はるの
2022-08-08 23:01:50
23441文字
Public スタートレック
 

なくてななくせ

全年齢|AOS spirk|2021.6.5|ジムと出会ってから増えたスポックの癖の話。



 その惑星は、一度滅んだ世界だった。
 地球と比べるとやや恒星からの距離が近く、熱帯と乾燥帯が主である。スキャニングの結果、人工と思われる建物が点在し、けれど知的生命体は検出できなかった。ドローンによって得られた現地映像には、荒廃した大地に朽ちつつも佇む遺跡群が映っており、カークは「インディ・ジョーンズみたい」と言って口笛を吹いたものである。スポックがのちに調べたところによると、それは古い映画のタイトルだった。
 ちょっとレプリケーターでフェドーラ帽作ってくるから待ってて、とうきうきした様子で宣言したカークを、もちろんスポックは待たなかった。初発の現地調査班に船長を入れることはよほどの例外を除きありえない、と何度言っても理解しない上官には、至極相応の処断である。鍛え抜かれた鋼の精神でカークからのいちゃもんを完全に無視し――こんな対処のために鍛えた精神ではないはずだが――、こういうときだけは頼りになるなあ、と失礼なことを言ってくるマッコイも華麗にスルーして、スポックは全力でスキャンデータの解析にあたった。現地班からの報告も加味して、情報を審査する。
 そうして、環境の危険度は地球と同程度であり、一般的な危機管理マニュアルを学んでいる者であれば上陸に問題はない、と判断する頃には、見事にカークの機嫌を損ねていた。
「子供ですかあなたは」
「いいや、別にむっとなんかしてないぞ。砂ネズミみたいなのはいるけど人はいないし、ちょっと重力と紫外線が強いけど普通に息できる、と現地の勇敢な保安士官たちから報告があったときに、ほらみろと叫んで君の前髪を毟りたくなったとしてもだ」
「わんぱくもほどほどにしてください。これは必要な調査だと、私はあなたに何度言う必要がありますか?」
「永遠言ってろ、ばーか」
「子供ですかあなたは……
「よ~し、じゃあバーベキューセット持って降下するぞ~」
「バ――、もちろん、冗談でしょうね?」
「スポック中佐、君は来なくていい。立派に船長代理をまっとうしてくれ」
 カークはぴょんと軽快に椅子から降りると、そう言い残してターボリフトに乗り込む。眉を跳ね上げながら振り向けば、彼は威嚇するような表情で、べ、と舌を出してきた。その無邪気な顔が扉の向こうに消えて、スポックは小さく息をつく。
「子供ですかあの人は……
「甘え方を知らないのよ」
 返ってきたのはウフーラのあきれたような声音だった。肩をすくめる彼女にスポックは首を傾げ、くるりとその場で踵を返す。
「あれが、甘えていると?」
「それ以外に何があるの。言っとくけど、キャプテン・カークは割と仕事はできる人よ」
「キャプテンがあんなふうに駄々こねる相手、副長かドクターくらいですからね」
 操舵席から振り返って、スールーも話に加わった。仕方がないなあという笑みをする彼に、スポックはむいっと口角を下げる。
 それからゆっくりと、キャプテンチェアに腰かけて、目の前の惑星を正視した。
「では、これはドクターの怠慢ですね」
「それ、ドクターにチクっておきますね」
「やめてください」



 カークを乗せているだろうシャトルが降りていくのをブリッジから見送って数刻、スポックも同じく、船長代理をスールーに任せてシャトルに乗っていた。カークに何かあったというわけではなく、純粋に部下からの要請である。貴重な、もしくは未知の鉱石を検知したため、計器を伴って降下したい、とのことだった。
 ならば自分が行こう、と科学ステーションに返答したスポックを、ウフーラもスールーもなまぬるい眼差しで見つめたわけであったが、スポックとしては問題のない判断だったと思っている。カークが不在である以上、ここからそうそう動くことはなく、対象惑星は無人かつ平和で、科学士官の誰が行くよりフィールドワークに慣れた自分が行ったほうがリスクは低いに決まっている。待機中、まとめた情報を報告書にしやすいようインデックスをつけているうちに、この惑星の文明が突然消滅してしまった原因が謎に満ちていて大変魅惑的なものであり、先ほどから気になって仕方なかったのだとしてもだ。
「結局、似た者同士なのよね」
「最終的にはドクターが何とかしてくれると思います」
「間違いないわ」
 そんなマッコイ万能説を唱えるウフーラとスールーには一瞥をくれてやって、スポックはブリッジをあとにした。
 降り立った場所はほとんど砂漠で、少し歩くと遺跡が立ちはだかる。神殿のような作りの入り口に感心しながら、スポックは内部をスキャンした。虫類と小動物、残りは植物という生体反応である。内部は入り組んでいて、音波解析だけでは精巧な地図を描き出せなかった。
「目的地はこの中ですか?」
「ええ、そのようです。高度はほとんど地表と同じですから、地図に打ったマーカーへ進めばよいかと」
「承知いたしました」
 スポックがその場全員の端末へ地図を送ると、チームリーダーの保安士官は頼もしくうなずく。彼らに続いて遺跡に足を踏み入れると、乾燥しているからか、日陰は少し肌寒かった。気温は地球の平均より高いが、ヴァルカン星よりは低い。汗をぬぐいながら歩いているレッドユニフォームたちに若干の申し訳なさを感じつつ、スポックは涼しい顔をして計器を取り出した。
「鉱石って、どんなものなんですか?」
 斜め後ろを歩いていた年若い士官が、ひょいとこちらに顔を出してくる。スポックは彼の鼻に乗った汗とそばかすを見つめてから、ハンディタイプの計器に電源を入れた。エンタープライズは船長がわんぱくなおかげか、こういう若いわんぱくが比較的元気な艦である。不愛想なヴァルカン人の副長に臆せず笑いかけてくる彼の様子に、カークは今頃何をしているだろうか、と一瞬だけ考えた。
「危険なものではありません。非常に複雑な構造ながら、非常に安定した物質で、その性質を利用してさまざまな」
 効果が望めます、と続けるつもりだった言葉を、スポックは故意につぐむ。
 顔を上げて立ち止まれば、優秀な士官たちは直ちに足を止めてくれた。
「どうされました?」
「音が、聞こえませんか? 何か」
 何の変哲もない石造りの廊下だが、かちかち、という金属がこすれ合うような音がする。耳を澄ませた彼らには聞き取りづらいようで、聞こえる、ような、という回答だった。
「どこからか分かりますか?」
「前方、でしょうか……、上部のようにも聞こえます」
 音はかすかで、スポックにもはっきりとしたことは分からない。どこかで何かの装飾が吹き抜けの窓辺で揺れている、という推論が妥当なように思えた。
「もしかしたら、どこかに侵入者を排除する仕掛けがあって」
 そんな冒険譚めいた想像をするのは、先ほどのわんぱくな青年である。
「インディ・ジョーンズですか?」
「インディ・ジョーンズ?」
 反射的に、調べたばかりの知識を披露すると、彼は不思議そうな顔をした。ああ、なるほど、とスポックは納得する。
 よほどのアンティーク嗜好でない限り、このキーワードは通用しないようだ――、そう考えたのと、それはほぼ同時だった。
 ギイ、という大きな音が響き渡り、とっさに全員が身構える。
 瞬間、壁という壁に隙間が現れ、そこからランダムに大ぶりの刃が飛び出してきた。
「ちょっ、うわあ!」
 ちょうど側面から出てきた刃を避け損ね、先陣を切っていた士官が負傷する。チームリーダーは彼に手を貸し、退避! と大声を上げた。
「俺の言ったとおりじゃないですかあ!」
「こんなものスキャンデータになかっ、たあ!」
 さすがに身体能力は鍛えられているようで、チームメイトたちはぎりぎり軽い裂傷程度で刃を避けていく。スポックは安堵して、壁の隙間をこする金属音を聞き分けながら刃を避けて後退した。例えば彼の言うとおり、これが侵入者を排除する仕掛けだとして、とスポックは考える。侵入されたくないのであれば、あんな立派な入り口を作る理由がない。いったいどうして、何のために?
「あッ――
 そんな、いっそのんきな思考をしていたスポックの脳に、鋭い聴覚情報が突き刺さった。前方を見れば、足を刃にかすめられた例の青年が、バランスを崩している。彼もまずい、という表情をしていて、せめて致命傷を負わないようにと必死に身をよじっていた。
 まるでスローモーションのように、それらを視覚に捉える。
 ジムなら、とスポックは真っ先に思った。鼻にそばかすの乗る彼の気安さを、きっと嬉しく受け取る彼ならば、どう行動するだろう。
 分かりきった答えだった。耳が音を聞き、次に飛び出すだろう刃の位置を確認する。腱は切らないほうがいい。肉と骨が切断されるくらいなら、マッコイが何とかしてくれる。どうせ、数日はこの星で停泊だ。きっとジムはこの遺跡を探検すると言い出すに違いない。だってこんなにも、インディ・ジョーンズみたいなんだから。
 自分が負傷すれば、少しは、注意して行動してくれるだろうか――
 腕を伸ばして彼の体を突き飛ばした、途端、想像したとおりの激痛に想像以上の規模で襲われて、スポックはぐうと喉を鳴らす。研磨されていない錆びた金属であることを忘れていた。けれどそのおかげで、完全に切断されずに済んだ、とも言える。
「スポック中佐!!!」
「デルタ班からエンタープライズ、副長が負傷しました、転送してください!」
 廊下をなんとか抜けて、よろめいたスポックを助けた彼が受け止める。駆け寄ってきた医療士官が腕を保護ラップで固く巻き、また別の保安士官が首元にハイポを打った。あまりの痛みに意識が朦朧としてきて、次第に状況が分からなくなる。モルヒネの類だろうか、などと考えられたのは、そこまでだった。






