五条悟が現着したとき、そこはさながらパニック映画の世界であった。見慣れた光景ではあるが、五条はサングラスを押し下げて、なんとなく現実を確認した。
大きな森のあちこちで、小競り合いの煙が上がり、小ぶりな呪力が消えたり、走ったりするのを知覚する。確か呪霊の等級は二級相当で、数が多いので若手を寄せ集めた、と聞いている。率いるのは準一級術師の庵歌姫で、五条はその気配の方へと足を進めた。
なんとなく踏み固められている道もどきの左手側がぽっかりとまるで入口のように開いていて、周りの木々は折れたり、腐ったりしているのが見えた。かすかに残る残穢を指先で払う。
歩いていくと、少し開けたところに出た。ひとりの若い術師が小さな呪霊にまとわりつかれている。ああ、あれか、と足を止めると、気づいたようで、その顔が上がる。二十代、いや十代か。いわゆるOJTってやつ~と内心で呟いてそのまま眺めていると、幼い顔は五条の姿を認識し、一瞬ぎくりと不安げな顔をして、直後、ほ、と息を吐いた。ん、と五条がサングラスの下の目を眇めると同時、足元をちょろちょろしていた呪力が膨れる気配がする。あーあ、と五条はその六眼で正確に事態を把握した。どうしよっかな~と思っているうちに、ぷぅっと風船のように膨らんだ呪霊が、短い腕もどきを術師に伸ばす。ひっという小さな声が聞こえると同時に、意思ある呪力が飛んできて、ぱんっ! と音を立てて呪霊が割れた。ぎぃっという金属をひっかいたような断末魔は不快そのものだ。
「あ……」
「こら! よそみしない!」
教師が生徒を叱る、は完全にそのままなのだが、母親が子供を叱るような声音にも聞こえて、ほんと、いつも思うけど、場にそぐわないというか、緊張感にかけるというか、一応、死地じゃない? ここ、と五条は首を傾げる。
木々の間から、走りこんできた歌姫が、仁王立ちしている。腰が抜けたのか、へたりこんでいる若い術師に手を貸していた歌姫は、引っ張り起こしながら、五条を見た。顔が不機嫌そうにしかめられる。
「ああ、あんた、来たの」
「うん、来ちゃった~」
歌姫は、立ち上がった若手の体についた土を払ってやりながら、はぁ、とため息をついた。
「安心するのはわかるけど、気を抜いちゃだめよ。なんならあいつを囮や捨て駒にするくらいの気持ちでやりなさい」
「え……」
親指で五条を示す態度にか、それによってこちらが機嫌を損ねることを心配しているのか、はたまたその内容自体にか、術師が戸惑っているのを、五条はポケットに突っ込んで、にやにやと眺める。
「え~安心しちゃうんだ~?」
「黙ってろ」
五条の揶揄を一言で切って捨てた歌姫は、術師の顔の土汚れをぬぐってやっている。
「いいわね。あなたが自分で祓うのよ。ここに立つ以上、その覚悟を決めて、しっかり自分で立ちなさい。人に頼るときは、そうと決めて、そう動くの。あなたの命がかかってるのよ、人任せにしてたらすぐやられるわよ」
「は、はい……」
歌姫の勢いに飲まれて頷いているだけで、きちんと理解しているかどうか怪しいものだが、教育とはそういうものだ。一度ですべてを教え込むことなどできない。根気よく、何度も何度も諭して、刷り込んでいかなければならない。それほどの機会が与えられることはひどく少ないけれど。
「ほら、行きなさい。作戦忘れてないわね?」
「は、はいっ!」
今度は気合の入った返事をした術師は、五条に向かって頭を下げると、走り去った。
「作戦?」
「数が多いから、一か所に集めて、まとめて祓いましょう作戦」
「ザルくない?」
「うるさいわね。そういうことは数を確認してから言いなさいよ」
「ん~?」
サングラスを浮かせて、より正確な把握に切り替えると、ぐるりと囲うような森のあちこちに小さな呪霊の呪力がある。
「んー、十、二十……だめだ、めんどくさい。百はない、かな?」
「そうね。それでも減ったのよ」
「ふーん。ちまちま祓ったの? ご苦労さま~」
「イヤミっぽく言いやがって……祓ったのもそうだけど、どうも共食いしてるみたい」
「うえっ」
喉を締めるように手を当てて、舌を出す。うえ~~見たくねー。
「共食いしたからって等級が上がるわけじゃないのが救いだわ」
「僕が森ごと吹っ飛ばそうか?」
「だめに決まってんでしょ」
「え~」
「え~じゃない! あんた森をここまで育てるのに、何年かかるか知ってんの!? 大手企業が植樹とかやってんでしょーが!」
「え、なに、歌姫、森ガールってやつ?」
