I do,Kiss.

1/27ノベルスキーオンリー発行の創作BLコピ本本文

 不毛な恋だと、落ちた時から分かっていた。成岡佑規は、そんな不毛な恋をもう十年近くも胸の奥底に抱え込んでいる。手放しさえすれば楽だと、彼自身も分かっている。何せ幾度も捨てようとした。

 けれども、できなかった。

 手放そうとする度、その恋の相手―― 新島泰介の一挙手一投足に、己に向いた言葉に、すとんと突き落とされてしまうのだ。不毛な恋を殺せもせず、かと言って抱え込みすぎて表に出すことも憚られた。
 成岡が男で、その一方的な恋の相手である新島も男だから、というのもあったが、何より。不毛な恋を終わらせる為の告白など、相手に対してあまりにも酷だろうと思ってしまうのだ。断らせる事で、彼に罪悪感など抱かせるのは成岡にとって望まぬもの。
 表に出して成就もしない恋。その種を踏み躙れと言うくらいならば、ずっと抱えて、それでも友でいる方がよっぽどマシだ。そう、思っていた。

「母さんが最近うるさいんだよな、結婚しないのかって」
 成岡が新島と用事があるからと約束を取り付けてやってきた喫茶店で、雑談に花を咲かせていた最中のこと。新島が疲れたようにそう溢した。成岡にも心当たりがないではない。高校時代の友人から、結婚式の招待状や結婚の報告が来るようになっていた。そんな状況の延長線上なのだろう。
「うちは兄貴んトコに子供が産まれたせいかな、あんまり言われたりしないなぁ」
 まだ写真でしか見たことのない赤ん坊の姪を頭に浮かべながら、成岡はコーヒーを一口飲む。新島はそれをどこか羨んだように嘆息した。
 成岡はそもそも、高校時代に目の前の男、新島に恋をする以前から、好きになった相手は全員が男だった。成就もしないその恋の全てを、己の奥深くに埋葬し続けていた成岡は、結婚をするという選択肢を持てない。かと言って、好きでもない相手をパートナーとすることもできず、新島への想いを捨てられず。兄が結婚した時には、これで両親からの小言も減るだろうと密かに安堵したものだ。
「妹が『イマドキ流行らない』とか言って諌めてくれてるけど、テレビ見たらしくて」
「テレビ? なんの」
「一人暮らしの若い男が孤独死した話だとか」
「あー……それは、心配されてんじゃん」
「無碍にも出来ないから困ってんだよ……
 新島が額を抑えて深いため息を吐く。彼の母がわりと心配性だと言うのは、成岡も幾度か聞いていた。高校時代、学園祭の準備で居残った時には一度家に電話していたのを覚えている。成岡など「帰る時にメール送りなさい」だけだったので、新島の家は大変そうだなと思うだけだった。そんな新島が、ホテルのとはいえバーラウンジでバーテンダーという職を選んだ時など大変だったのではないか。成岡はぼんやりとそんなことを思う。
「新島も別にモテないわけじゃないじゃん、彼女いたことあるんだし」
……成岡、知らない奴が聞いたら嫌味だぞそれ」
「えぇ……
「高校ん時、何回校門で待ち伏せされてラブレター渡されてたんだよお前」
 身を裂きながら軽口を叩いてみたが、新島に呆れたようにじとりと目を向けられる。成岡が同性愛者であることを、新島は知っているのだ。その恋が自身に向いているなどとは思っていないだろうが。
 同性愛者であることと顔の造形は全く別の話で、成岡は女性から好意を向けられやすい面立ちをしていた。男性アイドルみたいだと周りから散々言われてきた成岡は、学生の頃からラブレターを貰うことも多かった。なんなら、会社勤めをしている今も、何かと顔が評価されている自覚はある。
 そして、面立ちと性的指向と性格も、全く別の話である。男兄弟で育ち、男友達と連み、男子校に進学した成岡は、学業や仕事以外で異性との雑談など全く不得意のままだった。大学は共学だったが、男子の比率が高かったのも影響したかもしれない。愛想良くはできるのだが、いかんせん話題の引き出しが少なすぎた。営業部に配属されてから、必死になって雑誌を読み漁ってどうにか上っ面の話のタネを拾っていた。
 対する新島は、妹がいるせいか、女性との会話も難なくこなせる男だった。男子校では分からなかったが、大学に進学してからは彼女がいたことだってある。男前というべきか、少しばかり男らしさの強い面立ちをしていて、初対面では「怖そう」と言われるらしいが。
 まあそんなわけで、新島は異性愛者であるし、恋人がいたことだってある。結婚と全く無縁になりそうもないはずだ、というのが成岡の見立てだった。
「ていうか、ほとぼり冷めるまで待つしかなくない?」
「あー、俺も最初はそのつもりだったんだよ。母さんも気が急いただけだって」
「なんかあったの?」
「いや、うーん、お見合いの手配してるらしくて」
 新島の口から『見合い』という言葉が出るのは、どうしてかしっくり来る。成岡が真っ先に考えたのはそんなことだった。現実を見たくなかったのかもしれない。言葉でもなく、伝えたこともない恋の、何度目かの終わりの気配を。
 断ろうと思っている、と新島が言ったかも成岡にとって定かではない。単なる成岡の願望が生んだ言葉だったかもしれない。伝える気もないというのに、抱え続けることを選んだというのに、なんとも身勝手だという自覚はあった。新島に恋人ができる度に、そうと取られないように、そして風化を待つように距離を置いて。そんなことを繰り返していた成岡は、今度こそ新島と距離を置くことを、離れることを考えた。
「新島なら上手く話が進むんじゃない?」

