メタリックシルバーの少し丸みを帯びた箱型の機械。現代のプロダクトデザインと比較してみると懐かしさと野暮ったさを感じさせるものだ。箱の中央は丸くくり抜かれており、通常は薄いプラスチックによって覆われているが、中にはレンズと呼ばれる丸いガラスが格納されている。電源を入れると自動的に中央からレンズのついた筒が繰り出してくるシステムになっていた。レンズの格納されている方とは逆側には小さなモニターが付いており、電源を入れると同時にバックライトが光ってレンズの映し出す景色が投影されるようになっていたが、解像度は粗い。目を凝らせばドットのひとつひとつがわかるほどだった。
「なにそれ
……カメラ?」
明るい茶色の丸々とした瞳がバーカウンター越しに箱型の機械を見つめていた。大きい故に光を沢山取り込んで輝く目は整った彫りの深い眼窩に埋め込まれていた。ふわふわと緩く癖のついた黒髪を揺らして首を傾げる男は襟と袖に豪奢な刺繍を施した黒いシャツにシルエットの綺麗な藍色のベストを着用している。そのシルエットは普段からよく鍛えているのがわかるほどで、世間一般から見れば筋肉質で威圧感のある大男だが、己の主観からすれば彼の柔らかな頬に浮かぶ豊かな表情を見るたびに「愛らしい」と感じるような人間だった。
「そうだよ。有奇くんから譲り受けてね」
「へえ
……ちょっと見せてや」
「いいとも」
この辺りでは珍しい、柔らかな関西弁を繰る男
――千葉恵吾に箱型の機械もとい旧式のデジタルカメラを手渡した。すると彼は不思議そうな表情を浮かべながら手の中でくるくるとこね回す。
「結構重量あるなあ
……資料とかで形は見たことあったけど結構重いし、昔の人間はこんなもん持ち歩いてたんやな」
「それだけ科学が発展したということだろう。だが、そうは言ってもこれもそんなに昔の代物でもないよ。旧式のデジタル機器が動く状態で存在することは少々稀かもしれないけど
……元の持ち主は物の扱いが丁寧だったのかもね」
「せやな
……これどこ押したら撮影できんの。このボタン?」
「上部の、そう、そこだね」
男の手元を覗き込みながら赤くペイントの施された金属ボタンを指差す。撮影ボタンの位置を確認すると彼は軽く頷いてバーカウンターの中で少し後ずさった。
「どうしたんだい」
「せっかくやから祥ちゃん試し撮りさせてや」
「ふふ
……そう言うだろうと思っていたよ」
千葉恵吾は楽しいことや珍しいことに飛び込んでいく性分をしている。デジタルカメラを手渡した段階から男がそう言うのは予測がついていた。バーカウンターに頬杖をついて、カメラを構える男を見つめる。撮影の角度を調節しているのか、カメラが揺れ、その度にレンズがつるりと輝く。
「うーん
……画角が狭いなあ
……」
「今は便利だよねえ。そんなこと考えなくても後で好きな画角に気軽に調整できるんだから。しかもウェアラブルデバイスに撮影機能なんて元から付いていて、持ち運びの手間もない」
「デジタルやのにアナログっぽいなあ」
「その当時ではそれが最先端だったと思うと面白いよね。現在から見れば今に至るまでの過渡期でしかない」
「過渡期なあ
……おっ、ほな撮るで」
こちらの話には上の空で一生懸命位置を探っていた男はようやく納得がいったのか少し声を弾ませて合図をする。
「いつでもどうぞ」
「はあ〜、流石色男。いつ撮っても隙がないってことかあ?」
「君だって十分に色男だろう」
「それはそう」
男の右手人差し指の先が金属ボタンを押し込むと同時に「ピピッ」という機械音が発せられ、シャッター音を模した「カシャッ」という音がカウンター内に響いた。
――このシャッター音はカメラが生まれた頃から本当にこんな音をしていたのだろうか。今でも何かを撮影するときにはこのような音がデバイスから発せられる。多少の差はあれど大体似たような音だ。
などと、確かめる気もないことに思いを巡らせていると、目の前の男が嬉しそうな笑みを浮かべカメラを反転させてディスプレイをこちらに見せてくる。解像度の粗いディスプレイには柔らかい色の金髪の男が頬杖をついて微笑みを浮かべているのが見えた。解像度が粗いというのは今の技術と比べてという意味であり、そこに映っている人間が東雲祥貴
