黒竹
2024-01-13 02:19:05
6898文字
Public ひろがるスカイ!プリキュア
 

花にわずらえ

【ソラまし】
ややツバエル風味もあり

 廊下から聞こえてくる足音がいつもよりバタバタしているような気がして、ヨヨとお茶を飲んでいたあげはは立ち上がって様子を見に行ってみる。廊下には、あっちこっち行ったり来たりしている小さな女の子と、弱りきった様子でそれを追いかける少年の姿があった。
「プリンセス、もうとっくにお昼寝の時間ですよ。いつもみたいに絵本を読んであげますから、部屋に戻りましょう」
「やー!」
 断固拒否の姿勢を崩さないエルにがくりと肩を落とすツバサ。もちろん、運動能力も手足の長さも比べ物にならないんだから、エルを捕まえようと思えばすぐにその腕に閉じ込められるのだが、そうは言っても相手はプリンセス、手荒なことをする発想すら優しい少年には浮かばない。
 というわけでさっきからほとほと困り果てつつ、なんとなくエルを追いかけているしかないツバサ少年である。
「あらら、エルちゃんちょっとぐずっちゃってる?」
「あ、あげはさん。その……さっきまでましろさんと絵を描いて遊んでいて、そのときはいつもどおりだったんですが……
 お昼寝のためにボクが代わった途端この有様です。肩を落とし、どうしたらいいんでしょうと全身で訴えてくる。あげはは苦笑しながらツバサの頭をぽんと撫で、それから頬を膨らませたままのエルを抱き上げた。
「エルちゃん、どうしたの? まだ遊びたい?」
「んーん」
「じゃあおなかが空いちゃった? 先におやつ食べようか」
「ちなうの!」
 エルは短い手足をバタバタさせて激しく抗議。あげはは落としてしまわないようしっかりと支え直しながら首を傾げる。
「ツバサ、声がへん! かいじゅうみたいでヤ!」
「声?」
 言われてツバサも自身の喉を押さえた。それから「そういえば」と軽く咳払いする。
「今朝から少し喉の調子がおかしくて。体調は悪くないですし、咳も出ないんですけど」
「そうだね、言われてみれば声がかすれてるかも? 風邪とかじゃないんだよね」
「ええ、熱もありませんし、この通り元気いっぱいです」
 両手を拳にして肩まで上げ、元気いっぱいをアピールしてくる。顔の艶も良いし、あげはから見ても体調を崩しているようには見えなかった。
 ふむと顎に手を当てて黙考。ツバサの年頃だと、もしかしたら。
「少年、声変わりなんじゃない?」
「え?」
「プニバード族が人みたいに声変わりするのかは分かんないけど。でも大人の人たちはみんな声が低かったし、少年もその時期に入ったってことはない?」
「あ……はい、人型についてはボクたちも声変わりします。そっか、全然気づかなかった」
 ようやくエルの不機嫌の理由が分かった。いつもよりガサついた、荒れた声が嫌だったらしい。声変わりは数日から数週間かけて進んでいくから、後できちんと説明してエルに分かってもらわないといけない。
 それにしても「怪獣の声」とはひどい言われようだ。ランボーグみたい、なんて言われるよりはマシかもしれないけれど。
「ツバサ、びょうき?」
「病気じゃないよ。男の子はみんな声変わりっていうのを経験するの」
 エルが理解できるようにどう説明するか、ヨヨさんか王様たちに相談しようかな、と内心で思案しつつ、今日のところはとエルを抱いたまま寝室に足を向けた。
「少年も喉が落ち着くまではあんまり話したりしないほうがいいし、しばらくは私がエルちゃんのお昼寝当番するよ。読みたい本があるって言ってたでしょ? この時間使いなよ」
「あ、はい……ありがとうございます」
 頭を下げて礼をしたものの、ツバサはなんだか複雑そう。プリンセスを守るナイトとしての矜持が傷ついたのかもしれない。お昼寝の面倒を見るナイトもそうそういないと思うんだけれど。プリンセスの安眠はボクが守る、みたいな? それはなかなかアゲだね、と口の中だけで笑う。
 エルはあげはに抱っこされているのは不満がないようで、そのまま寝室に入って絵本を読み聞かせていたら、ほんの十数分で眠ってしまった。さっきのツバサとの追いかけっこが効いていたのだろうか。