 ―― 結婚なんか、しないでよ。

 本心で血を吐きながら、成岡は茶化すように明るい口調で新島を激励した。本当に明るく振る舞えているのか、その日、どうやって新島と別れたのかも、よく覚えていない。けれど、新島に想いを伝えることもしないまま、上っ面で縛り付けることだって、成岡にはできなかった。



 成岡は人付き合いが器用に見えて、とんでもなく不器用だ、というのが新島の持つ印象だった。成岡がどう考えていたのか、同性愛者であるということをいたずらに表に出したくなかったのだろうとは思うのだが、その癖に学生時代から、年上の男に近付いては誘いを拒まないような男だ。その男に実は女の恋人がいて、成岡が頬を張られていたのも二、三度ほど目撃したこともある。
 後に成岡が新島に漏らした言葉は、良いなと思う男ほど、女の恋人や結婚相手がいるという泣き言だった。そこから成岡の思考がどう飛躍していったのか、共寝でもすれば同じ指向の男に恋ができるのではないかと言い訳をし始めたのは、いつだか二人で酒を飲んだ時だ。
 要するに、成岡は子供の頃の告白にも至れない失恋を引き摺り続けている。
 そして。
 そして、新島は密かに確信めいた予想をしていた。成岡は、己のことを恋愛感情を持って見ているのだと。
 ただ、新島がそんな予想をしていることを、成岡は知らない。知るはずがないのだ。彼はその日にあったことを酔っ払って覚えていないのだから。幸か不幸か、新島は酒にはそれなりに強く、酔っても記憶はハッキリとしていた。
 成人式の後に高校時代の友人達と飲み会をした日だった。終電を逃した成岡を、ちょうど家が近いからと当時の己が住むアパートに連れ帰ったのは新島だ。相変わらず仲良いな、なんて言う友人達もなかなかの酔っ払い具合だった。あの後、数人が二日酔いを嘆くメッセージを送ってきたのは、飲み慣れないが故のことだろう。
 そんな経緯で成岡を泊めた新島は、まあなんと言うべきか。据わった目をした成岡に、好きだなんだと言われながら服をひん剥かれて、あわや貞操の危機を迎えた。実際、本番に至る前に成岡が寝落ちてうやむやに終わったその出来事を、新島だけが覚えている。
 その次の日、目を覚ました成岡は「なんでおれ脱いでんの」と寝起きの声で呟いていた。呑気なその一言に、新島が昨晩のことを教えてやろうと言えなかったのは、少しばかりの憐憫だった。優しさなどではなく。
 成岡は、どうしても己の恋が、口にするまでもなく成就しないものだと思い込んでいる。その時の新島は、そんな思い込みをあまり否定もできなかった。受容して、応える気のない新島が、成岡の想いを知っているのだと告げるのは、あまりにも哀れだろう。
 それに、成岡の想いを、新島はどうにも信じられなかった。
 年上の男が好きだと漏らしていた成岡が。夜ごと同類の集まる場で一夜の相手を見繕っているらしい成岡が。なにをもってして、同い年の、一夜の関係すら持ち掛けたことのない新島を、そこまで想い続けているのか。
 二人が大学を卒業し、成岡は程なく新島が働くホテルのバーラウンジにやって来るようになった。暇なら雑談もするが、成岡が何度も確認しているスマホ。問えばへらへらと笑って誤魔化す成岡に、その足で男に抱かれに行くのだと悟ってしまえたのは、付き合いの長さもあるが、どうにも癪に触った。
 恋情を抱いていると知ってしまった新島が、けれども気付かせまいとする成岡の、諦念を覆すことなどできそうもないと、知らしめてくるようだった。きっと成岡の内側に巣喰うそれは、外側から壊そうとすれば彼が傷付くのだろう。必ず応えてやれるとも言えないままの新島では、友愛をも粉微塵にしてしまうのだ。


