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satoru_and_shun
2019-03-27 03:35:11
3978文字
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小さな世界
第4回サトラー会お題の「仕事場での朝比奈さんと違いすぎて驚く同僚モブ子」の話です。
「あっ
……
!」
それは、一瞬のことだった。
不意に背中を押されるようにして誰かとぶつかってしまった。
今日は年に一度、新月に行われる夏祭りだった。
篝火の灯だけじゃ心もとなく、更に町中の人間が集まったこの人混みでは、とてもじゃないが、まっすぐ歩くことの方が難しい。
大きくバランスを崩してしまった私は、いただいたばかりの御神酒をこぼしてしまった。
そして、何とも運が悪いことに、空中に綺麗に弧を描いた御神酒は、たまたま通りかかった男性の胸元へと飛び込んでいってしまったのだった。
「す、すみません
……
!」
立ち尽くした男性の元へ慌てて駆け寄ると、そこには見慣れた顔があった。
「あっ
……
朝比奈くん!?」
「え
……
?」
朝比奈覚は、私の職場である妙法農場の同僚だ。
ほぼ毎日、休みの日以外は顔を合わせていた。
とはいっても、互いに多忙を極め、すれ違い様に挨拶をする程度だが。
「すごい偶然だな」
「結構びっしょりじゃない! ちょっと待って、すぐに拭くから」
「いいよ、呪力で乾かすから」
そう言うと、彼は私が持っていたハンカチを出す間もなく、呪力で水分を蒸発させ濡れた箇所を乾かしてしまった。
「でも、折角の浴衣、汚してしまって
……
ごめんなさい」
「別にどうもないからいいよ」
事が収まったと言わんばかりに、乾いた箇所を手で軽く払った彼は、気さくな笑みを浮かべた。
そんな様子にとりあえず一安心した私は、ようやく彼の胸元から目線を外して視野を広く取った。
私は、改めて彼の姿をまじまじと見た。
いつも職場では白衣を着用しているので、普段見慣れぬ彼の姿にどきりとする。
……
そう、それは私がずっと見てみたかった彼の浴衣姿だった。
私は過去に二度、彼を夏祭りに誘ったことがあった。
しかし、一回目は仕事が忙しいから、という理由で断られた。二回目は確か、祭りの日には別の用事が入っているとかなんとか。流石に三度誘う自信はなかったが、密かに向こうから誘ってくれるのではないかと淡い期待を持ったりもした。
そんなうぶな考えを持った自分も、今やすっかり懐かしい思い出になってしまったけれど。
「朝比奈くんも、来てたんだね」
「ああ」
「こういう行事、そんなに興味ないと思ってた」
「まあ、たまにはな」
「
……
そう」
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
彼はそう言うと通りかかった化け物役に声を掛け、紙コップになみなみと注がれた御神酒を二つもらってきた。
「折角だから、ちょっとそこに座って飲まないか? 次はこぼさないように」
いたずらに笑う彼は、そういつもと変わらないのに、何故か心が弾んでしまう。
私たちは出店をすり抜けて、沿路に置かれた石に並んで腰を下ろした。
「こうやって外で話すのは、なんだか不思議な気分になるな」
「ふふ、そうね。いつも、あそこでしか会わないから」
私はこの職に就いてすぐ、彼と分野的に配属された研究室は違うものの、共同研究を行っていた関係で、彼とは何年間か一緒に仕事をしていた。
今は全く違う班で動いているので、前よりか話す機会は減ってしまった。
久しぶりに隣で見る彼の横顔は、昔から何一つ変わっていない。
彼は遠くで上下する竿灯を楽しげに眺めながら、一口御神酒を口にする。
そんな様子を見て、急に自分は今夏祭りに来ているのだと、何年か越しに足が地につく思いで、ようやく実感ができた。
「そういえば、今は免疫系の研究に携わっているんだっけ」
彼は目線を遠くに置いたまま、私に問いかけた。
私は一呼吸置く為に、少量の御神酒を口にする。
「おかげで多忙よ。まあ、あなたに比べたらかわいいものかもしれないけど」
「いや、そんなことないだろ。たまに僕より遅く残っている時があるだろう?」
思わぬ投げかけに、私は目を丸くした。
「
……
知ってたの?」
「ああ、薄暗い中必死な様子で顕微鏡を覗き込んでいたのを前に見たな。邪魔しちゃ悪いと思って声掛けなかったけど」
「掛けてくれて良かったのに」
「
……
あまり無理するなよ」
どの口が言うのだと、私は軽いため息をついて笑ってみせた。
彼自身は研究に没頭するあまり、寝食を忘れ数日間も自宅に帰らないまま、ボロボロになった姿で研究所をしょっちゅう徘徊しているというのに。
そのせいで、最初は彼の容姿や真面目さに惹かれて近づいていった女子たちも、数ヶ月一緒に仕事をしてその姿を見た途端、思い違いだったとうんざりした顔をして、彼の元を去って行った。
逆に、私は数ヶ月一緒に仕事をしてそんな彼の本性すら見抜けないものかと、見てくれしか興味がない女子たちに辟易したものだ。
