みがきにしん
2021-12-24 23:29:22
6695文字
Public NPCとアラン君の話
 

『英雄』というひと


『それ』は正しく悪夢だった。
その名前は、ガレマール帝記録に複数表れる。
マーチ・オブ・アルコンズで二度、
雲海の果てのアジス・ラーで一度、
アラミゴ防衛戦、ドマ防衛戦で三度。
ギムリトでの武力衝突で一度。
ウェルリト戦役で一度。
ガレマール帝国を離れた第IV軍団とボズヤで発生した戦闘を合わせれば実に十一度。
そうして、ただ一度を除いて、最終的に帝国は敗走に終わっている。
初めて『それ』が現れてから僅か数年で、帝国から独立を宣言した属州の数は4。殉職・生死不明となった将校の数は30人を下らない。いくつかの軍団はほぼ壊滅し、下級兵士に至っては、その人物の関わる戦いで何人犠牲になったのか、最早数えることもできない。
「我らが帝国に対して与えられた悪夢のよう」と当初は冗談まじりに語られ、それからすぐにその人物の名前を口に出すことも憚られるようになったのは当然のことだった。
『それ』は戦場に表れるたび、帝国の人材を、国力を、士気を、まるで腐った木にするが如く短期間で削り落としていった。正に、目を開けながら見る悪夢のように。
――あれは悪鬼だ、と誰ともなく言い出したのを覚えている。
ガレマール帝国に害をなす、恐ろしく悪しき化け物が、エオルゼアに味方したのだ、と。

『ユルス』
青年はいつものように微笑みを湛えた優しい声で言った。
その体は血で赤く濡れ、てらてらと光る刃を片手に持っていた。けれどその血は全て彼のものではない。何故かそう分かっていた。
青年の足元には生き残った仲間が皆倒れ伏し、一部は積み上がっていた。ある者は首があらぬ方向に曲がり、ある者は胸を歪んだ三日月のように切り裂かれ、ある者は胴と首が離れて、ある者は人の姿をしたまま黒くぶすぶすと煙をあげていた。
鮮血と臓物と焼けた大地の臭いがまだ僅か立ち上り、積み上がった死体から涙のように血が流れていく。
『助かったよ』
おかげで、と青年は続ける。
『漸く最後の帝国将校を討ち取ることができた』
その手には、倒れ伏す体から切り取ったと思しき首をぶら下げていた。
『俺を信用してくれて、ありがとう』
第I軍団の長、クイントゥスのそれは、虚な瞳でユルスを睨み事切れている。それを単なる荷物のように掴み微笑む青年の目が、真っ直ぐにユルスを射る。
「違う」とも「なぜ」とも言えずに、喉から言葉にならない悲鳴が上がるのを、どこか冷静な己が俯瞰するように眺めていた。

ぜえ、ぜえと煩い呼吸音が寝床に響いて目が覚めた。
ひっきりなしに吐き出す息は白く、空気は肌を刺すように冷たい。周囲を見渡して、先程倒れ伏していた仲間の一人が、いつものようにごろりと寝返りを打ったのを見て、漸く頭が現実に帰ってくる。
ーー夢だ。それもとびきりひどい。
はぁ、と吐き出す呼吸がじわじわと落ち着いてくる。しかし、焦燥に駆られた心は未だ夢の光景に掴まれたままだった。
仲間たちの血と、体液と、臓物と、燃えた肉の臭い。
築き上げられた死体の中で立っていた『エオルゼアの英雄』は、いつものように傷ひとつもなく、穏やかに微笑んで上官の首をぶら下げていた。
思い出せば吐き気が込み上げてきて、ユルスは顔を顰めた。軍属の身分で死体を見ることなど珍しくないが、それでもここまで酷い吐き気を催したのは、あの崩壊の日以来だった。吐き気に呼び寄せられ、引っ掛かけるようにあの日のことも思い出しかけて、慌てて振り払う。
再度眠る気にもなれず、ユルスは体を起こした。
こんな夢を見たのは今日の揉め事のせいだろうか。凍えるほどに寒いとは分かっていたが、一度外の風に当たりたかった。