―― そう思っていたのだが。
 成岡はどうやら、新島が思っていた以上に弱く、逃げ癖が酷い男だったらしい。
 高校時代に、校内で先輩と不道徳な行為に及んでいた成岡を目撃した時も。新島の目の前で女に頬を張られた成岡を目撃した時も。成岡は新島と関わることをやめなかったものだから、思いのほか図太い神経だと感心したものだった。
 だと言うのに。
 一週間ほど前に愚痴のつもりで溢した「見合い」という言葉のせいか、そこから成岡は新島の前に姿を見せなくなった。メッセージには既読が付くし、必要ならば返事はあるので、あわや孤独死とはなっていないだろうが。用事があるから会えないかと送れば、忙しいからと断られ続けている。
―― ああ、そうかよ」
 今まで、そんなことがあったかと思い返していた新島は、ふとあることに気が付いた。成岡が、今と似たように関わりを避けていたことが、何度かあったことに。思い返せば、新島に付き合っている彼女がいた時は、用事があってもなかなか成岡が捕まらなかったことがある。当時は別の大学に通っていたこともあり、忙しいんだろうと思って気にも留めていなかった。新島にとっては、些細なことだったのだ。それが今になって、引っかかった。
 もしも、その時と今、成岡が同じ思いでいたとしたら。忙しくなったわけではなかったとしたら。
 成岡は、新島の恋の成就を、もしかしたら祝えないのかもしれない。成岡が彼自身の恋をぶつけることもできず、だからと言って取り繕って新島の幸せを祝ってやることもできず、むしろ見たくもないのだろうか。新島はそこまで考えて、どうにも苛立ってきた。

 まるで、新島が成岡のことをどう思っているかなど、どうでも良いとでも言いたげだろう。

 成岡に対して嫌悪など持っていないし、持っていたならそれこそ服をひん剥かれた時に拒絶して、関わりを絶っていた。新島は、けれどもそうしなかった。未だに関わりを持っている。なんなら親しい友人たちの中でも、成岡とは一等親しいと思っていた。
 あの日の夜の出来事が新島にもたらしたのは、単なる戸惑いだ。歳上の男が好きだと言って、夜な夜な遊び相手を探しているような男が、同い年の己へ情欲を含んだ好意をぶつけてきたことに対する。
 好みが変わったという風でもないことを、新島は知っている。だから、成岡が己にそうした感情を抱いていることを、俄かには信じられなかった。探ろうとしたところで、成岡は相変わらず夜遊びを続けていたし、二人でいたところで恋愛の話などしていなかった。新島が成岡について頭を悩ませていると言うのに、彼はもう想いの一欠片すらも表に出そうとしない。結局は遊びの延長線かと思うのに、たびたび新島の働くバーラウンジに客としてやってきては「新島のオススメで」などと酒を頼み、仕事の邪魔にならない程度の雑談をしてくるのだから、どうしようもない。

