頻子
2021-03-15 18:52:15
2453文字
Public TOH二次
 

ライター捨てられますか

ナナシさんと清掃員さんぶつけたら良い火花が散る気がするんだ!!!やめろ!!!離してくれ!監察官はそんなこと……。
やっぱり謎時空で、何でも許せる人向けです。

 今日は雨が降るな、という予感がした。
 ナナシは部屋の隅を睨んでいる。
 身体の調子はずいぶんマシになったものだが、それでもまだ、天気の良くない日にはなんとなく身体が軋む感覚がある。それで、今日は雨が降るなと予感したのだ。
 スマートフォンの告げる天気予報によると、降水確率は20%ほどらしい。きっと、あとからもう少し多めに書き換わるだろう。
 玄関の傘立てには、二本の傘がささっている。折りたたみ傘は大きい方の鞄の中にあったから、監察官は、どうやら傘を持っていないらしい。
 ふと、「迎えに行きましょうか」とスマートフォンに打ち込むところまでいった。けれども、「大丈夫」と言われる未来が見えたので、やめた。
 あの人は、ナナシが雨の日に不調を訴えていたことをしつこく覚えていて、今日もカーテンを引きながら「そういえば、元気?」と聞いたのだ。……天気の方を気にすりゃいいのに。
 ナナシは、傘を二本持って監察官を迎えに行くことにした。駅ならば、いくらでも用事はつくれるのだから、言い訳はどうとでもできるだろう。何か買い忘れたとか、新しくできたパン屋に寄ってみたかったとか、もうあったかくなってきたので、コートをそろそろクリーニングに出したかったとか、……それか、もっと露骨に、ちょっと散歩したかっただけですと言ってもいい。
 会いたかっただけです、と言うのは流石に照れくさい気がする。
 駅までやってきたナナシの目に、ふと見慣れたコートがうつった。
 喫煙室の囲いの中に、コーラル・ブラウンによく似た人物を見つける。他人の空似にしては似ているな、と思ったのだが、いや。
 彼本人だ。
 監察官の肩越しで、緑の制帽をかぶった男がかったるそうに煙を吐いていた。監察官の表情は読めないが、たいして面白くなさそうに煙草をもてあそんでいた。
(何してんだ……
 この角度だと、監察官が何を言ったかは推測すらできない。
 代わりに、作業服を着た男の唇の動きを追った。ぼんやりと窓を見ていた監察官がゆるゆると頭を持ち上げたので、遅れて、それが、「コーラル」、と、名前を呼んだことがわかった。
 ナナシは、急に具合が悪くなったような気がした。監察官は監察官だ。いつもへらへら笑っていて、悩み事がないような顔をして。酒もたいして飲まないような、そういう人物のはずだった。
 アンタ、煙草なんて吸うんですか? 全然、似合ってないですよ。
 監察官は慣れない様子で灰皿に灰を落とした。ぜんぜん。

 監察官にこんな一面があるなんて想像したこともなかった。
 傘を渡す気にもなれず、声を掛けることもなく、気が付けばそのまま家に帰っていた。スマートフォンを睨み、「今日はちょっと出かけてくるね」なんてことを寄越してはこないかと危惧していたが、監察官はすぐに帰ってきた。、本当に休憩していただけだったようだ。
「ああ、おかえりなさい?」
「うん、ただいま。今日は雨だったねー、濡れちゃったよ」
 ふわふわした髪の毛は、ぺったりと濡れている。なぜか今日だけは、当てつけのように風邪を引けばいいのにと思った。
「風呂でも入ったら?」
「そうしようかな」
 コートからはやはり煙草の匂いがする。ああ、あれはやっぱり監察官なんだな、と改めて思わされるようで、ナナシは思い切り顔をしかめた。
「煙草……
「あ、匂う……?」
「俺、煙草嫌いなんですよね……、前に、嫌な思いしたんで」
 監察官はさっと顔色を変えた。わざとひどい時代のことをにおわせると、監察官はいつも痛ましげな顔をする。
 ……どうしてそういう優しさはあるのに、おれの不愉快には気がつかないんですか。
「ごめんね」
「いえ」
 上手くいかない。今日は良い日だったはずなのに。舌打ちをしながら、コートを洗濯しようと思った。ポケットを探ると、何か固いものが指先に触れた。100円ライターと、ひしゃげたタバコの箱だ。煙草はあと一本だ。
 洗濯機を回し始める。
「ちょっとごめん! あの、上着のポケットに!」
 監察官が、血相を抱えて戻ってきた。
……
……洗っちゃった?」
「はい」
 中身は取り出しましたけどね、などよ親切なことをは言ってやらない。口を開けば余計なことをいう気がする。
「そっか……うん、ごめん」
 監察官は目に見えて落胆した。
 どうしてそんなにがっかりするんですか。そんなにこの煙草と安物の100均ライターが大事ですか。言うことは出来ずに、ただポケットの底にしまい込む。
 今日の夕飯は温いシチューだが、あまり味はしない。
「そういえば、あの人とアンタって付き合ってたんですか?」
「あはは、まさか」
 監察官は、リモコンを片手にテレビをつける。
「娘さんがいるんだよ」
 どうしてそれがまっさきに口から出てくる理由になるのか。もっと、立場の違いだとか、データだからとか、挙げられるべきはそういうものじゃないのか。そもそもそんな仲じゃないとか、嘘でもいいから言ってほしかった。
 俺にはアンタしかいません。
「でしょうね」
 釘を刺すように、そう言うしかなかった。テレビのニュースは全然頭に入ってこなかった。

 ごめんね、ポケットにライターが入っていたのだけれど、大丈夫そうだったら、あとでちょうだい――
 ナナシは、ベランダで最後のタバコに火をつける。
 やはり不味い。舌がびりびりするし、これに火をつけても嫌なことしか起こらない。でも、俺だって煙草くらい吸えますよ、アンタよりずっと上手に、と白い煙を吐いた。愚痴を聞くことも出来ますよ。他愛ない話だって出来ると思う。
 けれども現実、煙草なんてものを吸わせたくなかったし、こうして最後の一本を隠れて自分で始末している。
 ぜんぜん、大丈夫じゃないです。
「監察官、分別の仕方知ってますか。ライターなんて捨てたことないでしょ?」
 レバーを押し続けると、ガスが小さな音を立てて抜けていった。