「ちっげーよ! そんなんとっくに廃れてるわっ!」
はぁ、疲れる……と腰に手を当ててため息をついた歌姫は、気を取り直すかのように、ぐっとこぶしを握ってから顔を上げた。
「疲れてんの~? 年~?」
「あんたまじ黙ってなさいよ」
ぐるるるとうなり声を上げそうに睨みつけてくる歌姫を指さして笑っている内に、徐々に呪力が一箇所に集約していくのが感じられる。
「お~結構集まってんね~順調順調」
「今回は索敵が得意な子がいるからね……ちょっと漏れがないか、回ってくるわ」
「僕が探ろうか?」
「そう? じゃお願い。私はあの子たちの……わっ」
「はいはい、行くよ~」
歌姫の腕をつかんだ五条は、六眼を使って索敵を開始すると同時に、呪力を込めた足で地を蹴った。高速移動の途中で、歌姫の腰を抱え込むと、見つけた呪霊をボールよろしく、ぽんぽんと蹴り飛ばしていく。
「はい、これで全部~」
「うえっ、酔った……」
五条が差し込んでいる腕を中心に体を折られている状態だった歌姫は、青い顔でぐらんぐらんと揺れている。
「ちょっと、吐かないでよ?」
「誰のせいよ……」
起こして、と訴えられて、五条はよいしょ、と片腕で歌姫の体を支え直す。あ~~と呻きながら呼吸を整えた歌姫は、更に何度か深呼吸してから、やっと自力で立てるようになったようだった。
「はぁ、飲んでもねーのに、なんでこんな目に……」
ぶつぶつとこめかみを揉んでいる歌姫の腰に回したままだった手を上らせて、五条はほらほらとその背を叩く。
「どうすんの? 皆が見てるよ」
にやにやと顔を覗き込むと、はっとした歌姫の背筋が伸びる。
一箇所に集められた呪霊は、縄状の呪力で拘束されているが、ぱんぱんに膨れて今にも弾け飛びそうだ。
「なんかあれみたいじゃない? スイカの輪ゴムチャレンジ」
「黙れ」
いらいらと五条を見もしないで切って捨てる歌姫に、こちらをちらちらと見ていた若手の術師たちが戸惑っている。その間にも拘束した呪霊は不快な鳴き声を上げ続けていて、時折周囲の小枝がぱきぱきと折れて落ちていく。
「あ、食った」
「え?」
思わずサングラスを押し下げた五条がつぶやくと、腕の中で歌姫が身じろぎをした。あ、まだ抱いたままだった。歌姫は気づいていないようで、共食いを始めた呪霊を眉をしかめて見ているだけだ。
「うわぁ、ぐっちょぐちょじゃない……」
「きっも……ねえ、あれ僕がべこべこに潰していい?」
「心情的にはいいわよって言いたいところだけど、そうもいかねーでしょ……うわっ近っ!」
呆れた口調で返答した歌姫は、今頃になって距離の近さに気づいたらしい。のけぞるようになった体を片手で支えて、サングラスを掛けなおす。
「皆は見たいみたいだけどね?」
どっせいと自力で起き上がって、ずざっと後ろに飛び退る姿を笑っていると、歌姫はあー……と額に手を押し当てて、呻いている。周りの期待の視線を感じたらしい。
「そりゃあね、あの五条悟の術式を間近で見れる機会なんて滅多にないもの。でも今日は、あの子たちだけで完遂させなきゃ」
ぱんっ、と歌姫の両手が打ち鳴らされる。
「はい、攻撃開始よ。ぼこぼこにしてきなさい」
「言い方~」
よく通る声での荒っぽい指示に、しかし術師たちは素直に従った。統率が取れた動きで、文字通り寄せ集められた呪霊をぼこぼこに祓っていく。
「お~順調順調」
様々な形態の呪力で、潰れ、弾け、千切れては、呪霊の塊が削がれていく。時折舞う欠片のような残骸は、五条がデコピンよろしく飛ばした呪力で粉砕し、歌姫が呪力をまとった手刀で叩き落した。
「なんかさ」
「うん?」
腕を組み、術師たちの動きを見つめながら、歌姫が呟く。同じようにサングラス越しに若手の動きを目で追っている五条が応答する。
「最初は、木にくっついた塊だったのよね」
「うん」
「こう、瘤みたいな」
「うん」
「で、見つけた子が祓おうとして、呪力を当てたらさぁ」
「うん」
そこまで言った歌姫が、露骨にいやそうな顔をしているのを不思議に思いながら、五条は、で? と続きを促した。
「爆発した」
「は?」
「爆発したのよ。で、ちっちゃい呪霊がわーって一目散に逃げだして……ほら、昔あったじゃない、かまきりの卵」
「あーー……」
五条の脳裏に、そう遠くない過去の思い出が過る。山に囲まれた学び舎は緑と生き物の命に溢れた場所だった。特に虫という存在には事欠かない。
「あんたが森から取ってきたあれよ、あれ。教室中にかまきりの幼虫があふれかえって、死ぬかと思った」