 そうして、まるでこれは恋ではないかと、思ってしまったのだ。

 さて、それを成岡に告げるべきかと考えたとき、新島は一つだけ決めていた。成岡が遊び歩くのを止めたようなら、言ってみるかと。きっと成岡が腹を決めたらそうするだろうと思ったのだが、そんな気配がないまま。いっそ待たずに告げてみようかと思いもしたが、お互いに休みを合わせると言うことが、二人にとっては何かと難しかった。新島の仕事が夕方から始まり、休日は大抵忙しい。同級生の結婚式だの、同窓会だの、そういったことにはなるべく休みを合わせているが、それ以外ではどうにも難しかった。
 そんなこんなで、今である。成岡が新島を避けるようになった。やはり何をしてでも言っておくべきだったのかもしれない。たらればなど無意味だと分かっているが、そう思わずにはいられない。そもそも、成岡がそこまで柔いものを抱えていることに思い至れなかったことは、新島の失態だ。そこまで見抜けずにいた己が、そうして姿を消そうとしている成岡に腹を立てるのは違うのではないか、とも思う。身勝手なのはお互い様だった。
 ただまあ、成岡のその行動のおかげというべきか、新島の腹はしっかりと決まった。

「絶対にお前の腹、括らせてやる」

 決意した新島の独り言が少しばかり物騒なのは、まあ仕方ないのかもしれない。



「じゃあね、お仕事頑張ってねー」
 始発が動き出したばかりの頃、ホテルの入り口で男と別れた成岡は、スマホの通知を確認しながら内心で頭を抱えていた。今までならば深追いもされなかったというのに、新島からのメッセージがよく届くのだ。もちろん、今までなら「新島に恋人がいる」という成岡にとっての大義名分があった。今回は単に「新島に見合いの話があったらしい」というだけだ、その見合いの成否に関わらず、新島が不審に思うのも仕方がないのかもしれない。
 それでも成岡は、新島の幸せを心から祝ってやれるような人間ではなかった。想像するだけでも心が痛んで仕方がない。何度目かの、告げることもなく死んでいった恋の一つにするには、あまりにも新島のことを想う期間が長すぎた。何せ高校の頃からだ。今更どうやって過去にしてこられたのかも思い出せない。
 だったらいっそ、関わることを減らせばいいのだ、そうして新島の人生からすっかり消えればいいと、そう思ったというのに。
 早朝の繁華街は、人もまばらだ。辺りは雑然としているが、夜とは違って静かなメインストリートの雰囲気を、成岡は密かに気に入っていた。遊びの関係に大きな虚しさがあるわけではないが、それでもそんな遊びを咎め立てするでもない、夜のうちに何をしていようと赦されているような気がするのだ。やめてしまえばいいのに、成岡はどうしても何かに縋り付きたい時に、セックスを理由に縋り付いて、そうしてこの早朝の繁華街に赦されたかった。遠回しの自傷にも似ている。
 などと、考えながら歩いていたせいだろうか。
「見つけたぞ、成岡」
―― え、新島、なんで?」
「ちょっと一杯付き合えよ」
 駅の方からやってきた新島に、成岡は気付けなかった。仕事帰りなのか、バーラウンジでよく見ていたオールバックの髪型で、真剣な表情の新島は、確かに凄んでいるような気さえする。成岡の持つ後ろめたさが手伝っているのかもしれない。手首を掴まれた成岡は、戸惑いで振り解くことができないまま、新島に連れられて近くの空いている居酒屋に入って行った。

