Ykanokawa
2023-06-02 19:11:23
7269文字
Public クリテメ
 

【オクトラIIクリテメ】本当の言葉は一つだけ

キスの日に寄せて大遅刻。謎時空ですったもんだするクリテメ。今回の被害者パニキとオルトくん。
フランスには素敵な諺がいっぱいあるのですが言語習得まではむずかしい…。

 真実はワインの中に、という言葉がある。
 簡単に言えば、酒に酔えば人は本音や欲望を表に出す。という意味合いである。それは事実であると思う。現にテメノスとてそのように他人を暴いたこともあった。
 けれども、それでも見えない真実はどのように暴けばよいというのだろうか。
 たとえば、その真実が自分の中に眠っている場合だとか。
「はぁ……
 こればかりは酒で暴くものでもないだろうに。自答しながらグラスを傾ける。
 ――さすがに酒で自分の心まで暴けまいに。
 フルーティなサングリアの香りも甘さもテメノスの心を慰めはするが、曇りまでは拭ってくれないようだった。
 期待をしていたわけではないが、見えて来ない真実には焦れている。さてはて、どうするべきなのか。手持無沙汰に空のグラスを弄んでいたときだ。
「よーぅ、テメノス。なんだ、妙に難しい顔で飲んでんなぁ」
 また歯に肉が挟まったか、と軽口を叩きながら同席についたのはパルテティオだった。片手にはエールのジョッキ。彼もテメノスも現在、仲間内では待機組で、彼は確か新しい商談がと言いながら町へ繰り出していた。上手くいったのだろうな、ということが満面の笑顔と弾んだ声でわかる。
 上手くいったようで良かったですね、と迎え入れれば、ありがとさん、と返ってきた。
「何も言ってねぇのに、さすがだなテメノス」
「私でなくともわかりますよ。いかにも祝杯を挙げたいという顔だ」
 違いねーや、と快活に笑う。さっぱりとした後腐れのない気性はテメノスにはないものだ。テメノスは後ろ暗い連中の非を暴いて白日に晒すが、パルテティオは胸裡に曇天を抱えた人間の心を照らす。
「で、何に悩んでんだ?」
 そんな気質のパルテティオは仲間内の一人が思い悩んでいれば、当然のように耳を傾ける。特に見返りは求められない。求められたとして1リーフの銀貨だけ。
 気風のいいことだ。もっとも、悩みの内容を訊くまでのことかもしれないが。そう思いながらもテメノスは自らの手元にあった塩炒りナッツの皿をパルテティオへ差し出した。悪ぃな、と口にしながら変な遠慮はせず、三粒ほどがパルテティオの大きな口に消えていく。
「相談というと大袈裟なんですけどね。ご意見をいただきたいので聞いていただけますか?」
「おう」
「同性からキスをされた場合、どう受け止めるのが正解だと思います?」
 パルテティオは噛み砕いたナッツを盛大に喉に詰まらせた。


「はぁ……
 やってしまった。そんな自己嫌悪に陥ること、本日これで何回目になるだろう。
 ペンを片手に報告書の山と睨み合って数時間。クリックは向き合おうと奮闘している。だが、報告書の敷き詰められた文字の上を目が滑る。集中力が持たない。内容が頭に入って来ないのだ。
 こんなことでは、と自分を叱咤する。もうひとりの自分がこんなことをしている場合か、と問いかけてくる。正直、そんな場合ではないと思ってしまう。しかし、そうだとして現状を打開できる考えが浮かぶかと言われればそうでもなく。堂々巡りが延々と続く。
「はぁ」
……おい、クリック」
「んぇっ!?」
 低い、ドスの効いた声で名前を呼ばれて危うくペンを取り落としかけた。慌てて書類から顔を上げれば、対面で同じく書類の山にペンを走らせていたオルトと目が合った。ただし、その目は怒気を孕み完全に据わっている。心なしか眉間の皺が普段より1、2本増えているような気もする。
「たまに帰還して書類仕事を片付けるのだと思えば、上の空もいいところだな……?」
「い、いや、その、ごめん」
 分刻みで溜め息を吐かれる身にもなってみろ、と苦情がとんだ。まったくその通りなので何も言えない。
 旅をしているテメノスの護衛と聖堂騎士としての職務。両立はただでさえ難しい。現実として溜まりに溜まった机仕事がこうして山と積まれている。だからこそ、こうした機会に片付けておかなければいけないことはわかっている。
 わかっては、いた。
 のろのろとペンを動かすクリックを見て、オルトは苦虫を嚙み潰したような顔になった。そしてブラックの珈琲を一気に胃に落とし込んでから口を開く。
「テメノス審問官と何があった」
 ばきり、とペンの切っ先が折れて滲んだインクで書類と机が染まった。もっとも、その大惨事を引き起こしたクリックにそれを気にするような余裕はなく、血走るほどに目を剥いてオルトを見る。はくはくと口が声にならない音を紡ぐ。
「わかるだろう。お前がそこまで参るような理由は、あの人くらいだ」
……そんな、人に悩みがないみたいに」
「一番は決まってそうだろうに」
 違うかと問われて違わないと認める。自分のわかりやすさに自分で呆れ、そういうところがいつまで経っても“子羊くん”なんですよ、と幻聴が聞こえた。
「で、今度は何をしでかしたんだ。もしくは何か言われたか」
 投げつけられた雑巾で汚れたインクを拭きとりつつ、クリックは少しだけ悩んだ。悩んで、このまま纏まらない思考を続けて迷子になるよりは、と親友へ吐き出す覚悟を決めた。
……った」
「? すまん、聞こえん」
「テメノスさんに、キスしてしまった」
 空になっていたオルトの珈琲カップが音を立てて倒れた。


