satoru_and_shun
2024-01-15 03:25:48
3417文字
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不完全で完璧な


「瞬、キャンプするぞ」
 また、突拍子もないことを覚が言い出したのは、先週のことだった。
……キャンプ? 二人で?」
「ああ」
 茹だるような今年の夏の暑さに、思考回路までもが鈍り始めていた。
 こんなに暑いのに、外でキャンプとは、何とも覚らしい。
 いつも外で似たようなことをして過ごしているのだから、わざわざキャンプをする必要性を感じなかったが、覚のやる気を目の当たりにして、渋々了承してしまった。
 思い立ったら即行動が基本なので、夏休みの自由研究という名目で、一泊二日の外泊届けを全人学級に揃って提出した。
 もちろん、学校行事の夏季キャンプとは違い、当然八丁標の中でのキャンプなのだから、行く場所は知れてる。
 僕の両親も二つ返事で外泊の許可を出してくれた。
 
 約束した日の早朝、覚が僕の家まで迎えに来た。
 場所はどこにするだとか、最低限の持ち物の確認を済ませると早速出発した。
 より実践的なキャンプを楽しもうという覚の趣旨に従って、行く方面だけざっくりと決め、殆どのものは現地調達が基本となった。
 そして、なるべく便利な呪力を使わないでキャンプをするという目的のもと、僕も覚も必要最低限の呪力の使用に留めて、いつもより二倍も三倍も汗を掻きながら船を漕いだ。
 まずは、なるべく遠くの普段あまり行くことのない方面へ船を進め、野営するのに最適な河川敷を目指した。
 良さそうな場所を見つけると船を係留させて、近くの森を散策しながら焚き火に使えそうな木の枝を拾ったり、山菜やきのこを採ったりした。
 途中で休憩を挟みながら、日があるうちにじっくりと魚釣りもして、何とか今日の分の食材を確保した。
 呪力を使わないとなると、火を起こすもの一苦労で、ちょっとしたコツがいる。
 殆ど覚の豆知識や指示に従って、僕は自分の役割をこなすので精一杯だった。
 覚はいつの間にこんな知識を溜め込んでいたのだろうか、僕もすっかり頼りっきりになってしまっていた。
 意図的に呪力を使わないで山の中で過ごすことがこんなにも不便だったなんて思いもしなかったので、普段どれだけ自分たちが呪力というものに頼りきって生活をしているのかが分かる。呪力に頼らずとも生き抜く力をある程度は付けておかないとな、と少々の危機感を感じつつも、殆どは新たな発見に繋がって学ぶことも多かったので、思いがけず今回のキャンプは収穫になった。
 
 食事をとったり、寝床を作ったりと、やることはたくさんあって、そうこうしているうちにあっという間に時間は経ち、日はとうとう暮れ始めた。
 風呂を用意して沸かすのは流石に呪力なしでは困難なので、今回は持ってきた手拭いをハッカ油などを混ぜたお湯に浸け、それで簡単に体を拭くだけになった。
 これも覚のこだわりたいところの一つだったらしい。不便さを味わい、己の無力さを知ることがキャンプの醍醐味だという。
 自分はどちらかというと綺麗好きな方だったので、風呂に入れなかったのには若干の気持ち悪さを感じたが、たまにはこういうのも悪くないと思った。
 何より自由研究の成果報告が書きやすくなる。
 
 体をなるべく綺麗に拭き終わったところで、用意してきた着替えに袖を通していると、覚が突然大きい声をあげた。
「びっくりした……なに?」
 まだ着替えておらず裸のまま突っ立っている覚に声を掛けるが、反応がない。
 不思議に思い顔を覗き込むと、目を丸くしてショックを受けているようだった。
 その様子に更に驚いた僕も、言葉を失ってしまった。
 徐々に耳を真っ赤にした覚が、ぼそっと呟いた。
…………替えの下着を忘れた」
……えっ」
 そんなことかと逆に驚きを隠せなかったが、覚の性格上、ここで変に茶化して笑うと更に傷を抉ってしまうと思ったので、肩を無言で叩き、しばらくは何も声を掛けなかった。
 いや、掛けられずにいただけなのだが。
 結局、覚は下着は替えないと気持ち悪いということで、川で洗ったものを呪力で絞り乾かした。焚き火は人力で最低限の大きさで作ったので、これで乾かすには時間がかかり過ぎると判断してのことだった。
 ここにきて呪力にしっかりと頼ってしまった覚は、自分のせいで計画性が破綻してしまったことで、目に見えるほど落ち込んでいた。
 僕は貴重な体験もできたし、そんなことは別にどうでも良かったのだが、覚的には許せなかったらしい。
 しかし、そんなふうに悔しがる様子はまるで子どものようで、どこまでも覚だなあと微笑ましく感じた。
 