 エルがぐっすり眠ったのを確認してからそっと添い寝から抜け出す。少し喉が乾いたから、ヨヨと飲んでいたお茶を取りに行こうと思ったのだ。
 音を立てないようにドアを開けたら、「ひゃっ」「わっ」目の前に現れた空色の髪が跳ねた。
「っとと、ごめんソラちゃん、ぶつからなかった?」
「はい、平気です。私の方こそ前方不注意でした、すみません」
 それにしても珍しいなと思う。いくら音を立てずにドアを開けたからって、それだけでソラがぶつかりそうになるわけがない。プリキュアに変身していなくたってランボーグの攻撃を避けられるような子なのに。
 こっちはこっちでなにかあったのかな、と少しだけ目を細めてソラの表情を伺った。そんなあげはに気づいているのかいないのか、ソラはさっきから浮かない表情だ。
「あらら、ソラちゃんまで元気ない? もっとアゲてこうよ!」
「あはは……アゲ〜……
 付き合って上げてくれた拳はいかにも力強さがなかった。しょうがない、お茶はもう少しあとにしよう。
 後ろ手にドアを閉めてソラに向き直る。
「ましろんと何かあった?」
「えっ、いえ、その……なんでましろさんが出てくるんですか……
「ソラちゃんがそこまで落ち込むなんて、ましろん以外に思いつかないじゃん」
 飄々と言われたソラが弱り目を見せながら視線を逸した。「反論はできませんが……
 ふと思い返せば、今日はふたりが一緒にいるところを見ていないかもしれない。もちろん四六時中そろっているわけではないけれど、それにしたって不自然なくらい別行動だ。というか、ソラはいつもの倍くらいの時間、部屋にこもっている気がする。
 今日のましろの様子を思い返す。そんなに変わったところはなかったと思うけれど、もしかしたらこっちに心配をかけないように振る舞っていた可能性もある。そういう優しさを持った子だから。むしろこちらが先に気づいてあげるべきところだ。これはちょっと反省。誰も彼もソラみたいに分かりやすく落ち込むわけではない。
「喧嘩、じゃないんだよね?」
「ち、ちがうと思います……どちらかというと、私が一方的にましろさんを怒らせてしまったかと……
「ましろんが? 怒った? ソラちゃんに?」
 うっそだあ、と笑い飛ばしそうになったのを咄嗟に堪えた。然るべき時にはきちんと怒りを表せる子だけれど、こんなふうにこじれた状況を良しとするような子ではない。
 それになにより、ソラに対して無視を決め込むなんて想像がつかなかった。
 ソラはおなかのあたりで両手の指を無意味に絡ませつつ、視線を斜め下に落としている。
「その……昨日、お風呂のあとにましろさんと部屋でお話をしてたんですが……
「うん?」
……えっと……あまり、自分でもよく覚えてないんですけど……ましろさんに、良くないことをしてしまったんだと思います」
 良くないこと?
 さて、この子がましろにそんなことをするとは思えない。本人もよく分からない、と言っているし、もしかしたらこちらの世界とスカイランドの文化の違いが何か悲しいすれ違いを生んでしまったのかも。ソラがこちらに来たばかりの頃はそういうこともあったし。
 とはいえ、ソラもすっかりこちらの生活に慣れ、今となってはほとんど自分たちと変わらない。そんなようなうっかりをしてしまうことがあるだろうか。
「ソラちゃん、ましろんにどんなことをしたの?」
「えぇと……そうですね、あえて言えば制圧術でしょうか……
 どうしてそんなことをしてしまったのか。ソラが頭を抱えてうずくまる。
「ましろさんは普通にお話をしていただけで、暴れたわけでも攻撃してきたわけでもないのに。なぜか頭が真っ白になって、雲の中にいるようなふわふわした感じで……
 苦悶の表情で呻くソラに、あげは、思わず無言。
 想像でしかないが、それはたぶん制圧術ではない。
 「んんっ」気を取り直すために空咳をして、うずくまるソラの肩を掴んで引き起こす。
「それは……なんていうか……あんまり気にしなくていいというか、いや、気にしたほうがいいんだけど、そこまで深刻にならなくていいっていうか」
 どこまで伝えていいか分からず結局何も伝えていないような言葉しか出てこない。
