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吾妻
2024-01-18 23:08:30
5755文字
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アークナイツ
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蜜と毒
■リクエスト頂いたアレーンくんのお話です。リケーレさんがちょっとだけいます。
あんまり甘くならなかったのでいずれリベンジをしたい……。
胸焼けしそうなほどの甘い匂いと、とてつもなく嫌な予感が、廊下の向こう側から漂ってきた。
今の今まで軽やかだったアレーンの足取りは、その甘ったるくて危険な香りを嗅ぎつけた瞬間、重々しいものへと変わってしまった。
どうやら、これから向かう先
――
上司の執務室には、先客がいるらしい。
しかもよりにもよって、三度の食事よりデザートを重要視するような連中が。
「
……
」
本音を言えば、そのまま踵を返して立ち去ってしまいたいところだった。が、上司から本日の秘書を仰せつかっている以上、ばっくれるわけにもいかない。
全くツイてない。昨日まで外勤に出ていた上、今朝は定期検診が入っていたのもあって、午後になってようやく本日の配属場所に辿り着けるところだったのに。
急激に機嫌が傾いていくのを感じる。故郷を遠く離れてまで同族たちと顔を合わせたいとは思わないし、そもそも自分が〝ロドスにおいて一番楽しみな仕事〟に励んでいるときは誰にも邪魔をされたくない。
何よりアレーンは現在、彼の上司と〝ある賭け〟をしている最中なのだ。
その内容も駆け引きも、全て極秘にしておきたい。
前方から漂ってくる菓子の匂いは見えない壁となってアレーンを押し戻そうとする。光輪と翼を持った連中の気配だ。
サンクタであるにも関わらずスイーツにはあまり興味がなく、故郷や同族にもそれほど親しみを持たないアレーンにとって、向かう先に待っているのは面倒事以外の何物でもない。
それでも、甘ったるい匂いに混じって漂ってくる聞き覚えのある男の声に、アレーンの歩調は急激に早まった。
「センセー、お疲れ様。これ、ケルシー先生から預かってきた書類。明日までに目を通しておいてって」
ノックの返事も待たずにドアを押し開けて、携えてきたクリアファイルを掲げて見せると、部屋の奥に据えられたデスクのあたりから2対の眼差しがアレーンを捉えた。
頭部全体を覆うフェイスマスクにご丁寧にジャケットのフードまで被った、不審者にしか見えない人物がデスクについているのはいい。問題はデスクの前に立ち、体を半分捻ってドアの方を振り返っている男の方だ。
「よう、アレーン。こうしてロドスの中で顔を合わせるのは初めてか? まぁ、こんなだだっ広い艦の中じゃ、待ち合わせでもしなきゃ会えないだろうけどな」
「
……
あんたと会うのが嫌だから、顔を合わせないようにしてたんだよ」
「なんか言ったか?」
いかにも好青年然とした爽やかな笑顔から目を逸らし、小声でぼそりと呟けば、温厚そうなサンクタが小さく首を傾げる。
「
……
なんでもない」
どうせ聞こえているくせに。たとえ聞こえていなかったとしても、こちらの気持ちくらい察しはついているだろうに。それでも、この男はわざと鈍いフリをする。そういうところが癇に障るのだ。
リケーレ・コロンボ。ラテラーノ公証人役場の執行人。アレーンがロドスに籍を置く以前に、少なからず関わりのあった男だ。先日、何の因果か彼もまた公証人役場からロドスに派遣されてきた。今は確か、〝インサイダー〟というコードネームを名乗っている。
アレーンは、公証人役場の執行人にはあまり良いな印象を持っていない。特にこの男は、あの融通の効かない
執行者
イグゼキュター
よりも厄介だと思っている。人当たりがよく、陽気で、どこにでもいる平凡なサンクタの顔をしておきながら、何かが決定的に違う。
アレーン自身、サンクタでありながら銃を遠ざけ、サンクタでありながらスイーツに興味を持たない異端児だが、リケーレは一見普通のサンクタとして振る舞っているからタチが悪い。人畜無害の顔をして、隠しきれない不穏さを飼っている。
あとは単純に
――
「はい、センセーこれ
……
」
「お、前より背が伸びたんじゃないのか?」
執務机に近づいて、この部屋の主人に書類を差し出すためにリケーレの隣に並んだ途端、不躾な男の手がぽんと頭の上に乗ってきた。おかげでアレーンの機嫌は余計に斜めになる。
単純に、子供扱いされるから嫌なのだ。
「触んないでよ。
……
っていうか、なんでいるの? この甘ったるい匂いは何?」
