ザナラーンの刺すような太陽が陰り、光を弱めて落ちてゆく時間。冒険者ギルド兼酒場兼宿屋は食事をしようとする人々で大賑わいだった。
そういえばこの時間なら当然だったな、とアランは目を瞬いた。いつもはもっと早い時間に訪ねているから忘れていたが、ここはすこぶる人気があるのだった。
クイックサンドの食事は肉体労働の冒険者向けだけあって、コストパフォーマンスがこの上なく良い。訪れた旅人たちが様々な食材を持ち込んで料理してもらうからだが、おかげで冒険者のみならず、ごく普通の市民も兵士もこの酒場に食事を食べに来る。
(それにここの料理は安定して旨い)
基本的に、ザナラーンの食事は塩もスパイスもたっぷりだ。荒野で獲れる僅かな食料を保存するため、魚も野菜も塩漬けか酢漬け、フルーツは乾燥させるか砂糖漬け、パンにも塩をまぶし堅く焼き締める。
唯一安定して手に入るのは肉だが、それらを使ったウルダハ料理ときたらほぼ生で出てくるか、干し肉か、火を通しすぎるくらい煮込むかの3択しかない。
それはこの厳しい土地を生きる民の知恵だと分かっていても、とても豊かな食事であるとは言いがたい。グリダニアのそれとは別のベクトルで食べにくいというのが、根無草たる冒険者たちに共通する、専らの評価だった。
アラン自身、さほど食に執着はないし、職業柄、壁のように堅いパンとチーズ、酢漬けの野菜と魚だけで何日か過ごすこともままあるが、都市内にいて食べられる時間もあるならば、なるべく美味しい物を食べたいと思うのは人の性というもの。
その点、ギルドを切り盛りするモモディの腕は確かだ。味付けはウルダハ流だが、都市の外から持ち込まれる調理法も積極的に採用しているため、栄養価もあるし調味料は控えめで非常に美味しい。
だが、そんな理由でクイックサンドに来たのはどうやらアランだけではなかったらしい、というだけだ。
(……どうするかな)
人でごった返すクイックサンドの壁にもたれかかりながら考える。何か買って持ち帰り、座れる場所で食べるべきか、それとも店内が落ち着くのを待つべきか。
ちょうど依頼終わりで、次の仕事までは間がある。下手に時間があるだけに悩ましく、そもそも何を食べるのかというところまで思考が飛んで、ますますどうするか纏まらない。
「ん」
ふと、店内に見知った顔を見かけた気がして、青年は顔を上げた。少し褪せた金の髪、デューンフォークには珍しい白い肌。数ヶ月前、キャラバンの護衛任務で共に仕事をした顔に間違いない。
彼は今まさに食事の直前といった様子で、湯気を立てるシチューとプレッツェルを前に小さな杯を口に運んでいる。そして、その席の真向かいは――空いている!
アランは少し逸る気持ちで背を壁から離し、人をかき分けてテーブルに向かう。まず空腹であったし、何より知り合いが居るならば話したい。相席をさせてくれなくても、この仕事というものは、命と装備に並んで人脈が宝だ。
「エルヴィオ」
少し苦労しつつも席の隣に立って、アランはその小さな背に呼びかけた。
「食事の邪魔をして悪い。少しぶりだな、と思って声を掛けてしまった」
湯気を立てるシチューに向かっていたエルヴィオが一瞬浮かべた胡乱な顔に、アランは慌てて補足する。我ながら言い訳がましいなと思いながら。
「ウルダハから、中央、東ザナラーンと通って、黒衣森南部から中央まで向かう隊商があっただろう? その時一緒に、癒し手として帯同していた。ボムの火傷や、オチューの毒への対策として……」
「……ああ!」
明らかに声が明るくなったのを聞いて、思い出してくれたかと胸をなで下ろす。よかった、知らない人にいきなり話しかける不審者になるところだった。
「誰かと待ち合わせでなければ、座ってもいいか?よかったら近況を聞きたくて……一杯奢るよ」
話を聞く体で椅子を示すと、もう手に杯を持ってその気でいるらしいエルヴィオが嬉しそうに頷く。旨い食事と、ついでに近況も聞くことができそうだ。
巡り合わせのいい夜だな、とアランは微笑み、近くを通りがかったウェイターに注文を通した。食前酒に少し良い酒を頼むと、すぐに綺麗な琥珀色のそれが運ばれてくる。
「じゃあ、改めて。アランだ」
「よろしく!」
お互いにグラスを掲げる。賑やかな夜は、楽しく過ぎていった。
そんなウルダハの夜から数ヶ月経ったある昼に、バスカロンドラザーズでエルヴィオの姿を見かけた。