昼間、英雄が怪我をした。
それくらいであれば、ユルスは知ったことではない。
何せあの英雄は、よほどひどい怪我でもなければ数時間もすれば治ってしまう。その上、当人も体の回復を促す魔法が使えるのだ。だから知らぬうちに怪我をしようが、それこそ知らぬうちに治っている。それがかの英雄だった。
だというのに、その時その場に居たのはユルスだったのだ。
列車車両の中で、駅に残った難民達に食料を配布している最中だった。具のたっぷり入った温かいスープと凍っていないパンが配れるようになったのは、派遣団からの援助を必要なだけ受けられるようになったことが大きかった。
たまたま(だがおそらく偶然でなく)十数日分の薪を携えて訪れていた英雄も、スープを配るのに協力してくれていた。何せ人手はいつでも足りない。十全に動ける人員が不足しているからと、その薪も申し出もありがたく受けたのが間違いだったのかもしれなかった。
最初に聞こえてきたのは、石畳に皿が落ちて跳ねた音。
「よくも……!!!!」
次いで憎悪に満ちた男の唸りと、恐怖に竦んだ子どもの悲鳴が重なる。尋常ならざる気配にびりびりと緊張が走り、ユルスは回っていた車両を急ぎ飛び出した。
「その子どもは、お前の仲間なんだろう!」
駅の中央で叫ぶ声の主はつい最近保護した難民だった。出征時に膝下が欠けてしまい退役したものの、かつては第XII軍団に所属していたのだと聞いていた。
興奮のあまりかその男の顔はどす黒く紅潮し、口の端に泡を付けてまくし立てる。ブルブルと震える手には鋭利な金属片が握られ、握りしめる手からぽたりぽたりと血が落ちていた。
「俺は、俺だけは分かっているぞ、お前達が、お前が、この国を壊したんだ……
その男に相対していたのは英雄だった。背中に怯え泣く子どもを隠し、落ち着くようにと声を掛けている。だが、ぶつぶつと呟き続ける男には届かず、むしろ彼が何かを言うたびに男の顔は怒りで歪む。
……そうやって、踏みにじった相手に哀れみを掛けるのは楽しいだろうなァ? 弱っているからすぐ頼られて、さぞや気持ちが良いだろうな?」
英雄は厳しい顔をして口をつぐみ、ただ叩きつけられる言葉に耐えるように相手を見据える。
「だが俺は騙されない! 散々同胞を食い荒らしてきた相手が、同じ口で『助ける』と言ったところで、誰が信じられるものか……! 帝国の誇りを忘れた裏切り者もろとも、皆殺しにしてやる!」
同胞だと思った相手への失意と憎悪。
駆け寄ろうとした己の体が竦んだのが分かった。
瞬間的に、上官からかつて見せられた資料を思い出す。それはエオルゼアの英雄によって齎された、帝国の敗走の記録。
……こういう手合いは厄介だ。敵の士気を上げ、戦況をひっくり返す。どう戦うのか考えなければならん」
その言葉通り、すぐに記録を見なくとも、有利だったはずの戦闘が瞬く間に血と汚泥に塗れた撤退戦になったと軍部のあちこちから漏れ聞くことになった。
『あれが居るときの敵軍は手が付けられない』
『属州出身の士官が何人も逃げ出した』
『相対して生きられた者は片手で数えるほどしか居ないそうだ』
時を経るごとにいくつもの軍団が崩壊した。上層部の一部も明らかに恐怖し、エオルゼアとの直接対立を避けようと模索し始めた。友や家族を失い憎悪を抱く者もいたが、大半は生きて帰れなかった。
駆け巡った記憶と同胞の殺意を汲み取って、ユルスの体は動かなくなる。だから、血を吐くような怨嗟の声と共に、切り出しナイフのようなそれが英雄の腹に吸い込まれていくのを、ただ遠くから見ていた。
重い体同士がぶつかる音。男を受け止めた英雄の服に、じわじわと赤い染みが広がる。
青年は一瞬たたらを踏み、しかしそこから一歩も引くことはなかった。
飛び込んだ男の体と刃を握る手を食い止めたまま腰に提げた本に触れて何かを唱えれば、指示を得たエーテルが淡い輝きを纏う。
男もそれに気付いたのか、さらに刃を突き込まんと僅か暴れたが、押さえ込まれていた体は動かず、徐々に力が抜けていくのが傍目からでもよく分かった。
英雄は崩れるその体を支えてゆっくり床に転がす。ずるりとその腹から金属片が抜けていき、落ちて高い音を立てた。傷口を塞いでいたものがなくなり、一気に出血が広がったのか、服は胸まで真っ赤に染まっていた。
呆然とそれを見つめるユルスに、英雄は顔を顰めながら、それでも笑って首を振る。
……いいから、早くこの人を落ち着ける場所に」
耳が痛くなるほどの静寂を破って、とうとう子どもが喉を引き攣らせて泣き出す。
それを見て、英雄はまた安心させるように微笑んで跪き、『大丈夫だよ』と声を掛ける。
今度は顔を顰めることもせずに。

