空港への道がすら、無駄をそぎ落としたナナシさんの運転がハイウェイを常識的な速度で飛ばしている。恐ろしいことに1時間経ったというのに、施設長と
「今度のヤマだけど……やることわかってる?」
「はい。ナナシさんのおかげで、だいたいは把握しました」
「大丈夫だよ。ねっ!」
「はあ」
施設長が何か喋るたび、ナナシさんがラジオの音量をいじった。
どうやら、施設長とナナシさんはケンカしているようである。
さっきから、ナナシさんの施設長への返答が「はあ」「まあ」「たぶん」の3種類しかない。
施設長も施設長で覚悟を決めているようで、ナナシさんからふいっと目を背けて「いいもんねっ」という態度である。
ことの発端は、施設長が出張(1週間)にナナシさんを連れて行かないと言い出したことだった。
「ナナシにばかり頼りすぎるのはよくない!」という主張である。
施設長がどうして急にナナシさんから独り立ちしようと思い立ったのかはわからない。「とにかく、今回ナナシは連れて行かない!」の1点張りである。
最初のころはナナシさんは半笑いで、「俺なしでやっていけるとでも?」と余裕ぶっていたものの、施設長は本当にひかなかった。
滞在先のホテルの予約を自分でとり、いよいよホンキだとわかったところで、ナナシさんは脅したりすかしたりなだめたりするのをやめ、「ああ、そうですか」と言い、休暇届を突き付けた。ちょうど一週間。「もう俺は知りませんからね」の構えである。
……当たり前のようにハンドルを握っているが、今も休暇中じゃないか、この人?
こうはならないようにしよう、と僕は決意を固めていた。
ふだんからいっしょうけんめいに施設長のために尽くしてきたナナシさんにとっては青天の霹靂だったことだろう。
じぶんとしては、ナナシさんから役目を奪う形となったようで肩身が狭い。まあ、ナナシさんは責任感のあるHANOIだとか、仕事上の嫌がらせとか、そういう心配はしていない。
かわりに、ナナシさんが施設長を見る目はおそろしく冷たい。
「あっ、見て、ヘンな形の看板がある!」
施設長の目元はちょっぴり赤かった。ナナシさんがフン、と鼻を鳴らす。
今日は朝起こしてもらえなかったらしく、施設長の後頭部にはごしゃっと寝癖がついていた。それもどうかとおもう。
「着きましたよ」
そつなく空港にやってきた。余裕を見て朝早くにたどり着いたので、空港のお店はまだあいていない。
「じゃ、あとはよろしく」
ナナシさんは施設長お世話係(特別監視)タグを僕の首にかけ、A4サイズの封筒を手渡す。
なんだろう。表には①とだけ書いてある。
「ああ。今は開けないで。その封筒、困ったときに開けて」
「困ったとき……わかりました」
施設長は不自然に「ひょえ……」とのけぞった。
「ナナシ……お土産は何がいい?」
「……お元気で。今までお世話になりました」
施設長の呼びかけを無視して、ナナシさんはわざとらしくどこかに消えていった。
二人残されて、空港のベンチにこしかける。
「ごめんね。迷惑かけて……でも、これは僕にとって乗り越えなきゃいけない試練なんだ」
「いったい何の試練なんですか?」
「うん。ええとね、ここのところ、ナナシが。頑張りすぎてるから……ナナシがいなくても、大丈夫だよって示さないとならないんだ」
施設長の言うことにも一理はある。
たしかにナナシさんはちょっと仕事がデキすぎる。もちろん、なんとかなるように業務を割り振ったりはしているのだが、デキる人のところには自然と仕事が集まってしまう。