 いよいよ深くなってきた夜の闇に昇っていく焚き火の灯りだけが辺りを照らしていた。
 焚き火の近くにある切り株に腰を掛け、仕切り直しにと覚が淹れてくれた珈琲を啜った。
 パキパキと音を立てて燃える枝と舞い上がる火の粉を目で追いながら、僕は十二歳の時の夏季キャンプを思い出していた。
 
 あの日も、夜の帳が下りたあとに、こうして焚き火の炎を見つめていた。
 ついこの前の出来事のようでいて、あからさまに成長した身体や精神の成長が、時間の経過を感じさせる。
 あの頃とは、取り巻く環境も、自分の中にある感情も何もかもが違うのに、隣にいる覚だけは、何も変わっていない気がした。
 実際には、覚もぐんと身長は伸びて、声変わりもして大人びた印象を受けるが、覚の中心にあるもの……形容しがたいしっかりとした太い芯のようなものは、いつも変わらずに覚の中にある。
 目まぐるしく変わっていく思春期という身も心も不安定な成長過程の中で、唯一変わらないそれをいつも近くで感じ取っては、自然と安堵していた。
 
 焚き火を挟んで反対側に座っている覚を見遣る。
 たまに吹く温い風によって、乾き切った猫毛がゆらゆらと揺られている。
 先ほどの失態をまだ悔いているのか、何も話し掛けてはこなかった。
 僕が珈琲を飲み終わったタイミングで、同じように炎を見つめていた覚が、突然すくっと立ち上がった。
「さて、そろそろ行くか」
……ナイトカヌーに?」
 覚は返事の代わりににかっと笑うと、僕の手を引いてゆっくりと歩き出し、船へと連れ出した。
「足元暗いから、気をつけて」
「うん」
 先に船へ乗った覚は、手を差し伸べて僕が乗るのを補助してくれる。
 一緒に船に乗る時は、必ずと言って良いほどこうしてくれる。
 他にも、荷物を運ぶ時は何となく覚が重い方を持っているし、危険な場所は率先して覚が前を歩いたりしている。
 いつも諸々気づかないわけではないが、もうそれが当たり前のようになっているので、特に気に止めることもなかった。
 けれど、僕がこうやって普段手を煩わせることなく過ごしやすいのは、覚の陰の努力のおかげなのだと改めて実感していた。
 今日も大きいトラブルはなく快適なキャンプが実現したのは、覚のおかげだ。
 急に何故か数々の覚の所業を思い出してみては、感謝の気持ちを伝えたくなって無言で微笑みかけた。
……ん? どうした、瞬」
「いや……
「なに?」
「完璧だなあって思って」
「完璧? 僕が? ふふん、そうだろう?」
 覚は嬉しい時、早口になるので分かりやすい。
 表情が一気に明るくなって、ないはずの尻尾をぶんぶんと振っているように思えた。
「瞬もようやく僕の完璧さに気づいたか」
「遅かったかな」
「遅いことなんてことはない。まずは何がすごいのか気づくことが第一歩。そして……
 矢継ぎ早に一人で喋り始め、鼻高々になってる覚の嬉しそうな横顔を眺めるのは好きだった。
 僕の適当な相槌を気にもせず、言葉が次々と湧いてくる様子は、昔からなんら変わっておらず、覚を覚たらしめている。
 そんな覚を横目に、そっと手をずらして覚の置かれた手に重ねた。
 一瞬驚いたように見えた覚は、さっきまで饒舌だった口を閉じて、静かに僕を見つめた。
「覚、いつもありがとう」
 暗がりでも分かる吸い込まれそうな覚の深い色の瞳の中に、わずかな星の光を反射させて自分がちゃんと映っているのが分かった。
 ああ、と短く返事をした覚は、手を返して僕の手をしっかりと握り込んだ。
 ゆらゆらと浮かぶ船の上で満天の星に抱かれながら、僕と覚の二人だけのこの完璧な世界にもう少しだけ浸っていたいと、目を閉じて切に願った。