんの話。

「どうしておれがこんなに怒っとるか、分かりますか?」 
「‥大体はね」
「大体?おれの神様がそんな弱腰でええんですか?」
「君の神様だって、たまには全知全能をお休みする日があるのだよ」
「それはもう神様やありまへん。ただの弱気宗です」
「僕は斎宮宗だよ!」
「天下の?おれが尊敬してやまない方の斎宮宗ですか?」
「‥‥天下の、君に敬愛される方の斎宮宗だよ」
「ほんまに尊敬されるおひとは予定ある前日に足腰立たなくなるまで抱き潰したりせぇへんの!!!!」

朝の清廉な空気を叩き破るような大声が部屋中に響いて鼓膜を揺らす。柔らかい布団の上に神妙に正座して聞く僅か甘く掠れた声は、覚醒したての身には色々な意味で少し堪える。とりあえず、窓を開けていなくて本当に良かった。反響を繰り返す耳を持て余しながら、胸の内で密かにそんなことを思う。影片が寝ている内に軽く換気でも、と考えもしたが一応躊躇っておいて正解だったようだ。同室者が帰省中だからと了承を得て入らせて貰った部屋を、後始末もせずに去るつもりは無い。だけど、掃除や整頓に励むその前に。向かい合わせで布団に包まり、こちらを睨みつける影片の機嫌を一刻も早く直さなければ。
久しぶりの帰省と久しぶりの一人寝が重なり、たまには部屋で打ち合わせでも先に誘ってきたのは影片だ。勿論、打ち合わせは真面目に真摯にこなしてお互い納得行くまで詰められたと思う。ただ、話が済んで気も緩めば自制心もつられて撓む訳で。掠めた指の冷たさを口実に手を重ねて肩を寄せれば、残りの距離は仕掛ける間も無く零になった。ちなみに今日の予定は予め聞いていたから、手加減の必要性は僕も当然理解していた。そうだ、僕だって理解は十分していたのだ。だけど、一度待ち侘びたその熱に触れてしまえば。僕の意のまま色鮮やかに変わる表情や甘くこちらを呼ぶ声と肌に、「理」とつくものは全て儚く溶けてしまった。汗や涙やその他諸々の液体が二人の全身を隈無く覆い尽くしても心は止まらず、組み敷いた肌の鬱血が増える度に約束は擦り切れて。結局、泣き疲れた影片が萎んだ風船のように腕の中で深く眠りに落ちるまで、正気はとうとう戻らなかった。力無く艶めいた肢体を見下ろしながら恐らくやり過ぎたことは察したが、互いの身体を清めるとこちらも眠気に限界が来て言い訳を考える間も無く寝てしまった。そして、起床後すぐさま腰の痛みに悲鳴を上げた影片に僕も全力で叩き起こされ、ベッドの上で顔を洗う暇も無く正座させられている。寮は新築で防音はしっかりしている筈だから、今みたいな大声も内容までは隣に漏れ聞こえることは無いだろう。そうでなければ、端的に言って僕が社会的に死ぬ。

「申し訳無かったと思っているよ。久しぶりに君に触れられると思ったら、収拾がつかなかった」
「今日はなるちゃんと礼瀬くんと朝からゆっくりパンケーキ食べに行って、そのあと雑貨屋さん覗くつもりやったのに。二人のおすすめのお店やからずっと楽しみにしてたのに」
「約束は午後からに変更して貰ったのだろう?」
「ええそうです午後からパンケーキ詰め込んで雑貨屋さん駆け抜けて来るわ誰かさんのせいでな!!」

風圧すら感じる怒声が再び窓ガラスと僕を突き抜けて、一瞬意識が遠くなる。不味い、と顧みた時には既に遅く、より一層派手に瞳を燃やした影片が光より速く布団の中に引っ込んでしまった。どうやらまた地雷を踏んだらしいが、ここで大袈裟に謝っても逆効果であることは経験上知っている。僕だって伊達に長年、一途で頑固で粘着質な君に好き勝手振り回されてきた訳では無い。
強く丸まって全身で怒りを示す蛹を前に、ひとまず痺れ始めた脚を密かに崩す。そのまま、なるべく軋みや衣擦れの音を立てないように近付いて、ぎりぎり肌達が触れ合わない場所までにじり寄る。頭の一つでも撫でようかと掌を翳しかけるけれど、結局旋毛の辺りをなぞる真似をして大人しく拳に戻った。

「‥すまない。鳴上達にも後で謝罪しておくよ」
「二人にはもう全部話したもん。『次会う時まで震えて待ちなさい』って、なるちゃん言っとったわ」
「‥‥それはそれとして。まだ身体は痛むかい?必要なら湿布を取ってくるよ」
「おれ、自分じゃ貼れへん」
「当然僕が貼るよ。午後までに痛みが引かないようなら、店まで僕が背負って行こう」
「‥は?お師さんが?おんぶで?‥ちょっとおもろくて狡いわ」

怒気に塗れた声が戸惑いを見せた後、不貞腐れたように小さくなってそのままぴたりと無音になった。突然静かになった室内に晴天の窓から絶えず柔らかい光が注ぐ。うなじを一筋抜けた冷や汗はあえて知らない振りで、誰に見られずとも真面目な表情は崩さない。怒られるのや詰られるのは未来の僕に丸投げしよう、きっと今だけは許される筈だ。
ぬるま湯のようなふたりだけの世界の中、先程より少しだけ力の抜けた小山にもう一歩だけ近付く。布越し同士の膝と肩があからさまに触れ合っても、糸の切れたような沈黙は続く。恐らく頭だと思われる膨らみに今度は本当に掌を当てても、もう不機嫌の声は上がらない。

