頻子
2021-10-27 00:24:40
3495文字
Public TOH二次
 

具合が悪い気がした

学パロの学生ナナシとコーラル先生
具合悪いんですけどーって素直に言えるのいいよなナナシ

 具合が悪い気がした。

 ずいぶんと今日は重力が強い。そんな日がある。多くの場合は曇りだった。
 ナナシが「具合が悪い」という状態を理解するのに十年と少し、高校生になるまでかかったように思う。家庭環境のおかげか体調不良はしょっちゅうだったけれど、ナナシは自分の体調というのをあまり真剣に受け止めたことはなかった。考えたってどうにもならないことのひとつだからだ。
 具合が悪いというのは、ピーピーと警報が鳴っているような状態のことを指す。警報が鳴っているからといって、どうしようもなければ、それはただ鳴っているだけだ。用を満たせずに動けない、役に立たないので殴られる。「具合に良いも悪いもあるかよ」、というものだった。切ってしまえばラクだから、ナナシはずっとそうしてきた。

 これ以上立っていられないと思うと、ナナシは、鍵のかかってない屋上にいってぷらぷらして、積み上がった植木鉢のとなりで、古びたすのこに寄りかかって寝る。
 休み時間になると屋上に立ち寄る生徒たちもいたが、ナナシがいるのは用具がばらばら落っこちている影の方だ。電源を落とすみたいになにもしないで、ただ波が過ぎ去るのを待つ。具合が悪いと言っていたメリーティカが現れて消えた。ああ、具合が悪いって言ってしれっと授業を抜けている癖して、上級生に絡まれていた。ひねくれた気持ちで積み上がった資財を蹴り飛ばすと大きな音が出た。それで静かになったのでまた寝る。瞬きをすると、先生の顔が目の前にあった。
「ちょっと、ナナシ……
 屋上で寝入ってしまってから、
「あ、よかった、起きた」
「サボってました」
「身体冷やしちゃうよ。具合、悪いの?」
「ほっといてください」
「放っておけないよ」

***

 最近になって、ようやく耳を澄ませると警報が鳴っているのがわかるようになった。

「先生、」
 鈴を転がすようなメリーティカの声が、コーラルが板書する手を止めた。チョークの粉がはらはらと垂直に落ちていって、その間、メリーティカの発言がうつくしく響き渡った。
 ナナシの目から見て、具合が悪い、というのが良く似合うヤツがいる。メリーティカなんかそうだった。家の事情で寮に移ってからは少なくなったが、前はしょっちゅう保健室に行っていた。今日もまた。
「ごめんなさい、ちょっと具合が悪いの。頭が痛くて」
「そっか、大丈夫? 誰か、保健室に連れて行ってあげてくれるかな」
 うつむいて楚々として教室を出て行くメリーティカはほんとうに可愛げを絵に描いたようなすがただった。思わず手を差し伸べたくなる造形。
 ああ、俺もそういえば具合が悪かったな、とそのときナナシは思い出した。メリーティカのそれは、ナナシの具合の悪さとは別物だと思っていた。女子ならまだしも野郎が、しかもケガもしてないのにサボるような権利はない。それだけ働いていないのだから。
 いや、違う、なら何故だ? 
 でもどうしてか、ナナシは言うタイミングを逃がした、と思った。同じ授業で2回具合が悪いなんて生徒が出たらまるでボイコットだし、確率的に……。いや、気まずい。
 級友に対してはそんなことは思わない。テメー嘘ついてんだろ、なんてことは。けれどもナナシはタイミングを逃したと思ったし、気のせいだということにした。
「ナナシ、ナナシ君」
 机に突っ伏していると、巡回するコーラルが慎重に肩をつついた。
「すみません。眠くて」
「具合が悪いんじゃないの?」
 ほんとうにそうかもしれない。言われるとアラートがまたぶりかえしてわんわん呻きだしている。
……ちょっと、熱、測ってきます」
「うん。君、具合が悪いなら、熱がなくても寝てなよ?」
……
「ええと、誰かついて行ってあげられるかな」
 ローランドに思いっきり担ぎ上げられたのは、情けないので言われたくない。

