和綺
2023-12-28 16:51:02
3671文字
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アオハル施行セカンド(五歌)

単行本、未収録ネタを含みます。

「ごめーんね」
入室してきたときから無視を決め込んでいた歌姫は、突如降って湧いた五条の謝罪に思わず顔を上げた。
「はぁ……?」
いや今なんて言った? ごめんね? 謝ったのか? あの五条が? いやその前にあれはそんな軽い謝罪で済むような話ではない。ないし、やめろやめろそのぶりっ子ポーズ。
大体だ。
「うわ、すごい百面相」
きょるんのポーズ(死語)のまま、そんなことを言う五条に歌姫のこめかみが音を立てる。大体。そもそも。
「謝る相手は私じゃないでしょーが」
「硝子にはもう謝ったもーん」
うるせー、アラサーがもーんとか言うな。
「許してくれたの?」
「許してくれた」
イェイとピースを掲げる五条に向かってため息をつき、かわいい後輩に思いを馳せる。
「この先ずっと毎月タバコワンカートンだって」
「甘い、甘すぎるわ、硝子」
そもそも禁煙はどうしたのだ。
「硝子の墓前にも、ずっと供えろってさ」
……ああ、そう」
そうかと思った。それならいいのかとも思った。
「だから歌姫も許してね」
「許すも何も」
あんた何言ってんの? と歌姫は再び五条を見上げる。
「私には謝られる謂れはないわよ」
「えぇ、なんで? 怒ってないの?」
「いや、なんで怒るのよ……
問い返しながら、歌姫はあの瞬間のことを考える。ばつりと電源が落ちたかのように、特大の呪力が喪失した。あの瞬間、確かにまた力の均衡が変わって、ぐらりと世界のすべてが多分一度眩暈を起こした。呪術界を支えていた基盤のようなものが消え去り、あっという間に傾くシーソーに乗っているような感覚のなかで、遺されたものたちは必死にバランスを取ったのだ。
それでも歌姫に怒りは湧かなかった。寂しくも、悲しくも、なかった。よかったな、と思ったのだ。そして羨ましく思った。力を、有り余るあまたの力を出し切り、思うがまま、呪力を解放し、術式を繰り出し、好き放題に飛び回って、そうして悔いなく笑って逝ったのだろうと思った。
「あんた、なんで戻ってきたのよ」
仲間は育ったよ。強い子もいるよ。皆でなんとかやっていけそうだよ。きっともう誰もひとりになんてならないよ。
だから、
だから……
いや、そうではない、と歌姫はひとり静かに頭を振る。
そうではないのだ。
「ねぇ、なんで?」
そのとき五条を見上げた歌姫の瞳には、強い光があって、またたきをする度に、ちかちかと何かが輝いた。
「なんでかぁ……
むぅ、と尖らせた唇でむむむと唸った五条は、少し考えたのち、にかっと笑った。
「なんか道があったから」
「は?」
呆気に取られたような歌姫に、五条は続ける。
「いや、なんか、もういっかー、とかってふらふらしてたら、いつの間にか道があって歩いてたらこうなった」
「は……
歌姫の頭ががくんと下がる。机に付いた両の拳が震えている。
そうか、そうだ、これが五条悟だ。
震えはやがて全身へと波及し、歌姫は声をこらえることができなくなった。
「歌姫? 泣いてる?」
……泣いてねーわ!」
あははははは! と高らかな声を上げながら、歌姫が仰け反り、五条が一瞬驚いた顔を見せた。そのすぐあとに、へらと笑う。
「なに、大爆笑じゃん」
「は、はは、あっはははは! あー、おかし……そうね、あんた昔にも死んだことあるんだっけ? なんか変な回路でもできてるんじゃない?」
「死んでませーん。あれは死ぬ前に反転回したからノーカンでーす」
「なにそのこだわり」
笑いに滲んだ涙を拭った歌姫が、ふぅ、と息をつく。
「それで?」
「ん?」
「こうして戻ってきたからにはなにかやりたいことはないの?」
「んー、そうだねぇ」
応えながら、五条が手近な椅子を引き寄せる。
「もう僕が前線に立たなくてもいいって言うなら」
からからと音を立てながら転がる椅子に五条が腰掛ける。歌姫のすぐ隣に寄り添うように座った五条は、腿に頬杖を付いて歌姫の顔を覗き込んだ。
「恋とかしてみよっかな」
「はぁ?」
あまりにも突飛な、想像だにしていなかった答えに、歌姫の顔が歪む。それをおかしそうに眺めて、五条は、んふふと含み笑いをこぼした。
手を取られる。歌姫の細い手を捧げ持つようにすると、そっと撫でて見せた。
「こうやってさ、ああ、あなたの白魚のような美しい手に、っていやめっちゃ荒れてない? この切り傷やばくない? なにこれ」