 その居酒屋は全席個室という謳い文句が看板にも掲げられていて、成岡はあまり立ち寄ったことのないチェーン店だった。店内は朝食のつもりか、夜だけでは飲み足りなかったのか、ちらほらと客がいるようだった。案内された個室の奥に座った成岡は、店員が水とおしぼり、それにお通しを持ってくるまで、逃げ道を失ったことに気付けなかった。それだけ、新島がわざわざ己を探していたことを、成岡は飲み込めていない。
 新島が「何頼む?」と聞いてきても、成岡は呆けてなんと返すべきか決められなかった。それを見た新島は、小さくため息をつきながら、適当に頼むぞとタッチパネルで幾つか注文をする。
「なんで」
「こっちは用事があるって言ってんのに、お前の連絡が何もないからだろ」
「いや、だってさ、急ぎじゃないんでしょ、それ」
「お前の忘れ物、俺が預かったままで良かったのか」
……ハンカチくらい、別に、郵便で」
 成岡がそう言いかけたところで、店員がビールと枝豆を持ってやって来た。テーブルに並べられたそれに、成岡はおずおずと手を伸ばす。他にどうしろと言うのか。新島も同じようにジョッキに手を伸ばして、乾杯と言うでもなく飲んでいく。成岡も仕方なしにジョッキに口を付ける。ビールは嫌いではないが、どちらかと言えばカクテルの方が好きだった。
「お前、あのハンカチに何挟んでたか忘れてるのか」
「え、挟んでた……あ!」
「どっかのホテルのスタンプカード、何かの拍子で落ちたらどうすんだよ……
……それは、ごめん」
 道理で見当たらないわけだ。探し回っても見つからなかった遊びの証拠とでも言うべきものが、よりによって新島の手に渡っていたとは。財布にしまっていたはずと思い込んでいたが、何かの拍子でハンカチに挟まれていたらしい。見つけたのが新島だったのは、不幸中の幸いでもあった。会社で落としたらそれこそ致命的だ。
「ほら、これ」
「ああ、うん、ありがとう……
 新島に手渡された封筒の中を見れば、確かに己のハンカチの他に、カードが一枚入っていた。さっきまでいたんだよな、このホテル。などと思いながら、いそいそと鞄の中にしまった成岡は、けれどもこれだけのために新島がわざわざ己を探し出すとは微塵も思っていない。多分、もっと別の理由があるに違いない。
 もしも、見合いが成功したと言われてしまったら、成岡は笑って祝うことができるのだろうか。できる気がしなかった。
「えーっと、新島は、その、帰らなくていいの?」
「このくらいならまだ早い方だからな、気にするな」
「いや、そうじゃ、なくてさあ」
 恋人とか、待ってるんじゃないの。そうやって聞くことも成岡にはできなかった。新島に気にするなと言われて、それでも安心できそうもない。煮え切らない気持ちをどうにか飲み込むように、成岡は飲みかけのビールに口をつけて一気に煽った。店員がまた食べ物を持ってきた。どうやら朝食サービスの品らしい梅茶漬けだった。
「ビールに茶漬け」
「気になるならお前も何か頼めばいいだろ」
 空のジョッキを置いた成岡は、新島に示されたタッチパネルで追加の酒を頼むに留まった。焼酎のボトルをこんな時間に頼む客も、もしかしたらそうそういないかもしれない。けれど成岡は、この場にシラフでいられるような人間ではなかったのだ。新島はそれに何を言うでもなく、急須から茶碗に茶を注いでいる。
「えーと、新島は、あとなんか俺に用事とか、あんの?」
「あるから居酒屋に入ったんだよ」
「あー、はは、そう、そうだよね……
 ハンカチ程度なら路上で手渡ししたって良かったはずなのに、新島はわざわざ居酒屋に成岡を連れ込んだのだ。当たり障りなく雑談をして終わりという方向には、持っていけるはずもない。店員が持ってきた酒を手酌で注いだ成岡は、それを一気に飲み干した。
 果たして何を言われるのか。成岡には心当たりが二つしかない。連絡を断った理由を問われても、新島が見合いを成功させた報告をされても、どちらにせよマトモに応えられる自信はないけれど。
「お見合いの話は流れた、というか断った。相手の方も親が勝手にって揉めてたらしい」
……へえ、そうなんだ。もったいない気もするけど」
「俺とか相手が頼んでもないんだから、大きなお世話だろ、さすがに」
「あー、そっか、そうだよね」