遠目だが、荒革と肉、ツノをバスカロンに差し出している。それで依頼が終わったのだろう、何か注文している。
かくいうアランも、ちょうど納品予定数の半分程度の銀鉱を掘り終わったところだった。依頼された量自体は多いが、特に期限は差し迫っていない。
そうと決まれば、とストローハットを脱いで汗を拭う。無心で掘り続けていたから、気温の低い森の中とはいえ喉が渇いていた。休憩がてら隣で飲み物を一杯引っ掛けるくらいは問題ないだろう。
「やあ、エルヴィオ」
カウンター席で足をぶらぶらさせているララフェルに声を掛け、奇遇だな、と微笑みかける。一瞬目を泳がせたエルヴィオは、少し遅れてニッと笑い返した。僅かに頭の奥で何かが引っかかる感触がしたが、まあ良いかとやりすごす。
「仕事が一段落したなら、よければ一緒に何か引っ掛けないか?」
ララフェルの青年は鷹揚に頷き、カウンターの右をぺしぺしと叩く。右隣に座ってもいいと判断し、ありがたく席に着いた。彼はすでに一杯目を飲み干しており、傍らには空になったカップが置かれている。
「何飲むの? 麦芽酒? 林檎酒? 蜂蜜酒?」
「いや、オレンジジュース」
やり取りを聞いていたらしいバスカロンは苦笑いで『ここは酒場なんだがなあ』と言った。それでもグラスに出してくれたそれはよく冷えていた。一口飲んで、はあと溜息を一つ。甘さと酸味が体に沁みた。
隣のエルヴィオは意にも介せず酒を飲んでいる。眺めるアランの視線に気づいたのか、ララフェルは彼の顔ほどもあるジョッキを掲げて見せた。
「ジュースの後は? おつまみも中々だよ」
「そうしたいのは山々だけど、流石に止めておくよ。この前みたいに飲んだら仕事ができなくなる」
苦笑しながら背負ったピッケルを示すと、エルヴィオがぱちりと目を瞬き、確かにそうだね、と笑う。その反応にまた僅かな違和感。
「……そういえば、ここ最近何してたんだ?」
「あ~……まあ、えっと……」
言いにくい仕事だったのか、隣に座るララフェルは言葉に詰まって頬を掻く。聞くのは不味かったかと反省しても、出してしまった言葉は戻ってこない。
中途半端に漂う沈黙を見かねてか、酒場の主人が話に割って入る。
「ここ数日はずっと巡回と獣の討伐を頼んでるぜ。三食飯と寝床付きって契約でな。実力はたいしたもんで、助かってる」
アランはへえ、と頷いた。だからさっき獲れたものを渡していたのか。
「俺もできることありますか?」
「いいけどな、飯と寝床の分、報酬は差っ引くぜ。エルヴィオにもそうしてるからな」
こんなもんだよ、と手で数字を作られ、アランは僅かに顔を引き攣らせる。飯付き宿だから当たり前だとはいえ、流石に収入とするには若干心許ないと感じる額だ。アランの夢の足しにはなりそうにない。残念ながらと首を振ると、バスカロンは豪快に笑った。断られることも慣れっこなのだろう。
「まあな、いつもはもうちょい多く渡してる。ただこいつは飯と酒を豪華にしてくれたら報酬は減らして良いっていうもんでね」
「なるほど」
あまり大きな金にならなくても、食が満たされればよし、というわけか。常飲するにしてはそこそこ良い酒が出ているのはどうしてだろうと思っていたが、そういう理由があったらしい。
「ま、あんたはやらねえタイプの依頼だな。人生色々ってやつさ」
「貰える物はきっちり貰っているだけですよ」
苦笑しながらジュースの残りを飲み干して、スツールから降りる。休憩の分、また働かなければ。あと数時間作業すれば、十分量が貯まるだろう。
「じゃあ、エルヴィオ。またどこかで会ったときはよろしく」
「うん。またね!」
手を差し出すとララフェルは頷き、小さな手を同じように差し出してきた。そういえば、少しの間とはいえ話していたのに、一度も名前を呼ばれていない。その前もだった。
ど忘れしたのかなと思い、なんとなく名乗ることにした。
「アランだ。俺のことは好きなように呼んでくれて構わないけど、次は良ければ、名前で呼んで欲しい」
エルヴィオは力強く頷く。身長差のある握手を解けば、そのまま入り口まで付いてきて手を振ってくれた。アランは笑い、また鉱脈を探すためチョコボに飛び乗った。
さて、二度あることは三度ある。
エルヴィオと別れて二週間ほど後。アランは溺れた海豚亭でのそのそと遅い昼食を摂っていた。ドードーオムレツ、ザワークラウト、焼きたてのコーンブレッドとラノシアオレンジが乗ったプレートはこの酒場の自慢の品だったが、あまり食は進まない。