「あんときの歌姫、泣きながらぎゃーぎゃー逃げまくってたもんねー」
「泣いてねーっつの。でもトラウマ。思い出しちゃったわ。はー、きもちわる」
ぼこぼこと祓われていく呪霊を見ながら、両腕で自らを抱きしめた歌姫はぶるりと体を震わせた。
「だから僕がさくっと祓ってあげるって言ってるのにー」
サングラスを押し下げて、上目遣いで歌姫を見ながら、右手の指先に呪力を集める。
「効率的にはその方がいいんでしょうけどね」
収束点を中心に渦巻く呪力を追うかのように見ている歌姫がはぁ、と息をついた。ぐるりと小さな玉状になっていくエネルギーの塊を保ちながら、五条はにこにこと笑う。
「うんうん、このなんでもできる特級呪術師にまっかせなさーい! 遠慮なく頼っていーんだよ!」
テンション高くピースを掲げると、絶対零度の視線が向けられる。めちゃめちゃいやそう~~と五条は笑みを深めた。
「あんた、私の職業忘れてんじゃないでしょーね」
「え~~? 呪術高等専門学校所属の庵歌姫先生でしょ~~? 自分のお仕事忘れちゃったの? 老化?」
「一言も二言も余計! だったら私の立場も役目もわかんでしょーが! 若手! 育成! だよ!」
「ま~そうだけどさぁ。歌姫ってば融通が利かないんだから」
五条の指先にある不可侵の玉はごうごうきゅうきゅうと呪力を巻いて、巡り続けている。その影響で、少しふらついた歌姫は、それでもぐっとその場に踏ん張ってみせた。
「人を育てるのには時間がかかるのよっ! 手間惜しんでらんねーっての!」
凝り固まっていた呪霊の最後のひと欠片が祓われた。やはり不快な鳴き声に、皆の顔が歪むが、若い顔に浮かんでいるのは確かな充足感だ。そのなかに、先程腰を抜かしていた、五条の存在に安心をして、気を抜いてしまった術師の顔を見つけた。しっかりと自らの足で立ち、仲間と笑いあっている。その視線が、五条へと、いや歌姫へと移る。
ちらりと確認した歌姫の横顔は、まるで母か姉のような微笑みを浮かべていた。
「あんたの存在は頼もしくて、皆を安心させるけど、それは同時に隙にもなるでしょ」
結局、あんただけが強くたって、どうしようもないのよ。
優しい眼差しで彼らを見つめたまま、世界に声を発す。それを、五条は、ただ、うん、とだけ頷いて、受け取った。
「みんなー! お疲れサマンサー!」
左手を大きく振ると、全員の視線が五条へと向く。
「いっくよー! さーん! にーっ!いちっ!」
「あ、ちょ、あんた、バ……っ!」
隣の歌姫が泡を食った顔で手を伸ばすが遅い。
「術式順転「蒼」ー!」
指先から放たれた高エネルギー体は、五条の意のまま地を滑るように走り、すべてを巻き込み、最終的に先程まで呪霊がいた地面を大きく抉りながら、空へと軌道を描いて、爆発霧散した。
「……」
ぽっかりと更地になってしまったその場所で、左右に別れた術師たちと歌姫はぽかんと突っ立っている。
「いやー、よく抉れたね~」
絶景絶景、と目の上に手をかざし、文字通りすこんと抜けた青空に目を細める。
「残穢根こそぎ祓っといたよ、歌姫」
にこっ、と笑いかける。その頃になって、若い術師たちにさざ波のように静かに興奮が走っていくのがわかり、五条はにんまりした。よく頑張ったので、サービスだ。
「~~~~っ!」
真っ赤な顔で、ぶるぶると震えている歌姫は、怒り心頭の様子だ。わーすごーい、僕怒髪天なんて初めて見たー、と吹き出しそうなのを堪えていると、だだだっとわずかな距離を、全速で詰められる。そのまま歌姫の手が五条の首元を絞り上げ、このバカっ! アホ! 森林破壊すんなって言ったでしょ! バカっ! 誰が報告書と始末書を書くと思ってんのよ! ほんとバカ!! とぐらんぐらん揺らされるのを、五条は大笑いしながら楽しんだ。
あー、うぜー、と目を手元の携帯電話に落としながら、歌姫はいらいらしていた。
待ち合わせに早く来すぎた自分が悪いのか。 いや、それは否だ。通常の報告書に、自分に何の非もない顛末書及び始末書各種の作成、提出、処理をすべてきっちりこなし、幹事よりも早く飲み会会場にたどり着いた歌姫は、労られこそすれ、非難される筋合いはこれっぽっちもない。
あーあーうるせーそうね首元と肩から手首にかけてのレースがきれいだから買ったのはいはいこれはねシースルーっていってちょっとした透け感がそうね確かにあんたが言う通りセクシーな印象を与えるのよいいから黙ってろお前を喜ばせる為じゃなくて私は自分が着たい服を着てるんだわっ!