 ふと、意識が浮上する。
 カチャカチャと小さな金属を取り扱う音や、遠くで誰かが咳をする音。
 そして、起きたら呼ぶからお前は戻れ、と優しく諭すマッコイの声と、それに答えを返さない存在がそばで身じろいだような気がして、スポックは目を開けようか本気で迷った。絶対に怒られる、と分かる程度には、彼らとの交流は浅いものではないからだ。
「大丈夫だから。な、ジム」
………
 マッコイのなだめるような声に対して、すう、ととても小さな音がする。
 ひどく慎重に吸い込まれたその息は、ほんのわずかに震えていて、スポックはすぐに目を開けた。
「ええ、大丈夫ですジム。ご心配には及びません」
 視界のすみにカークが見えて、そちらを向こうと身を起こす。
 彼はこぼれんばかりに目を見開いて、そのまま息を止めてしまった。
「ジム、息を」
「第一声がそれか、このばかたれ」
 横からそんな低い声が圧力をかけてくるが、あとにしてほしい、とスポックは思う。
「ジム」
 熱心に彼を見つめても、カークはなかなか戻ってこなかった。多少焦って手を伸ばせば、彼はびくと震えたあと、慌ててこちらの手を取ってくれる。思えば、負傷したほうの腕だった。すっかり元どおりになっていて、しびれが残っているのは麻酔のせいか、とスポックは考える。
「このとおり、大丈夫です」
 安心させるように、なるべく優しい声音になるように、意識して、彼の冷たい手をさすった。冷たいのはきっと、血圧が下がっているからだろう。不安にさせてしまうとは想定していたが、実際に落ち着きをなくしている彼をこうして目の前にしてしまうと、想定などに意味はないと思えた。
 カークはさすっていたこちらの手を握ると、そっと手の甲を自分の額に押し当てる。
「スポック」
 そうしてささやかれた、まるで祈りのような呼び声に、スポックは目を閉じた。
 この声を、宝箱にしまい込んで、一生眺めて過ごしたい。そんな狂気じみた発想がふいに浮かんで消えていく。
「ジム」
「お前をぼこぼこに殴りたい」
「ジム?」
 そして、同じようなひそやかさで、続けて告げられた暴力発言に、スポックはゆるく眉を寄せた。
 そっと顔を上げたカークは、こちらの手を離すと、まるで悪魔のような、鬼気迫る壮絶な微笑を浮かべてみせる。
「今後、俺に無茶するなと忠告する資格を永久に失ったと思えよスポック。この、アホの、のろまの、くそ野郎の」
「失態ではありますので非難は受けますが、その資格をはく奪できるのはあなたではないと思います。そもそも、あなたをたしなめる権利というものは生ける限り私に帰属するものではありませんか?」
「もおおおお!!! 死にかけたのにこの態度! ふてぶてしい!!!」
「ジム、医務室では静かに。それに、死にかけてはいません。痛みで気絶しただけです」
「おいアホ、この世には失血性ショックというものがあってだな」
「すみませんがドクターは黙っていていただけますか。今はジムが」
……よしジム、こいつ船から放り出そうぜ」
 わあっと途端に大げさなジェスチャーを始めたカークに、スポックは驚きながらも少しだけほっとした。怯えるような様子の彼は、正直堪えるものがある。暴言でも非難でも、ぶつけてくれたほうがまだましだった。今回の件は本当に、彼が胸を痛める必要もないことなのだ。気を失うつもりはなかったし、やはりそうしてカークに心配をかけたことだけは、とてつもない失態だと思う。
「ジム、しかし」
「しかし、なんて言葉聞きたくない」
「しかし、あなただってこうしたでしょう」
 素直に、自分の思考回路をそのまま伝えると、カークはびくりと体を揺らした。
 そのまま再び固まってしまった彼に、理由の分からないスポックはぎゅっと眉を寄せる。
「ジム?」
……そうだな。俺だってそうした。俺が君であっても、そうしただろうな。俺がそうすると思って、君もそうしたのか?」
「ジム、いったい」
「だったら、俺のせいで、『君は来なくていい』が最後の言葉になるかもしれなかった!」
 カークは小さくそう叫んで、ばふ、とベッドに両手を叩きつける。
 視界のすみではマッコイが目を覆っていて、スポックはただ、驚いた。
……どうして、そのような考えを?」
「どうして?! どうしてだと!」
「そのようなことはありえません。私は自らの頑強さと、保安士官の迅速さと、医療士官の優秀さを、すべて総合的に勘案しました。そのうえでGOと判断しましたので、あなたの普段の無茶とはまるで違います」
「ま――
「それに、ジムならどうする、と考えるのは、もはや私の習いです。もしあなたの言う『俺のせい』が、そのことを指しているのだとしたら」
 スポックは再び腕を動かして、ベッドに叩きつけられたままのカークの手の甲に、自分の手のひらをそっと重ねる。
 まだ冷たい、と感じて、少しだけ撫でさすった。
「ご自分のせいで私がこの判断をした、と思っているのなら。それは思い上がりというものです、キャプテン。『これ』はすっかり、私のものですから」
 横から「うわ……」という俄然引いたような声が聞こえてきたが、スポックは静かに聞き流す。
 自分の船長だけを熱心に見つめ続けていると、カークは眉を吊り上げて激怒した表情のまま、すでに上気していた頬をじわじわと更に赤く染めていった。変わらず目を剥いているので、多少体調が心配になるくらいである。
「ジム」
 思わず呼びかけると、彼はばっと身を起こし、全力で手を引き戻した。手のひらから奪い去られてしまったぬるい体温を、少しだけ残念に思う。
 そうしてカークは、言いたいことがありすぎて喉が詰まってしまった、というように、はくはくと口を動かして。
――ちくしょう!!!」
 突如、そう言い捨てると、治療室からどかどかと立ち去ってしまった。
 いったい何事だ、とスポックは目をしぱしぱさせてしまう。
……いや、お前それは、ないわ」
「ない、とは?」
 隣から重々しい溜息がもたらされて、スポックはやっとマッコイと目を合わせた。何もおかしなことは言っていない、と強い視線を送るが、彼は気だるそうに肩をすくめるだけである。
「じゃあ、次は俺からの説教だな」
「結構です」
「結構です、じゃねーんだわ。折れた骨をもう一度折られたくなかったらおとなしく腕を出せ」
「医者の言うことですか、それが」
 とがめてもどこ吹く風な様子のマッコイは、不格好な悪い笑みを浮かべた。
 そしてどこからかぶっとい包帯を取り出してきたので、スポックはきれいに眉を跳ね上げた。






