きさぎ
2024-01-23 21:04:24
4311文字
Public Wednesday Strangler
 

encounter

ミック君がおまわりさんに出会った日 このおまわりさんは正義感強め どのパターンのおまわりさんでも経緯はだいたいこんなん

 恐怖、だったろう。その場で意識をたもっていた人間がいだいたのは。あるいは絶望だったかもしれない。
 平然とした顔をして他者を見下し嗤っている長身痩躯の白人男が、彼らにはこの世の何より恐ろしい存在に見えていた。
 無理からぬことだろう。複数の銃口が向けられたにも関わらず、この男は放たれた銃弾のすべてを躱しきった。大袈裟な動きをしたわけではない。遮蔽物に隠れたわけでもない。なのに一発たりとも当たらなかった。銃弾が彼の体に風穴を開けることを、まるでこの世界が許していないかのように。
 悪魔、と慄然としてつぶやいた同僚は、額に空いた穴から血を流して動かない。
 怪物め、と恐怖心を怒りで欺瞞して引き金を引こうとした制服警官はクラフトに足蹴にされ、奪われた自身の銃で全弾を頭に打ち込まれて絶命した。
「警察官ってさあ」
 白に近い金髪の、見た目だけならこの上なく美しい男は、嘲弄の音色にわずかな苛立ちを混ぜて口ずさんだ。
「ちゃんと鍛えたりしてんだよね? 射撃のテストとかもあるんだよね? それに合格した奴らだけがここに来てるんだろうに、なのにどうして」
 明るいコバルトグリーンの瞳が、倒れ伏す警察官たちを冷ややかに見下ろした。
「だぁれも俺を殺せないわけ? 誰か一人くらいは俺を殺せるかと思って、わざわざ広くて人の少ないところで待っててあげたってのに」

 水曜日の絞殺魔、と。地元メディアがあだ名をつけた連続殺人犯シリアルキラー。警官や軍人といった鍛え上げられた男を好んで殺した殺人鬼――マイケル・クラフトは、使われていない倉庫の前で悠然とたたずんでいた。
 待っていた、という言葉のとおり、複数台の警察車両が彼を取り囲み、下りてきた警官たちに銃口を向けられても慌てたりしなかった。腹ばいになれとか、跪けとかいう怒声の定型文を意にも介さず、品定めでもするかのように警官ひとりひとりを目線で撫でていた。
 こちらの言葉を無視するクラフトにしびれを切らした警部補が手錠をかけようと近づいた瞬間、クラフトは警部補の腕をひねり上げて拳銃を奪った。ごきり、と嫌な音がしたのを、ニール・プラットは覚えている。警部補が絶叫し、肩を押さえて地面に転がったのも。
 反射的にプラットは銃を捨てろと叫んだが、仲間たちの銃が発砲音を立てるほうが早かった。――もともと、彼らは同じ署の仲間を殺されて腹を立てていたのだ。一人なら、まだ少しは冷静さを残せていただろう。だがクラフトによって絞め殺された警察官は三人だ。仲間を三人も殺され、しかも遺体の首には凶器の縄跳びがリボン結びで巻き付けられていた。かわいらしくも見える“装飾”が、死した彼らへの侮辱であると察するのは容易なことであった。
 義憤の皮をかぶった復讐心と殺意が一斉に放たれた。クラフトにとっての凶弾が、彼の体にいくつもの穴をあけ、体内を跳ねまわり蹂躙するのだと、そうして凶悪な殺人鬼は無害な死体へ変わるのだと。それが当然の成り行きの、あるべき流れであるはず、だった。
 ……にも関わらず。マイケル・クラフトは銃声の響く前と何一つ変わらない様子で笑みを浮かべていた。出血もしておらず、どころか体を弾がかすめた気配すらない。は、と意味をなさない言葉が誰かの口からこぼれていった。
 愕然とする警察官たちを、クラフトは「ヘタクソ」と嘲笑した。その笑みのまま銃口をこちらへ向け、警官たちが我を取り戻すよりも先に引き金を引いた。子供が玩具の銃で遊ぶかのように片手で構え、ろくに狙いもつけていなさそうに見えたのに、銃弾はプラットの隣にいた新米刑事の眉間をひどく正確に撃ちぬいた。
 あとはほとんど蹂躙と言えた。どこから弾が飛んで来ようとクラフトは悠々と回避してみせ、クラフトの放つ銃弾だけが命中して警察官を狩っていく。背後をとって捕まえようとした勇気ある巡査は逆に捕まり、飛んでくる銃弾の盾にされた。
 弾が切れればクラフトはあっさりと銃を捨て接近戦に移行した。肉弾戦の最初の標的になったのはプラットだった。銃を持つ警察官相手にわざわざ肉薄するなど馬鹿のやることだが、クラフトは至近距離から撃たれた銃弾すら避けてみせた。急な――急速な接近で狙いが定まらなかったという理由もある。だがクラフトはたとえプラットが冷静に照準を合わせていても躱していただろう。長い脚から繰り出される蹴りに脳を揺らされながらプラットは確信していた。