 考え事に耽るとき、テメノスは死んだように見える。
 立っていようと座っていようと、目を閉じ、微動だにせず、声をかけても肩を揺すっても反応しない。もっとも質が悪いのは、特に予告がないところだとクリックは思う。予兆くらいは感じ取れるようになったが、それでも心臓に悪いものは悪い。
 その日もそうだった。
 仲間たちと別れての自由行動中、ちょっとした失せ物を探している町人の話を耳にしたのが発端だった。見かけたら教えてくれないかと言われ、テメノスはその町人へ失くすまでの行動を問いただし、町人が去った後はお察しだ。
 目を閉じて、顎に指をやり、そのまま動かなくなってしまったテメノスに、クリックは2度ほど声をかけて諦めた。そして外からの害意を排するべく、いつものように傍に立った。
 温暖な地域で、場所が広場の隅の寛げる一角だったのが幸いといえば幸いだった。時刻はちょうど真昼を過ぎた頃。頭上には植えられた樹木の大きな枝葉が伸びていて、木漏れ日くらいしか届かない。周囲にもあまり人がいなかった。大抵の大人は労働に精を出しており、遊び盛りの子どもは昼寝の時間だったのだろう。
 ふわりと吹いた風で髪が煽られた。これはと思い、固まったままのテメノスの顔を見ると、さらさらと流れた銀の糸が目にかかりそうになっていた。触れても反応がないことはわかっているので、クリックはごく自然な動作でその前髪をそっと掬って耳の後ろへ流した。
 ――大分、前髪が伸びたな。
 今度、切ることを提案しようか。繊細そうな風貌をしていて、この人は結構ずぼらなところがある。特に自身の容姿だとかはその筆頭だ。
 三十路の痩せた男を見て誰が何を思うというんですか、とは本人の弁である。まったく三十路には見えないということも、自分の外見や所作が所謂“美人”に括られることは全く自覚してくれない。だからこんな無防備にもなれるのだろう。
 ――もし、ここがもっと治安の悪い町で、夜中だったとしたら。
 そう想像し、焦燥と苛立ちに焦れてもやもやしたものを抱えるのはいつもクリックの方だ。ぽたりと胸に垂れた黒い雫が胸中を搔き乱して、クリックは耳に触れた手を白い頬へ滑らせた。クリックの手で易く包めてしまうそこは、やや痩せすぎではないかと不安に駆られる。目元の隈は、今日は薄いようだ。
 そんなことが分かってしまうくらいには、ずっと、この人の表情を見ていたのだと今さら気づかされる。
……
 考え事に耽るとき、テメノスは死んだように見える。そのように、見えるのだ。触れても反応はない。ないはずだ。
 本当にその薄い唇が呼吸しているのか。そんなことをもっとも理解しているのは、クリックだったはずなのに。確かめたい、確かめなければ、と思ってしまったのは、きっと若さ故の暴走だとか出来心だとか、そんな風に呼ばれるもののせいだ。
 何かに吸い寄せられるように、赤ん坊へ祝福を授けるそれよりも優しく、唇に、唇で触れた。
 恐ろしくタイミングが悪かったとしか言いようがない。
 その刹那、すぐに顔を離したクリックが見たものは、ぱっちりと銀の睫毛を瞬かせて驚くテメノスの顔だった。