 そういう話、を彼女たちとしたことはないし、ソラはともかくましろについては内心もどうなのか確証がない。もちろん、お互いに大切な友達だと思っていることは確かなんだけれど、それ以上の何か、が、あるのかどうか。
 他人がとやかく言うことじゃないよね。あげはは喉の奥で唸りつつソラから手を離す。
「とにかく、アゲでいこう! ましろんだってきっと怒ってないから!」
「でも、今日はずっと避けられている気がします……
「そこでソラちゃんまで引いちゃったら、ふたりの距離はどんどん離れちゃうよ! それでいいの!?」
 ソラが弾かれたように顔を上げる。「い、嫌です!」ましろさんに謝ってきます! 青の護衛隊の敬礼をして走り出……そうとして思い直し、早足くらいでましろの部屋に向かうソラ。こんな時でも気を遣えるのはえらい。
 空色の髪がぴょんぴょん跳ねるのを眺め、あげはは小さく息をつく。
「んー、まあ、少年の声変わりみたいなものかなぁ」
 本当は全然そんなものじゃないのに、誰のせいでもなく生まれてしまう幻の怪獣。
 変声期を過ぎた喉みたいに、それはいつかそこにあることが当たり前になるのだろうか。
……ふふっ、時間はかかりそうだけどね」
 ようやくお茶を取りに行けたあげはは、エルが眠るベッドサイドでカップを傾けながら楽しそうに笑った。


 恐る恐る、ましろの部屋のドアをノックする。「あの……ましろさん、ソラです。入ってもいいでしょうか……?」
 待っていても返事はない。やっぱり怒っているみたいだ。今朝も一度チャレンジしたんだけれど出てくれなかった。朝食の時も昼食でもましろはいつもどおりに振る舞っていたけれど、なんとなく話しかけにくくて無言で食べるばかりになってしまったし、それから彼女と顔を合わせる機会もなかった。
 閉ざされたドアの手前で肩を落とす。
「ましろさん、昨日は本当にごめんなさい。ヒーローにあるまじき行いでした。どうしたら許してもらえるのか……いえ、何をしても謝罪にならないのは分かっているのですが……
 届いているのかどうかも分からない言葉をつらつらと重ねていく。たぶん、また自分は間違えてしまったんだと思う。彼女のことが大切だから戦ってほしくないと願ったあの時みたいに。一度目は正してくれたけれど、二度目は呆れられてしまったのかもしれない。
「じ、自分でもどうしてあんなことをしてしまったのか……ましろさんに擦り傷ひとつでも負わせていたらと思うと、お詫びのしようもありません。でも、けっしてましろさんにひどいことをしたかったわけではないんです! ましろさんを大切に想う気持ちに嘘偽りはありません!」
 ドアに拳を押し当てて切羽詰まりながら訴える。さっきから部屋の中は静まり返っていてなんの反応もない。それでも良かった。許してくれなくてもいいからとにかく想いを伝えたい、それだけだった。
「信じてもらえないかもしれませんが、ましろさんが大好きです。それは出会った頃からずっと変わりません!」
「ソ、ソラちゃん……!?」
 なぜか横から鈴を転がしたような清涼な声が聞こえてきた。
 右を見る。顔を真っ赤にした虹ヶ丘ましろが呆然と立ち尽くしていた。
「あれ? ましろさん? 部屋にいたのでは?」
「お、お庭の花にお水をあげに行ってて、今戻ってきたとこ……
 なんと、心の限りに訴えていた先は無人だったらしい。返答がないのも当然だった。
 取りすがっていたドアから離れ、ましろに向き合う。
「ま、ましろさん! 昨日のことですが……!」
「ちょ、ちょっと待って、とりあえずお部屋入ろう? ね?」
 あげはちゃんたちに聞こえちゃう、となぜか焦ったような様子で肩を押さえられる。そういえばエルがお昼寝をしてるんだった。廊下で騒いでいては確かに迷惑だ。
 はい、とおとなしくうなずいてましろと部屋の中に入る。良かった、顔を見るなり追い払われたりはしないみたいだ。
 お互い、クッションに腰を落ち着け、正座した状態で向き合っている。
「ましろさん、怒ってます、よね……?」
…………
「本当に、すみませんでした。どうかしていたんだと思います」