――自分自身であることははっきりとわかる。
「結構しっかり撮れるなあ。見て、いい感じやろ」
「
……僕たちの時代の代物じゃないのに、なんだかノスタルジックな気分になる出来だね」
「これってデータ吸い出せんの?」
「勿論。しかもデータの量はとても小さいから一瞬だよ
……アダプタさえあれば」
「アダプタは?」
「それも含めて有奇くんから買い取ってるから、データを転送して保存するつもりさ」
「ふうん」
興味があるのかないのか曖昧な返事をしながら男は目に入るものを手当たり次第カメラに収めていった。ひとまず満足したのか、男は電源をつけたままカメラをこちらに返してきた。
「おおきに」
「一通り遊べたかな?」
「せやなあ
……こういうカメラで撮影するのって案外難しいかもって思ったわ」
こちらの質問に対して、彼は不服そうな表情でカメラを少し睨んでいた。撮影データを見れば男の感想の通り、ピントが上手く合っていないものがあったり、明らかに画角に収められていないものがあったりと、旧式デジタルカメラでの撮影には少しコツがいるということがわかるものもあった。
「現代の撮影にはピントを合わせる、なんて作業もいらないからね」
「せやねん。今はピントなんか後から選ぶやん。これは撮影のタイミングでピント調整せなあかんし、しかもピントが合うまでに時間かかるし
……」
「ふふふ
……昔のものは不便だね」
「そういう祥ちゃんはこれ使って写真撮ったん?」
「いや、動作確認をしただけだよ。撮影しようと思ってこれを持ってきたら君に先を越されてしまってね」
「えっ、なんかごめん」
「いいんだよ。どうせ誰かが使っていた中古品なんだから」
口では謝罪を述べながらも特に何も思っていない様子で、笑顔を浮かべた男はバーカウンターを抜け出してまだ客の入っていないフロアに踊り出た。
「被写体は俺?」
得意げな表情で両腕を広げるとまるで花形の役者がステージ中央でスポットライトに照らされているが如く、千葉恵吾はすべての光を反射して見えた。こちらの興味は、否、世界中の関心は自分に寄せられていると疑っていないような自信を漲らせた堂々とした立ち姿だった。
「うーん
……被写体は特に決めてなかったけど。それに旧式カメラでの人物写真は結構難しいらしいしね」
「なあんや。俺が目当てやなかったん?」
お得意の悪戯で意地悪な表情を作ると腕を組んで尖った革靴の爪先をトントンと鳴らした。その革靴はいつの日か色違いで買った己と揃いの物で、彼がいつも履いている物なのに、カメラというものを持っているせいなのかいつもの些細な景色でさえ何とはなくキュッと胸を締め付ける愛おしさを覚える。
「僕の撮影の腕が良ければ、君も撮るつもりだったよ。最初に別の物で試し撮りしようと思ってたんだ」
「ほおら、やっぱり俺が被写体やん」
「結果的にどうなるかわからないから明言できなかったんだよ」
苦笑しながら彼の足元に落としていた視線を顔の方へ上げれば、またも得意げな顔でこちらを見つめる男の姿があった。柔らかな頬に浮かんだ笑顔がどうしようもなく愛おしい。しかし、いざ撮影をしようとするとおそらく彼は夜伽を共にするための女性に向ける表情を作って、とても「イイ男」に写ってしまうんだろうと思う。
――格好をつけている千葉くんの顔も勿論素敵だけど
……僕は今のこの表情が好きなんだけどね。
人物写真で自然な表情を撮影することは難しいというのは聞いたことがあった。そして予測もつく。大抵の人間が撮影するぞと声をかけられれば不恰好なポーズを作ったり、貼り付けた笑顔をこちらに向けるものだ。目の前の男に関しても例外ではないだろう。
男の言う通り、旧式のデジタルカメラを持参した本来の目的は千葉恵吾を写真に収めることだった。完璧な写真を撮れる自信がないため明言を避けていたが、できることなら彼の日常の表情をデータでも、なんなら印刷をして紙でも収めておきたかった。だが、操作方法くらいしかわからない媒体でそれが可能かどうか
……実際にやってみなければわからないことだった。
どうしたものかと迷っている間に男が口を開く。
「うーん、まずは画角が問題やから
……どれくらいの広さで写真撮りたいかっていうの決めるところからスタートやろ?」
