頻子
2021-04-26 20:39:14
4117文字
Public TOH二次
 

HANOI保護施設の怪談

ナナシがこわい

 HANOI保護施設の休憩室。
「心配しないで。誰にでもあることだから」
 過呼吸ぎみの新人HANOIの背を、先輩HANOIがさすってやっている。
 新人はしどろもどろになりながらも、何かを必死に訴えていた。話の内容はまるで要領を得ない。かろうじて「ナナシさん」「施設長」という単語が聞こえるだけだった。
「ま、誰もが通る道ですね……
 春のたびに見なれた光景だったので、中堅HANOIは構わず雑誌を読んでいた。
 ぱり、とせんべいの音が響いた。
 今日は土砂降り。カーテンを閉め切ってしまえば、空は曇っていてずいぶん暗い日だ。ごろごろと雷が鳴っている。
「おいおい、何かあったのか?」
 休憩室にやってきたベテランHANOIは、隅で震える新人の様子を見てすぐに察した。
「ああ、アレか。怖いよな。わかるよ」

 HANOI保護施設、『TOWER of HANOI』に務めていると、施設長と雑務用HANOIについてわからなくなる瞬間が訪れる。
「気が付いてしまった」職員は、こうやって処理落ちする羽目になるのだ。
「話せる?」
 コップの水をあおると、新人HANOIはつっかえつっかえ話し始める。
「あの……誰かが、誰かが忘れてって、布の、手を拭く、ええと」
「ハンカチ? タオル?」
「ハンカチ……。忘れてって……あの……チェック柄の、隅っこに刺繍、入ってるやつで。施設長のかな? って思って。いちおう、ナナシさんに聞いてみたんです。そうしたら。げふっげふっ」
「無理するな。な?」
「そうだね。一気に情報を飲み込むと体に悪いからね……
「何も考えちゃダメだよ」
「そうしたら、そうしたら……そうしたら、ふええ、ナナシさん、ちょっと匂いをかいで……”違うな”、って言ったんです」
「ああ」
「ああ」
「ああー……
「え?」
 経験の長い3人のHANOIの反応は軽い。きょとんとする新人HANOIに、先輩HANOIが注釈を加えた。
「ナナシさん、施設長と住んでるよ」
「え?」
「一緒に住んでるってこと」
「え?」
 嚙み含めるように言ってやると、新人HANOIはまたしても軽くフリーズした。
「え?」
「あの人、住み込みですからね」
 あの笑顔が外部外付けHDDみたいな雑務用HANOIが、せっせと家事をやっている姿が全然浮かばない。いくら浮かばなくとも、ナナシは洗濯をするし、白いシーツを物干しざおに干す。
「どのくらいかしらないけど、家事とか、かなりやってるんじゃない? たぶん、シャツだってナナシさんがアイロンかけてるよね、あれ」
……そういえば。この前、珍しくネクタイが曲がってるな、と思ったけど、あれも……たしかナナシさんがメンテのとき……ああああ!」
 点と点がつながり、情報の洪水を起こす。こうなるともうダメだ。何も考えられなくなるまで放置するしかない。
「もう……ここでまともなのは俺たちだけですよ。ほんとに俺たちだけです」
 中堅HANOIはお茶をあおった。
「他の人たちが平気で働いてるの、信じられないですよね」
 保護施設で働くすべてのHANOIが、施設長と雑務用の迷宮に迷い込むわけではない。
 強い意志の力と防衛本能によってひらめきに蓋をし、「何も気が付かなかったことにする」もの。「そうなんだ、ふーん」と興味を持たずにスルーするもの。それから、「ボクは施設長(ナナシさん)が幸せならオッケーです!」という一派もいた。
 このような多様性を獲得することで、HANOIたちはかろうじて生きてきたのだ。
「うう……
 比較的真面目な新人は、どうして自分がこんな目に合わなくてはならないのかと自問する。
「さいきんのやつは、「給料さえもらえればそれでいい」ってやつもいるよな。ぜいたくだよな」
 震える手がコップを取り落とした。
「どうしたの!」
「フラッシュバックだ!」

――ナナシさんっていくらくらいもらってるんですか?
――もらってねぇけど。

 可哀想な新人は、ソファーに寝かせておくことにした。
「そっちの部署の新人はどう? どっち側ですか?」
「うーん。まだ。こっち側じゃないね……というか。新しいあの子、どうなの? ナナシさんの前で、施設長の独身いじりはだめって教えてあげなかったの?」
「俺は言いましたよ! 施設長気にしてるからって言いました!」
「なんかやらかしたのか?」
「いや、新しい子今は出会い系アプリとかあって~って施設長にさ……
「あー……
「あー…………
 ナナシの凍てつくような視線を想像すると、部屋の気温が2度下がるような心地がした。実際、急にさむくなった気すらする。
「暖房、入れようか」