何せ、今は食欲よりも圧倒的に睡眠欲が勝っている。腹に多少入れなければ、眠っても体力が落ちるから食べているだけだ。正直、味はあまり分かっていない。
ここ数日、アランは黒渦団の主導する「海蛇の舌」の大型掃討作戦に駆り出されていた。サハギン族と共に蛮神リヴァイアサンを信奉する彼らは、住民の誘拐・入植地への襲撃、クリスタルの奪取や船舶への攻撃など、リムサ・ロミンサへの敵対行為を続ける海賊だ。
面倒なことに、かつてリヴァイアサンが召喚された折りに大きく構成員を増やしており、それに伴って領内には複数の根城がある。その大型拠点のひとつを黒渦団が発見、今回の掃討作戦に繋がったわけだ。
当然黒渦団の人員だけでは手が足りず、ギルドを通じて冒険者が募られたが、相手の数が数だ。しかも相手方は籠城を決め込んで出てこない。結果、作戦は長期に渡り、どうにか昨日(というより日付としては今日だ)の深夜に解放された。
幸い集った冒険者達は皆手練れ。海都にとっては散々苦渋を舐めてきた相手とあって黒渦団の士気も高く、死亡者や重傷者はほとんどいなかった。数人だったが幹部も捕縛・排除できたとあって、作戦としては大成功、報奨金も上々で、しばらくは懐が温かい。
とはいえ、数日に渡り、眠る時間もあまり取れない激務だったことは紛れもない事実で、睡眠時間の足りない青年は眠気を堪えて食べる。ギリギリ味覚は生きているが酷く遠く、最早甘いも塩っぱいも酸いもほとんど関係なかった。
だから、話しかけられていることにも最初は気付かなかったのだ。
「ねえ」
行儀が悪いことも気にせず、音を立てて機械的にフォークでプレートの上をすくい、口に運ぶ。なんだか柔らかい気がするからこれはオムレツだろうか。
「ねえってば」
あまり開いていない視界の中でコーンブレッドを探し、手でちぎる。もそもそと咀嚼し、口の中の水分が足りないな、とぼんやり思う。しかし、水を飲むのも面倒だ。
「ねえ!」
袖を強く引かれる。半分以上閉じていた意識が急激に浮上し、武器に手をやりながら腰を浮かせかけて、視界の端から僅かにのぞく、ぴよりと跳ねた金髪に気付く。
「相席、いい? 店内で食べるならそれしかないって、バデロンさんが」
少し呆れたような顔で席を指さす既知のララフェルに、慌ててアランは頷く。周囲を見渡すと、知らぬうちに店内には随分人が増えていた。これでは相席をお願いされるわけだ。話しかけられていても半ば意識を飛ばしていた青年に、ホールやバデロンから『やっと起きたのか、この酔っ払い』とヤジが飛び、そうでない従業員はくすくす笑う。
「ああ……ごめん、気付かなくて」
今も続くヤジは常連故だが、一滴も飲んでもないのに『酔っ払い』とはさすがに恥ずかしい。黙っとけ、とカウンターにジェスチャーを飛ばすと、相手はニヤニヤ笑いつつ、大げさに口を『おお怖い』と動かして肩をすくめた。全く人が悪い。だいたい、今回の依頼の仲介者であるバデロンはなぜ寝不足なのか分かっている。
気を取り直してエルヴィオに席をすすめると、相手はよいしょと椅子を引っ張り、ぴょんと座面に飛び乗る。
「気にしてないよ。お疲れなんだね、ドランクさん」
ああほら、ヤジのせいで知り合いにまで揶揄われる始末。溜息をついて『君までそう言うのは止めてくれ』と言おうとして、ぱちりと目を瞬く。向かいに座ったエルヴィオはごく普通の顔をして、バデロンや従業員達のように面白がっている様子はない。忙しない給仕を呼び止めて注文をしながら、ララフェルはそうだ、と急に青年の方を向いた。
「そうだ、相席してくれたお礼に、何か一杯奢るよ。でも眠そうだからお酒はよくないね、何がいい?」
これまで小さく芽吹いては流していた違和感が急に大きくなる。エルヴィオと会うのは仕事を含めてこれで4回目、馴染みや仲の良い友人、とは言いがたいが、さすがに知り合い以上だと言えるだろう。ついこの前は名前で呼んでくれ、と頼んだ覚えもある。それなのに、親しげではあるが、まるで今初めて会ったような振る舞いの仕方。
何故だろう? 青年の中で好奇心が急激に膨らむ。悪い癖だと分かっていても止められない。
瞬きの逡巡の後、アランは鎌を掛けることにした。
「……そうだな、じゃあオレンジジュースを頼むよ。それから、良ければ名前を教えてくれないか? その武器を見るに、あなたも冒険者なんだろう。よければ情報交換しよう」