 言われてみれば、新島は確かにあの時、愚痴のようなつもりで溢していた。少し考えれば分かるようなことも、成岡はここまで思い至れていなかったのだ。それだけ、新島に結婚が結び付く可能性にショックを受けていたのだと、成岡は改めて気付かされた。
 だからと言って、成岡はどうしても新島に想いを伝えることができない。新島の前でも散々遊び歩いていることを隠していなかったことに後ろめたさがあるのは、完全に成岡の自業自得だ。それ以外にも、あくまで付き合いの長い友人として見ているであろう新島を、まるで裏切っているような心地になってしまうのだ。下心などない目で見られている己は、新島のことを下心を持って見ているなど、もしかしたら彼は予想だにしていないかもしれない。それを告げてしまうのが、成岡は怖かった。
「で、これで安心したかよ成岡」
―― えっ」
 まるで悪戯が成功したようにニヤリと笑う新島に、成岡は思わず目を見開いた。確かにあからさまに新島と関わることを減らしたのは、それがきっかけだ。ただ、新島がそれを気遣いと取ったわけではないらしい。その事実に成岡は動揺した。けれどそれは、新島の問いを、不安だったことを肯定するようなものだ。
「安心って、何言ってんだよ、新島」
 成岡はどうにか笑ってみせて、努めて軽薄は口調を繕ってみたが、どうにも笑えていた自信はなかったし、声もどこか上滑りしている気がした。酒のせいだと言い切れれば良かったのだが、それまで飲んでいた焼酎の味などほとんど分からなかったのだから、どうしようもない。
「また俺がお見合いするって話が出たらどうする?」
「いや、えっと、なんで? 怒ってる?」
「また用件も聞かずに理由付けて断られるなら、対策しておきたいだろ」
……うっ、それは、うん、ごめん」
 それはそうだ。成岡だって、新島が突然関わりを断とうとすればそうするかもしれない。もし何か重要な用事を聞かずに断っていたら、それは信用にだって関わる。分かっている。成岡はもう社会人で、世間の荒波に揉まれているのだ。自然と疎遠になっていったわけでもない、突然あからさまに誘いを断っていることの重大さは分かっているはずだった。けれども、成岡の抱えた恋心は、高校の頃からずっと変わらない。そこだけまだ子供だった。
―― まあ、聞けるか分からないけど、言いたいことあるなら一回くらい言えよ」
……えー、今後ずっと見合いすんなって言ったら聞いてくれんの?」
「聞いて欲しいのか」
 新島の真意が分からず、みっともなく茶化すしかできない成岡の虚勢を撃ち殺しそうな、真摯な声だった。
 彷徨かせていた視線を新島に向ければ、声と同じく真剣な眼差しで成岡を見つめている。この目を成岡は知っている。幾度となく恋に突き落とされた瞳だ。例えば、成岡の遊び癖を嗜める時、自業自得で頬を張られた成岡を「お前ばっかり悪いわけじゃないだろ」と慰める時、卒業式の日にまた連絡すると告げて来た時、色々な時に新島は真摯に成岡と向き合い続けてきた。そういう、ヘラヘラと笑って茶化して終わらせていた成岡を、容赦なく捕まえる目だ。
……いや、俺、そんなクソ暴君じゃん、新島にそんな言うこと聞かせたら」
「そりゃそうだな。俺の言うこと聞いたらイーヴンになるかもしれないけどな」
「無理でしょ、そんなの、だって」
 剥がれ落ちて行く虚勢を整える隙も、新島は与えてくれそうもない。けれど、成岡は新島の人生を縛り付けたいわけじゃない。新島は女性が好きで、きっときっかけさえあれば結婚だってするかもしれない。その道を己の一方的な心で勝手に塞いでしまうのは、あまりにも理不尽だろう。
 けれども新島の目は、それでも一度くらい言ってみろと雄弁に語っている。今更、アルコールが回ったように成岡は頭がクラクラしてきた。言って叶うわけもない願いを口にするのは、虚しいだろうと思うのに。一度くらい言ってしまえと新島が言うものだから。
……言っても引かない?」
「高校の頃、校内でやらかしてたお前を見た以上のことでもあんのか」
……うっ」
「聞くだけ聞いてやるから」
 その声に、成岡は思わずテーブルに突っ伏した。目を見て言うなんて、到底できそうもないのだ。何せ十年は抱えているもの、その一端すら成岡は隠し通そうと思っていたものだ。そしてなんたって、成岡自身、みっともなくて情けないことだと思っている。そんなものを今さら堂々と見せられるわけでもない。

