ふるさと さくら
2021-10-24 22:37:06
6935文字
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雪原のかたすみで

「私」が町を出ていく直前の話と、死神を封じて数年後の話。

フェニックスの罪で脳がガァアーーーとなった結果の幻覚補完です(完全に自分用です)
「私」=歴戦の猟師設定を少し拝借しております。古城宴会シリーズの要素が入ります。(後半)
公式から後出しあれば瓦解する仕様です。よろしくお願いします。



 年がら年中吹雪の吹き荒れる、この雪原の町にしては珍しい晴天だった。
 霧氷の貼り付いた針葉樹を見上げて、私は今日という日をじんわりと噛み締める。
 なだらかな丘の向こうには、いつも通りの生まれ故郷。子どもが駆け回り、大人たちがあくせくと働く町の風景はとても美しいもののように思えた。こうした当たり前の世界を見ていられるのも、せいぜい今のうちなのだけれど。
 おや。昨晩降り積もった新雪を懸命に退かしているのは……よく話をする物知りのおばあさんか。周囲の若い衆に混じっても引けを取らない働きぶりは、見ていて気持ちがいい。
 どうしようか。せめて、軽く挨拶だけでも────いいや、きっとそれは許されない。これも月神を敬う教会の掟。破ってはならない戒律を蔑ろにした私は、これ以上何かに背いてはならないのだろう。
……ごめんね、おばあさん」
 どうか許して欲しい、こんな恩知らずな私を。何も言わずにあなたの元を離れる私だけれど、貰った恩は忘れずにいるから。だからどうか、私が戻るまでは……
 腰掛けた岩のそばを、寒々しい風が通り過ぎていく。遠い空の彼方から、よく聞き慣れた相棒の声が高らかに降りてきた。
 あぁ、飛翔する我が友。私の片割れ、私の大切な左目よ。
「ブロデイウェズ、こっちだ」
 狩りに欠かせぬ梟は、本来であれば予知を得るための神聖な生き物だったはずだ。それがこうして、今では日々生きていくための道具に成り下がってしまったことを、後悔していないと言えば嘘になる。
 だが、私と友は心の底から理解し合っていた。私がルールを踏みにじってしまった時も、我が相棒は何も咎めることはなかった。普通であれば、鼠や兎の血に塗れることすら耐え難いだろうに。
 それゆえ、私はあの日の決断を悔やむことは止めたのだ。選んだ結果は覆せない、ならば受け入れて進むしかない。我が友が既に覚悟を決めているのであれば、私が足踏みをしている道理もないはずだ。
 地上に降りてきた梟は、大仰な羽音をはためかせながらゆっくりと腕に足を乗せる。愛嬌の良さは相変わらずのようで、私の頬に身体を擦り寄せるなり甘えたような声で喉を鳴らしている。
「ふ、そんなに寄ってどうしたんだい? ……それはもちろん、君のおかげでよく見えていたよ。儀式に立ち入れないとはいえ、私も旧友の姿は目に焼き付けておきたかったからね」
 ありがとう、と告げると梟はさらに嬉しそうな甘え鳴きを披露した。愛くるしさはどんな鳥にも負けないなぁ、なんて思いながら腹の奥を撫でてやる。温かな羽毛の隙間からは、脈々とした命の鼓動が指先越しに伝わってくるのだった。
 ……さて、この町でやり残したこともなくなった。友人の帰還が何事もなく完了したのであれば、既にやることはひとつだけ。
「うん?」
 何やら梟が囁いている。人語を介さない友ではあるが、意思や訴えは賢さゆえにそこらの人より分かりやすい。
 腰を下ろしていた岩を離れようとすると、相棒は拒むように激しく暴れるのだ。これはつまり、ここでまだ待っていろということだろうか? しかし、今更会いに来る人間などいるはずが……
「イライ!」
 高らかな声に身が竦む。それは私がもう二度と顔を合わせぬように、と決めたはずの人物の声だったからだ。
 よく聞こえる。よく感じとってしまう。彼と彼女が雪を踏みしめてこちらを目指す足音と気配を、私は手に取るように把握してしまう。あぁ、振り返ってはならないぞ。こうして呼び止められることさえも、間違いなく掟を破ることに繋がるのだから。
