頻子
2022-08-28 19:49:49
2725文字
Public TOH二次
 

給料は横ばいの水準

なんか昔の奴読んでくれる人の気配があるのでpixiv再録用
(いつもありがとう)

「あー、もう、やんなっちゃうわね!」
 小気味の良いリズムで赤ペンが走り、そのたびに、ネイルのストーンがきらりと光った。
 まっピンクのスーツは、世間と戦う魔法少女のイケイケの戦闘服。
 かつてあこがれた魔法のステッキの代わりの武器は、分厚い六法全書と判例集。
 雑務用HANOIでありながらも弁護士になったキャメロンは、今やHANOIの星――キャシー法律事務所の所長だ。
 そして、HANOI保護施設の顧問弁護士である。

 HANOI保護施設の休憩室。
「所長ー、あ、ここにいらした。何見てるんですか?」
「これ? HANOI向けの求人誌よ~」
 キャシーはべしっと雑誌をはたいた。
「近所のコンビニエンスストアで見かけたのよ~!」
 HANOIの改正労働法が施行されて三ヶ月。
 さて、どのように影響があっただろうと思って、新作ドリンクと一緒に拝借したものだ。しかしながら、その内容はやっぱり気が滅入るものである。
「はーい、だめ★ あれもこれもこれもこれもみーんな労基法違反! 罰金よっ! 罰金! キィ~ッ! 涙が出そうっ……
 たとえば時給が最低賃金を下回ってるとか、業務内容が具体的ではなくて「何でもあり」になっているだとか。あるいは、小さな字で書かれている「雇用主の判断には一切従い、文句を言いません」という注だとか……
 法律違反の箇所には、くっきりと赤い丸が付いていて、ページの半分ほどはそれで埋まっているというわけである。
「あっちゃあ……。まあ、でも、昔は。ねぇ? 法律すら、なかったですし……
「そうよ、そうよ。そうなのよ!? 分かってくれる? ホントーに死ぬほど努力して努力して努力して、これよ」
 むかしは、HANOIの無給労働はありふれていた。メンテナンス費用は自己負担なんて労働条件はザラだったし、きめられていたルールは、大半は実効性のない努力義務だった。きまった主を持たないHANOIなんてのは、自分自身になんてぜんぜんなれず、保護されるべき対象じゃなかったのだ。
「まだまだ変革が必要ねっ……。まあ、コーラルちゃんとキャシーちゃんがこれだけ身を粉にして働いても、どこぞの誰かさんはお給料断ってるわけだ・け・ど! もう~! 失礼しちゃうワ!」
「あはは……
 どこぞの誰かさん、とはあのピンク頭の秘書のことだろう……。おっかないので、聞けたことはない。
「お給料はねっ、メロンちゃんたちの血と汗と涙と努力の結晶よ!? ひどくなぁい? その分アタシに寄こせってカンジ! そしたら経済まわしちゃうわ~」
「あ、先生、もう次のクライアントのところに行く時間ですよ」
「あら、ホント!?」
 慌てて立ち上がったキャシーは、化粧を直しにゴテゴテにデコられたコンパクトを取り出した。雑誌を丸めようとすると、鏡越しにキャシーが声を上げる。
「あ、コラ、いくら中身の半分がゴミでも資源ゴミよっ! 地球にやさしく出来ないHANOIは自分にも優しくできないワ!」
「んふふ」
「そんでもってアタシにいちばんやさしくして頂戴~!」

……なんだこれ、ゴミか?」
 ナナシがやってきたのは、それから数分後のこと。続いてやってきたコーラル・ブラウンは、その場でビシッと固まった。
 赤丸のついた求人誌を持ったナナシが立っていた。

***

 ナナシがこっそり転職活動をしているんじゃないか?

 コーラルは、思った。
「ナナシ!?」と。「ナナシ君!?」
 いやそんなまさか。ナナシに限ってそれはないはずだ。「側にいて欲しい」という頼みに答えて、保護施設の設立当初から、ずっと支えてきてくれたHANOIである。ナナシに限ってそんな……
 ナナシは重要な戦力で、抜けたら結構な痛手になる。人五倍くらいは責任感のあるナナシが「辞めたい」なんて言い出すはずがない……。と、そこまで考えてコーラルは頭を抱えた。ナナシが辞められない理由を考えるなんて、なんてひどい雇用主だろうか。
 改めてナナシを観察していると、たしかに、最近はちょっと行動が不可解だった。最近は休みを取ったり、ちょっと早上がりすることがあって、なんだか「仲の良い人でも出来たのかな?」とにこにこ眺めていたのだが、その割には早く帰ってきていた。
 あれは……もしかすると面接にでも行っていたのかもしれない……

「ナナシ君」
 施設長室に呼び出されたナナシは、怪訝そうな顔で施設長を見かえした。こわばった声と表情、態度から、何やら良くない事態が進行しつつある、というのは察することができた。
 こういうときに一番に呼ばれるのは、なんだかんだ自分だ。
「あのね。いつもありがとう」
……。はあ。どういたしまして」
 本題を待った。
 何か用があるはずだった。
 施設長は、あちこちに目線を泳がせている。いかにもわざとらしい態度だった。ナナシにとって重要なのはその後、「いつもありがとう」に続いて何をして欲しいかだ。
……
……? ……用ってそれだけですか?」
「え? う、ウン」
「わざわざ仕事中に呼び出しといて?」
「え? うん、あ、ごめんね。だってナナシはいつも頑張ってくれてるから……クッキー食べる? これ美味しいよ」
「要らないですね」
「そう……
「なんですか、俺の顔を見たかっただけですか?」
「顔を見たかったというか、たまにはこう……正直にというか、なんかこう、なんだろうね? この一か月くらい、忙しくてまともに話せてなかったでしょ?」
「いやなんか、こう、それか、あの、欲しいものとかある? お給料の件なんだけどね」
「要らないってことで決着ついてませんでしたっけ?」
「いや、そうなんだけど、うん……。でも、頑張ってくれてるから、ボーナスっていうかさ」
「いらないです。……なんですか? 浮気でもしたんですか?」
「ふざけてるばあいじゃないよ! 一大事だよ」
「一大事?」
「いやほらうんまあ……ちなみに副業って興味ある?」
「ないです」
……
 ついに施設長はぼろっとメガネを落っことした。――これはアルバイトとかじゃなくて、本気で転職するつもりらしい。いや、HANOI保護施設の活動だってかなりの激務で、ここに勤めていたらほかで働くなんてのはムリだ。
「ナナシ君、何が欲しい? 世界の半分とか?」
「は?」
「なんでもいいんだよ。思いつくもの全部言ってみてよ」
「いや……ないです」ナナシは少し考えてから付け足した。「まだ」
「まだって何!?」
 誤解が解けるまでには、つぎにキャシーがやってくる土曜日まで時間を要することとなる。