自分が知る限り、ナナシさんが仕事を休んだのは、メンテのときか、施設長が体調を崩したときくらいだった。
ナナシさんしか出来ないことが多すぎる。
それを思えばたしかに、ワーカーホリックをいさめる良い機会なのかもしれない。
……施設長も、10年たってナナシさんから卒業する日が来たのかもしれない。いや、卒業とまではいかないにしろ、もっとケンゼンで適切な距離を保つというべきか。
「だから、がんばろう」
「うん?」
ベンチに座った施設長は、バスケットの包みを広げた。出発の時に「いらなかったら捨ててくださいね」とか言ってナナシさんが渡していたから、ナナシさんが作ったやつである。ありがたいことに僕のぶんまであった。
「ぼくたちふたりで、ナナシ君がいなくても、できるところをみせてやろうね!」
「? あ、はい……」
ハムとマーマレードとパセリサンドは、とてもおいしかった。
***
飛行機での移動というのはなかなかたいへんだ。持ち込む予定の手荷物が大きすぎたり、あれがない、これがないとわたわたしているうちに、列を2度並びなおす羽目になった。油断していると、あっという間に列を抜かされる。
7時間のフライトを経て、ようやく目的地にたどり着いた。
タクシーを探していると、しれっとニット帽をかぶってサングラスをかけた見覚えのありすぎるHANOIが後ろに並んだ。ピンクの頭をしている。
「あれ、ナナシさん?」
「な、ナナシ!」
ナナシさんはいっそすがすがしいほどのわざとらしさで「?」を浮かべる。ぜったいにわざと。グラサンをカチャッとはずすとしげしげと全身を見た。
「へぇ。偶然ですねぇ……」
「な。何しに来たの!?」
「何って、休暇を使って旅行に来ただけですけど悪いんですか? HANOIが旅行しちゃ」
「な、ナナシ!!!」
俺はあんぐりと口をあけた。
ハイスクールのローティーンだって親と離れて1週間はもつぞ。
「あ、ここ、ここだよ!」
人にもみくちゃにされて、よれよれになり、ほうぼうの体でなんとかホテルにたどり着く。結構立派な外観のホテルだ。
しかし、フロントから、無情にも予約をとれていないことを告げられる。
「施設長……?」
「お、おかしいな……。たしかに、予約、たしかにしたはずなんですけど」
……。ど、どうしよう。
結構迷ったせいで、外はすっかり夜だった。なんとかここで予約を取るか、ホテルを取り直すべきだったが、今時期はあいているかどうか……。
「こうなったらナナシさんに頼るしかないですね」
「あ。ああー! だめだよ! 大変なことになっちゃう!」
施設長の静止を振り切って①の封筒の糊付けをあけた。施設長が目を覆ったが、中に入っていたのは、紙きれと、そしてまた封筒である。
「あれ?」
ホテルの予約の記録のプリントアウトだ。
施設長の予約は間違ってない。
それを見せると、フロントは一転して態度を変え、ブッキングを謝った。僕たちは、もっとよい部屋に泊まれることになった。
「あれ? 一部屋なんですか?」
「えっ!? おかしい!?」施設長が受け取った鍵を見る。「あ、おかしいのかも!? ごめん」
「いや、別に大丈夫ですけど」
別に同性だし、別に施設長のことはきらいではないので問題はなかった。施設長が風呂に入ったすきに、封筒を眺める。
恐るべき、ナナシさんの洞察力。
ということは②の封筒を開けたら、この先待ち受ける困難が予想できたりするんだろうか?