 暴れていた友が落ち着きを取り戻していく。なるほど、先程の行動は伝言を示していたのか。あの大司祭の目を掻い潜って、よくそんな芸当ができるものだ。
 私は振り返らぬまま、近づいてくるあの二人に拒絶を示した。
「駄目だよ月佑、それ以上来ちゃいけない。見送りは教義に反すると、大司祭様も仰っていただろう?」
 優しく、感情をこぼさぬよう丁寧に。私は歩みを留まらせようと、顔を見せずに言葉を投げた。そうだ、君たちは私なんかを気にかけていてはいけないんだ。君たちにはやるべきことがある、選ばれた者として果たすべき義務が。
 凛と空に吸い込まれた制止に、聖女となった彼女が狼狽える気配がした。
「だ……だって、何も言わずにお別れなんて、寂しいじゃない。本当はあなたにだって今日の儀式に参加して欲しかった! あなたは、嫌だったかもしれないけど……
 萎んでいく彼女の末尾。弱々しい口調に、少し胸の奥が痛んだ。けれど、だからといって名残惜しさを見せてはならない。
 救われるような言葉を、かけてあげるべきだろうか。
……見たよ、君たちの晴れ姿は」
 銀色の大地に目を落としながら、淡々と言葉を紡ぐ。
 これは本心だ。これだけは真実で、心の底からの賛辞である。
「私の友人に伝言をくれただろう? 教会に梟がいたということはそういうことさ。月佑、君は私が知っている代々の聖女様の中でも一番に綺麗だった。そしてフェニック、君は────」
 ざくり。
………ッ」
 心臓が跳ねた。足音がする。雪を圧縮する命の重みが近づきつつある。
 は、と吐いた息が白く宙に溶けていく。途端にしどろもどろになりかけるが、何とか繕うことができた。
「フェニック。戒律を破る気なのか」
 答えはない。フェニックは……私のルール違反がなくともきっと大司祭候補に選ばれていたであろう彼は、ただ黙って足を前に踏み出すばかりだった。
「フェニック、止まってくれ。君まで掟を破ったら、私は」
 私は、私のしたことの意味が分からなくなってしまう。
 分からなくなって、しまうのに。
………
 雪は全ての音を消し去る。風はピタリと止み、この雪原には私たちというたった三人しか存在していないような気がした。何も聞こえず、ただ凍てつく寒さが全身を覆い尽くしている。
 それなのに、私の右手には誰かの微かな温もりが伝わってきた。
……懲りずに儀式を盗み見たんだろ? なら……おあいこにするのがちょうどいいと思う」
「ッ、君は! 自分がどういう立場になったのか分かっていないのか────あ、」
 間の抜けた声が、喉の奥から思わず出てしまった。繋がれた手はそのままに、反射的に振り向いてしまった方角を見て呆然とする。そこにいたのは、梟越しに見た正装のフェニックだった。
 けれども、その雰囲気はいつもと異なる。聡明で理性的なのは変わらないが、纏うオーラが明らかに違うのだ。不死鳥の礼装はキラキラと夜空に浮かぶ星座のように眩さを放ち、真昼でありながら星空をそこに顕現させている。
 まるで、夜を行く神様だ。月の神ではなく、星々を司る夜鳥に近い。
 ……あぁ、やっぱり。君がその服を着るに相応しいんだよ、フェニック。
「君たちは、全く」
 呆れてものも言えない。この二人はたった今あの教会で、今代の聖女と次期大司祭候補としての地位を正式に授与されたばかりなのだ。言わば人生で最も神聖な日を迎えたに等しい。それなのに、他の教徒と交流するでもなく揃いも揃って罪人を見送りに来るなんて。
 本当に、本当に。
「こんなことを、言ってはおかしいのかもしれないけれど」
 フェニックの手は、寒空の下でも絶えず熱を帯び続けている。物静かな表情とは裏腹に、まるで火を灯したかのように続く温もりを離すのが名残惜しくて、私は無意識に言葉をゆっくり選んでしまった。
「その。そうだな……本当は、旅に出るのは怖いんだ。私たちはこの町の外についてこれっぽっちも知らないからね。ちゃんと暮らしていけるかとか、まずは雪原の端までどうやって行こうとか。考えてはいるんだけど、どうしても不安は尽きなくて」
 月佑の顔が曇っていく。そんな顔をさせるためにこの話を始めたわけではないのだが。私は気まずくなりながらも、口を動かし続けた。
