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みがきにしん
2022-12-31 14:00:20
6034文字
Public
アラン君とラド君の話
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ラド君、当たる。
海都の陽気な酔っ払いも寝静まる夜更け。急に鳴り出したリンクシェルに、アランは書き物をしていた手を止めた。
珍しい相手だ。連絡の仕方は教えたけれど、実際してきた数は片手で数えられるほど少ない。はて、彼に何かしただろうか、と考えるが、何も思いつかない。依頼も渡していないし、あまり自信はないが、最近怒られるようなこともしていないはずだ。
訝しみながらも通信を繋ぐ。
「珍しいな。こんな夜更けに」
声をかけるが、返答はない。
ぞわ、と背に嫌な予感が走る。滅多にかけてこない相手からの通信、しかも返答もなし。おかしなことが重なりすぎている。だいたい、名目上監視
…
もとい弟子としている彼は、いつもならすっかり寝入っている時間なのだ。
「
……
ラドミール?」
下手をすれば彼の声ではないものが聞こえる可能性も念頭に置きながら呼びかける。同時にベッドに放り出していたマントを着用し、武器を手早く身につけた。
1秒、2秒ーー耳をそばだてても何も聞こえない。発信場所を確認しつつ、アランは通信の向こう側に神経を尖らせた。
数十分かそれ以上も感じる沈黙の後、聞こえてきたのは掠れた声。
それを皮切りに、呼吸音や衣擦れの音がはっきり響き出す。寝返りでも打ってパールの位置が変わったらしい。比較的早いが安定しているそれを聞いて、ひとまず胸を撫で下ろす。だが、単に寝ぼけて通信してきたとしても、かなり体調が悪そうだ。聞こえてくる呼吸音には、嘔吐く声と咳き込む呼吸が混じっている。
「今からそっちに行く」
返事はないが、構わずエーテルを喚起させ、転移魔法を使用する。シロガネならばおそらく、倉庫兼寝床のアパルトメントだろう。身動ぎらしき衣擦れの物音以外はしなかったから、ラドミールが他者に危害を加えられているという可能性は低い。
あの弟子には体調管理のノウハウをたたき込んでいるが、時に病気は避けられないもの。ただ酒を飲み過ぎたり、腹でも壊しただけならいいが、と考えながら、地脈の流れに身を任せた。
目が覚めて初めて思ったことは、景色が回っている、ということだった。
見上げる天井のランプがぐらぐらと揺れていて、見つめる間に吐き気が込み上げてくる。だが、口の中は粘ついていて、汚い唸り声以外は何も出てこなかった。
「みず
……
」
自分が寝ていた場所がどこかすらも曖昧なまま、水差しがありそうなところに手を伸ばす。ぼやけた視界が段々と焦点を結び、ラドミールは自分が、アパルトメントのソファに横になっていたことを自覚した。
幸いなことに、水差しはすぐそばのローテーブルに置かれていた。だが、めまいのせいか目測ができない。何度も空振りして、ようやく取っ手を掴む。が、今度は力が入らず、掴んだ金属は手汗で酷く滑った。持ち上げることもできず、震える手は握ったそれをそのまま離してしまった。
ガチャン!