頭に乗せられた腕を払い除けると、「おっと」とわざとらしい声が返された。頭ひとつ分以上高いところから見下ろされて非常に気分が悪い。
「そうつれなくするなよ。俺たちはただ、ドクターと親睦を深めようとだな」
「
……
〝俺たち〟?」
「昼休みにアンブリエルとエクシアが来ていたんだよ。アドナキエルも」
アレーンが差し出したクリアファイルを受け取って、ドクター
――
ロドス・アイランド製薬の戦術指揮官がリケーレの発言を補足する。なるほど、右も左もサンクタに囲まれて、食後のデザートタイムと洒落込んでいたのだろう。ならば、この甘ったるい匂いも頷ける。
しかし、そうなると次の問題が浮上してくる。つまり。
「昼休みはもう終わりでしょ。なんで一人だけ残ってるの?」
時刻はすでに午後の勤務時間に突入している。デザート大会もお開きになっているはずなのに、なぜリケーレだけここに残っているのか。
「彼に仕事を頼みたかったんだけど、なかなか首を縦に振ってくれなくてね」
「おいおいドクター、そいつは誤解だぜ。俺はもっと他に適任がいるんじゃないかって話をしただけだろ?」
白々しいリケーレの返答に、ドクターは小さく肩をすくめて見せる。どうせいつものように、のらりくらりと面倒事から遠ざかろうとしていたのだろう。おかげで楽しみにしていた午後が台無しだ。
不機嫌を隠そうともしないアレーンの流し目から、リケーレはついと反対方向に視線を逃す。
そのまましばらく気まずい沈黙が続いた後で、
「
……
あー、はいはい。わかったよ」
白旗を揚げたのはリケーレの方だった。わざとらしく両手を挙げて、降参のポーズを取る。
「このままだと視線だけで体に穴が開いちまいそうだ。俺はこれで退散するよ。
――
ドクター、その仕事とやらの概要はメールで送っておいてくれ。見ておくよ」
「わかった。前向きに検討してくれたら助かるよ」
じゃあな、と片手を挙げて挨拶し、リケーレは執務室を出ていく。ぱたりと扉が閉まる音の後、この部屋の主がくすくすと小さく笑い出した。
「何かおかしなことでもあった?」
まだ気分を立て直せないまま、アレーンは上司を見やった。ドクターは「いや」と断りながらも、まだ笑いの余韻をのぞかせている。
「君のお陰で、彼が仕事を受けてくれそうだ。助かったよ」
「
……
」
別にアレーンには、リケーレに圧力をかけて仕事を受けさせようという意図はなかった。なかったが、何やらドクターが喜んでいる様子なので、満更でもない気分になった。
だが、次の瞬間鼻孔から容赦なく体内に侵入してきた甘ったるい匂いに、我に返る。
「センセーはご機嫌でいいよね。こっちはサイアクの気分なのにさ。午後になったら僕が来るの、わかってたはずでしょ。こんな香りで出迎えてくれなくてもいいんじゃない?」
端から見れば理不尽極まりないアレーンの物言いにも、ドクターはさして動じる様子もなく「ごめんごめん」と、どこまで本気かわからない詫びをよこした。
「君が数日ぶりに
――
」
「三日ぶり」
「
……
そう、三日ぶりに戻ってくるのはちゃんと覚えていたよ。私だって楽しみにしていたのに、君こそそんな不機嫌な顔ばかりしなくてもいいんじゃない?」
顔をすっぽりと覆い隠すフェイスマスクの奥から、いたずらっぽい光を宿した瞳が覗く。あまりにも胡散臭い防護服の中に、〝彼女〟が茶目っ気と理知的な本性を隠しているのを、アレーンは知っている。
そしてそのあまりに魅力的で、ときに蠱惑的ですらある本性を、できるだけ他人には見せないでほしいとも思っている。
これこそあまりに理不尽な欲望で、自分らしくないとも思うのだけれど、止めることも消すこともできないので仕方がない。
独占できるような人ではないとわかっている。
だから、賭けをしているのだ。
二人きりのときは、自分の方を向かせてやる。そう、心に決めている。
「
……
ねぇセンセー、忘れちゃったの?」
一歩デスクに近づいて、デスクに片手を突き、アレーンはドクターの顔を覗き込むように身を屈めた。
「僕はその気になればこんな匂いくらい掻き消せるし、センセーのことだって、毒殺できちゃうのに
……
」
アレーンが纏うほのかな香りがぐっと一段強まった。菓子の匂いを塗り替えていくそれは、人工的に添えられた
香料
フレグランス
などではなく、彼自身から放たれるアーツの余波だ。
ありとあらゆるものを蝕み、バラバラに分解し、融かし尽くす。妖しく、危険な香り。
自身の周囲に漂わせる毒素を、アレーンは自在に操れる。ただの無害な香りに変えることも、致死量の毒へと変えることも。
ドクターの防護服がどれほどのスペックを有するのかはわからないが、アレーンが本気を出せば完全に防ぐのは不可能だろう。
彼女の命が今、自身の掌のうちにあるようで、アレーンは仄暗い興奮を覚える。
しかし。