「いいか、お前のこれは、ちぎれる寸前で」
「うちの医療設備はさすがですね。軽微な違和感はありますが、再生後挙動でしょうか? すぐになじむと聞いています」
「聞け、この馬鹿が」
 噛んで含めるように、まるで小さな子供に言い聞かせるように、マッコイはとつとつと言葉を紡ぐ。着ていた服は治療のために割かれたのだろう、今はゆったりとしたTシャツのようなものを着せられていた。
 マッコイはその腕を取ると、容赦なく、まるで大げさに、付け根から包帯を巻きつけ始める。
「お前のこれはちぎれる寸前で、緑の血にまみれた赤い犬っころみたいなやつが、ギャン泣きしながらお前をここまで連れてきた。転送室からここまでの廊下はパニック映画に早変わりしたし、俺がこれをどうジムに伝えようか迷ってる間に、やつは何故かこういうときだけ時間早めに帰ってきて、まっすぐ検査を受けにきたわけだ。お前、これをどう思う?」
「負傷箇所は二の腕です。それに、完治した腕にこのようなものを巻き付ける意味がない」
「なるほど、そのきれいに治った腕をアイスキャンディみたいに折ってほしいようだな」
……苦労をかけました」
「最初からそう言え。まったく、要らんジョークを挟みたがるジムのよくない影響受けてんな……
 深々と溜息をこぼしながらも、マッコイの手つきは迅速かつ的確だった。くるくると器用に指の先までラッピングされていく自分の腕を見下ろしながら、スポックは素直に眉を寄せる。逃げを打てば押さえつけられて、顔を上げたマッコイは唇の端をひねって見せた。
「地球人にはな、スポック。包帯を巻かれた部位に対して過剰に不安を掻き立てられる性質がある」
「は?」
「死ぬほど心配されて自分のしたことをその身に刻めよ」
「スポック中佐!!!」
 彼がそんな不審な発言をすると同時、治療室の入り口に誰かが駆け込んできたかと思うと、大声で呼びたてられる。
 驚いてそちらを見やれば、それは例の『赤い犬っころ』で、彼は顔をくしゃくしゃにすると、こちらのベッドまで走ってきた。スポックは見とがめて、厳しく彼の名前を呼びつける。
「ここは医務室です。走るのも、大声も、厳禁です」
「よ、よかったあ……、元気ありあまってる……、よかったあ……
 よろよろと近づいてきた彼は、こちらの話を聞いているのかいないのか、ほとんど気が抜けたようにへたり込んでしまった。マッコイは「元気ありあまってる」あたりで大ウケして腹を抱えたので、その神と称される腕をアイスキャンディみたいに折ってやる、とスポックは思う。
「で、でもこんな、包帯ぐるぐる巻きで……!」
「ほかのチームメンバーは無事でしたか?」
 こちらの片腕の様子を見やって、へたり込んでいた彼はぱっと顔を上げた。途端に悲愴な表情へ切り替わるその心情を落ち着かせようと、スポックは冷静に質問を投げる。
「あ、はい! 無事です。裂傷だけなので、すぐ塞いでもらいました。あ、でもひとり破傷風になって、でも大丈夫でした」
「お前もワンチャン破傷風だったな」
「ワンチャン、は誤用では?」
「合ってる。お前の免疫力怖すぎか? すみずみまで強靭にできてやがる」
 横から口を挟んできたマッコイをねめつけても、彼はすました顔をするだけだった。そんな上官たちのやりとりをきょろきょろと見ていたレッドユニフォームの青年は、ほっと安心した表情になって、ふと思いついたようにぱっと身を乗り出す。
「あの! あの、スポック中佐」
「はい」
「助けてくれて、ありがとうございました。俺、手伝えることなんでもします! 腕使えないの、不便だと思うので、着替えとか、食事とか。あ、今着替えますか?!」
……いえ、お気持ちだけで」
「どうぞ遠慮なさらず!!!」
「いえ、あの」
 結局スポックは、いつでも呼んでください、とキャンキャンまとわりつく彼に、そうしますから今すぐ持ち場に戻りなさい、と副長命令を下すことによって事態を収拾した。
 ちなみにその間、マッコイはにやにやと意地の悪い笑い方をしながら温かく見守ってくれた。



