頻子
2022-10-29 21:02:31
1863文字
Public その他こまごました二次
 

さいごの一個(水星の魔女)

水星の魔女
グエル→スレッタ
ラウダ視点

 アスティカシア高等専門学園。
 お昼過ぎの購買部は、ピークのときほどではないものの生徒でごったがえしていた。兄さんは肩で風を切って、堂々と歩いていく。
 人混みは簡単に割れた。
 僕は思う。兄さんはやっぱりこうでないと……
 やっぱり兄さんは、御三家、ジェターク社の跡取りだ。
 すこしざわめきが大きくなった。
 兄さんに向けられる視線の中には、いくらか悪意が混じっているものがある。それでも、兄さんがひとにらみすると、おしゃべりはぴたっと止んだ。
 そうだよ。ずっと黙っていればいいんだ。
 面と向かって、堂々と悪口を言う度胸もないくせに……
 ホルダーでなくなってからだって、兄さんに勝てるものはいない。兄さんに何か言いたいなら、決闘を挑めばいい。ダリルバルデがなくったって、兄さんはこの学園でいちばん強い。……今だって僕はそう思っているけれど、兄さんはどこか上の空だった。
 適当に弁当をかごに入れている。
「兄さん。そんなんじゃ足りないでしょ。パイロットはしっかり食べないとだめだよ。野菜もね」
……
「ほら、兄さんのいつものやつ。最後の一個だよ。よかったね」
 サイダーに手を伸ばした兄さんの動きが、ぴたっと止まった。僕はまた、誰かが噂でもしているんだろうか……と思ったけれど、違ったようだった。
 すぐそばで、あの特徴的なしゃべり方が聞こえた。
「すごい……。すごく種類がありますよ、ミオリネさんっ! 食べ物も、飲み物も、こんなにたくさん! こんなに、こーんなに!」
……あの子だ。
「購買って、こんなにすごいんですねっ!」
 パイロット科2年、スレッタ・マーキュリー。水星からの編入生。
 そして、兄さんを2度も決闘で負かした相手でもあった。

「は? だから?」
 ミオリネの冷たい声。デリング・レンブランの一人娘。それから、兄さんの元婚約者……。だけど、兄さんが気にしているのは、やっぱり、スレッタ・マーキュリーのほうだ。スレッタ・マーキュリーが話すたびに兄さんはぎゅっとこぶしを握り締めている。
「あ、えっと、ええとですね? ミオリネさん……
「せいぜいいっぺんに食べれて数個じゃない。そんなにはしゃいでどうするの。馬鹿なの?」
「だって! だって、せっかくだから、コンプリート、したいなって……だってこんなにたくさんあるから、あと、あの、はんぶんことかも、して、みたくて。ほら、期間限定とか、いっぱい、ひとりじゃ……
……。どれにするの?」
「えっと、あの、しゅわしゅわするの! しゅわしゅわするの、あるじゃないですか。飲んでみたいなって、ずっと、ずっと思っ……うひゃああああ!」
 呆れたことに、角を曲がったところで、スレッタ・マーキュリーはどんと兄さんにぶつかった。
 前方不注意だ。
 兄さんはピクリとも動いてなかった。保険会社だって非は10:0だっていうだろう。パイロットには向いてないと思う。
 だから試験に落ちるんだ、スレッタ・マーキュリー……
 こんなやつが兄さんを負かしただなんて、今だって信じられない。
「結構です! いりません! ごめんなさぁあああい!」
「チッ」
 スレッタ・マーキュリーは、兄さんが何か言う前に、一方的に言い捨ててすごい速さで逃げていった。「ちょっと待ちなさいよ」と、ミオリネの声があとに続く。
 あっという間のことだった。 
 プロポーズしてから、兄さんはスレッタ・マーキュリーに避けられている。

 兄さんはサイダーを元の場所に戻した。
「気が変わったんだよ」
……何も言ってないよ、兄さん」
 兄さんが何か言う前だったので、僕は、兄さんが何か言うとしたら何を言うんだったんだろう、とちらっと思った。でも、やっぱり、何も言わないに決まっている。
「災難だったね」
「まったくだ!」
「どうやったら静止してるもんにぶつかれるんだ?」
 そう。スレッタは、ぜんぜん兄さんに気が付いていなかった。それに話し声がしたのだってそのあとで……
 つまりは、兄さんは、棚越しに、話し声がする前に、気配だけであの子に気が付いていたということになるのだ。
 兄さんは珍しく棚から味気のない水をとった。
 兄さんお気に入りのサイダーは、あと一個。
 あの子のために、残しておいてあげたいんだろうか。
 戻ってくるとも限らないのに……。スレッタ・マーキュリーが、それを選ぶとは限らないのに……
 兄さんは何も言わない。だから、僕も思ったことは言わない。