血の臭いを纏った夢を振り払うように外に出てみれば、雲一つ無い夜天が広がっていた。
降るような星を見ながら、ユルスはぼんやりと考える。
ユルス自身はあの英雄と戦場で見えたことがない。だが確かに、少なくない帝国人を――いくつもの軍団とそこに居た人達を殺したのだ。
それを今日突きつけられた。だからあんな夢を見たのだ。それが降りかかってきたのがお前だったらどうするんだ、と異国で死んだ同胞達から問われているような気がした。
ふと、星と月ばかりが明るい空に影が差す。
翼の生えた馬のような獣が、夜を駆けていた。見間違えるはずもない、他に見たことのない騎獣だ。
それは少し躊躇うように旋回した後、ゆるゆると高度を下げ、ユルスの目の前に降りてきた。
「随分遅くまで起きてるんだな」
ぶるると首を振る騎獣を手綱と手で宥めながら、青年がその背から降りる。
……目が冴えて、しまって」
言葉が続かない。
あの悪夢が、記憶の中の文書が、元帝国兵の怒りが、ユルスの喉を詰まらせていた。派遣団には何度も助けられている。アルフィノもアリゼーも、英雄も恩人だと思っている。国亡き今、彼らの手を借りねば生き残った同胞の救助もままならず、禍根すらも割り切らねば生きることさえ難しいことも分かっている。
それでも、口からは吐息しか出てこなかった。
「それなら、頼みがある」
英雄はそれに気付いているのかいないのか、少しだけ痛そうな顔をした。
「教えたい場所があるんだ。よければ着いてきて欲しい」

倒れた建物、燃えた家、目的を失って彷徨うだけの機械。その合間を縫うようにして英雄は先を行く。その足取りに迷いはなく、時々着いてきているか確認するようにユルスを振り返る。
エオルゼア諸国から冒険者部隊が派遣されたことにより、ガレマルド市中の魔導兵器の数は激減していた。残存している機体もあったが、ただ同じ場所をぐるぐると回り続けるだけで攻撃してくる気配はない。
ああ、ここだ」
英雄が立ち止まったのは、何の変哲も無い小さな広場だった。
広場、と言っても元は道だったのだろう。今や通るものはなく、周りを囲む建物もすべて壊れ、すっぽりと抜けた空間になっている。
連れて行きたいと言うものだから特別な何かあるのかと思っていたが、何もない。建物の燃えた痕と、崩れ果てた瓦礫、倒れた柱が転がるだけの空間だ。
「何もないように思えるが……?」
英雄は静かに衣嚢を漁り、白い布に包まれたものを慎重に取り出した。真っ白な布には、小さな鉄片と木片、布の切れ端のようなものがいくつか載っている。
「ここで、俺を助けてくれた人達が死んだんだ……難民だったと思う」
ユルスは息を飲んだ。
瓦礫の一つを英雄が指さす。石材の色に紛れて見えにくかったが、血の跡のようなものがびっしりとこびりついていた。
「多分、暖房用の青燐水を探していたんだろう。そこで壊れた魔導兵器が引火して……探したんだが、残った物はこれだけしかなかった。獣に片付けられてしまったんだろう」
できれば弔ってやりたかったんだけれど、と青年は遠くを見遣る。
「きっと、あの人達は見知らぬ異邦人より、帝国軍人にしてもらいたいんじゃないか、と思ってね。今日、駅に立ち寄った理由はこれだった」
青年はユルスに、ほんの僅かに残った彼らの痕跡をそっと差し出す。
「目的も告げずに連れてきて悪い。だが、どうか一緒に祈ってくれないか。ここで力尽きた人がいることは、きっと俺以外誰も知らない。それは、とても悲しいことだから」
その時の感情を、どう表して良いのか分からなかった。
悲しみと痛みと、寂寥と無力感。他の名前のつかない感情がない交ぜになって、ユルスは震えながら遺品を受け取り、ここで失われた同胞のために黙祷した。
青年はほうと息をついて百合の花束を取り出し、瓦礫の前に供える。
「あの時守れなくて……すまなかった」
俯く青年の口からぽつりと謝罪が落ちていくのを、ユルスは聞こえないふりをする。
冴え冴えと光る星と月に照らされて、鎮魂の花は鮮やかに白かった。