「私、いい?」
「どうぞ」
「この前、ナナシさんだけ、先に直帰したときなんですけど」
「そ、そんな日があったんですか! なんだ。ぜんぜんべったりってわけでもないんですね!」
「寝てろ」
「その日はナナシさんのメンテでね。いや、どうしても日帰りで数回に分けてメンテしたいって強い希望で……
……
「で、……そういうときは、施設長は必ず定期連絡入れるんですけれど……みなさん知ってますよね?」
「あ、はは、知ってます……
 一度、施設長がスマホを忘れたとき……ナナシから、鬼のように電話がかかってきた。
「まあ、それは……防犯用の諸々とかあるんだと思いますよ。一応、敵も多くて心配な身では……身では……ハイ」
 中堅HANOIは必死に受け身をとった。
「で、それでですね。メッセージアプリ立ち上げて、ってところで、ちょうど部署の女の子が、コップ割っちゃったんです。結構ざっくり切れちゃってて、これは手当しなきゃってことになったんですよね」
「痛そう」
「施設長が。時計をちらっと見て、”少し遅くなるけど、これから帰ります”って送ってくれるかな? って、私に。ひょいって。スマホを渡したんです」
「それで?」
「別に。何もしてないんだよね。『これから帰ります』って書いただけ。そしたらすぐ折り返しで連絡がきたんですよ」
……
「私がもしもし、っていう前に。アンタ、施設長ですか? って」
「ひっ」
……
「え? え?」
「どういうこと?」
「何?」
「代理だって言ってないんだよね?」
「言ってない。事務連絡で、昨日のログが残ってるんですよ」
「はい」
「別にね、それとも差異がないんですよ。私も、余計な事したくなかったから、上のほうのログから、真似して入れたんです。ただ。ほんとうに『これから帰ります』ってだけ。
でも、なんか、電話がかかってきて、そこにいないのかって聞かれて。ちょうど、施設長が戻ってくるところで代わったんですけど」
「怖い怖い怖い」
「盗聴でもしてるの?」
「盗聴でもされてた方がましじゃない!?」
「落ち着いて、基準が狂ってきた」
「ナナシさん曰く。昼に凝った好物を作ったのに言及がなかったから。書き込み中の表示が見えてからの間。あとは勘、だそうです。……以上です」
 お通夜のような空気になった。
 新人HANOIのすすり泣きが聞こえてくる。
「それでひとつ思い出したんだけどさ」
「何?」
「前に、施設長が出張にいったとき」
「ああ。単独の……
「ナナシさんだいぶ遅くまで残ってたんですよ。
それで、今日は帰ってくださいって言ったんですよ。だいぶ手伝ってもらってましたし」
「はい」
「そしたらさ……帰り支度してさ、お疲れ様です、っていうでしょう。ナナシさん、”帰りたい”って言って帰ってったんですよ」
「え?」
「はい?」
「どういうこと?」
「すぐにでも帰りたいって意味……じゃないの?」
「そんなわけないだろ。帰ってるんだから」
「場所が、相対座標になってるんじゃない? 家は施設長の隣ってこと?」
「重……
「やっぱり、正気じゃないんだよ」
……寒いですね」
「寒い」
 すこし暖房を強めた。春だというのにずいぶんぞくぞくくる。

「先輩はなんかないんですか。ひえってエピソード。ベテランでしょ」
「俺は…………俺はもうナナシさんは怖くない」
「流石ですね」
「施設長が怖い」
 ベテランHANOIが重苦しい声を出した。
……え? 施設長? あの施設長?」
「もうナナシさんについては俺は割り切ってる。そういう生きざまなんだって思ってる。でも、俺が一番怖いのはナナシさんをそばに置いておく施設長なんだ」
……施設長怖いって、なんでですか?」
 ベテランHANOIはいっそう声を潜めた。
「俺、今まで……誰にも言ってなかったけどさ……。施設長に、一度進言したんだ。雑務用とは、距離をとったほうがいいって」
 えっ、と、ざわめきが満ちた。
「ええ!?」
「うわ……
「それ……よくナナシさんに消されませんでしたね……
「いないときをねらったからな。……言い出そうと思ってから3ヶ月かかった」
「3ヶ月間べったりだったってことですか!?」
「寝てろ新人!」
「真面目に……?」
「結構マジだった。もうなんか、ナナシさんべったりすぎるって。言った……そしたらさ、施設長はなんて言ったと思う?」
「自分でもそう思いますとか?」
……ごめんなさい?」
……反省してます?」
……”それ、ナナシ君には言わないほうがいいよ”……
「ひわっ」
 不意に、一瞬あたりが光って、急激に暗くなった。雷だ。
 端的に言えばブレーカーが落ちたのだが、あまりにもタイミングが良すぎる。
「うわっ何!? 呪い!?」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「もうおしまいだ」
「いや、……アンタら、何してんの?」
 ぱっと懐中電灯がついた。ナナシだった。続いて、電気が復旧する。
「うわああああ!」
「なんだよ。死人でも見たような顔しやがって。いや、いいけどさ。休み時間くらい好きに過ごせば……でもなに。怪談? ……そういや、俺、尸童用HANOIにあったことあるぜ」
……
 それよりももっと恐ろしい、名状しがたい何かである。