みがきにしん
2023-08-02 21:12:41
2096文字
Public アラン君とラド君の話
 

駒鳥の恋歌

#モブに告られて断ったあとキスしてくれたら諦めますと言われた時のうちの子の反応
アラン君がモブに告られた時のお話。

 最初から玉砕覚悟だった。
「好きです。私とお付き合いをしてくれませんか?」
 一つの単語を口にするたび、顔を見るために上げていたはずの首は徐々に下がり、体は罰を言い渡される前の子供のように縮こまった。
 街から街へ渡る芸事の旅の中で、これほどに自分の体と声がままならないのは初めてだった。一座の歌い手として、幼いころから自分の声を、ひいては体を制御することは生きることそのものだったのに、体は勝手に熱く細かく震えた。駒鳥のよう、と幾人もの人に褒められた囀りも、今は烏の雛のように不格好だ。
 好きになったのは、一座を護衛してくれている冒険者のひとり。
 旅の途中で、たまたま向こうも行先が同じだった。最初は同行者でもなかったから、ただ付かず離れずしているだけだった。それだけならよかったのに、たまたま盗賊に襲われた一座を、彼らは親切にも守ってくれた。更にそんな義理などないのに、目的地に付く間の護衛を申し出てくれたのだ。
 そんなことで、とは自分でも思う。こういった出会いはこれまでにもあった。けれど、昼夜問わず一座を守ってくれている姿、戦う時の勇猛さ、それと反対の穏やかで落ち着く声、ふとした瞬間の少しの悲しさが横たわった眼差しに、いつの間にか惹かれていた。
 あの悲しみを拭ってあげられたらいいのに。ほんの少しの間一緒にいただけなのに、そう願うようになっていた。まるで、いつも歌っている、恋に恋する乙女のように。
 そうして今日、目的地の街についた。これから彼らはしばらく滞在した後、更に遠くを目指すのだという。護衛は今日限りでおしまいで、一座と彼らの縁は分かたれていく。
 そう思ったら堪らなかった。縋りつくように呼び止めて、不格好に叫んだ。
 街中を通り過ぎる人たちが、好奇の目でこちらを見ている。気恥ずかしさと気まずさで、ぎゅっと目をつぶる。
「ごめん」
 ここ数日聞きなれた穏やかな声が、その音程を保ったまま鼓膜を揺らす。
「っ……!」
 答えはわかっていた。それでも知っていてほしかった。胸が熱くなり、涙がこみ上げる。これでさよならになってしまう。お互い旅の者、もう二度と会えないかもしれない。そう思えば口が意思を離れ、衝動がそのまま言葉になる。
「じゃあキスをしてくださいっ! そうしてくれたら、それで諦めます!」
 言ってしまった後で血の気が引いた。駄々っ子が好意に付け込むようなことをしてしまったと思った。こんなのは卑怯だ。好きになった相手に、嫌われたくない。
 下げていた顔を無理に上げた。ごめんなさいと相手の目を見て謝るつもりだった。そうしてここから立ち去るつもりだった。
 だからどうしていいのか、判断が追いつかなかった。
「そんなことでいいのなら」
 まるでそうすることが自然なように、上げたばかりの顔を掬われた。紅潮した頬に当たる手が少し冷たい。
 ふわり、と青年の唇が、同じ場所に当たる。数秒にも満たない接触だったように思う。けれど少しかさついて、柔らかいものの感触は頭の中を駆け巡って、はじけた。
 ふいに、塒に帰る鳥の声が耳に届いた。立ちすくんでいた場所は、いつの間にか往来から建物の蔭へ移動していた。きっと彼が移動させてくれたんだろう。見回しても彼の姿は、もうなかった。
 ああ、彼は本当にこれを『そんなこと』だと思っているんだ。時間ともに、その思いが追いついた。
 恋をして、そういったことを思わないわけもなかった。触れられ、触れる想像をしたことがないとは言えない。けれど、想像の中のそれらと、実際のそれはずいぶん違った。
 暖かかったが、熱くはなかった。優しかったが、それだけだった。つまりそういうことだった。
 目尻に溜まっていたしずくが溢れだした。
 悔しいなあ。こんなに好きなのに。頭にくるなあ、こんなに大事だって、ひとつも伝わらなかったんだ。

「お前、デリカシーなさすぎるだろ」
 旅芸人を護衛していた冒険者の一人――ラドミールは呆れと怒りを含んで、思い切り吐きだした。
「何が? あれで彼女は諦めるだろうし、きっと俺のことも引きずらないだろう」
 もう一人、告白された当人であるアランは軽く肩をすくめる。
 だが、ラドミールはその言葉も気に入らなかったのか、眉間にしわを寄せ、頭をガシガシと混ぜた。気恥ずかしいのか、少しひそめた言葉で吐き捨てる。
……キスは優しさでもなんでもないだろうが!」
 アランは答えず、ただ笑みを浮かべた。どうあっても好意に応えることはできない以上、あれがアランにできる精一杯の返礼だった。熱のこもらない接触は、彼女に何よりの現実を伝えるだろうから。
「さて、次はここから西に行くぞ」 
「話をそらすな! この朴念仁! 冷血漢!」
 ラドミールが喚くが、アランは気にせず地図を広げた。脳裏に浮かぶのは、夜が来るたび聞かせてくれた、あの歌い手の美しい歌だ。駒鳥のような、可憐な声だった。
 どうかよい旅を。青年は小さく呟く。俺ではなく、その声を求める人のところへ、どうか彼女の歌が届きますように。