先程からまとわりついている男に内心で中指を立てながら、歌姫はメール画面を閉じる。かわいい愛しの後輩は、遅れての参戦らしく、少しテンションが下がった。
あー、とこめかみをぐりぐりと押しながら、視線を巡らせる。視界の隅でちょろちょろしている存在は無視を決め込んだ。
あ、やっと来た。
少し離れた位置に、見知った二人組の姿をみとめて、歌姫はほっと息をついた。ただでさえ目立つ金髪と白髪の二人は、その長身を生かしたペースで、歌姫の方へと近づいてくる。あ、伊地知もいたわ。二人の影に隠れたもうひとりの見慣れた顔に、歌姫がくすりと笑みをこぼす。
「あのさぁ」
思ったより近くで、低い声がした。視線だけを動かすと、不機嫌です、とわかりやすく尖った男の唇が見える。
「さすがにムカつくんですけど」
知るか、と反射的に口をつく前に、手首が掴まれる。うっわ、と一瞬でかけ登った不快感に、体が揺れる。鳥肌が立つ音が聞こえそうだ。
コンマ一秒だけ、殴り倒してやろうか迷って、このあとのアルコールを思い浮かべて、自制する。あー、酒だ、酒だ、酒持ってこーい!
「五条!」
やっと手が届く範囲まで寄ってきた五条の腕を、ぐいと掴む。いつも、掴んでから、術式が発動しなかったことに気づいて、不思議に思う。
「うわ、なに」
「はい、よろしく」
そのまま引き寄せると、五条の体が、歌姫と男の間に素直に割り込んだ。代わりのように掴まれていた腕を抜く。ええ、なに、と困惑した声が頭上から降ってくるが、もうすっかり男のことをシャットアウトした歌姫は、七海と伊地知にお疲れ、と手を振っている。
「あー、なに? ナンパ? やめたほうがいいよ。このひとめちゃくちゃ酒癖悪いから。君の手に負えないって」
そのあと、あ、なんだおめぇ、だのなんだの多少のやり取りがあったようだが、歌姫はほとんど聞いていなかった。続々と集まる術師と談笑しているうちに、気づけば、男の姿は消えていた。
「あ、終わった?」
見上げると、渋面の五条が見下ろしている。
「終わった? じゃないよ、もう」
「ごめんごめん、ありがとね」
わずらわしい存在がいなくなり、あとは楽しい飲み会だと上機嫌に歌姫が笑うと、うつむいた五条がサングラスを外して、ばさばさと前髪を払っている。
「こういうときばっかり……歌姫が僕を頼るポイントがよくわかんない」
「だって、七海や伊地知に迷惑かけるわけにはいかないじゃない」
「僕ならいいっての?!」
「あんたが私にかける迷惑に比べたらかわいいもんでしょ」
「え、そんなのかけたことあったっけ」
「あんた、今日さっきの記憶もう忘れたの」
「忘れた」
「殴るっ!」
「やれるもんならやってみなー!」
「あ、術式発動してんじゃねーよ!」
「術式がなくたって、歌姫が僕を殴れるとは思えないけどねー!」
「泣かすっ!」
「泣きませーん!」
「あの、お店、開きました……」
「この僕をナンパ避けに使うだなんて、ほんといい度胸だよ、歌姫は!」
「っるさいわね! あんたのそのガラの悪さを役立てる機会をくれてやってんでしょーが!」
「は~? この目元涼やかGLGを捕まえてガラが悪いとか、目腐ってんじゃないの!」
「うるせー! そんなにがたがた言うなら、もうあんたには頼まない!」
「それはだめ!!」
「なんなんだよっ!」
地団駄を踏んでいる歌姫と、両手で大きくバツ印を作っている五条に、伊地知の遠慮がちな声は届かず、ぽんと肩に乗せられた七海の手に誘導されて、諦めたように店内へと消えていく。いまだ続く全自動を止めるものなど、この場には存在しておらず、それはふたりが冷えた風に我に返るまで終わらなかった。
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