「君はそんなことをしないだろう?」
自分を殺せる相手を前にして、ドクターの態度は揺るがなかった。デスクに両肘を突き、その先でグローブに包まれた指先同士を絡ませて、敢えて自分から身を乗り出す。自身を覗き込むアレーンの顔を、下方から見つめ返した。
*
――
僕がアーツを放つときは、あまり近寄らないで。
かつて、まだロドスのオペレーターとなって間もない頃。
アレーンはドクターに、そう忠告したことがある。
自身のアーツが有する特性は、他者を蝕むものだ。傷つけ、遠ざける類の危険性を孕んでいる。
その特性を忌み嫌ったことはない。むしろ好都合だと思っていた。この力のお陰で、必要以上に他者に近づかれずに済む。
子供扱いも、腫れ物扱いも願い下げだった。自分の面倒なら自分で見られる。生き方だって、自分で決められる。もう、静まり返った家で両親の帰りを待っていた幼い自分はどこにもいない。
――
離れてないと、間違えてセンセーのことも殺しちゃうかも。
軽い冗談のつもりだったけれど、微量の脅しも含んでいたかもしれない。
〝あまり不躾に近寄らないで。怪我をしても知らないよ〟。
ドクターは賢い。警告の意図はきちんと伝わったはずだ。それでも彼女は一歩も引き下がらずそこにいて、言ったのだ。
――
君はそんなことしないよ。
そうだ。彼女を害するつもりなんて端からなかった。
なかったけれど、チラつく苛立ちに任せて試してみたくなった。
たとえどれほどの賢人だろうと、アーツどころか腕っぷしすら自分には敵わないくせに。
何を根拠に、そんな言葉を吐くのだろう。侮られているのだろうか?
しかしドクターは、アレーンが俄に表出させた剣呑さにも怯む様子は見せず、バイザーの奥からまっすぐに、少年と青年の境にいる男を見つめた。
――
君は、自分の立場をちゃんと考えて行動できる人間だから。そんなことはしない。
自身の振る舞いがどんな結果をもたらすのか、きちんと考えられる人間だから、とドクターは言った。
『いい子だから』とか、『そんな度胸はないはずだから』とか。
聞こえのいい慰撫の言葉も、小馬鹿にしたような侮蔑も飛んでこなかった。
やっと得られた食い扶持と居場所を、浅慮な行いで棒に振るような愚か者ではないだろう、と彼女は言ったのだ。
次の瞬間には、暴力的な衝動が凪いで、周囲を包んでいた香りも薄まっていた。
端的に言えば、〝毒気を抜かれた〟。
真正面に立ってくれる人間にぶつかったのが久しぶりで、面食らってしまった。
――
……
じゃあ、離れなくていいから。
あのとき。
どうしてあんな言葉が口からこぼれ落ちたのか、未だに自分でもわからないけれど。
――
ちゃんと僕を見ててよ、センセー。
静かに、けれども確実に。
アレーンの中で、何かが変わった。
*
あのときと同様に毒気を抜かれて、アレーンは唇をへの字に曲げたのち、深々と溜息をこぼした。降参の合図だった。
「センセーって、ホントずるいよね」
「褒め言葉として受け取っておく」
「別に褒めてないけど
……
まぁいいや。じゃあ、キスしてもいい?」
「だめ」
急カーブを切って、不意打ちを食らわせたつもりだったが、ドクターは既にアレーンが携えてきた書類へと視線を移してしまっている。
「どうして? ちゃんと仕事を終わらせてきたのに?」
「この格好じゃできないでしょ」
「ちゃんとセンセーのマスクの外し方も付け方も覚えてるけど」
「誰がどこで見てるかわからないからだめ」
「
……
じゃあいつならいいの?」
「これが見える?」
ドクターは片手で自分の前に積まれた書類の山をぽんぽんと叩いた。そのうちの一枚が、アレーンの手元にひらりと滑り落ちた。
「なにこれ」
「今日中に片付けなきゃいけない書類。これが業務時間内に片付けば、今日は定時で上がれるよ」
「
……
とても半日で終わる量には見えないけど」
「できるんじゃない? 君が手伝ってくれれば」
「
…………
」
彼女と一緒に過ごすのは好きだけれど、別に秘書の仕事が好きなわけじゃない。
だが、少しでも長く一緒にいたいと願うなら
――
更に外勤のご褒美をもらおうとするならば
――
この書類の山と戦えということらしい。
「
……
そういうところ、本当にずるいよね、センセー」
とりあえず、書類の精査から始めようと、アレーンは雑多に積まれた山の一部を手に取る。
「知らなかった?」
ケルシーから託された書類の末尾に慣れた手付きでサインを書き入れながら、ドクターが得意げに笑った。
「
……
知ってる」
せめてもの抵抗に、まだマスクを被ったままの額あたりにそっと唇を押し当てて、アレーンは菓子の香りが残るソファセットへと向かった。
【終わり】
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