「全身をアイスキャンディにする覚悟はいいですか」
「そんな覚悟は一生しない。いや~、心が晴れ晴れするな、お前が死ぬほど困ってると!」
「嫌なストレス発散はやめてください」
「ああいうのに好かれる体質なんじゃないか、知らんけど」
「ああいうの、とは?」
「構ってほしい犬っころみたいなの」
 マッコイは淡々と簡易採血した検体を解析にかけながら、軽い調子でそう言った。スポックは無駄に巻かれた包帯をほどこうとして、頭にパスンとカルテを置かれる。睨まれてしぶしぶ、手を離しておとなしくすれば、彼はうんうんとうなずいて画面の操作を再開した。
 なんとなく、マッコイの自分に対する扱い方が、カークに対するそれに似てきた気がする、とスポックは途方もない気持ちになる。
「ああいうのが元気なのは、ジムのおかげでしょう」
「そうだなあ。知ってるかスポック、この船、本部では『やべー連中の集まり』みたいな風評で受け入れられてるらしいぞ」
「トップがアレですから、好んで下に集まる者も相応にアレなのでしょうね。ですが、おおむね好意的と把握しています」
「まあ、アレじゃないやつはみんな下船していったからな……、なんだこの愉快な蟲毒」
「その愉快な蟲毒を、誰よりも愛しているのがキャプテン・カークという男です」
 ピ、と小さな音がして、マッコイは顔を上げた。解析が完了したのだろう、せわしなくカルテをなぞりながら、彼は眉間に皺を寄せる。
 スポックは、ただまっすぐに、そんな彼を見つめた。きっとこの宇宙でいちばん、マッコイだけには、〝これ〟を理解される、という確信がある。
「私はそんな男を、彼の愛する者が入った死体袋の前に立たせたくありません。可能な限り、二度と」
 だから、自分の取った行動がいかに正しいか、分かるでしょう、あなたになら。
 いっそテレパシーにして送ってしまいたいくらいの強い気持ちを目だけで訴えると、こちらを向いたマッコイは、少しだけひるんだように微動した。
 そうしてしばらく目を合わせたのち、彼は額を片手で覆ってうつむいて、はああ、と深く溜息をつく。
「お前、危ない、って一瞬にそんないろいろ考えてたわけ?」
「さすがの私でも、1秒の価値はあなたがたと同等です」
「じゃあ、普段から? はー、重い重い。過積載ったらありゃしない」
「重い? 何がでしょうか」
「自分の胸に手を当てて訊いてみろ、テレパスだしできるだろ」
「セルフで用いるのは無意味です」
「ごちゃごちゃうるせえ。ほんっとにお前は、仕方ねぇな、あーもう! 1日面倒見てやるから、おとなしくしてろよ!」
「1日?」
 途端に頭をぐしゃぐしゃに掻いたかと思うと、マッコイは小さくそう叫んで、スポックの上掛けを持ち上げた。そのまま包んで安眠させるような様子に、スポックは思いっきり眉間の皴を刻み込む。
 起き上がろうとすると、ほぼ乱暴な手つきで押し戻されて、再び主治医との睨み合いを余儀なくされた。
「お前、どんだけ失血したと思ってんだ。造血剤は打ってあるが、血を作るのはお前のご立派な骨なんだぞ。少なくとも1日は絶対安静。1日でも少ないくらいだが、妥協だぞ、これは」
「状況は理解しました。であれば、処置室で安眠しなければならない道理はありません。安静にしますので、ここを退去します」
「退院させると何しでかすか分からんからベッドに縛り付けておけ、がキャプテン命令だ。悪いなスポック」
「何しでかすか分からない、はキャプテンの専売特許でしょう。不要なベッドの専有は非論理的だ」
「いーや、実に論理的だと思うね、俺は」
 マッコイは有無を言わさずスポックの額を押さえつけて枕に沈めると、意地悪そうな笑顔を残してその場を立ち去ってしまった。スポックは乱れた前髪を直して、はあ、とあえかな息をつく。
 どうやらジム・カークは、相当へそを曲げているようだ。どうしてやろうか、と考えながら、スポックは無機質な天井を見つめた。



 それにしても、暇である。
 体はほぼ元気であるため、この無為に流れていく時間はスポックに苦痛を思わせた。おもむろに体を起こせば、敏腕かつ辣腕な看護師による鋭い視線が突き刺さり、トイレから5分以上戻らない場合はエマージェンシーコールをします、と追加で釘を刺される始末である。おそらくこれは、よくよく怪我をしては運び込まれてくる我らがキャプテンに対する収容フローが正しく機能している、ということなのだろうが、こんな場面で彼らのよく訓練された面構えを確認したくはなかった。トップが問題児だと周りが応じて成長する、とはよく言ったものである。
 ドアの開閉音と共に、誰かに指示を出すマッコイの声が聞こえてきて、スポックは顔を上げた。回診から戻ってきた彼は、一通りの申し送りをしたあと、こちらを見やって笑みを浮かべる。馬鹿な犬をかわいがるような、仕方ないなあ、みたいな笑みだった。
「ちゃあんと待てができたな、えらいぞ」
「達成指標のハードルが低すぎませんか」
「お前はジムの主治医をしたことがないからそんなことが言えるんだ」
 マッコイはそう言いながら、さっとバイタルを確認する。回復力もヴァルカンだな、と謎の評価を口走りながら、トントンとカルテを更新する彼に、スポックは考えて口を開いた。
「ドクター。私はジムとは違い、安静の意味を理解しています」
「そうだったらどんなによかったろうな」
「そして、今日はきちんと安静にしていますので、私のパッドをいただけますか」
「うん……、ほんと、そうだったらどんなによかったろうな……。それ、本気で俺が『そっか、スポックは仕事熱心だね、はいどうぞ』って言うと思ってんのか? 犯行予告にもほどがあるだろ」
「ですが、手持ち無沙汰です」
「お前らってほんと、変なところで似た者同士だよな。俺はまた安静の意味を知らないアホに概念から教え込まなきゃならんのか……、何らかの手当を出してほしい」
「ですから、意味は分かっていますと」
「意味が分かっているかと、それが実行できているかは別の評価だぞ、スポック」
 そう言って、マッコイは嫌そうに手を振り払うジェスチャーをする。どうも彼からパッドを得ることは難しそうだ、と察して、スポックはぼすんとベッドに体重をゆだねた。同時にかすかに聞こえてくる、マッコイの含み笑いが恨めしい。
 はあ、と再び嘆息をこぼして、スポックはパッドの画面を思い浮かべた。
「ジムは今どこにいますか」
「ジム? あー、待てよ」
 自分1名だけの欠員であれば、シフトは難なく回るだろう。天井を見つめたままそんなことを考えていると、マッコイは律義にも調べてくれるようだった。今、自分がこの手元に欲してやまないパッドを引き寄せて、好き放題に操作しているのだろう、と思うと、そちらを見る気にはなれない。
「ブリッジにいる。何か連絡事項か?」
「いえ。それなら問題ありません」
 スポックは、検索結果として提示された図面上のブリッジの中央に、カークの名前が記されたピンが立っている画面を脳裏から引きはがして、ゆっくりと目を閉じた。