どうやら旧式デジタルカメラの撮影の先輩として助言をしてくれているようだ。
「ちょっとしたものを撮るのでも距離を近づけたり離れたりせなあかんからなあ。撮りたいものを見つけたらほら、こんな感じで
……今でも絵描きとかがこんな風に切り取りたい風景を指で囲ってたりするやん。もしかしたら旧式のカメラにも通じるテクニックかもしれんなあ」
両手の親指と人差し指で少し広めの長方形を作りながら男はクルクルと店内を動き回る。店の棚に飾られたボードゲームや綺麗に並べられたマスターの私物の小説類を指で作った枠の中に収めていきながらああでもないこうでもないと言っていた。
「なんか写真映えするようなもんないかなあ
……あっ」
一瞬腑抜けた声を漏らした後に、男は再びこちらを振り返ると屈託のない笑顔を浮かべながら指で作った枠をこちらへ向けてきた。
「この店で俺の次にキラキラしてんのは祥ちゃんやもんなあ」
いつもなら嫌味や皮肉や意地悪さが込められてそうなセリフだったが、男の表情は実に無邪気なものだった。スポットライトを浴びた花形役者などではない。彼自身が光を放つ愛らしい宝石だった。焦香の大きな目が幅の広い二重と黒い隈にキュウと押されて狭まって、ただ純粋に楽しいという思いを伝えてくる表情があまりにも美しかった。
――これだ。
いつの間にか手元のカメラは「ピピッ、カシャッ」という軽い電子音を発していた。
「うん
……一番キラキラしているのは君だね」
「ちょっ
……俺のこと撮影してもいいっていう許可出してへんねんけど」
「被写体にされる気満々だったのに、今更何を言っているんだか」
「いや、ポーズ取ったりとか
……」
「君にそんなものは必要ないだろう
――取り繕わなくても美しいことを、君自身がわかっているはずじゃないか」
男は不意を突かれて不満げだった表情を顔面から掻き消すと、数秒の沈黙と共に無表情でこちらの瞳を見つめていた。そして無表情なまま、男の少し厚みのある唇がそっと開かれる。
「
――気障ったらしい男やなあ」
「それも、わかっていただろう」
ころころ移り変わる感情表現が個性と言ってもいい男の無表情は、なかなかお目にかかれない貴重なものだ。
「写真、いいかな?」
「
――どうせ撮影するくせに、そんなこと聞くんや」
「ふふ
……君の取り繕わない表情を愛しているんだよ」
ファインダー越しに見えた男の姿は、宝石などという表現で留めることはできないものだった。
無感動なのに色があって、光を放っているのに闇を秘めている。大人なのに幼く見えて、力強い精悍な顔立ちなのに丸みを帯びた柔らかさを感じさせる。いくつもの矛盾を抱えてフロアに立つ男は自信に溢れているのに寂しそうな人間だと思えた。
――彼が抱える矛盾やその寂しさが、僕はたまらなく好きなんだ。
「で、なんで急に旧式のカメラなんか持ってきたん?」
「ああ
……人間の記憶って曖昧だろう? 自分の思い出を残しておきたくてね」
「
……それならデバイスについてるカメラで十分やない?」
バーカウンターの席に並んで座りながら、今しがた撮影したデータを確認していた。男はこちらの手元を覗き込みながら、もっともな問いを投げかけてくる。だが、その質問に関してはとっくにもっともらしい答えを準備済みだった。想定済みの質問に答えることほど簡単なものはないと思うと、己の内から自然と笑みが溢れた。
「ふふふ
……しかし君、それはボードゲームバーなんていう『レトロ』な物を扱う場所で働いている人間がいうセリフかな」
「
……耳が痛いなあ」
「人の好みや趣味を指摘することほど無意味なものはないね」
「じゃあ
……祥ちゃんは旧式カメラの『曖昧』な感じが好きってこと?」
旧式デジタルカメラの解像度を指して『曖昧』と表現した男はちょっとした意地の悪さを滲ませて微笑みを浮かべていた。こちらの言葉尻を取って遊んでいるらしい。千葉恵吾という男の、このようないたずらっ子のような部分は弟がいるとこんな感じなんだろうかと思う程度には可愛らしく感じている。
「そう言われてしまうと
……そう言うことなのかもね。このざらついた感じが、僕の思い出の感覚と似ているんだ」
「思い出の感覚?」
「さっきも言ったノスタルジックな感覚のことだよ
――あれ?」
「どうしたん?」