黙祷を終え、遺品を慎重にしまっていると、青年は寂しげに笑った。
……ありがとう。ずっと気になっていたんだ」
「いや、礼を言わなければならないのはこちらの方だ。同胞の死を知らせてくれて、ありがとう」
手慣れたように花を持ち込んだ彼は、何回こうして人を弔ってきたのだろうと思った。
守れなかったと後悔することも、己の力を悔やむことも、何度もあったのだろうか、と。
英雄がいくら個人として強かろうと、戦争はたった一人で出来るものではない。圧倒的な戦力差があろうと、犠牲が出ないわけでもない。帝国が負けた戦いにおいても、きっと同盟軍側に死者は出た。
英雄は何度も、そうして共に戦った仲間を、死にゆく人々を見送ったのかもしれなかった。あの記録に残された戦場でも、あるいはそれ以外でも。
そして、彼は敵を侮蔑し軽んずるような性格ではない。きっとそのいずれでも分け隔てなく祈ったのだろうな、と疑いなく感じた。先ほどしたのと同じように、死体さえ残らない人々の遺品を集めたこともあるのかもしれなかった。
急に、昼間の出来事と今夜の悪夢を思い出して、ユルスは己を強く恥じた。
――あの夢は単なる恐れだけで見たものではない。自分の中で生まれた罪悪感がそうさせたのだ。
ユルスや駅に残る仲間達は、異国で死んだ同胞にも、未だ敵国を恨む帝国軍人たちも、忌み嫌われる事もあると知っていても手を伸ばした派遣団も、明日を生きるために保護を申し出た難民と第X軍団も、そのいずれとも完全に同調することができない。
支援物資を持ち込む英雄を仇だと恨む難民を宥め、敵国の民である派遣団の手を借りて、けれど完全に保護されることも拒否している。
けれどそれが、今のユルスの矜持だった。
ガレアン人のまま、ガレアンの同胞を助ける。そのためには敵国だった人々と協力も惜しまない。
だというのに、昼間の出来事で竦んでしまった。己もまた、同胞から恨まれる存在になるかもしれないという恐怖が、ユルスの心を臆病にしたのだ。
だが、すでにユルスは嘗てと同じように振る舞えないことも自覚していた。
ユルスは「この国を侵し、最果ての凍土からもガレアンを追い出そうとする、恐ろしい敵だ」と教えられてきた相手を知りすぎた。彼らが同じように笑い、苦しみ、涙を流し、仲間を慈しんでいることを知って尚、昔のように盲目に敵視することは難しい。
完全にその手を取ることはできなくとも、否定することは最早できそうになかった。
……昼間のこと、すまなかった。怪我が治って良かったよ」
謝罪を自然と口にしていた。言おうとして、しかしどういう立場でどう言えばいいのか分からず、だからずっと胸に引っかかっていた。
英雄は少し考え、ああ、と合点が言ったように頷いた。
「構わない。ああいうことも起こるだろうと分かっていて、ガレマルドに来たんだ」
むしろ、と言葉を続ける。
「俺はきっとこれからも恨まれる。そんな相手と一緒に居れば、ユルス達も恨まれるかもしれない。だから駆け寄ろうとしてくれた時は嬉しかったし……少し心配もしたよ。これからの活動がしにくくなるんじゃないかと」
立ち止まってくれて、よかった。
英雄はそう言って微笑む。
夢の中と同じように、けれど今となっては決定的に違うと断じることのできる表情で、穏やかに。
――ユルスはそんな優しく寂しい笑顔以外もいつか見たい、と反射的に思ったが、口には出せなかった。
これからも、ガレマルドは終わりが見えないほどに寒く、長い冬が続くだろう。その間は、こうしてただ礼を言い、謝罪することさえ難しい状況が続くかもしれない。
だからこそ、その雪が溶けた時、今後こそ生き残ったガレアン人達の前でお礼を言おうとユルスは決意する。
『命と心の恩人よ、ありがとう』
そう、胸を張って。