ナスカ
2024-01-17 22:39:37
7307文字
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デザートローズ Ⅶ

前回の続きです。

『野獣の母』ことツインローバは非常に破天荒かつ奔放で、彼女ひとり加わっただけで宮殿は突然騒がしくなった。宮殿と砂漠の街の主人は野獣だが、その主人の母親であるツインローバを前に多くの家財道具と化した使用人たちは傅き、彼女の要求や無理難題になんなりと答え、馬車馬のように働く。ギラヒムやアグニム、ユガですらそんな態度だ。その上、野獣は特にそれを止めようとしない。彼は母に対して頭が上がらない人物なのだろうか。
だがそれに関しては疑問が残る。アストルがツインローバと初対面した際、野獣は母を鬱陶しく思っている様子であった。頭が上がらないなら、そんな態度も取れないはずだ。故にこう思った。野獣は、母であるツインローバと無関係でありたいのだと。
その証拠に、アストルは何度か野獣がツインローバの呼びかけを無視する姿を見ていた。覗き見したと言われればそれまでだが、どうにも気になって仕方がなかったのである。入るなと言われた場所に入ったわけではない。ただ彼の真意を知りたいだけだと言い訳をして、アストルは偶然を装いつつ見た目が全く異なる親子の会話を聞こうと躍起になっていた。
ところがなかなかそれがうまくいかない。野獣はツインローバが帰ってきてからアストルと会おうとしないのだ。向こうから声をかけてくれることもなくなり、食事も別々の時間で摂っている。それが彼の命令だとギラヒムに言われ、ならば仕方ないとアストルはその命令に従っていた。
自分の考えていることが見抜かれたかと、アストルは緊張していた。それ緩めようと思い、屋内天球室を訪れようと地下へ足を向けていた。気を紛らわすための本を両手いっぱいに抱え、地下階段を降りて終えたちょうどその時。
……で、あの坊やのことどう思っているわけ?」
「どうもこうも、或れは我の囚人だ」
二人の話す声が聞こえた。だが何処から聞こえるのかはわからない。秘密の部屋でもあるのだろうか。
「アンタがハイリア人をこの街で生かしておくなんて驚いちゃったわよ。これまでは例外なく殺してきたくせに」
アストルは驚いて腕から力が抜け落ち、持っていた本をバサバサと落としてしまった。ここにいるのがバレやしないかと怖くなる。だが聞こえてきた話はもっと恐ろしい。
侵入したハイリア人を殺してきた。ありえない話ではない。彼はハイラル王国を横暴と認識し、そこに生きるハイリア人は傲慢だと憎んでいる。それは間違いなく彼の口から聞いたことだ。
「殺そうが殺すまいが、我の勝手だ」
「あぁん、いつからそんなツレない子になっちゃったのかしら。可愛いガノンちゃん」
「黙れ」
どうやらアストルが近くにいることには気づいていないらしい。安堵と緊張感の両方を抱きながら、できるだけゆっくり本を回収する。
「ゲルドがこの惨状に見舞われてから、もう何年過ぎた? 或れは始まりよりもずっと後に生まれたのだ。奴らの罪を或れが負っているわけじゃない」
「じゃあなんで囚人扱いしてるのよ」
「不法侵入だ。それ以外の理由はない」
それ以外の理由はない。アストルはその言葉が何故かとても残念なものに感じられた。自分が未だここに置かれている理由はそれだけなのだと、急に悲しくなる。
けれどどうしてそんな気持ちになるのかアストルにはわからなかった。自分は野獣に何を期待しているのだろう。
「あらそう。まあいいけど。変な気を起こさないでいてくれればそれで」
そこからツインローバの声はしなくなった。代わりに野獣の深いため息が聞こえる。今彼に話しかけるべきではないだろう。アストルは早く当初の目的地である天球室を目指して歩き出した。俯いて、胸の中で渦巻く暗い気持ちを振り払うように速歩きになる。
「ッ! アストル!」
「わっ……!」
ドスンとぶつかったが、その瞬間にもふっと柔らかい毛皮に包まれていた。野獣は思っていたよりも近くにいたらしい。アストルは急なことで胸がバクバクした。聞いていたのかと問いかけられるかもしれない。そう思うと何と答えるべきか迷ってしまう。
だが野獣はアストルの肩を優しく掴み、ゆっくりと自分から離した。その目はアストルに対し少々呆れていたが、とてもこちらを囚人と思っているようには見えない。
貴方は私をどう思っているのですか? そんな質問が今にも喉から飛び出そうになる。
けれどそんな事を言って、自分はどうしたいのだろうか。野獣の考えはもうわかりきっているというのに。
「前を見て歩け。怪我をする」
「は、はい……。すみませんでした……
アストルは忠告どおり、前を向いて歩き出した。前を向いて歩くのは普通のこと。けれどそれができない今の気持ちに気づいてほしいだなんて、あまりにも浅ましい。
こちらを追いかけてくる気配すら感じられ無いことが堪らなく悲しく切ない。天球室に着くとアストルは内側から鍵をかけた。星を輝かせるための仕掛けは知っている。だがそれを点けてみても、アストルの胸はズキズキと痛むばかり。心はちっとも晴れやしなかった。今までだってこんな気持ちになるなど、一度も無かったのに。これは、変化だ。
母は言っていた。自分を変えそうな程の人と出会った時、相手も変わっていくものだと。そして母は、そうやって父と愛を育んだ。
「私……あの方のことが……?」
これは恋か? それとも愛か? いや、相手に対し自分と同じ気持ちを期待してしまうなら、それはきっと愛ではないのかもしれない。愛はもっと利他的な感情だ。それをアストルは、母から与えられたそれでよく知っている。
「どうしよう…………
変化を望んでいた。それは間違いない。ひとつは叶ったと言えば叶った。ここへやって来たことで、あの閉鎖的な村から離れることはできた。けれどそれは単なる偶然。母を探しに行った先での出来事に過ぎない。
今アストルは、野獣が自分を理解することを望んでいる。だが『自分を理解してくれる人に会いたい』という願いは、もしかすると『誰かを理解する』ことで成就されるのではなかろうか。
「あの方を……愛したいんだ……
身勝手な想いかもしれない。野獣はハイリア人である自分を愛さない可能性のほうが高いのだから。それでもいい。野獣を愛するように努めよう。振り向いてくれなくても構わない。愛が返ってこなくても、側にいることさえできれば良いのだ。
星だって、愛されたくて輝いているわけじゃない。