「はぁ……
 使い物にならない、とオルトに本部を追い出されたクリックは陰鬱な後悔を大きく吐き出した。ストームヘイルの外気へ白く吐き出された息は空に融けて消える。過ちも同じくらい綺麗に消えてくれたらよかったのに。
 あの町人は失せ物を見つけられただろうか。それすら、クリックは知らないままだ。何故かと言えば、驚愕に固まっているらしいテメノスの表情に軽蔑が混ざる様を見たくなくて、逃げ出してしまったから。
 文字通り合わせる顔もなく、平身低頭、頭を下げてすみませんでしたと言い逃げしてしまった。
 もうあなたの前には現れません、と言えるほど大人だったら良かった。
 もしくは忘れてくださいと懇願すれば、今も彼の傍にいられただろうか。おそらくいることは出来ただろう。度々、神への冒涜を口にすれど、神官という職務は彼の本分で、その慈悲深さでなかったことにしてしまう。そういう人だ。
 そんな慈悲に縋りたくない。なかったことにしたくない。クリックの中にいつのまにか膨れ上がった確かなものを否定しないで欲しい。
 一方で、あんな過ちではなく、もう一度、機会を与えてはもらえないだろうか。同時にそんな情けなく意気地のない自分も顔を出す。
 上手く逃げることも、躱すことも性分として苦手なクリックに、今の状況はどうにも酷だった。たとえ自業自得に作り出してしまった末の産物だったとしても。
……ともかく、テメノスさんにもう一度、会いに行って」
「私がどうかしましたか?」
 ひょこりと眼前に現れた件の人の姿に、クリックは情けない悲鳴を上げた。
「て、て、テメノスさん!?」
「はい。私ですが」
 気がつけば、そこは聖堂機関宿舎のクリックに宛がわれた部屋の前だった。考え事をし続けて歩いているうちに、とうに着いてしまっていたらしい。
 その場に、緑青の神官服に白い外套を羽織ったテメノスが扉の脇を背もたれにして立っていた。肩と髪が少し湿って見える。もしや雪を払わずにここまで来たのだろうか。ここまで来て、ここに立って。一体いつから。
 クリックが問い質そうとした寸前でテメノスがくしっ、とくしゃみをした。慌てて自分の外套を外して細身の身体に巻き付ける。避けられたら、と頭の片隅から声がしたが、幸いそんなことはなかった。やんわり触れた腕は、案の定、氷のように冷えきっていた。
「何をしてるんですか、こんなところで……っ!」
「なにを、と言われると、説明が難しいのですが」
「と、とにかく、中へ入ってください……!」
 男の一人暮らし、それも寝に帰っているような部屋に想い人を上げるというのは抵抗があった。しかし、その肝心の人が目の前で顔色を悪くしながら震えて立っているのだから、そうも言っていられない。
 血が通っているか疑わしい白い手を引いて、狭い部屋に一脚しかない椅子に座らせた。考える余裕なくベッドから毛布を引っぺがして被せる。すぐに暖炉に火を入れた。
 専用のケトルに常備の飲み水を汲み上げて、暖炉の脇に引っ掛ける。湯が沸くまではしばらくかかるだろう。
「クリック君……
「まったく平気には見えないので、部屋が温まるまでそのままでいてください」
 元々、彼の人は平熱が低いのだ。以前、キャスティから聞いた低体温症という文字が脳裏を過ぎる。冗談ではない。
 他に何かないか、と自分の手のひらを伸ばしかけて、止めた。
 自分は今、この人に触れる資格はないのだ。
「クリック君」
 変わらない、ほんのり甘やかな声で名前を呼ばれる。
「大丈夫ですから。君も、鎧を脱いでしまいなさい。風邪ひいちゃいますよ」
 ストームヘイルの外気に合わせて着込んだ厚手のインナーと鎧は、これから温かくなる室内では暑くなる。無用な汗を掻き、冷やしてしまえば風邪を引くのはクリックだ。
 ほんのわずか泣きそうになった。
 あんなことがあったのに、この人はまだクリックを許してくれているのだ。そのことが温かくて、悔しくて、ぐちゃぐちゃな心境のまま機械的に鎧を外し、サーコートを脱いだ。インナーに毛糸の上着を羽織った頃には、部屋は適温まで温められていた。
 人心地ついたクリックは、暖炉の前に座ったテメノスが周囲をきょろきょろと観察していることに気がつく。
「意外と片付いていますね」
「意外と、は余計です」
 見られて困るものがなくてよかった。
 異動が多く、彼に会ってからは旅することも増え、散らかすような暇も物もなかったのが救いだ。