「レナード。ジムは今どこに?」
「お前が気にするとこはそこしかねぇのか」
 しばらく不在にしていたマッコイが戻ってくるのに合わせてそう質問すると、彼は露骨にあきれた表情を見せた。
 そんなことを言われても、それ以外を気にさせない状態に拘束しているのはそちらだろう、とスポックは不満に思う。
「私たちの部下は優秀ですので、残念ながら最も懸念されるのは唯一、私たちの上官なのです」
「その意見には同意するが、お前の動機はほんとにそれだけか? えーっと、待てよ」
「ああ、お手間でしたらこちらで確認いたします。そのパッドを貸していただければ」
「誘導があからさますぎんだろ。その図々しい『ちょうだい』の手を引っ込めろ」
……レナード。私は退院したい」
「そうか、残念だったな。ジムはまだブリッジだ。シフト終わりまでブリッジみたいだな」
「そうですか……
「なんだ?」
「自分で確認しても?」
「めげねぇなお前も!」
 しまいには猛獣用の麻酔ぶっ刺すぞ、とわめいて、マッコイは遠くのどこかへパッドをしまい込んでしまった。起こした上半身をベッドに沈められなかっただけ少しの進歩だろうか、と考えながら、スポックは再三の溜息をつく。そのうち自発的にたわんでほどけてしまうことを期待している片腕の包帯も、ゆるむ気配は一切なく、改めてマッコイの手腕の素晴らしさに感嘆する心地だった。本当に、こんなところでそんなことを実感したくはなかった、とスポックは思う。
 ふとしたタイミングに、カークの位置情報を検索する、そんな自由も与えられない。
 彼は、ふとしたタイミングにこそ、騒ぎの渦中に突っ込んでしまうようなタイプなのだ。パッドをなぞりたい指で、包帯の上を撫でてみれば、指の腹には柔らかい布の感触だけがむなしく届く。
 はあ、とスポックが肩を落としたところで、処置室の入り口が騒がしくなった。
「急患です! 腹痛を訴えています」
 振り向くとほぼ同時に、ストレッチャーが運び込まれてくる。周囲の病床使用率を見て、スポックは迅速にベッドを滑り降りた。血が足りないのは確かなようで、多少の立ちくらみが発生する。けれど、生活には支障のない範囲だと思えた。
「ドクター、ここを」
 わっと急患に集まる医療士官たちに、スポックは手を挙げる。マッコイはそれが分かっていたようにストレッチャーを滑り込ませ、厳しい表情で患者をベッドへ移動させた。それからテキパキと触診を行い、バイタルを聞いて顔をしかめる。
「こりゃ盲腸だな」
「私はここにいても邪魔でしょうから、退室します」
 生死を問うような状況ではなさそうだと判断して、スポックは安堵した。すたすたと出口に移動しながら主治医に声をかけると、彼は慌てて顔を上げる。
「ちょ、おいスポック! 逃げんな!」
「安静にしますので、あなたは処置を」
――ッ、分かった、絶対だぞ! 絶対安静だからな!」
「分かっています。聞き分けのない子供にするように言わないでいただきたい」
「それそのものだからそう言ってるんだ! いいか、言質は取ったからな! 安静にしてなかったら一生ベイビーちゃん呼ばわりしてやる!」
「その場合、私は返事をしないので、ほぼ自爆行為かと」
「な――
 まだ何か言いかけたマッコイの言葉の続きは、シュン、とスマートに閉じたドアの向こうに残された。






 かくして、自由を取り戻したスポックは、当然、取り上げられてしまったパッドをどこかで調達しなければならない、と考えた。
 ほら言わんこっちゃない、この聞き分けのない生まれたてが、とマッコイがいたなら激怒しただろうが、残念ながら彼は現在緊急オペの最中である。
 片腕を包帯で巻いているからだろう、廊下ですれ違うクルーたちからは、ややぎょっとした表情を向けられていた。スポックとしては是非とも取ってしまいたかったのだが、巻かれた意図を察するに、きっと勝手に取ってしまえばマッコイの怒りを買うだろう。まったく無意味なパフォーマンスであると思うのだが、地球人の何らかの習慣、と言われてしまえば、あまり無碍にもできなかった。もう片方は腕がむき出しで落ち着かないし、せめて何か羽織るものを取りに行くべきだろうか、と考える。
 スポックはなるべくひと気のない通路を選び、結局、より近かった自分の担当区画である科学ステーションへ足を踏み入れた。各セクションに繋がったロビーで軽い雑談をしていたサイエンスブルーたちと目が合い、事情を説明しようと歩み寄る。
 途端、彼らは何故かぱっと身をひるがえた。
 きょとん、とスポックが立ち止まれば、彼らのうちの最も装置に近かった者が、司令部もかくやという迅速な動作でまさかの船内コールを繋げる。
「科学ステーションからブリッジ! メーデー! 主任が現れました!」
 嘘だろう、と思わず瞠目するスポックには一切構わず、わずかなブランクののちに、鮮やかなカークの声が機械越しに寄こされる。
『こちらブリッジ。了解した、対象を腕ひしぎ十字固めで取り押さえろ』
「うっ、腕ひしぎ?! その、腕を負傷されていますし、おそらく私の力では無理です……!」
『なるほど、分かった。では、そんなに安静にしたくないなら俺がもう一度その腕をへし折ってやる、と対象に伝えてくれ』
「発想がドクターと同じなんですが。キャプテン、少し船内を歩いただけです。私は安静にしています」
……とにかく、回収班を送る。それまではその場でそのアホを取り押さえておいてくれ』
「ア、アイサー!」
 おっかなびっくり、そう答えた可哀想な科学士官は、そっとコールから手を離すと、恐る恐る、こちらを見上げた。
 スポックは溜息をつきたい気持ちを押し込めて、彼のその哀れな眼差しを受け止める。
「キャプテン命令に逆らえないことは承知しています。ここでおとなしくしていますので、あなたは仕事に戻ってください」
「すみません主任……、現れたら確実に捕獲しろ、とのご命令で……
「野生動物か何かだと思ってますね、あの人は」
「いえ、あの、でも。命令ではあるんですが、普通に安静にしてください。ひどい怪我だったと聞いています」
 彼はおどおどしながらも、はっきりと、心配をにじませてそう言った。空いている長椅子に案内しながら、十分ないたわりに満ちた、遠慮がちな視線が、こちらの包帯を捉えている。
 このような心遣いを受けるとは思ってもみなかったスポックは、素直に驚いた。
 カークやマッコイたちならまだしも、『近寄りがたい鬼の副長』というようなイメージでもって存在しているらしい自分に、部下たちが親密さを抱いているとはあまり考えていなかったから。
……ありがとう、ございます」
「あっ、いえ!!」
 ジムならどうするだろうか、と考えて、スポックは素直な驚きをそのまま、素直な感謝に変換した。静かに申し伝えれば、言われた彼は飛び上がって、赤らめた顔の前でぶんぶんと両手を振り回す。そんな様子に小首を傾げて、スポックはソファに腰かけた。
 ほっとしているような彼と、その背後でそわそわと様子を伺っている同セクションのメンバーは、なんというか、平和な光景である。
 彼らが好意的である、と判断して、スポックは口を開いた。
「ついでにひとつ、よろしいでしょうか」
「えっ、はい! なんでも――、あ、お茶でも飲みますか?」
「余っているパッドを回していただけますか。私のものは没収されてしまいましたので」
 そう言われた彼は、目を見開いたあと、にこり、と奇妙な笑みを浮かべる。そしてゆっくりと後退すると、そのまま無言で立ち去ってしまった。
 なんとなく、お前いい加減にせえよ、というテロップが流れたような気がしたが、たぶん気のせいだろう。
 結局、彼らが自分の欲するものを与えてくれることは、ついぞなかった。