そうして青年は、俺の名前はさっき言われた通りだよ、とにこりと笑った。
アランはミズンマストのベッドに寝転がって考え込んでいた。あれほどしつこかった睡眠欲はどこかに去り、横になっても眠気は襲ってこなかった。
考えているのは勿論、エルヴィオのことだ。結局あれから二時間ほど色々と話したが、結局彼は一度もアランの本当の名前を呼ばなかったし、態度も変わらなかった。悪ふざけであれば適当なところで切り上げて、既知の知り合いという本来の関係らしいやり取りに戻っても良いわけだが、そうならなかった。ということは、アランのことをそもそも覚えていなかったのだろう。この半年にも満たない間、何度も会った相手のことを。
思い返せば、前会ったときもそうだった。いつだって相手に話しかけていたのはこちらからで、一度たりとも彼はアランの名前を呼ばなかった。しかも、直近のことを聞いているのに、かなりの割合で曖昧な返事が返ってきたか、はっきりとした答えを得られた場合は依頼人が答えたからだった。
まあそれ自体はそこそこのショックだった。何せこの短期間に四度も仕事したり会ったことのある相手にすっかり忘れられていれば驚きくらいはする。だが、それよりもずっと興奮していた。
彼は一体何を、何故、どんな条件で忘れているのだろう?
青年はこれまで会って話した彼の様子を思い起こす。
「記憶喪失……ではないか」
もしも本当に出会った相手のことをすっかり覚えていないのであれば、安直に思いつくのがそれだ。が、エルヴィオは生活に困っている様子はなかったし、装備を見れば冒険者としてそれなりに暮らしていたことが分かる。
「とすれば、一定期間で物を忘れるものでもなし、と」
一定期間でその期間の間を過ごしてきた記憶を忘れる、といった症状は存在する。しかし、そうであれば暮らしを継続することは困難だ。誰と出会ったのかも、どうやって暮らしを立てたのかも覚えていられないのなら、冒険者という職業は成り立たない。
仮に、一ヶ月で記憶を失うとする。それまで受けていた依頼も報酬のことも忘れてしまう。それらはメモなり何なりでどうにかなるとする。けれど、記憶を亡くすということは、戦闘や製作方法、野営の方法などの、実地で覚えるような生きるための術も失うことだ。そんな状態で冒険者をすればどうなるか? 簡単だ、すぐに死ぬ。
では、一部の領域――例えば「人」に関する記憶だ――のみすぐに喪失するのだろうか? それもおそらく違う。エルヴィオは少なくともバスカロンのことも依頼と報酬のこともきちんと覚えていたし、バデロンのことも分かっているようだった。根元からすっかり忘れられているらしい青年とは明らかに異なる。
アランは腕組みをしたまま唸った。
病的な理由で喪失しているにしても一部すぎ、しかし普通の人と比べれば圧倒的に忘れすぎだ。だいたい、ごく一部の記憶だけすぽんと喪失するなんて、意図してできるものでもない。
では忘れられるものと忘れないものは何が違うのだろう? 会う頻度? 関係性? 思い入れ? 条件付け?
「……情報が足りないな」
考えても分からないのは、エルヴィオのことを知らないからだ。知らないのは、『時折会うだけの知り合いでいい』と思っていたからだ。
彼の過去をほじくり返すつもりはない。冒険者という職業は成り立ちから訳あり者の巣窟だ。アランだってそこそこ面倒な過去の果てに此処に居る。
だが、こちらだとて記憶と名前には拘りがある。忘れられるのはなんとなく面白くなかった。
アランは知らずのうちに笑みを浮かべていた。それは他者から見ればそこそこに悪い顔であり、後年彼の元に来るヴィエラの少年ならば「性格わりい」とぼやいたような表情だったが、あいにく今彼は一人だった。
「次、どう呼びかけるか決めないと」
何度か会った事のある冒険者のアランとして声を掛けるか、食事しながら眠っていたドランクさんとして声を掛けるか、はたまた今出会ったばかりの誰かとして声を掛けるか、それとも別の方法か。
何にしても、確かめることは幾らでもあった。更に、会うたびに試行できる。こんなに楽しみなことはあるだろうか?
「ちゃんと覚えて貰うよ、エルヴィオ」
そうして、約束通り最後にはきちんと名前を呼んでもらうのだ。
彼はその約束もきっと、覚えていないだろうけれど。
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