***

「わたしのこと嫌いでしょ?」
 薄いカーテンを揺らして我が物顔で窓を開け、メリーティカは微笑んだ。
…………
「うん、具合が悪いのはホント。でも、優しそうな先生の時ばっかりって思ってる」
 見透かすような目。
……悪かったよ」
「何がいけないの?」
「悪い?」
「いや?」
「そうだよね?」
「一時的な逃げだろ、それ。卒業したらどうすんだよ」
「どうにかなるわ」
 体調を取り戻したらしいメリーティカはぴょんとベッドから飛び降りる。振り返って一言。
「それと、屋上ではありがと」

 昔は、ナナシだって殊勝にも「うまいことやれば殴られない」というルールを信じていたころがあった。けれども、それも結局ランダムに相手の機嫌値に左右されるので、考えるだけ無駄だということに気がついた。こっちが普通なんだろうか。
 不思議なことに、体調を崩すのはコーラル・ブラウンの授業のときばかりだった。授業、好きなのに、いやいや、ほんとに。言い訳みたいに教科書を開いた。体がだるくて諦めたが、授業は本当に受けたかった。
 視線を感じて顔を上げると、初等部のノロイが、じーっと窓にかじりついていた。おでこに冷却シートを貼っていた。
「むう。お主か」
 具合が悪そうには見えない、と思った。
……思っただけだ。
「サボリではないぞ。ノロイは神主を待っているのだ」
 なぜか、ノロイは勝ち誇ったようにえっへんと胸を張った。
「そう」
「お熱が出たので、大丈夫だけれども念には念を入れて帰るのだ」
「そう」
 それがいいだろうな、とナナシは思った。
 それが正常だ。まっとうに生きられるヤツはそうすればいい。居心地悪そうに身じろぐナナシにノロイがじっと目を丸くする。
「なんだ、ここは初めてか? なんだ。ノロイが教えてやろうか?」
 どいつもこいつもサボりの味を占めやがって、とナナシは思った。それとも世界というのは、結構こんなふうに出来ているのだろうか。
「今日は給食を食べないで、代わりに特別にごはんを買ってもらうのだぞ。でも、ゼリーは寄こしてもらったのだ」
「ゼリー」
「ゼリーなら食べられるのだ。あとアイスとか」
 ナナシには「消化に良いもの」、という概念が長いことなかった。今も知識として知っているだけだったりする。そりゃあ幻想だろ? 腹減ってたらなんだって美味いんだから。
「このときばかりはわがままは通るのだ。チャンスだぞ」

「神主」とやらに連れられてノロイがかけていく。
 とはいってもナナシには迎えに来る相手もいない。と思っているところでチャイムが鳴って、しばらくのちにコーラルがやってきた。
「具合、どう? じっとしててえらいね」
「授業サボるのが偉いんですか? それなら俺またサボっちゃおうかな」
「そうじゃないでしょ」
 コーラルはじっと回答を待っている。ナナシはこの間が苦手だった。言い訳を書き込む欄だ。
 この人は何を望んでいるだろうか。……間違っても別に怒られたりしないのが最近分かってきた。だからよけいに分からない。
「良かったらこれ。お昼ご飯のあまりなんだけど。どっちか手伝って」
 コーラルは麦茶とブリックパックのミルクティーを見せる。それからプリンとミカン入りのゼリー。
 甘いモンかよ。贅沢なことを考えた自分の思考回路が一瞬わからなくなった。
……ゼリーで」
「はい」
 この人はやりすぎてる。生徒に対して入れ込みすぎている。わきまえろ、と言い聞かせながらコンビニの袋は受け取った。お腹はすいていた。
 ゼリーをすくって食べてみたら、なるほど、確かに食べやすい。つるつるして味が果物くらいしかない分食べられる。言い伝えって本当だったんだな、といったような他人事みたいな感覚を覚える。
「アンタの授業嫌いじゃないです。さいきん、やっと面白くなってきましたし……
「熱は下がって。というか風邪でもないみたいで」
 症状がないと言い訳にならないみたいで、ケガでもしてないと見せられる証拠がない。
「よかったじゃない? 偉いよ。具合が悪い――。というのはSOSのサインだから。僕をそれだけ頼ってくれてるんでしょ。でも、授業が好きなら、良かったなあ」
「はいはい、好きですよ。一番好き」
 嘘みたいなところにホントを混ぜたらへらっと笑った。冗談ごかしたか信じてるかイマイチ分からない顔だった。「三番目くらいに好きです」と言うとそんな、と眉が下がって少し気が済んだ。なぜかずっと具合が悪くなってきた気がしたし、ずっと具合が悪ければ良いのにと思った。

 具合が悪い気がした。