「大司祭候補に選ばれなかった者は、罰として外界の知恵を得るための旅に出る。でもね、私はもう受け入れたんだ。それに短くてもせいぜい三年の放浪さ。この町に何かあればすぐに戻るよ。大司祭様が私を必要とするかは、分からないけどね」
 だからそんなに心配しないで。
 私はそう付け加えて、いつも通りに微笑んだ。それでも月佑の曇りは晴れないし、フェニックは相変わらず暗い顔をしている。やっぱり、そう簡単には誤魔化せないみたいだ。成り行きとはいえ長年一緒に育ってきたのだから、当然か。
「もう、決まったことだ。これから私は長いか短いかも分からない旅に出る。本来なら見送りだって禁じられているはずなのに、こうして二人も駆けつけてくれた。私は幸福者だよ……だからさ、君たちは何も思わなくていい。私は戒律を破ったことを後悔していないんだ」
 旧友たちからの返答はなかった。話は終わったかと、私はフェニックの手をそっとすり抜けた。そしてささやかな荷物を背負って森へと歩き出す。針葉樹の森の先には、見渡す限り白銀の高原が広がっているはずだ。
 雪をひとつ、ふたつと踏みしめる。彼らに背を向けて前へと進む。故郷の村へ別れも告げず、相棒だけを頼りに孤独の道に身を投じる。
 しかし、彼の声がその歩みを止めた。
「この町に、もし危機が迫ったら」
 彼にしては、随分大きな声だ。小さな言葉では私に届かないと分かっていたのだろう。それでもフェニックがこんなに自己を主張するのは珍しくて、私は思わず振り向いてしまった。すると、月佑も突然の出来事に口を押さえて驚いているようだった。
 青い星がきらきらと弾ける。結ばれたくちびるがゆっくりと開き、私だけに向かって精一杯の鳴き声を上げる。
「この町が滅びそうになったら、君は……そうならないように力を貸してくれる?」
 そんなことが起こるはずがないと、教会の長老たちが笑い飛ばした仮説をフェニックは至極真面目に私にぶつけた。この雪原の町が滅びるということは、ドルイドが封じた死神サウィンが復活するということだ。近々そんなことが果たして起こるだろうか? そもそもどうして、フェニックはそんな質問をしたのだろうか?
 だが、そんな疑問は些細なことである。
 答えは決まっていた。私は自分の胸に手を当て、懐かしい冬の清廉さに誓った。
 嘘はつかない、何事も真摯に。月神に祈った言葉を心の中で繰り返して、ゆっくりと眼を開く。
「必ず。私はこの町が好きだ、大切に思っている。だから何かあれば滅びを回避できる方法を共に探すし、力も貸そう。月神に誓うとも」
 そう言うと、フェニックは黙って頷いた。そしてようやく肩の荷が降りたかのように脱力して、ほんの少しだけ口元を緩ませた。あれは表情に乏しい彼なりの、控えめな喜びの表現だ。
 やっと、空気が日常に沿った柔らかさを兼ね備えた気がする。穏やかになった雰囲気に身を任せるように、静かに見守っていた月佑が軽やかに笑い声を上げた。
「ふふっ、そこまで言われちゃ私たちも頑張らないとね。私、きっと立派な聖女様になってみせるわ! 次に会う時を楽しみにしていてちょうだい」
「月佑は昔からすぐ慌てるからなぁ、長老たちに怒鳴られて泣かないようにね」
「そ、そんなことしないわ!」
「おや、ごめんね聖女様」
 月佑が明るく笑って。
 私がそれに軽口を叩いて。
 フェニックがそんな様子に心を癒して。
 ずっと昔、小さな頃から続いてきた私たちの在り方だ。こんな風に笑い合えるのも、きっと今だけなのだろう。再会した暁には、教会の重鎮となった二人と異邦人と化した私には断絶が起きるかもしれない。
 けれど、もしそうならない未来の可能性が存在するとしたら。
「フェニック、月佑」
 少女が首を傾げ、青年がこちらを向く。
「私が帰ってきたら、またゆっくり話をしよう。きっと話したいことがたくさんあるはずだから」
 そう言うと、二人はもちろんと頷いてくれた。
「気をつけてね」
「大司祭様には、上手く言っておくから……
「ありがとう」
 これはとある日の旅立ち。私が外界に出て、様々なことを経験する前の未熟な時代の終わりの話。エピローグのようでプロローグのような、大切な始まりの話。
 故郷の情景を目に焼き付けながら去るその瞬間、私はひとつの願いをかけた。