がっかりだよ、と五条が嘆いた歌姫の手は、確かに乾燥による手荒れと、細かい切り傷が見える。
「うるっせー! そんなマメに手入れしてる時間もなけりゃ、ほら見なさいこの溢れる紙の山を!」
歌姫の臨時デスクには、一応パソコンも置いてはあるが、その周りには紙の束が所せましと積まれていた。五条が座る反対側には段ボール箱が設置され、そこにも書類が大量に積まれている。
「回線はなんとか復旧しても、全然、ぜんっぜん設備が追い付かないし、申請書だの確認書だの見積に仕様書に完了届に報告書~? 誰よこの機に設備をまるっと全部最新にしよーとか言ったやつ! おかげで全部後回しにされてんじゃない!」
「あ、それ僕。どうせなら新しいのがいいじゃん? もうずっと古臭い機種ばっかりだったしさ~。これからどんどん若い子が入ってくるなら、その方が使いやすいでしょ?」
「お前かーー! 緊急事態! 当面! 使えるものを回させろ! アナログ作業ばっかで私の手が死ぬ!」
「よしよし、かわいそうに。反転も使えないし、なんてかわいそうな歌姫」
手の甲をとてつもなくわざとらしく撫でられて、ぞぞぞっと肌を粟立てた歌姫は、五条の手を振り払う。
「ひいっ、やめろぉ! っていうかあんたも暇してるんなら手伝いなさいよ! 書け! ペンを持て!」
「え~、この僕に書類仕事とかやらせるの~?」
「あんただって教師でしょうが!」
「免許持ってないけど」
「高専所属の! 現役! 教師!」
叫びきった歌姫が、ぜーぜーと呼吸を整えながら、机に突っ伏した。歌姫の声おっきい~と言いながら、五条の手が歌姫の背をぽんぽんと叩く。なだめるような仕草に、歌姫はごろりと頭を転がした。荒れ狂った息を整えるために深呼吸を繰り返していると、歌姫の視線に気づいた五条が、ん? と首を傾げた。
「いいんじゃない、恋」
「え?」
「いいと思うわ。そういう人並みな、普通の経験」
「そう? ……うん、前は全然できなかったことをやってみたいんだよね」
「街中デートとかね。いいじゃない、きっと楽しいわ」
「そうそう、そういうやつ。第二の青春だ」
「あんた、まだぎり二十代なんだから、その言い方は早すぎるでしょ」
本当にこの男は「青春」が好きだな、と起き上がった歌姫は、呆れた顔で五条を見た。
「好きな子と手をつなぐのって楽しいって聞いたからさ」
五条の手が、再び歌姫の手を取る。すり、と合わされて、高い体温で右手がくるまれた。
「そうね。楽しいわよ」
「え、歌姫経験あんの」
「あったりまえじゃない」
「えぇ、嘘ぉ……なんで?」
「なんでってどういう意味よ」
「そのままの意味だよ。歌姫モテないのにどうして、ってこと」
「彼氏くらいいたっつーの!」
「ふーん……
聞いたくせに大した返事をしなかった五条は、歌姫の手を好き勝手にいじっている。ぎゅうぎゅうと握りしめたり、指と指を組んでみたり、手のひらに乗せてぶらぶらと揺らしてみたりと、子供のような手遊びだ。
「はぁ、仕事しよ」
ぶん、っと好き放題されている手を振り払っても、五条の手がしつこく追いかけてくる。
「ちょっと。もういいでしょ。邪魔」
「えー、やだ、僕今第二の青春味わってるんだから」
「えぇ……?」
ぶらぶらと揺らされていた手が握手のように組まれて、ぶんぶんと上下する。いやまじでもう仕事したい、と歌姫は頬杖を付いた斜めの体勢で、ひどく楽しそうな五条を眺めた。
「楽しい?」
「楽しい」
ふーん、楽しいんだ、と歌姫は胸中で繰り返す。先ほどの会話を反芻して、ため息をついた。
「もういい加減邪魔。仕事終わんない」
「左でしなよ」
「右利きなんだよっ!」
「やろうと思えば、左でもできるじゃん?」
「それはあんただけ」
「歌姫、不器用だもんね」
「うるさい。離して」
「ちぇ、ケチ」
するりと五条の手が離れていく。尖った唇で拗ねていることをアピールする後輩に、歌姫はひらひらと左手を振った。
「こっち側にして」
ぱ、と上がった五条の顔が明るく笑って、いそいそと椅子を転がし、歌姫の左側へと回る。
「これ邪魔」
書類が乱雑に投げ入れられている段ボール箱を避けると、五条が椅子ごと歌姫の横へと収まった。左手が取られる。きゅう、っと握られて、体温が移る。
「あんたも手伝いなさいよ」
「僕、今右手埋まってるから」
「左で書け」
「僕、右利きだもーん」
「このっ……!」
ぎゅうっと左手に渾身の力を込めて握っても、五条は歌姫、よわーいと楽しそうに笑うばかりだった。