「うわ、上客接待ですね」
「第一パイロットにこのようなくだらないお使いを頼んだのですか、あのキャプテンは」
「群れ社会において自分が上位であるとやつに分からせることができるのは君だけだ、という謎の選抜をされました」
 こてん、と穏やかに首を傾げたスールーは、来るなりこちらの様子、主にソファ前のテーブルを見て柔らかく笑った。
 彼の視線を追って目を下ろせば、先ほどお茶をと言ってくれた士官より与えられた温かいほうじ茶のカップが置かれている。その隣には茶色のあられがこんもりと小箱に盛られていて、それは彼と同じセクションの科学士官から「お茶請けによければどうぞ」と寄こされたものだった。断る理由はなかったので、こうして厚意に甘えている、というわけである。
「見えないところにいると逆に気が散るからいっそキャプテンチェアにくくりつけておく、とか言ってましたよ、キャプテン」
「キャプテンチェアをさらし台のように使用しないでいただきたいものです」
「それはつまり、自分の行動が断罪ものだと自覚している、ということですか?」
 お茶に口をつけながら受け答えしていると、ふいに茶化すような声色に変えて、スールーはそうのたまう。
 スポックは片眉を跳ね上げて、彼の鉄壁のアルカイックスマイルを見返した。確かにこれは、相当に手ごわい相手である。
……あなたも、過度な封じ込めが必要だと?」
「安静という意味を理解する気がまるでないなこの上官ども、とは思っております」
「こういう圧迫外交、体験したことがありますね」
 容赦なく切り捨てながらにこにこしているスールーに、スポックは軽く吐息する。さすがはエンタープライズの先鋒と名高い優秀なパイロットだった。まあ、エンタープライズには先鋒しかいない可能性が非常に高いところではあるのだが。ちょっとは守りに入ったらどうなんだ、という説教を、おもむろにカークへ投げつけたい気持ちが浮上する。
 スポックはカップをぐっと飲み干して、おとなしく無言で立ち上がった。
 スールーは苦笑を浮かべてみせて、ふと、ささやかに机を指差す。
「もしかして、誰かとお茶でもしていましたか? であれば、ここにいていただいても構わないと思いますが」
「いえ、ひとりです。何故ですか?」
「そのお菓子、隣の席に置いてあるので」
「ああ」
 納得して、スポックは軽くうなずいた。身をかがめてかわいらしいあられの小箱を取り上げると、自分の隣に作った空席をそっと見下ろす。
「これはジムのです」
「キャプテンの? ですか?」
「はい。米粉を焼いたお菓子は珍しいですし、美味しかったので」
「ので」
「はい」
……以上ですか?」
「ええ。どうしました? 理由には十分だと思いますが」
「そうですね」
 何故か突如、やや挙動不審になったスールーは、こちらの返答に最終的には納得したのか、穏やかな笑みを浮かべて首肯した。
 よく分からないが、納得できたのならよいだろう。スポックはそう考え、カップをリフレッシュコーナーへ戻しに行った。こちらを待っていたスールーと肩を並べると、ふたり揃って科学ステーションをあとにする。






 ブリッジへ入るスールーに続いていつもの職場へ踏み込むと、カークは科学士官席で話をしているところだった。
 目が合うと不機嫌丸出しの表情になって、こちらの片腕を見ればぎょっとした顔つきになり、もう片腕を見て思いっきり顔をしかめる。分かりやすいほどに分かりやすい表情の変化だが、その含意がすべて見たままかというと、そうでもないのがこのジム・カークという男の難しさである。
「キャプテン、戻りました」
「ありがとう。腕はひしいできたか?」
 スールーは穏やかにそう告げながら、自分の持ち場へ戻っていく。それに合わせてカークも体を起こし、自席に戻りながら彼のほうを向いた。こちらの存在はとことん無視するつもりのようである。
 スールーは第二パイロットと席を交代し、爽やかな笑顔でくるりと椅子を背後に向けた。
「ひとりぽつんと座っていた副長が、長椅子の自分の隣にキャプテン用の席を作って寂しさを紛らわせていましたので、心情的には私のほうがひしがれました」
 絶妙なタイミングでその言葉を耳にしたカークは、ごく豪快に椅子に座り損ねた。
 ずでん、とすごい音を立てて床に落ちた彼は、強打した尻をかばいながらうめき声をあげている。スールーの笑顔は揺るぎなく、隣のチェコフは普通に驚いていた。近くの士官から大丈夫ですかと声をかけられて、カークは床にうずくまったまま、小さな声で大丈夫と返答する。
 スポックはその場に待機した状態で、ごく豪快に眉を寄せた。
「スールー大尉、誤謬があります」
「どこがでしょうか、スポック中佐」
「私はただ、ジムが好きそうなお菓子だなと考えていただけで――
「ン゛ン゛ッ。うぉっほん!」
 必要な反論を繰り出そうとしたところで横やりが入り、スポックは眉を寄せたままキャプテンチェアに目を移す。わざとらしい咳ばらいをしたカークはよろよろと椅子に乗り上げると、口元にこぶしを添えて、ごまかすような空咳をした。彼を見守る士官たちは、驚きを通り過ぎれば一転してなごやかな雰囲気である。このカークの奇行を温かく受け入れるブリッジの土壌は、ときどきやってくるマッコイに「まじでか」と言わせる代物であった。
 スポックは気を取り直して、議論相手たるスールーを見やる。
「ですから、誤謬です」
「オーケー、分かった」
 そして、何故か分かったのは再び割って入ったカークのほうだった。片眉を跳ね上げながらそちらを見れば、カークはまっすぐ前を見たまま、面倒そうに片手を挙げる。
「分かった。ごちゃごちゃ言うのはあとだ。なんか詳しく聞いたらだめな気がする。そろそろシフト交代だから、こいつのことはチェコフ頼んだ。俺は通信が終わり次第、あとから行く」
「アイサー!」
 頼まれたチェコフは元気に返答して立ち上がった。トコトコとこちらまで小走りにやってきて、そのくりくりっとした眼差しをピュアに向けてくる。
「じゃあ副長、行きましょう!」
……どこへ?」
 何が何だか分からず、ただそんな彼を見返してぽつりとつぶやくと、チェコフは何故か片腕で力こぶを作って、張り切ってこう答えた。
「食堂です! そろそろごはんの時間ですよ!」
 その返答に、スポックは感覚的な頭痛を感じて目を閉じる。すぐに開けてキャプテンチェアを振り仰げば、カークは真面目な表情で、チェコフだけに目を合わせていた。
 そろそろ、いかに冷静なヴァルカン人とて、不機嫌になろうというものである。心配させたのは確かにこちらの不徳だが、こんなにも無下にされるいわれはないはずだった。
「キャプテン。介添えがなくとも私は大丈夫です。こんな始終見張るような、無駄な人員リソースの使用は控えてください」
「スポックが仕事をしないように見張っていてくれ。最悪、麻痺モードを使ってくれて構わない」
「まさかフェイザーですか? 安静を得るために安静を駆逐していますが、キャプテン」
「アイサー!」
「了承してしまった……
 チェコフは元気いっぱい返事をして、こちらにアイコンタクトを寄こしてから颯爽とブリッジを退出していく。
 完全に無視された形のスポックは、じろりとキャプテンチェアを睨んだ。真顔のままのカークは一瞬、視線を絡めて目を逸らす。
 副長、と前方で呼ぶチェコフの声に、思わず溜息をついた。片手につまんだ小箱をかさかさ言わせながら、最年少ブリッジクルーの背中を追いかける。