 夜、少しだけ夜ふかしをしてましろと話すことは何度もあった。こちらに来たばかりの頃はましろもよく気にかけてくれて、一緒に庭に出て星を見たり、スカイランドとの風習の違いについて話したり、そういう他愛ない会話をしていて、昨日もそれと同じ夜のはずだった。
……風、が」
 風呂上がりだったせいかちょっとだけ暑くて、けれど空調を入れるほどでもなかったからましろが窓を開けてくれたのだ。彼女は風が入ると涼しいよ、と笑っていて、自分もそうですねと笑い返した。
「風で、ましろさんの髪がたなびいていて、それがきれいで、いい匂いも、して」
 どうしてだか呼吸がしにくい。思い出したら昨日と同じ状態に陥りそうで咄嗟に太ももを強くつねった。「わわっ、ソラちゃん!?」いきなり太ももをつねり始めたソラの手をましろが慌てて掴んでくる。
「そんなに強くつねったら痣になっちゃうよ。落ち着いて、ね?」
「は、はい」
 何を言いたいのだろう。痛みで伝えたいことが霧の中に消えてしまったよう。
 ましろがふう、と息をつく。どういう意図の吐息なのか分からなくてこちらは息を詰めた。
「その……わたしもごめんね? 今日、あんまり良くない態度だったと思う」
「いえ、ましろさんのせいではありませんから」
 そっと手を取られて首筋が緊張してきた。シャララ隊長と再会した時くらい緊張しているかもしれない。
「あのね、怒ってないよ? ただちょっとだけ……怖かった、けど」
「す、すみません!」
 額を床に押し付けたかったがましろに右手を取られているのでそれも叶わない。せめてと空いた左手を床についてできる限り頭を下げた。「わわっ、そんなのいいよぉ」ましろが慌てて頭を上げさせてくる。
「だから、その……今度からは、どうしたいか教えてくれると、助かるかな……
「教える……?」
「うん。言葉で伝えてくれると、怖くない、かも」
 柔らかな桃色の髪がはらりと頬に落ちている。ましろが小首をかしげたせいだ。思わずその一筋に手を伸ばして、それからハッと止める。今の今、言われたばかりではないか。
 けれど。
 伝えたら、許されるということ、だろうか。
 中途半端な中空に手を留めたまま、おずおずとましろの翡翠みたいな目を覗き込む。
「では……髪に、触っていいでしょうか」
「う、うん」
 頬に落ちた一筋を指先ですくって背中に流した。一瞬、まとめ髪の下に現れている耳に指先が触れて、ましろの肩がかすかに震えた。「あっ」「いっ、嫌だったんじゃないよ!?」思考を完璧に読まれている。さすがましろさんと内心で舌を巻くソラ。
 力加減が分からない。ヒーローの拳は悪を砕くためにあるけれど、今、この手はソラ・ハレワタールというひとりの少女のものであって、それはどのくらい力を込めたら彼女を傷つけてしまうのか、その塩梅がひとつも計れなかった。だからずいぶんと恐る恐るした動きになる。指で髪を梳くのも、「手、つなぎたいです」囁いて重ねた手と手の隙間を埋めるのも、手のひらを撫でるのも、指のところだけ掴んでみるのも。
 ゆる、とましろの指が動いて、重ねているだけだった指を絡め取られた。
「こうやって手をつないで、プーカを守ったね」
「はい」
「あの時のソラちゃんの手、もっともっと力強かったよ?」
「そ、それはそうですよ、シュプリームに対抗するにはそれくらい必死じゃないと」
……それくらいでも、いいんだけどな」
…………
 上目遣いにましろの表情を伺って、尋ねるみたいに少しだけ手の力を強めた。掴みたくて掴めなかった手。そして、重なり合えた手と手。
 両手を揃えて持ち上げて、額に押しいただく。
 ヒーローとしては、相応しくない振る舞いだったかもしれなかった。
 そしてあるいはひとりの少女としても。
「大好きです、ましろさん」
「うん、ありがとう、ソラちゃん」
 その言葉さえもおそらくは相応しくなかったが、ヒーローを目指す少女はなんにも気づいていなかったし、もしかしたら何かに気づいている可能性がなくもない少女はなんにも言わなかった。
 花のようにほころぶ少女の笑顔が実はほんの少しの患いを含んでいるだなんて、さて、いつになったら気づくものだろう。