Ykanokawa
2023-09-11 17:19:39
3729文字
Public クリテメ
 

【オクトラⅡクリテメ】(イントロ修作)その運命、断罪させていただきます

23日WEBおんりにて展示(したい)予定のもの。
誰も死なないし2章で終わる、もはやテメ編と言っていいのかわからない捏造テメ編。
はぴえんのためなら何でも許せる方向け。

 灯台の明かりが港町の夜を照らしている。
 とぷん、とぷん、と絶えず寄せる波がアーチ橋の煉瓦を舐めては引いていく。真昼に響いていたうみねこは、この静かな夜には穏やかな眠りについている。
 誘蛾灯に一匹の蛾が吸い寄せられていく。翅の色だけを見たならば、まるで蝶のように美しい蛾であった。蛾は優美な球形のガラスに降り立ち、誘蛾灯が放つ殺虫薬に中てられて、その足をするりと滑らせ、落ちていく。取り落とされた生命に気がついた者がいるとするならば、今、この瞬間を目撃していたテメノスくらいのものだろう。
 一抹の憐憫が胸を過ぎる。美しく、雄々しく、力強くあれたのに。それだけであればよかったのに、むざむざ手の鳴る方へと引き寄せられて、滑り落ちていく。
 そう感慨に耽ったのは、ほんの一瞬だ。
 背後からかちゃりとサバトンが石畳を鳴らす音が響く。
「テメノスさん、何を読まれているので?」
 精悍な声に問われ、テメノスは手にした小さな手帳ごと振り返った。
 海風にふわりと金の巻き毛が揺れる。少し傷んで見えるのは、潮混じりの風を浴びていたせいだけではないだろう。宿屋にヘアブラシはあっただろうか。そんなことを考える。
 正義感と使命感に燃えた青玉は、その色と同じく青い。だが、それだけでもない確かな意志力を宿している。銀の鎧に青いサーコート姿の青年が、少し呆れた表情をして立っていた。
 テメノスはぱたん、と手帳を閉じて小さく微笑んだ。
「ルーチーさんの手記です。相変わらず、なかなか興味深いもので」
「ま、また勝手に持ってきちゃったんですか!?」
「堅いことは言いっこなしです。ちゃんと後でお返ししますよ」
 はあ、と鎧姿の青年――クリック・ウェルズリーは大仰な溜め息を吐いた。テメノスが手帳を懐へ仕舞うのを見て、ほどほどにしてくださいよ、と嗜められた。どうぞ、と差し出された手のひらにプラムがひとつ乗っている。
「ルーチーさんを治療するのに回復魔法を使われていたでしょう? ヴァドスと争う際にも光魔法を……。きちんと身体の状態は万全になさってください」
「おやおや。君に世話を焼かれるとはね」
「あなたに何かあったら、猊下たちに顔向け出来ませんので」
……そうですか」
 ほんの少しだけ、気分が落ち込んだ。
 ――いや、気分が落ちるってなんだ。
 聖堂騎士である年若い青年が、生真面目に命じられた職務に励んでいるのは何も悪いことではない。あの鴉たちの只中にあって、黒に染まっていない稀有な気質と挫折にあっても立ち上がる芯の強さを褒めるべきところだろうに。
 雑念を払うようにテメノスは青年の手からプラムを摘まみ上げた。柔い果実に歯を立てる。色合いは充分に熟しているはずなのに、わずかに酸っぱく感じてしまった。
 気を引き締め直そうと軽く頭を振る。
「それで、クリック君。カルディナは?」
「はい、船の中です」
「ふむ……
 種の周りの果実を食べ切ると、テメノスは手首に垂れた果汁を舐め取った。行儀が悪い、と呟いた騎士がハンカチを貸してくれる。礼を言って受け取ろうとしたテメノスだが、その視線は合わず、青年はやや顔を赤らめてそっぽを向いていた。
 何か機嫌を損ねてしまっただろうか。首を傾げて呼びかければ、何でもないです、と強めに返されてしまった。お願いだから早く拭いてしまってください、とも。
 付き合いとしてはごく短い。けれどけして表面的な接し方はしていないつもりだ。それでもテメノスには、この青年騎士の反応が今一つ解せないときがある。
 手渡されたハンカチで手首と口元を拭う。やや汗の匂いがするが、不快ではなかった。白いハンカチにプラムの果汁は目立つ染みになってしまった。この件が片付いたら御礼代わりに買って返そうか。どんなものを選ぼうかな。
「では、クリック君」
 ハンカチを仕舞い、もう一度呼びかければ今度はしっかりと目が合った。
「いきましょうか。運命とやらを打ち破りに」
「はい、テメノスさん! お任せください!」
 神の剣がついていますよ。
 そう胸に拳を掲げた青年にゆるりと口角が上がる。テメノスは遠くの波止場に停泊する鴉の牙城――聖堂機関の船の灯火を瞳に映して、高らかに断罪の杖を打ち鳴らした。