 尊敬するキャプテンに重役を任されたチェコフは、それはそれは甲斐甲斐しかった。
 テーブルをひとつ確保すると、まるでレストランの給仕のように椅子を引き、スポックを座らせる。そうして自分は走り去り、やがて食事トレーを持って現れ、途端にあっと言って再びいなくなると、両手に水の入ったコップを持って小走りに戻ってきた。そんなぴっかぴかな満面の笑みがかけらの躊躇もなく隣に座るに至って、スポックはいろいろと言いたかったことを胸の内にしまい込む。
 仕方ない、現状の改善を求める声は、このあとキャプテンに直接投げつけよう、とスポックは考えた。忌憚のない意見を述べるということは、殺人的剛速球だの、人類には早すぎる強肩だの、たまにはストレート以外を投げたらどうなんだだのと、彼からは実に高い評価を受けている解決方法である。
 とりあえず食事を、とトレーに意識を向けたところで、ふと、スポックは隣を見た。
 チェコフは何故か、どことなく呆然としたような表情で、じっとこちらを見つめている。正確に言うと、スポックの顔と、スポックの腕に巻かれた包帯を交互に確認していた。
 そして、彼はおもむろに手を伸ばし、こちらのトレーに乗せてあったフォークを取る。
 続けざま、流れるように皿の上の根野菜を突き刺すと、それを口の高さまで持ち上げた。
「はい、副長、どうぞ!」
「怖いものなしですか???」
 むしろそれが正解だと判断してしまった精神がもはや狂気では、という謎の恐怖にかられつつ、スポックは少し身を引いた。対するチェコフはまさかのきょとん顔である。
 ちなみにこの瞬間、このテーブルから半径5m以内の知的生命体が沈黙を共有した。チェコフ以外の皆の心がひとつになった瞬間である。
「えっと、利き手が使えないんですよね。なので、必要かと思いました」
「どちらも使えますのでお気になさらず。キャプテンにも伝えましたが、介添えは不要です」
「えっ、そうなんですか! 知りませんでした」
「2本あるのに1本しか使えない、というのは非合理です。手はあらゆる意味において動作の基盤になりますから、冗長化はしておくべきです」
「はあ、なるほど。僕も両利き練習しようかな」
 ぼやぼやとそんなことを言いながら、チェコフはうんうんと合意する。包帯を巻かれていないほうの手を出せば、彼はおとなしくフォークをトレーに置いてくれた。身を乗り出すようにしていた彼の体がまっすぐ椅子に収まるのを見て、どこか安堵した気持ちになったスポックは、慎重にフォークを回収する。
 このとおり問題ありません、と伝えるようにチェコフを見れば、彼は一切の含みなく、ぱっと明るい笑顔を見せた。
「じゃあ、僕からのあーんが嫌だった、というわけではないんですね、安心しました!」
「怖いものなしですか」
 いただきます、と元気に食べ始めるアカデミーきっての天才を見下ろしながら、スポックはにわかに途方に暮れる。まあ、でも、そういう触れ込みでやってくる人材というものは、えてしてどこかに奇矯を抱え込んでいるものなのだろう。同時に脳裏に映るのは、彼と同じ色合いを持った、奇矯の第一人者たるジム・カークその人だ。彼も、アカデミーきっての天才という触れ込みを持つ者である。いつの間に天才という言葉は、愉快な連中の総称になったのだろう。
 もちろん、スポックは非常にクレバーであったので、自分もそう呼ばれていたことについてはかけらも思い出さなかった。