❋❋

「あぁ! ご主人様のトウヘンボク!」
ユガは甲高い声で叫びながら、毛束になっている自分の頭で色合いも気にせずぐちゃぐちゃとキャンバスに絵の具を塗りたくっていた。完全にストレス発散中である。
ツインローバが戻ってきてからというものの、野獣のアストルに対する態度がよろしくない。というか、ユガに言われてみれば『最悪』である。視線をすぐ逸らす、会話を続けない……などなど、枚挙に暇がない。ユガはこの様子を見続けている上、ツインローバにこき使われていることでストレスが溜まりっぱなしだ。
「はぁ……もしアストルさんがご主人様の奥方になられたとしても、姑があれではね……
「大丈夫ですよユガ。ご主人様はわかっておられます」
しょぼくれるユガの元へアグニムが転がりながらやって来た。彼もツインローバの無茶ぶりに疲弊しているだろうに、その希望的観測はどこから湧いてくるのだろう。
「ご主人様はアストルさんと出会って変わられました。恐らくご主人様は、それをツインローバ様に悟られたくないのです。あの方がいなくなるまでの辛抱、春はすぐに来ます」
「だと良いんですけどね……
ユガとアグニムが思い返す野獣のかつての姿は、それぞれ年齢が異なっているが、その様子には共通点がある。それは、ツインローバによって『ハイラル王国、ハイリア人憎し』を教え込まれている場面である。元々女しかいない砂漠の一族は、ハイリア人の男性と子を成すことでその血を後世へ残してきた。国同士の仲は悪かったものの、個人間での仲までが険悪だったわけではない。しかし『男の子』が誕生したことにより、ツインローバは彼に偏った思想を教え込み始めた。お前は選ばれし者、ハイラル王国を打倒し我らがハイラルを支配する、それに邪魔な者は根絶やしにしても構わない……と。
幼く無垢な『少年王』が、異国に対し覇道を敷く無慈悲な『王』へ変貌していくのを、ユガとアグニムは黙って見ているしかなかった。アグニムは魔術の才を買われてここにいるが、元はハイリア人。ユガも似たようなものである。反論などしてみれば見せしめに処刑になっただろう。
ツインローバの思想を真に受けた『王』だったが、自分の行動に対する罰として民が苦しむことになったのはひどく堪えたらしい。王は野獣と化した自身の素形を、己の心根に相応しいと理解した上で宮殿に閉じこもった。ツインローバはそれと同時に何処かへ姿を晦ましてしまった。
それでも奥深くまで染み付いた教えはなかなか落とすことができず、砂漠の街へやって来たハイリア人はみな殺していた。しかも、死んでいった兵士たちの亡霊を野放しにすることで自身の手を汚さずに。
時間の経過は彼に覇道の先にある虚しさを、そして先祖の罪を背負わされることは理不尽だということを教えた。アストルがやって来てからは、それが更に押し進まったように思える。このままうまくいけば、野獣はハイリア人であるアストルを愛するようになるだろう。そう思っていた矢先の帰還には萎えるばかりだ。
「アグニム、何かいいアイデアはありませんかね……?」
「アイデア? それこそユガの専売特許ではありませんか」
「今は無理です……
べちゃんとユガは床に倒れ込んだ。相変わらず芸術的な汚部屋は、天井まで絵の具まみれ。いつもならここからあらゆる策が生まれてくるというのに、どうもうまくいかない。
「あぁ、そういえば」
「なんです?」
ころりとアグニムが転がって、ユガは見下されていた。
「旧知の友が、奥方を口説き落としたシチュエーションがあるんです」
「なッ……!!」
なんでもないように語るアグニムに激突する勢いで、ユガは立ち上がった。
「なんで! そういう事を! 早く言わないのですか!」
「使い古されて手だと思ってて……
「使い古されてるからこそ普遍的なのですよ! ……で、それは一体何なのですか?」
アグニムはキラリと自身の身体……水晶玉をキラリと光らせ、ユガにこっそりと耳打ちした。