「体でも壊したら、元も子もない」
「あなたに言われたくない台詞ね」
「本気で心配しているんだ」
「
……
余計なお世話よ」
言葉通り、本気で心配に思ってくれているのだろうか。
彼は真剣な眼差しを私に向けていた。けれど、今はその思いが私の枷になる。
「あなたこそ、ちゃんと家に帰りなさいよ」
「それは、大きなお世話だな」
「何よ、一緒じゃない」
「じゃあ、お互い様だ」
互いの顔を見遣ると、自然と笑いが溢れた。
彼の目元が優しく緩むのを見ると、心底安心する。なんて穏やかな時間なのだろうと、柄にもなく泣きそうになってしまった。
私はその感情を掻き消すように、彼に話題を振った。
「そうだ。前にちらっと言ってた新しい顕微鏡を製作してるって件、だいぶん進んだの?」
「ああ、あれか。それが、一筋縄ではいかなくてさ
……
」
研究の話題を振ると彼はいつも嬉々として喋ってくれた。
彼は常に仕事熱心で、休憩中に話す内容でさえも研究のことばかりだった。
彼の研究に対する熱意は本物だ。
大した内容じゃない仕事に、浅薄な知識や情熱をひけらかすような、形だけの研究者とは何もかもが違う。
彼は、まるで研究のその先にある真理を、誰も触れられはしない神の領域すらも必死に解き明かそうとしているかのようだった。
時に、そんな彼を嘲笑する者もいた。何をそんなに生き急いで必死になっているんだと。
しかし、彼は研究が一日二日で成り立つものではないことは重々承知の上、それなりの覚悟を持ってこの職を選び、そして毎日もがいて、苦しんで、誰よりも励んでいた。彼に周囲のことを気にする暇など微塵もなかった。
今でさえも、こんなところまで来て、結局は研究の話で盛り上がってしまう。
直接仕事に関係のない素朴な疑問でも、彼は気になればとことん話に付き合ってくれる。
そして、いつも私の話にも真剣に耳を傾けてくれる彼のその姿勢が好きだった。
「
——
ところで、朝比奈くん、今日は一人なの?」
話が途切れたところで、この質問を投げかけた。
彼が一人で来るわけがない。そんなことは初めから分かっている。
けれど、聞かずにはいられなかった。
「いや、それが連れとはぐれちゃって
……
さっきはどうしようかなって立ち尽くしてたところに運良く酒を浴びた」
「あはは、もう、本当に悪いと思っているのに。ごめんなさい」
「いや、いいんだ。おかげでこうやって久しぶりにゆっくり話せたからな」
「
……
うん。楽しかった」
「僕もだ。こんな風に話せるの、君くらいだから」
彼は屈託のない表情で私に微笑みかける。
私はどのくらいぎこちない顔で笑い返しているのだろう。
真反対の感情が胸いっぱいに蠢き、上手に息ができない。
……
ああ、できるならば、このまま彼と一緒にいたい。
私は何も考えていない頭のまま、彼に何かを伝えようと口を開こうとした。
しかし、それと同時に、彼は短い声をあげ立ち上がってしまった。
「ごめん。もう行かなきゃ」
彼の目線を辿ると、人混みの中、きょろきょろと不安そうな表情を浮かべ立ち止まっている女性がいた。
きっと、彼を探しているのだろう。
「調子に乗って、あんまり飲み過ぎるなよ」
「こっちの台詞よ」
「それじゃあ、また」
「
……
うん。またね」
彼は小走りで熱気溢れる祭りの会場へと戻っていった。
去り際に見せた彼の笑った顔は、まるで幼い子供のようだった。
思わず伸ばしそうになった震える手を、きゅっと握りしめた。
先ほどの女性は、駆け寄った彼の姿を発見すると、頰を膨らませて怒っていた。
彼はばつが悪そうな面持ちで頭を下げ謝っていた。
しばらく話し込んだ後、彼がすっと手を差し出すと、女性は安堵したのか柔らかい表情に変わり、彼の手を取ると寄り添うように歩いていった。
もう次は、はぐれてしまわないように、しっかりと手を繋いで。
「
……
あんな顔、するんだ」
ぽつりと漏れ出た独り言は、すぐに祭りの喧騒の中に消えてなくなる。
二人は仲睦まじく笑い合って過ごす、ごく普通の男女だった。
何も特別なことはない。
彼は一体何の話を彼女としているのだろうか。それはきっと、研究以外のことなのだろう。
研究しかしてこなかった私には、一生かかっても見当すらつかない。
私は徐々に人混みに混じっていく彼の背中を、見えなくなるまで目で追った。
彼の姿が完全に消えると、まるで嘘みたいにさっきまで感じていた暖かい気持ちも感覚も温度も、全てがなくなってしまった。
彼のいなくなった後の祭りの会場は、こんなにも静かで、私の心を空っぽにした。
彼がくれた御神酒に目を落とすと、静かに波紋が広がる。
いつまで経っても飲み干せないそれは、いつまでも彼への気持ちに整理がつかない私の気持ちそのものだった。
底のふやけた紙コップの中に閉じ込められた情けない自分の顔を見つめては、なんて哀れなんだと自嘲することしか、今の私にはできなかった。
了
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