水差しが倒れるひどい音がして、テーブルの上にみるみる水溜まりができていく。
「やべ」
反射的に呟いた声も、思うよりずっと小さく弱い。
その水溜まりもぐらぐらと揺れている。拭かなければと思っているのに、頭が回らない。気がつけば、テーブルにのり掛かるようにして服で水を吸っていた。
「つめた、」
濡れた服のせいでぞくぞくと背中に寒気が這った。しかも、一時意識から外れていた吐き気がまたやってきていた。よろよろと起き上がりトイレへと向かうが、何歩も歩かないうちに膝から力が抜け、喉に酸っぱい物がこみ上げてくる。もうだめだ、ここで吐いてしまえ。けれど口から零れるのは声だけで、水分が足りない腹の中のそれは口から出ていかなかった。
とにかく胃の中の物をすべて吐き出してしまおうと、しばらく四つん這いになって試していたが何も出てこない。そのうち、奇妙なほど強い眠気が襲ってくる。気分が悪い、吐きたい。だが、ひどく眠い。
「ねたら、だめ、だ」
こんなことになる理由に心当たりはないが、この眠気はよくないものだということくらいは分かる。寝ている間に吐けば喉にも詰まる。
だから起きていなければ。それから水を飲んで、どうにか吐かなければ。
そう理性は囁くのに、体は強すぎる眠気に引きずられて床に沈む。
「
……
あいつに、」
頭をよぎる相手に通じるリンクパールをのろのろと探す。ただ腹を壊しただけならかっこ悪いなどといつもならば考えるが、もうそんな余裕さえなかった。あいつならなんとかしてくれるはずだ、というギリギリの思考が、どうにか意識をつなぎ止めていた。
だが、ポケットの奥捩じ込んだそれを取り出した時、もうラドミールは眠りに落ちていた。暗闇の中、かろうじて通信をつなげたパールが、チカチカと光った。
目の前がぼんやりしている。何度か瞬きすると涙が落ちて、少し物が見えるようになったが、頭は半ば以上眠っているようだった。
ラドミールの体は再び四つん這いになっていた。目の前には盥が置かれ、それに半ば突っ込むように頭を入れ、嘔吐いている。吐こうと体が息むたび、また涙が盛り上がって落ちていった。
背中が暖かい。誰かが手を当てて、回復魔法を使っているらしかった。強ばって冷や汗を垂れ流す体に他人の温度はひどく心地よく、じわりと胸に暖かいものが満ちた。
「
……
うーん、吐けないか」
が、抱いた安堵はすぐさま奪い去られる。
吐こうと口を大きく開けた瞬間、背後に居た誰かの指が口に入ってきたからだ。刺激にたたき起こされた体が悲鳴を上げ、慌てて不快なそれをどけようと口を閉じ噛みしめる。けれど、長く細めの指は、それらが止める間もなく喉仏近くまで乱暴に擦った。しゃくり上げるような強烈な吐き気に肩が跳ね上がり、素早く指が後退していく。
「う゛ぇえええ
……
」
「よし」
ぼたぼたぼたと塊を含む内容物が下に落ち、その刺激と臭いでまたこみ上げて吐き出す。吐き出した物の中に浮かぶ塊を、躊躇無く先ほどの無粋な指が浚っていく。
「なるほど」という声を耳が拾うが、聞かずともラドミールには誰がいるのか分かっていた。ただ、それについて頭を巡らす余裕もなく、胃の中が空になるまで、ヴィエラの少年はたっぷり盥とお友達になったのだった。
ムカつく来訪者の持ってきた生ぬるいアップルジュースをちびちびと口に運びながら、ラドミールはソファに体を投げ出していた。横たわると若干気持ちが悪いため、贅沢にも二人がけのソファを一人で使い、足を伸ばして座っている。
アランは体力を使い切ったラドミールの代わりに後始末の真っ最中だ。吐き出した物は革袋に詰められ、吐瀉物で濡れた服は石けんで浸け置きされ、ついでに絨毯までシミを作った水たまりの上にはタオルが敷かれている。
「
……
」