❋❋

アストルはワクワクしていた。野獣の方から久しぶりにマトモな会話を持ちかけられ、「踊りはどうか」と誘われたのだ。砂漠の一族の踊りは以前、『元は踊り子だった』という華々しい衣装に見せてもらったことがある。真昼の太陽を思わせる情熱的、かつ夜の月を思わせる妖艶な舞は、神秘と魔法に溢れていたというこの街に相応しいものであった。幾重にも重ね寄せられた透ける布が鮮やかにひらひらと空気を相手にし、金と宝石をふんだんに使ったアクセサリーはシャラシャラと鈴に似た音を鳴らす。一度だけ踊りの指南を受けたが、腰で曲線を描くような動きができず結局諦めてしまったのだ。身体が硬いのでと自虐気味に笑うアストルに野獣はあまりいい顔をしなかった。その時は嫌われてしまったと感じたが、無視されるよりはよっぽどマシである。
野獣に言われてやって来た部屋にあったものに、アストルは驚いた。
「なんで……ここにこんなものが……?」
それはハイリア文化における、最上級の男性用夜会服であった。羽箒に姿を変えられた衣装係がせっせと埃を落としているし、針と糸を駆使している元お針子の巻き尺までいる。貴族の邸宅や王城での舞踏会の出席者しか身に着けていないような、シワ一つない立派な代物。どことなく夜空を思わせる布地は、光を反射してキラキラ光っている。湖畔の村に住んでいる者には一生縁が無いはずのものだ。
「やあアストル、待っていたよ」
「ギラヒムさん」
アストルに対して最初こそツンケンしていた魔剣のギラヒムだったが、『呪いを解くハイリア人』がアストルだと認めてからは二人の仲を取り持つのに少しばかり協力的な態度を取るようになった。敬愛するマスターが永遠にあの姿なのは、ギラヒムとしては受け入れがたいことだったのである。それはアストルの預かり知らぬことだが。
「あの方から踊らないかと誘われて、それでここに来るよう言われたのですが……
「あぁ、勿論知っているとも。ワタシはキミの着付けを頼まれたんだ」
ビッとギラヒムがその剣先で夜会服を指し示した。まさかとは思っていたが、どうやらこれはアストル用らしい。こんな手の届かない高級品を突然与えられて、アストルはどう反応すべきかわからず疑うような口調になってしまう。
「私が、これを着るのですか?」
「他の誰が着れるんだい」
……たしかに」
どう見ても野獣が着れるサイズではないし、人間は自分しかいない。ツインローバは今日に限って出払っている。いや、だからこそ野獣はアストルに声をかけてくれたはずだ。
「マスターがキミを待っているのさ。とっとと着せていくよ!」