 自分はベッドの端に腰かけて、ケトルが鳴るのを、もしくはテメノスが話し始めるのを待った。今のクリックは断罪を待つ罪人だ。下されるなら、どんな沙汰だろう。二度とあんなことはしないと誓ってください。甘すぎる。二度と近寄らないでください。順当な判断だ。せめて想うことくらいは許されないだろうか。
「そんな死にそうな顔をしないでください」
 心外な、とどこか不服そうな声が項垂れたクリックに降る。
「君の目に、私はどんな鬼に映っているんですか。そんな今から処刑される囚人みたいな顔をして」
「いえ、ですが」
「クリック君」
 こほん、と軽い咳払いがクリックの言葉を遮る。
「確かに私は怒っていますが……。それは君があんなことをした、その行為自体に怒っているわけではありません」
「え……
「私が怒っているのは、君が私の言葉も待たず、勝手に逃げ出したことに対してです」
 面を上げて、今日、初めてテメノスの顔を正面から見た。やや吊り上がった柳眉、ほのかに潤んだ翡翠の瞳、口角を下げて不満を露わにする唇、寒さのせいか淡く染まった頬。嫌悪も、嘲弄も、不快感すらそこには見つからない。
「テメノス、さん……
「助手の君が逃げ出してしまったら、私は私が感じていたことも上手く整理できないじゃないですか」
 なんだろう。なんだというのだろう。それは、とても、クリックにとって都合の良すぎることのような。そのように、聞こえる。
「嫌では、ありませんでした」
「は……い?」
 空耳だろうか。それとも何かを勘違いしているのだろうか。勘違いでないとすれば、この人は今、あのクリックの行いを、過ちを、嫌ではないと言った。
「でも、それだけで答えは出ませんし、いろいろと決めつけるわけにはいきませんので」
 ここで君を待っていました。とテメノスは続ける。待っていた。クリックを。寒空の下で、おそらくはけして短くない時間を。
 ――何のために。
「クリック君」
 その疑問を拾い上げて、テメノスは被せられていた毛布と外套を落として、俯いているクリックの顔を覗き込む。細められた瞳が、弧を描く唇が、クリックを捉えて離さない。
「もう一度、私とキスしてみてくれませんか?」
 吃驚して目を丸くするクリック自身の姿がテメノスの両目に映っている。
「そ、れは……
「それとも、もう、嫌ですか?」
 何かを言おうとして、からからに喉が渇く。嫌なわけはない。そんなわけがない。呆然としたまま首を横に振る。テメノスはその返答に満足げな笑みを零して、そのまま瞼を伏せた。ほんの少し唇を突き出す。真白い頬が紅潮しているように見えた。
 こくり、と溜まった固唾を飲み込んだ。失礼します、と紡いだ声はぎこちなく、ひどく不格好だ。
 彼の人の肩に置いた自身の手が、燃えるように熱かった。
 不慣れなクリックでは、唇に到達するまで目を閉じられない。眠っているような、あどけなさすら感じる顔にゆっくり、ゆっくりと近づいて、拙く触れた。覚えている感触よりも、ずっと柔らかく、甘いように思った。
 ふるり、と銀の睫毛が震える。けれど、身を引かれるようなことはなく、反対に温度を取り戻した指がクリックの胸元を掴んだ。
 触れられた場所から、冷え切っていた身体を融かすような熱が生まれる。じわじわと身体を侵していくような、温かで、それでいて頭の中まで溶かされるような。
……ふ、ぅ」
 どうしたって息を詰めてしまって、酸素が足りなくなった口の端から吐息が漏れる。それでも、あと少しこの熱を味わっていたくて、角度を変えて再び口づける。応えるように頭を傾けられて、合わせた唇から多幸感と愛おしさが流れ出して胸が詰まる。
 自然とクリックは身体を寄せ、細い腰と白銀の後頭部に手を差し入れた。テメノスは抵抗することなく、クリックの分厚い胸板に寄りかかって甘受する。とく、とく、と伝わる鼓動が同じ速さを刻む。
 どれだけそうしていただろうか。とても長いようにも、少々物足りなく短いようにも感じた。どちらからともなく離れた2人の間に透明な糸が1本、つう、と弛んで消えた。
 瞼を開き、目の前にあったのはちりちりとした熱を孕む翡翠色の瞳。目尻を赤く染め、艶めいた顔でこちらを見つめる美しい人。
 答えは出ましたか。呼気を整えながら問うと、テメノスはするりと両腕を伸ばしてクリックの首の後ろに回す。顔を近づけると、その耳殻に甘く甘く声を落とした。
 どうにも言葉にできないのです。なので、どうか、もう一度。


 Le seul vrai langage au monde est un baiser.
 世界中で本当の言葉は一つだけ。キスである。