特に何も言わず淡々と作業をする相手に、ラドミールは声を掛けられず、結局ちびちびとジュースを口に運ぶ羽目になる。情けない姿を散々見られた怒りと羞恥はあるが、薄れた意識の中で当の相手を呼んだ覚えがあるので、「自分でなんとかできた」とも、「何で来た」とも言い難い。
「そんなに見ても背中に穴は空かないぞ」
床を拭いていたアランがふと振り返って苦笑した。汚れたタオルを吐瀉物の入った革袋にしまいながら、部屋を横切って手洗い場に向かう。その服はいつも着ているような、頑丈で希少なそれではなく、何処にでも売っている草綿とモコ草でできたスロップとガウンだ。さっきの騒ぎで、元々着ていたそれは桶の中で石けん水に浸っている。
「
……
ごめん」
「それは何に対しての謝罪なんだ?」
さっぱりした返答が手洗い場から飛んでくる。服を汚させたとか、面倒をかけたとか、いつもならばすらすら出てくる言葉が出てこない。穏やかな声だったのに責められているようで、緩くなった涙腺からじわりと熱いものが湧き上がる。
「
……
言い方が悪かった。気にしなくていいよ、ラド。吐瀉物より問題ある体液を触ることなんて、癒やし手をやってれば日常茶飯事だ。服は洗えば良いし、絨毯だってまた作ればいい」
だから気にするな、と手洗い場から出てきたアランが続ける。彼は視線を合わせるように膝を曲げ、ラドミールの腹に手を当てた。温かいエーテルが瞬時に収束し、
汎用治療魔法
エスナ
が発動する。腹の気持ち悪さがまた僅かに弱まって、ラドミールは知らず詰めていた息を吐いた。
「
……
辛かったろう。呼んでくれて良かったよ」
いつもと変わらず穏やかな声だったが、その音には確かな安堵が滲んでいる。
今度こそラドミールはその目から涙を落とした。
――
正直なところ、とても恐ろしかったのだ。全く身に覚えのない症状が出たことも、それに対処ができなかったことも、寝てはいけないと分かっていたのに寝てしまったことも。
理由も分からず、パニックにさえ至れないような意識の中で、もう次に目が覚めないのではないかとさえ思った。
声も上げず涙を流すラドミールに、青年は何も言わなかった。ただ静かに、回復魔法をかけ続けてくれた。
やがて暖かいエーテルに眠気を誘われて、ラドミールは船を漕ぎだした。
今度は恐れなどない、優しく柔らかい闇にゆっくり落ちるような眠気だった。
さて、人というのは、冷静になると急に自分の行いを恥じるもの。鳥の声響く爽やかな朝日の中、例に漏れずラドミールはいつの間にか寝かされていたベッドで悶絶していた。
吐いたのは気分が悪かったから仕方ないとして、人前で、しかもよりによってあいつの前で安心して泣くとか。
ないだろ!!!!!
声にならない悲鳴を上げ、少年は脳内で昨夜の自分を締め上げた。が、それはどうしたって想像の上のものであり、昨日に戻る術もなければ、今更取り消しようもない。が、そうでもしないと耐えきれそうにない。
「起きたのか。おはよう。腹はまだ治ってないだろうから、そのままで」
羞恥と自分の怒りで暴れるラドミールに気付いたのか、アランが階下から声を掛けてきた。驚きに、少年は尻と腰だけで飛び上がるかと思った。まさか今のドタバタにも気付かれたのではと思い至り、「もう起きれる!!」と叫んで体を起こす。幸い昨日よりずっと体は軽い。
「寝てろと言ってるんだ」
が、その動きは登ってきたアランにあっさり阻まれた。額に指弾ひとつ、それだけで頭が揺れるほど痛い。
「~~~~っ!!!!」
別の意味で悶絶するラドミールに対し、アランは笑いをかみ殺すのに必死だった。笑えばまたこの少年はベッドを抜け出そうとするだろう。彼のプライドは傷つきやすい。
夜通し回復魔法を掛けていたお陰で随分元気そうだが、まだ毒は体から抜けきっていない。実際、少年の動きはいつもより随分鈍く、常のキレがない。いつもなら不意打ちの指弾くらいは避けるのに。
悶えていたラドミールが、赤くなった額を押さえて喚く。
「何するんだよ! 病人だぞ!」