【その運命、断罪ブレイクさせていただきます】

 その日は雨が降っていた。
 朝、目が覚めたときから湿度が高く、しとしとと静かな春雨の振る日のことだ。
 低血圧気味なテメノスは片頭痛を感じて目を覚まし、同室のロイは起き抜けに窓の外を見て不満の声を上げていた。
 見習い神官になったばかりのテメノスとロイに与えられるお勤めは主に掃除と聖典の転写である。晴れれば絶えず落ちてくる楓の葉を巡礼者のために掃き掃除をする。雨が降れば室内で黙々と布教用に聖典を転写する。
 掃いても掃いても降り積もる落ち葉を払う仕事は体力を使う。だが、運が良ければ巡礼者から菓子や細やかな駄賃をもえらえる。だからロイは晴れの日のお勤めを好み、大袈裟なまでに騒いだのだった。これを楽しみにしている見習いはロイだけではないので、朝食に集まった同世代の見習いの表情は総じて優れなかった。
 一方でテメノスは雨の日の地味なお勤めが嫌いではなかった。監督官であるおばさん神官の言いつけ通り一筆一筆心を込めて、なんてことはしていないが聖典の転写は業務量ノルマが決まっている。それさえ終われば祈りと食事の時間まで自由なのだ。
 不満そうなロイの横で、テメノスは読みかけの書物の続きを読むのを楽しみに思っていた。
「テメノス、テメノスっ!」
 転写の業務量を終えたテメノスが図書室で本のページを捲っていたときのこと。
 ばん、と開いた図書室の扉の向こうから、ロイがぎりぎり注意されない程度の小走りで駆け寄ってきた。両手に何かを抱えている。テメノスは壁掛けの時計を確認してから口を開く。
「ロイ、転写の勤めは?」
「終わらせたよ」
 いつもより早いな、と言外に言えばロイは唇を尖らせて拗ねた。文字を書く丁寧さにムラがあるロイは、いつもテメノスより転写の勤めに時間を要している。
「同じ内容なんだから、そりゃ書くことも憶えるさ」
「まあ、確かに」
 どうやら丁寧に文字を書けるようになったわけではないらしい。
「そんなことより、面白そうなものを見つけたんだ!」
「面白そうなもの?」
 向き直ったテメノスに、ロイはにひ、と悪戯っ子のように八重歯を見せて笑う。そして両手に抱えていた一冊の本をじゃーん、というかけ声と共にテメノスへ突き出して見せた。
 本だと思っていたそれは日記帳のようだった。それも大分古い。なめし皮で作られた帳面に記載されていた名前を見て、テメノスは目を見張った。
「これは、イェルクさまの……?」
 一度だけ、見た憶えがある。2人の養い親である教皇イェルクが、難しい顔で何事かを書きつけていた。
 好奇心というものは誰の心の中にもある。神官からイェルクへ言伝を預かっていたテメノスは、それとなく覗き込めるような位置から声をかけた。そのときのイェルクは、はっと目を見張ってさっと手元を隠した。テメノスも素早く目を滑らせたつもりだったが、白い帳面の上の文字を追うことは出来なかった。
 呼びに来てくれたのか。ありがとう、テメノス。さあ、もうすぐ祈りの時間だろう。
 テメノスの目を覆い隠すように、自身が記していた文字から彼を遠ざけるように。イェルクはそっと小さなテメノスの背を押した。
 ――誰だって日記なんてものを見られて良い気がするわけはない、が。
「ロイ、これをどこから?」
「イェルクさまが祭壇の裏に置き忘れていったんだよ」
 目を輝かせたロイは、テメノスの隣に腰かけて2人で観られる位置に帳面を置く。隠されているものは、暴きたい。見てみたい。その心理はわからなくはない。けれど。
 ――あのときのイェルクさまは。
 なんとなく、いつものイェルクとは違ったような。
 なんでもないはずの出来事を脳裏で反芻し、テメノスは言葉を詰まらせる。不自然なことではなかった。自分の日記帳を見られたい者はいないのだから。
 ――いない。いないのだが。
 言葉選びが、イェルクらしくなかったような。
 そう。そうだ。常に慈愛を持ってテメノスとロイに接してくれるイェルクなら、そんなときにどう言うだろう。例えばだが、こらこら勝手に覗いてはいけないよ、だとか。そんな言葉をかけるような気がするのだ。
 あれではまるで、イェルクの日記そのものから意識を逸らしてしまいたいかのような。
「テメノスだって見てみたいだろ?」
 ロイは楽しげに笑みを湛えながら、帳面の表紙に手をかける。当然だ。彼は最初からそのつもりだったのだろうから。
 見てみたいだろ。視線で問いかけられ、返事をすることもその手を止めることも出来なかった。
 好奇心は猫を殺す。言葉の意味を知ってはいても、理解は出来ていなかった頃の話。
 それが、すべての始まりだともテメノスは知らなかった。篠突く雨が降る日の、幼い記憶だ。