散々撮影データを確認していたはずなのに、今になってようやく気づいた。撮影データの詳細情報が奇妙なことになっている。
「いや
……こういうデジタル機器って本体の時計がリセットされれば何も表示されないはずなんだけど
……」
「ん? 『2024/01/14』
……妙な日付やな」
「そうなんだよ
……以前の持ち主が特定されないようにされているはずなのに」
「他にデータも入ってへんねんな?」
「勿論。今日撮影したものだけだよ」
不思議そうな表情の男と顔を見合わせると、その男の大きな目に映り込んだ己の顔も不思議そうに少々腑抜けた表情をしていた。
デジタルカメラの出所自体ははっきりしているため日付データ以外に怪しい部分もなく、これ以上この奇妙な現象について考えても無意味だろう
――自分自身だけでなく目の前の男もそう考えているだろうと確信した。
「それにしても、二〇二四年ってえらい昔の日付やな
……」
遠い昔に思いを馳せているのか男の視線がバーカウンターの中へ逸らされて、少しだけ儚げな色を帯びた。長い睫毛の先に光の粒を纏って、つやりとした明るい茶色の瞳を少しだけ伏せ、全てを引き寄せる力と拒絶する意思を感じさせる儚い色。その色を見て己の胸がやけにざわついた。旧式カメラの解像度のようにざらついたこの感覚。己の郷愁を煽られる感覚。
――ずっとずっと、感じていたことだ。
「ねえ、千葉くん
……君とは過去でも未来でも出会っている気がするんだ」
「
……その心は?」
いつもならくだらないとひとつ笑って捨てられたかもしれない発言だったが、今日の彼はこちらの言葉を拾ってくれた。引力と拒絶の儚い色を持ったまま、男の視線が再びこちらに戻ってくる。
「
――まるで半身を分けあったような感覚と、心で感じ取っていた出会いの共時性
……君との出会いは絶対に意味があるものなんだとずっと思っていた」
「えらい難しいものの言い方するなあ
……魂が同じところから生まれた俺らは、過去でも現在でも未来でも、絶対に出会ってたっていうこと?」
男はやっと拒絶の色を失くして、呆れた表情の中に慈しみを浮かべながら笑っていた。
妄言と思われても仕方ないこちらの言葉を、呆れながらも受け入れているのだ。
「
……君が今、隣にいてくれることが嬉しいってことだよ。同じところから生まれたのに、違う場所で違う立場であったら、それはどんなに悲しいことか
……出会いは必然でも、どんなに心が惹かれあっていても、君と共にあることは難しかったかもしれないだろう?」
「
――ロマンチストは人と考えることがちゃうなあ」
「
――君はどう思う?」
そう問いかけられた男は旧式のデジタルカメラを取り上げると撮影データをもう一巡確認しだした。回答を考えているだけで、その行為に特に意味はないのかもしれない。データを次へ送っていく「ピ、ピ」という電子音だけを気の済むまで店に響かせて、男はカメラをカウンターの上へそっと置いた。
そしてベストのポケットから電子タバコを取り出すと、視線を下へ向けたまま「ふう
……」とわざとらしく溜め息をつき、タバコのカートリッジを唇に挟み込んだ。
ふわりとした癖毛が揺れて、やっとこちらを見たと思えば、口内に含んでいただろう煙を思いっきり吹きかけられた。
予測もしていなかった男の行為に大きくむせ込みながらほんの少しだけ男を睨むと、思いもよらぬ表情をしていたためすぐに睨むことはやめてしまった。
男は泣き出しそうな、笑い出しそうな、切ないながらも歓喜の部分が強いような表情でこちらを見ていた。
「
――祥ちゃんの隣を選べた今の人生が楽しいで」
もしかしたら僕に記憶がないだけで、千葉くんはずっと僕たちの関係を知っていたのかもしれない。過去も現在も未来も経験してきて、何度も巡り会って、今のように恋人だったことも、もしくは敵だったこともあっただろう。具体的な記憶がなくても、千葉くんはずっと感じ取っていたのかもしれない。今世の僕たちの在り方、その尊さを。もしそうだったとしたら、僕がずっと感じていたざらついた感覚は、間違っていなかったのだ。
「ああ
――僕たちは今、幸せなんだね」
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