とうとうアランは吹き出した。朝からドタバタした挙げ句、起きれると言っていたのに俊足の掌返しだ。
「都合の良いときだけ病人になるな。ベッドから抜け出そうとするからだろう」
ほら、今日一日寝てればいいから、とアランはぐちゃぐちゃになった上掛けを拾う。
「ものは吐き出したし、吸収された分もほとんど魔法で消えたと思うが、細かいところに入った分は体が分解するのを待つしかないからな。それが終わればもう大丈夫だ」
腹を侵していた毒は直接魔法で解毒し、腹から血管を通って全身に運ばれたものは夜間の処理で大部分が消えたと思うが、吸収してしまったものが全て除去されたわけではない。幸い、少量なら体は自分で毒を消せる。ラドミールくらいの年齢なら一日寝ていれば回復するはずだ。
「
……
本当に?」
「十年近く癒やし手やってる人間の言うことを信じないなら、お好きにどうぞ?」
ラドミールは苦虫を噛み潰したような顔をして、今度こそ渋々ベッドに潜り込んだ。口はともかく、なんだかんだと言いながら素直な少年なのだ。
「よろしい。ところで、昨日のメインはキノコ料理だったんじゃないか? しかも、自分で獲ったものじゃない」
少年が、そもそも大きな目をまん丸にしてアランを見つめる。どうして分かったんだという文字が書いてある顔に、青年はまた吹き出しそうなのを堪えた。
「内容物を確認して確信したよ。昨日のアレは毒きのこによる中毒だ」
ギルバンは黒衣森で一般的な食用きのこで、濃厚な旨味と風味が特徴だ。シチューに入れたり炒め物の具材として使われるほか、付け合わせにソースにと使い道は万能。誰からも愛され、見た目もわかりやすく、類似した毒きのこも少ない。
「ただ、『少ない』だけでないわけじゃない。グリダニアの住人や園芸師たちが東部森林だけで採取してるのは、あそこに生えるギルバンの安全性を知っているからだ。大方、誰かから貰ったかして、出所の分からない物を食べたんだろ?」
ラドミールは認めたくないのか、必死に言い募る。
「確かにあれは貰い物だ。グリダニアで、一緒に依頼を受けた冒険者に余り物を貰ったんだ。でも、変な味なんかしなかった!」
やっぱりか、とアランは肩をすくめる。
「毒きのこには、苦みやえぐみがあるものとそうでないものがある。ものによっては、旨味成分が毒であることもある。味では判断できない」
くれた冒険者は今頃どうなっていることやら、と青年は溜息を吐いた。もしも食べていたなら、ほぼラドミールと同じく、昨夜からずっとのたうち回っているだろう。彼は早くに助けを呼んだが、その冒険者は分からない。介助できる人間を呼べたことを祈るばかりだ。
「これ単体で死ぬようなものじゃないが、吐いた物が喉に詰まって
……
っていうのはあるものだし、後遺症の例もあるし、まあ最低でも数日は朦朧としながら盥かトイレと友達になること請け合いだ。ラドもこれに懲りたら、プロ以外からの貰い物には気をつけた方がいい」
「分かった
……
」
しょんぼりしてしまったラドミールの頭を、アランはぽんぽんと撫ぜる。しばらくは考えに沈み、黙ってその手を受けていた少年だったが、撫でられていることに気付くと頭を振って振り払い、威嚇するように「撫でるな!」と怒った。
青年はくすくすと笑い、さらにラドミールの頭をくしゃくしゃと混ぜる。
「うわ! なんだよ!!! やめろよ!!!」
英雄は静かに思い返す。他者から貰うものに毒が入っていることなど、何回あっただろう。
悲鳴を上げる弟子の声を聞きながら、アランは知り合った人から貰ったものを躊躇無く口に運べる少年の純粋さが、どうかこれから失われませんように、とひっそり祈る。
最早己から失われてしまったそれが、とてもとても目映く、美しいから。
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