 カークが食堂に現れたのは、トレーをあらかた片づけた頃合いだった。
 狙ってやっているのではないかと思いながら、スポックは残りをそつなく口に収めると、トレーを持って立ち上がる。
 慌てたのはチェコフだった。
「えっ」
「私はここで失礼します」
「あっ、待ってください、キャプテンに見てろって――
「そのキャプテンがお越しですので」
「えっ」
 きょとん、と瞠目するチェコフを一瞥して、スポックは入口を見やった。腕を組み、壁にもたれかかるようにしているカークは、こちらを探す気もないようである。いい度胸だ、とは思うものの、確かに効率的であるのでいかんともしがたかった。
 あとから行く、と言ったからには、自分の姿は必ずスポックが見つけてくれる、と思っている。彼のその思考は分かりすぎるほどで、めまいがするほど正しかった。
 空のトレーを戻して、スポックはお茶菓子の小箱を再びつまむ。入口へ向かえば、彼はこちらを見ないまま、身を起こして退室した。
 言いたいことは山ほどあったが、スポックはおとなしく付き従う。カークはそのまま廊下を突き進み、こちらに一言の断りもなく、スポックの自室を勝手に開けて突入した。
「座ってろ」
 背中を向けたままそう言って、彼はディスペンサーへ向かう。ぱっと自動で点灯した明かりの下にあるダークブロンドをしばらく見つめて、スポックは言われたとおりにソファへ座った。かわいらしい小箱を目の前のテーブルに置いていると、スポックが日常的に使用しているマグカップを片手にカークが戻ってくる。
……なるほど」
「なるほど?」
「ソファの半分を空けて、その空席の前にお菓子ね。こりゃスールーも二度見だな」
「どういうことですか」
「なあ、なんでこっち空けて座ってんの」
「何故? あなたが座るからでしょう」
 カップを両手に包んだまま立ち止まってしまったカークは、そんな謎の確認をした。あまりに分かりきった質問をするということは、問いかけ自体に意味があるのかもしれない。そんなことを考えながら眉を寄せれば、彼は「おおぅ」と変なうめき方をした。
……常に俺が隣にいることを想定して、行動してるわけ?」
「問いかけの意味がよく分かりません。いるときはそうしますし、いないときはいないものとして動きます。当たり前では?」
「うん……、まあ、当たり前だよなあ……。え、じゃあもしかして無自覚? こっわ、なんだこのいきもの」
「文脈前後の因果関係が崩壊しています。いわれのない非難に思いますが」
 こちらは本気で首をひねっているというのに、カークはというと、露骨に顔をしかめて疑わしげな表情を作っている。そんな顔をするくらいなら内実を説明してもらいたいのだが、彼はひとつだけ作ってきたマグカップをスポックの前に置くと、腕を組んでそっぽを向いてしまった。ほのかに湯気を立てるカップを見下ろして、スポックは傍らに佇む自分の上官を見上げる。
 相変わらず、目は合わなかった。いっそその組んだ腕ごと引き倒してやろうか、と思う。
「ジム」
「自分にはないと思っていても、多少は何かしらの癖を持っているものだ、って格言を聞いたことは?」
「ありません。地球人特有のものですか?」
「俺は今、そうじゃないんだなあ、って思ってるとこ」
「よく、分かりません」
「はあ。まったく君は。逆に何なら分かるんだ」
「突っ立ったまま話さなくてもよいだろう、ということは分かります。ジム、着席を」
 ぽす、と隣を軽く叩いて、スポックは引き続きカークを見上げた。彼はほとんどかたくなに虚空を睨みつけ、ううんと喉を鳴らし、手のひらで目元を覆って天井を振り仰ぐ。そんな様子を見つめたまま、辛抱強く待っていると、やがてカークは荒々しい振る舞いで、どさっと隣に着席した。
「俺は本当に怖い思いをした」
 同じ目線に帰ってきた青い双眸を見返して、スポックは心から満足する。
「それは本当に申し訳なく思っています。そして、私からもひとつ」
「なに」
「あなたに過度に黙殺されてひどく腹が立ちました」
「はは。腹が立ったかあ」
「はい」
「ざーまあ」
 視線を合わせたままのカークは、そう言ってにんまりと嬉しそうな顔をした。そのまま伸びをするように、背もたれに全体重を預けてだらりと行儀悪く弛緩する。
 スポックはようやく彼から目を外して、カークの作ってくれたお茶を手に取った。ひとくち飲んで、少し考え、カップは自分の前ではなく、ちょうどふたりの間に置く。
 そんなスポックの肩を、隣のやんちゃが派手にばしんと叩いてきた。眉をひそめてそちらを見れば、カークは「あーもう」と言って顔をこすっている。小動物のようだな、とスポックはぼんやりしたことを思った。
「君は死にかけるし、片腕ミイラ男だし、片腕俺に無断で肌見せしてるし、君はそんなで、ひとつのカップを仲良く半分こしようとするし」
「突然なんですか、支離滅裂ですね」
「君のせいだぞ、この」
「このお菓子は口の中の水分をたいがい持っていきます。つまり、あなたがひとくちちょうだいと言って私のカップを半ば飲み干すのは火を見るよりも明らかです」
 落ち着きのない彼をなだめるべく、スポックはテーブルに置いた小さなお菓子を示して彼を見た。お菓子で懐柔しようとはいささか子供じみているが、時にこうした手段は有用である。
「じゃあ、君が立って代わりに俺の分のお茶作ってきてくれたらいいわけじゃん。片時も離れたくないか?」
「科学ステーションでいただきました。米粉を焼いたものだそうですが、美味しかったのでどうぞ」
「片時も」
「イエスと言えば黙りますか?」
「黙んない。もう、ほんと、この、なに……? 俺と半分こしようとするのは君のマイブームか何かなの?」
「ですから、問いかけの意味が分かりません。美味しいものを分け合いたいという心情は当たり前だ、という論説を、私に教え込んだのはあなたです。ですからすべて、あなたのものです。どうぞ」
「うぅん」
 じたばたと足を動かしていたカークは、小さくそう言って目を閉じると、ぱたりとひじ掛けに倒れ込んだ。これは彼がままやる奇行なので、スポックは特段取り合わない。仕方なく、小箱の蓋を開けてやろうと身を乗り出すと、すぐさまカークも似たようにして身を乗り出してきた。触れた肩に少し体を引けば、なんだかふてくされたような顔つきで、カークはひょいと小箱を拾う。
 彼はたちまちに蓋を開けて、あられをつまむと、ぽいと自分の口に投げ込んだ。
 ぽりぽり、といい音がする。
「んまい」
「ええ」
「半分こなんだろ。お前も食えよ」
 どこか据わったような眼差しで、カークはずいと小箱を突き出してきた。きょとんとそれを見下ろして、スポックは素直に手を伸ばす。
 視界に指先までぐるぐる巻きの包帯が映って、しまった、と思った。うかうかと考えなしに手を出してしまったことに、自分が今割と浮き足立っているらしい、ということを自覚する。きっとこんなとき、彼らは苦笑するのだろう。そんなことを考えながら、しれっと手を入れ替える。
「あ、君、利き手がそのざまだったな。ほら」
 けれど、その前に、ぱっと表情を変えたカークが、小箱の中からあられをつまみ出してくれた。そして、うっかりしてた、いっけね、くらいの軽いノリで、ひょいとそれを口元に差し出してくる。
 スポックは、チェコフに論じたことを繰り返そうとした。両利きなので問題ありません、そもそも、物をつまむくらいのことに利き手は関係ないのでは? 確かに、そのような言葉が思い浮かんだし、何の論理的矛盾もない、美しい回答だと思う。
 それより美しいものさえなければ、問題なく言葉にできただろうに。
 スポックはそんなことを考えながら、目の前でぱちりとまばたく虹彩の深い青さと、仕事がしやすいよう整えられた素朴な指先を順に見つめて、ゆっくりと顔を傾け、ぱかと口を開けた。
「美味しいですね」
「だろ?」
 ぽりぽりと咀嚼していると、まるで自分の業績だとでも言わんばかりの表情で、カークは明るい笑みを浮かべる。
 そんな彼を見つめながら、スポックはあっけなく、言わなかった言葉と一緒に素敵なお菓子を飲み込んだ。



「で、インディ・ジョーンズみたいな遺跡で仕掛けの刃に襲われたってほんとか?」
「あまり興味を持っていただきたくないのですが……。危険区域として立ち入り禁止に指定する予定です」
「そりゃ、悔い改めた者だけが通れる道だからだろ。ちゃんと慎ましく神の前にひざまずいたのか?」
「おそらく古い映画の話だろう、ということは推察できますが、刃物は横から来たのでひざまずいていると即死ですね」
「な、なんだと……
 それからは、いつもどおりにとりとめのない話をした。絶対に行くと言い出すに違いないと考えていたが、案の定行くと言って聞かなくなったので、やや派手な言い合いもした。笑って怒って拗ねて笑って、本当に飽きない人だな、とスポックは思っている。
「本当にほどいていいのか?」
「どうぞ。これは単にレナードの嫌がらせです」
 気にしている様子だったので、もういいだろうと判断して包帯は取り去った。くるくると解いていく役に立候補されたので、スポックは片腕をカークに預ける。そっと羽のように触れるカークは恐る恐るという雰囲気で、傷は塞がっていると再三伝えたのに繊細だった。
「おあー。最新医療すげーな」
 ほのかに傷の残る二の腕に触れて、カークは感心した声を上げる。
「施術者の腕もいいのでしょう」
「おっ、あとでボーンズにチクっとくぞ。それにしても、じゃあ結構無茶してもだいぶリカバリーが効くんじゃねーかと」
「死ななきゃ安い、という悪魔の言葉をその口からもう一度発するというのであれば、私は容赦しませんが?」
「怖いんだよな。完全に命を粗末にするやつは死ね、のテンションじゃん。だいたい、今回ちくちく言われるべきなのはお前なんだぞ、お前」
 ついつい、と傷をつつかれて、スポックは腕を挙げた。
 その腕の下から、覗き込むようにこちらを見ているカークは、むにむにと唇を動かしている。どうやらしばらくは、この件でちくちく言われることを受け入れなければならないらしい。
 スポックは軽く眉を上げて首を傾げると、キャプテンの不満を解消するべく、ゆっくりと腕を下ろした。