 もしも願いが叶うのならば、どうか若輩な私に友と再び笑い合える日を、と。











 血まみれの祭壇。
 人々の悲鳴。
 世にも恐ろしい死神。
 炎といかづちを身に纏う不死鳥。

 そんな未来は、結局叶わなかったのだけれど。













「ねぇ、考え事? ここの宗派の大司祭ともあろう方が、監査を受けているのに随分呑気なのね」
 彼女の声で現実に引き戻された。いけない、ここ最近は多忙を極めすぎてすぐに意識が遠くに行ってしまう。すまない、と一言詫びるとプラチナブロンドのサイドテールを揺らした彼女が高慢に鼻を鳴らした。
「猟師……いえ、大司祭クラーク。この度は我々の訪問に応じていただきありがとうございました。あなたの教会支部はとても神に敬虔でしたので、監査結果は良好と判断させていただきます」
「ありがとうニーズヘッグ」
「やめて。もう私は執行官ではないのだから」
 それを言うなら私も猟師じゃないよ。そうした砕けた口調を彼女は嫌ったのか、つんと目を逸らしてしまった。やはり彼女とは壊滅的に性格が合わないらしい。私はそこまで嫌いではないのだが……
「ところで、伯爵は元気にしているかい? ほら、魔典の件が終息したとはいえ、まだ人間社会に馴染んで日も浅いだろう。少し気になってね」
「あの血族を未だに気にしているなんて、よっぽど暇人なのね」
 ぐさり、と監査役の言葉が刺さる。確かにここ数年はこの一帯で魔物が出ることもほとんどないから、暇ではあるのだけれど。それ以前に彼とは友人になった自覚があるから、こうして聞いているんじゃないか。文通もしたことないけど。
 しかし、監査役は意外にも人情に厚かった。
……癪だけど、伯爵様はご健在よ。本っ当に嫌だけど、未討伐のペナルティまだ受けてるせいでデカブツの現況確認は私がやってるの。今頃飼い犬と転げ回ってるんじゃない?」
「そうか、元気そうでよかった」
 血族の騒動については、正直ほとんど関与していないからこうして又聞きするしかない。とはいえ、あの孤独な伯爵が平穏に暮らせているのであれば、それに越したことはない。
「この町にも遊びに来てくれないかなぁ。そろそろここもオールシーズンスキー場として、観光地化しようかなと考えているんだけど」
……それ、いろいろ無理じゃない? そもそもアレ、百年単位で引きこもってた超絶インドアだもの。あと、あなた絶望的に商才がないから。絶対観光客から見放されて、数多の連帯保証人にさせられて借金苦からの破産申請、結末に赤字自治体を生むわよ。顔馴染みとして忠告しておくわ」
「そ……そこまでひどいつもりはないんだけど……
 思わず泣きそうになった。いや、大人なので泣きはしないのだが。相変わらず監査役殿は辛口である。中央の組織では、これくらいしたたかでないといけないのかもしれない。
「ま、いいわ。用事は終わったから帰ることにするけど、もう聞きたいことはないわね?」
「うん、大丈夫だ」
「そう。あとは魔物が出たらすぐに連絡を、すぐに兵力を派遣するから」
「わかった」
 監査役の彼女は、颯爽と席を離れていく。あの宴会から何年も経っているけれど、彼女の芯のある美しさは損なわれる気配がない。
 あぁ、疲れた。何かお土産買って帰ろうかしら。サウィンの実とか可愛くていいわね────そんな不穏な声が聞こえたので、私は思考を切って椅子から立ち上がった。それはいけない、本当にいけない。
「監査役殿……監査役殿! 待って、まだ話し足りないことが……!」
「大司祭殿、どこに行かれるのですか!?」
「あ、あぁと、えぇと……すぐ戻る!」
「おおおお待ちください大司祭殿、これから会議がっ」
 荘厳な教会に相応しくない足音が石壁に反射する。私を追いかける部下たちの慌てぶりと、「顔馴染みがこの町を嫌いになることはあってはならない」と久々の全速力を振り絞る私の懸命さで、神秘性など掻き消えてしまっているようにも思えた。
 こんな教会に、一体誰がなると思っただろう。
(君たちも、ここにいてくれたら……どれだけ)
 走りながら笑いが込み上げる。あぁ────久方ぶりに自由を許された我が友が、ようやく私に追いついたようだ。
 教会の外が見えてきた。
 空は快晴。雲の代わりに青空に映えるのは、あの日に似た眩い一面の銀世界。


 聞こえているか、我が旧友たちよ。
 私は行こう、この道の果てまで。
 裏切りも、罪も、全て抱えて進む先を切り開いていく。
 それが残された私にできる、最後の使命だと信じて。