土で作られた宮殿には不釣り合いな夜会服。それを纏った二者が向き合っている。ひとりは人間、もうひとりは二足歩行の獣。二人はゆっくりと歩み寄っていく。
互いに会釈をすると、人間は相手である獣の顔を見上げると彼に向かって微笑みかけた。まるで彼を同じ人間のように思っているかのように、対等さに満ちた笑顔。獣はそんな人間の手を取り、大階段を降りる。そこは宮殿の玄関口だった。
二人の街の広場へ足をつける。獣の方はその次をどうするのかわかっていなかったらしく、人間に手の位置を導かれた。片手は人間の腰に添えられ、もう片手は人間と繋ぐ。人間もそのようにしたのち、二人はゆっくりと円を描くように踊り始めた。
広場には二人を囲むように松明が灯り、チラチラと降り始めた雪を輝かせる。
踊りながら人間は獣の顔を覗き込むが、獣はどこか気まずそうに目をそらす。だが決して嫌がっているのではない事はわかる。そうでなければこんなに優しい手つきでこちらに触れてくれるはずがないのだから。人間は獣の柔らかな毛に覆われた胸にそっと顔をうずめた。獣はビクリと驚いて一瞬固まりかけたが、人間がうっとりと夢を見るように瞼を閉じているのを見てそのまま踊り続ける。
家具や日用品に姿を変えられた使用人たちは、その様子を陰からこっそりと見守った。これこそが自分たちの希望なのだと、染み入るように感じながら。


降雪が無視できない程度に強まってきたので、二人は宮殿内に戻った。糸を織りあげて作られた美麗な絨毯に腰を下ろすと、そこには温かなお茶が用意されている。
「アストルはどこで円舞曲を?」
「母に教養のひとつとして習ったのです。踊れて損は無いというのもあるけれど、何よりも踊りは楽しいものだから……と」
「そうか」
野獣はアストルの睫毛が震えていることに気づいた。寒さのためだろうか。それとも故郷にいる母親を懐かしんでいるのだろうか。ならばすることはひとつ。
……アストル」
「へっ……?」
ほっそりと華奢な身体を抱きしめる。アストルはその行動を想像していなかったらしく、ぽかんとしながらも顔を赤らめた。
「あっ、あの……
「恋しいか、母が」
その質問にアストルはハッとする。どうやら野獣のしたことは、自分が思っているような理由からではないらしい。彼はただ、親を想う子どもという認識で自分を扱ってくれているだけなのだ。要はあやされているだけ。悲しいけれど、こうして触れてくれるのは幸せだ。
……はい、出来ることなら。姿を見れるだけでもいいのです」
「ふむ」
野獣が口元に手を当てる。何か考えているようだ。すると野獣はいつかのようにアストルの事を抱えて立ち上がった。
「いいものがある」
連れて行かれたのは西の部屋だった。壊れた家具は工具たちに直してもらい、以前よりも整った野獣の私室には気品がある。壁に掛けられている破れた絵画にはいつの間にか布がかけられ、見ることができなくなっていた。
「これはあの女神が我に寄越した物のひとつだ。望むものを見せてくれる」
そう言って野獣が渡したのは手鏡。アストルは不思議に思ったが、砂漠に雪を降らせる女神の作りしもの。望みを映す程度など、容易いのだろう。
手鏡を受け取ったアストルは自分の顔が映るそこに声を投げた。
「母の姿を、どうか」
鏡面が渦巻き、竜巻が消えるようにしてアストルの望みが表れた。だがそれは『願い』とはあまりにも遠いもので、アストルは思わず手鏡を落としてしまった。手鏡は割れずに絨毯の上に転がった。カタカタと震えるアストルに野獣はその異様さに訊ねた。
「アストル、どうした」
アストルの目から涙が溢れる。野獣に抱きつき、胸の痛みから来る浅い呼吸を落ち着けようとした。
「母が、母がひどい目に。村の人たちに……
「なんだと」
野獣は慌てて手鏡を拾う。鏡面に映っていたのは、一度だけしか見ていないアストルの母が同じ村に住んでいるという者たちから蹴られ殴られている様子であった。こんなものを見ては気が動転するのも仕方ないだろう。野獣はアストルを再び抱きしめ、苦しげな息に膨らむ背中を撫でた。その穏やかな手つきに反して、野獣の声は重い。
「今すぐ村へ帰れ」
「でも、私は囚人じゃ……
「そんな事を言っておる場合ではない! とにかく、お前は母の元へ戻れ」
グスグスと泣くアストルの頬を指で拭う。鋭い爪をしているが怖くなど無かった。その優しさがあれば、どんな姿でも関係ない。
「そしたら、もう会えなくなってしまう」
「お前は自由だ。我にとらわれる必要など……
「私は!」
アストルの声が強まる。涙ながらのそれが部屋に響いた。
「貴方の、側にいたいのです!」


続く