 プラットが気絶から立ち戻ると、おびえた顔の制服警官が、怪物め、と叫んで発砲しようとしているところだった。結局その彼は表情を消したクラフトに銃を奪われたうえで蹴倒され、胸を踏みつけられながら残弾のすべてを頭に撃ち込まれた。……明確な殺意が、そこにはあった。今まで一度もクラフトが殺害の意思を見せていなかったことに、プラットはそれで気がついた。害意はあっても「殺そう」という思いは、ひとかけらもうかがわせていなかったのだ。
 弾切れに気づいたクラフトがかるくため息をついて、そうして先の発言である。
「あーあ! 期待してたのに誰にも殺してもらえないなんてなあ。やっぱ警察官って雑魚ばっかなんだ。――俺が殺したお仲間とおんなじで!」
 あからさまな煽りだった。怒らせようとしているのだと、誰にでも理解できる単純な挑発。乗せられる必要はない。乗ってやるメリットもない。応援が来るまでどうにか耐えきれば、クラフトだって人間なのだからスタミナ切れを狙えるかもしれない。
 頭でわかっていても、意識のある誰もがこみ上げる怒りを抑えておけなかった。冷静さを評価されているプラットでさえ。死んだ――殺された仲間をふたたび侮辱されて、頭に血が昇らないわけがない。
 プラットはかすむ視界で状態を何とか起こし、銃口をクラフトに向けた。どうせこれも避けられるのだろう。それでもいい。これは意思表明だ。当たらなくとも自分の怒りを、怒っているのだということを示してやらないと気が済まない。人の心を理解しない、冷酷無比で傍若無人な殺人鬼に、怒りを教えてやらないことには。
 引き金を、絞りぬいた。
――え」
 呆然とした声が自分の発したものなのか、それともクラフトの口からこぼれたものなのか、はたまたほかの警官のものなのか、プラットにはわからなかった。
 たたらを踏んだクラフトが、ゆっくりと自分の腹部を見下ろす。
 黒いハイネックのカットソーに、小さく穴が開いていた。
――ッ、」
 確認した瞬間、クラフトの顔が苦痛にゆがんだ。
 当たった。銃弾が。まさか。――なぜ? いや、関係ない。疑問よりも驚愕よりも先に立ち上がれ。立ってマイケル・クラフトを確保しろ。あの殺人犯を逮捕して、法の裁きを受けさせなければ。
 プラットは呆然としそうになる自分に言い聞かせる。立て、と何度も自分の手足に下命する。けれど頭部に食らった蹴りのダメージは大きく、がくりと崩れ落ちてしまう。おそらくほかの警官も似たような状況だろう。生きている者は全員満身創痍と言ってよかった。そもそも足を撃ちぬかれていたり関節を外されていたりで、十全な状態でクラフトを確保できそうな者などいないのだ。
 プラットは状況にたいして悪態をつく。千載一遇のチャンスだというのに、むざむざ無駄にしようとしている。
――ふ、あは、」
 笑声がした。プラットの視線の先で、クラフトが笑っている。
「ははははっ!」
 傷を片手で押さえながら、クラフトが哄笑していた。――嬉しそうに。
 クラフトの左目に見据えられ、プラットは身をこわばらせた。彼の瞳に怒りや殺意が浮かんでいないのが逆に恐ろしい。
「ッてえ……。はは、まさかあんたみたいな雑魚がそうだなんて思ってもみなかった」
 一歩、二歩、クラフトが近づいてくる。プラット、と動けないながらも逃げろと言ってくる仲間の声が遠く感じた。
「へえ、あんたプラットっていうんだ」
 にんまりと笑むクラフトの額に脂汗が滲んでいる。
 ――ああ、早く救急車を呼ばないと。クラフトのぶんもだ。放置して死なれたら逮捕ができない。捕まえて、きちんと裁判を受けさせないと、遺族が報われない。
 どうにか立ち上がろうともがくプラットの眼前に、クラフトの顔が迫る。やたら整った顔貌は、写真で見るよりも間近の実物のほうが美しいと、場違いにもプラットは思う。長い金の睫毛に縁どられたコバルトグリーンの瞳が、丁寧に磨いた宝石に見えた。
「ねえ。俺のこと殺してよ、おまわりさん」
――……
 目を見開いた。
 まさか自殺願望でもあってこの大立ち回りをしたのか。たしかに己の殺害を期待するような言動はしていたが、それにしてはクラフトが自暴自棄になった様子はなかったし、殺されようとする意志も垣間見えなかった。
「唯一俺を撃つことのできたあんたなら、俺を殺せるはずだから。やってみせてよ」
 弾が当たったのはおそらく偶然に過ぎない。プラットは自分の射撃の腕が特別いいわけではないとよく自覚していた。なにしろ射撃テストの成績は殺人課の中で下から数えたほうが早いくらいなので。そんな腕前で神がかった回避能力を見せていたクラフトを撃てたのは奇跡に等しい。
……断る」
「なんでさ。殺す気があるから撃ってきたんでしょ」
「殺す気はない。多くの命を奪ったお前には、ただしく法の裁きを受けてもらう」
 眉間に力を込めて、プラットはクラフトをまっすぐに見据える。
 クラフトは数度またたいて、それから軽く嗤い立ち上がった。
「まあ、じゃあ今はいいや。――また今度殺してもらいに行くね、おまわりさん」
 クラフトは手負いとは思えないほど悠々と背を向けて、倉庫から離れていった。プラットは追いすがろうとしたが、手足には相変わらず力が入ってくれなかった。
 遠くから複数のサイレンが近づいてくる。遅ぇよ、と同僚が苦痛に喘ぎながら悪態をつくのが聞こえた。プラットもまったく同感だった。多分、この場の誰もがそうだろう。あと少し早く来てくれていれば、あの殺人鬼を逮捕できていたろうに――
 頽れたプラットは目を閉じる。埃とコンクリートと血のにおいが強くなって顔をしかめた。屈辱のにおいだ。あと一歩で取り逃がし、みすみす仲間の犠牲を増やすだけに終わった屈辱のにおい。
「次は絶対に逮捕してやる……
 うわごとのようにつぶやいたこの時は、クラフトにいいように振り回され、あまつさえ肉体関係になる未来が訪れるなどとは、予想だにしていなかった。