―― 結婚なんて、しないでよ」

 好きになってくれなどとは言えなかった。ただ、新島の近くにいられさえすれば、成岡はそれでよかった。一方的な下心を抱え続けて、それを隠し通してでも。結婚などせずに、お互い独身のままで、親しい友人のままでいられれば、それで。

「ヘタレ」
……えっ、へ!?」

 成岡の一世一代の告白を、新島はたったの三文字で終わらせた。あまりにも容赦のない一言を、楽しげに放った。勢いよく顔を上げた成岡は、それでもそれ以上言葉を続けられない。


「付き合ってくれ、くらい言ってみろよ」


 挑発的な口調とは裏腹に、声も、表情も、柔らかい。頬杖をつきながら、新島は成岡を酷く優しい目で見つめていた。
 成岡の見たことのない表情だった。

 今まで落ちていた所が底ではなかったのだと思うほど、成岡の心臓は大きく脈打つ。顔に熱が集まってくる。何が起きているのか、成岡はよく分からないまま、間抜けに口を開けて新島を見つめる他なかった。

「ちなみにお前が俺のことを恋愛的に好きなの、前から知ってた」
「え、ちょ、ちょっと待って新島、え、何それ、なんで?」
「成人式の後の同窓会あったろ、酔い潰れたお前が俺んちに泊まった日」
「覚えてるよ、うん、えっ、俺なんも覚えてないけど」
「あの時、お前、俺のこと好きだなんだって言って身ぐるみ剥いできたからな。まあ途中で寝たけど、お前」
 今さらになって明かされた話は、成岡の舞い上がりかけた心を一瞬にして凍らせた。確かにあの次の日、起きたら何故か服を脱いでいて、何も覚えていなかった。新島の家に着いてからのことを丸ごと忘れてしまったものだから、節度のある飲み方をしなければと決意したのもその時だ。それが、よりによって、新島に無体を働こうとしていたなど、土下座でも足りそうもない。
 一瞬にして顔を真っ青にした成岡を、新島は手で制した。
「それまで俺は、お前が俺をそう言う目で見てるなんて知らなかった」
「そりゃ、まあ、言ってないし……
「次の日にお前は何も覚えてないし、相変わらず遊び歩いてたし、俺のことも同じかとか悩んだんだけど」
……う、返す言葉もございません……
「まあ、きっかけはそれなんだが、とりあえず――
 しおらしくなった成岡を見ながら、新島はジョッキに残っていたもうぬるくなって泡も消え去ったビールを一口煽った。結婚するなと、そう言った成岡の弱々しさに、どうしようもなく心を揺さぶられていた。決めた腹を変えるつもりはなかったが、改めてこの男を、己も好きなんだと実感させられたのだ。
―― お前と以外、結婚する気はないな」
「えっ、あ、ま、マジで? は? えっ」
 戸惑い、どうすればいいのかも覚束ない様子の成岡の頬に、新島はそっと手を伸ばした。新島だって、色々と考えたのだ。成岡のせいというか、おかげで、男同士の性交について見たことはあった。なんなら襲われかけた。それをできるのか。けれど、まあ、その襲われた晩に、嫌悪もなかったことが答えだろうと開き直ったのだ。だからこれくらいは、意思表示をしたって構わないだろう。
 ぱっちりした瞳をさらに丸くしたままの成岡に、新島は唇をそっと寄せた。さっきビール飲んじまったな、と今さらの反省が頭をよぎったが。


「俺からも言うけどな、遊びはもうやめろ」


 重ねた唇を離して、新島は目を細めて囁く。一拍おいて、成岡の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていって、蚊の鳴くような声で、うん、と返ってきた。それから、ビールの味がしたと続いて、二人は目を見合わせて笑った。