いや、しかし……。施設長が異様に嫌がっているところを見ると、もしかすると退職届がでてくるかもしれないし。
僕はこの仕事を愛しているが、ナナシさん抜きでやっていける気がしなかった。
施設長が大好きだし、この仕事が大好きだし、それでも、好きだけじゃやっていけない部分もある。
***
翌日。
ストライキでバスを逃して道をそれた僕たちは、あっという間に治安の悪い道へと迷い込み、気が付いたらあまり友好的ではないHANOIに囲まれてしまっていた。
うっかりの判断ミスである。施設長の「大丈夫!」を真に受けるんじゃなかった。
「――? ――!! ――!!」
ぶつかってきたHANOIが何かをわめいていた。おそらくは金銭の要求だ。HANOIたちの敵意は、HANOIである僕ではなく、施設長のほうへ向いている。
仲間に腕を掴まれて、次第に険悪な雰囲気になる。
「施設長!」
「うう、どうしてこんなことばっかり……どうしよう……」
「施設長……今すごく困ってますよね?」
「あっちょっと! ちょっと待って! まだやりようは」
「いや、それで解決することではないんじゃない!?」
さすがのナナシさんも、こんな暴力沙汰を予想しているとは思えないが。
困ったときのナナシさん。②の封筒をべりっとあける。
もしかしてお金とか、入ってるのかな。
次に出てきたのは……なんだ? 写真である。
「! ――!! ――!!」
HANOIたちの態度が突如として軟化した。
「きょ、キョウダイ?」
ゲラゲラ笑い、誤解だったと何やら肩を組み、写真を撮り始めた。
写真に映っているのは布教用HANOIの満面の笑み。なんとまあ、HANOI教アダムスの印籠である。
いかめしいHANOIたちは一転してマブダチとなり、果物を押しつけながら、あっちの店が良いだとか、ここが穴場だとかをまくしたてている。
「すごいですね、キョウダイ」
「このへん、HANOI教の支部、できたんだあ……」
さすがは教祖、様様である。
そしてまた、封筒の中には封筒が入っていた。③と書いてある。すかしてみたが、どうやらこれで最後っぽい。
「でもほんとーにたいへんなことになるかと思ったよ……それにしてもよかった。僕だって彼らを傷つけたくはないし……」
「えっ?」
施設長は鞄から怪しい装置をこっちにみせた。HANOIの妨害装置だ。いかにもこのままカツアゲでもされそうだとは思っていたが、いちおう、反撃の手段はあったのか。
「っていうかこれ、君にも効いちゃうしね」
「ひえー……」
改めて、施設長の側にいることは並大抵のことではないなと思うのである。
……通りの向こうで、ちらっと去っていくニット帽のピンク頭がいた。素直じゃない。僕はぎゅっと胸元の施設長お世話係タグをにぎる。
何があるかわからないこのご時世のこと、自衛の手段はたいせつだ。何を隠そう、コイツは小型の発信器である。
***
それから、僕らは滞在の間、風呂のお湯が出なかったり、朝食がべちゃべちゃのオートミールだったり、考えられる限り悲惨な目にあった。
そのたびに最後の封筒を開けようとして「いや、それはだめ!」「今じゃない!」「永遠に取り返しがつかなくなる……」「ちょっとうれしいけど……いやでも……」と深刻な表情の施設長に止められた。
こうもなにもかもがうまくいかないと、かえってナナシさんのありがたみがわかるというものじゃないだろうか?
それともすべてがナナシさんの策略なのだろうか。
いやまさか。こんな離れた土地で全てを予測できる、なんてことはないはずだ。
「このカンファレンスを終えたら……終えたら無事に帰れる……」
「施設長」
「どうしたの」
「資料が、……資料がないです」
「えっ」
施設長は慌てて書類鞄をひっくり返す。
「あと10分です、大丈夫ですか?」
係の人に思わず声をかけられる。
「うう……」
「……これはもう、ナナシさんに頼るしか」
「だ。ダメだよ! もうこれだけは絶対に出すわけにはいかないんだ!」
「そんなこと言ってる場合ですか。観念してください。これでダメだったら別の手段を考えなきゃならないですし。第一、施設長が悪いんじゃないですか」
「ああー!」
縋る施設長の隙を突いて封筒を開封する。そこにあったのは――。
「なんだ、発表資料ですよ」
「えっ」
「机の上に忘れてましたよって。メモが挟まってます。ホラ」
「な、なんだあ! なんだ!」
***
カンファレンスは順調に終わったものの、結局、最初から最後までナナシさんの段取りのありがたみを感じる旅になってしまった。
帰りの飛行機に乗るころにはもうぐったりしていて、すっかり斜め後ろでアイマスクをしているナナシさんにツッコむ気力もない。
「んで、お分かりいただけましたか?」
「もう2度と置いて行ったりしません……」
施設長の返答に、ナナシさんは満足したように鼻を鳴らした。
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