「言っとくけどまだ全部は許してへんからな」
「そうだね。君の可愛いおねだりに容易く屈したのも、『もう一回だけ』を考慮せず鵜呑みにしたのも、全部僕の責任だね」
「それ以上すけべ掘り返すならもう一生許さへんけど!?」

布団越しに膝頭を思い切り叩かれて、更に続けた筈の賛辞が痛みと共に霧散した。勿論、影片の全力なので実際のところ大した衝撃は無いが、痺れ始めの脚に狙い澄ましたような平手を受ければ流石に響く。だけど、失言に次いでこれ以上失態まで重ねる訳にはいかない。掌の下の熱が未だ逃げ出さないこの内に、挽回の一手を打たなければ。

「一生は勘弁しておくれ。君の愛らしく囀る声をもう二度と聞くことが出来ないなんて耐えられないよ」
「お師さん、反省って単語の意味知っとる?」
「‥分かった。じゃあ、次から翌日用事がある時は君に触れないようにするよ。それなら問題無いだろう?先に約束しておけば、今回みたいに揉めることも無いし君も、‥影片?」

名案に違いないと思わず声を弾ませれば、不意に預けた手首に熱が巻き付く。爪先が白く変わる程に強く僕を握り締めた五本の指に驚きより戸惑いが勝って、呼んだ声が微かに震える。僕はまた選択を間違ったのだろうか。お互い少しの我慢で喧嘩も擦れ違いも避けられるのならば、これが最適解だと意気揚々と思ったのだけれど。もう何度目かも忘れた不正解に流石の僕も落ち込みかけるが、萎れるより先に白い毛布がごそりと鈍く動くから。数秒もたついてようやく現れた色違いの星は、やはりまだまだ棘を含んでこちらを睨む。きつく一文字に結ばれた唇や少し膨れた花の頬も、どう見たってご機嫌斜めには違いない。だけど、鼻筋や耳先、飽きもせず僕を見据える眼差しまでも確かに淡く赤いのは。その恥じらいにどんな意味が宿るのか、僕にもまだ分からない。

「‥また君を怒らせてしまったかな。先程の約束が気に入らないのであれば、内容は君が自由に決めても良い。僕はそれに従おう」
「‥それは、ちょっと違うやん」
「違うの?」
「‥‥そんな約束したら、あかんやん」

掻き消えそうな声の向こうで、僅か濡れた光を目尻に溜めた瞳が惑いながら僕を見上げている。僕を離さない手は痛みを覚える程に熱を帯びて、気付いた瞬間から触れた肌達が思い思いに汗ばみ出した。眼下でじわじわと赤らみ恥じらい出す頬を直視したくない。きっと僕も同じだけはしたなく移り変わっている筈だから。無闇に空いた襟元から覗く肌には、僕の生々しい程の欲望がいくつもきつく刻まれていて、あまりの浅ましさに目が眩む。息飲むような沈黙が二人の身体の至るところを這うけれど、決して視線は逸らさない。刻一刻と彩度を上げるお互いを一秒たりとも見逃せないと、瞬きすら止めて先に折れる理由を待っている。理由は恐らく何でも良い、火種なら双方とっくに持て余しているから。
重ねた疼きが全身に回って手遅れになる前に、空の左手で右の手首を掴んでいた熱に触れる。途端に強張った指にも迷いなく自分のそれを絡ませてやれば、少し狼狽えた末に縋るような動きで影片も僕に倣う。まるで初恋の手触りに、動揺も軽躁も二倍に跳ねて両者の手の内が白日の元で一つになる。

「‥何か言いたまえよ」
「おれはもう言い終わったもん。次はお師さんの番」
「今の僕に好き勝手を許したら君が大変なことになると思うけれど、それでも良いかな?」
「やっぱりお師さんはすけべや!!」

防音なんて知ったことかと再度僕めがけた雷が落ちて、反射的に目を閉じてしまった。すぐに視界を開けてもちょうどのタイミングで影片は布団に潜り込んでしまったようで、後はいつか見た光景と軽い耳鳴りだけが残される。また臍を曲げさせてしまったようだ、何となく釈然としない気持ちを抱えながら未だ繋がれたままの指に力を込める。君が聞きたいと言うから、わざわざ本音を少しだけ漏らしてあげたのに。君がいくらいかがわしいと怒っても全部君に向けた正真正銘紛うこと無き愛なのだから、多少の不埒や無粋は大目や贔屓目で許して欲しい。丸まった毛布の中からは尚もぐちぐち拗ねたり忍んだりと忙しない声が聞こえてくる。もう少し好きにさせたら、さっさと安静を命じて湿布やら飲み物やら揃えてやらなければ。掃除も寒気も洗濯だって山積みで、午後の約束まで全部片付くのか全く分からない。それでも、不健全な僕に呆れながらも一向に手を離さない君をやり過ぎない程度に甘やかす時間を作る為なら、不思議と何でも出来そうな気がするよ。たまには怒られるのも悪くない、僕が全面的に悪くても。結局ちっとも懲りない心を自覚して、影片には気付かれないようこっそり笑った。