昨晩は散々だった。せっかく旨い酒と料理を楽しんでいたところへ人間台風を狙った馬鹿共が乱入し、店が半壊する大騒ぎに。夜通し店の修繕を手伝って、わずかな睡眠を取ったあと、今こうしてヴァッシュと手分けして買い出しに出ている。
カラリと晴れた青空の下、街の外れに位置するバイクの部品を取り扱っている店へ。ヴァッシュとは買い出しを終えたあとにダイナーで落ち合うことにしていた。
人の声もまばらな穏やかな通りを進んでいると、どこからかすすり泣く声が聞こえてきた。
道の脇に座り込んだ5歳くらいの少女が、手元に握りしめた何かを見つめ、ほろほろと涙をこぼしている。あいにく周りには保護者も兄弟らしき人物も見当たらなかった。
自然と足が少女の方へ向かったが、三歩ほど進んだところで立ち止まる。巨大な十字架に括りつけた紐を引く指に力が入った。
別に子どもに近づくのを自ら禁じているわけではない。けれど、積極的に交流するのは避けたかった。
ヴァッシュがいる時は子どもたちと遊ぶこともある。それは、あの男が子どもたちに囲まれる性質だからで、それにやむを得なく付き合っているだけ。
自分の手は汚れている、血の染みついた呪われた手で綺麗なものに触れてはいけない。ヴァッシュといると、時々その事実を忘れそうになることが厄介で少し憎かった。
ひらひらと揺らめく鬱陶しくて眩しい赤色は、今は隣にはいない。ここにいるのは、一人の少女と自分だけ。
一呼吸おいて、サングラスを外しポケットに雑に突っ込んだ。
「嬢ちゃん、どうした?」
パニッシャーを背負ったまましゃがみ込み、少女と目線を合わせる。ここで少女が少しでも怯えた表情を見せたなら、誰か他の大人を探してきて少女のことを託すつもりだったのだが、幸か不幸か少女にそんな素振りは一つもない。
「なんや悲しいことでもあって泣いとるんか?」
毛先の跳ねた亜麻色のロングヘア、色素の薄い青の瞳、生成り色のワンピースを着た少女はすんと鼻を啜り、丸めていた体をぴんと伸ばす。
あのね、と少女が身を乗り出し話し出したので、いよいよ観念してパニッシャーを地面に置いた。少女から人ひとり分空けたくらいの距離を取って横に座り込む。
「お人形、壊れちゃって」
大きな緑色の目が印象的な黒猫のぬいぐるみ。腹の辺りが大きく裂け、綿が無残に飛び出している。まるでぬいぐるみにも痛覚があるかのように、少女は裂けた部分を撫で続けていた。
「ともだちと喧嘩でもして破いたんか?」
「ううん、昨日うちのお店でオジサンたちが暴れてね、その時に踏まれて破れちゃったの…」
「…店って、もしかしてこの街で一番デカイ、黄色い看板のところか?」
「そうだよ?」
一瞬絶句し、深い溜息を吐きたいところを寸前のところで堪えた。昨日、自分たちが騒動に巻き込まれた店に間違いないだろう。この少女が店にいたかは正直覚えていないが、踏んだのがヴァッシュでも自分でもなかったとして、原因に関与してしまっていることだけは確かだ。爽やかな陽気とは裏腹に頭がずしりと重くなる。
さてどうしたものかと視線を彷徨わせていると、破れた黒い布の端切れと針を握り締める小さな手が目に入る。慣れない針作業で傷ついた手が痛々しく映った。
「…自分で直してたんか、えらいなぁ」
ただ何気なく褒めただけ。褒めたという自覚すらなかったが、少女は途端に瞳を輝かせ、せっかく開けていた距離をぐいぐいと詰めてくる。ぴたりと横に張り付いてニコッと破顔する少女の頭を思わず撫でそうになり、左手が不自然に空中を泳いだ。
「あんまし近づかんほうがええで」
なるべく声を柔らかくして言った。当然、少女は理解せず、なんで?と首を傾げる。
「怖い人かもしれんやろ。知らん人にむやみに近づいたらアカン」
こわいひと――。少女は初めて聞く単語かのように言葉を繰り返し、困惑した表情を返してくる。
「でも、わたしが泣いてるのに気づいてくれたのはお兄さんだけだよ。何人も大人が通り過ぎたけど、声をかけてくれたのも、えらいねって褒めてくれたのもお兄さんだけ」
やっぱり話しかけなければよかったと後悔した。そうやってニコニコと嬉しそうに微笑まれると、まるで自分がいい人のように錯覚してしまう。そして、あとになってそんなわけがないとひどく苦しむことになる。
ふと、待ち合わせをしている旅の連れの笑顔を思い出し、溜息を漏らした。太い眉をへにゃりと下げるあの顔――。自分は綺麗なものに触れていい人間ではない。しかしそれはこの少女がくれた言葉を拒絶する理由にはならないことも分かっていた。
「ちょっとその子貸してみ」
「直せる!?」
「どうやろなぁ」
物資の乏しい惑星だから、孤児院でも自分の服や弟妹のぬいぐるみを繕う機会はあった。自分だって孤児だというのに、何かと仕事を押し付けられていたことを思い出し、苦笑する。
やり方を手が覚えていればできるはず。少なくとも目の前のこの少女の手が傷つくのは見ていられなかった。
腹の辺りから飛び出してしまった綿を押し込み、穴を塞ぐように生地をつまむ。生地の端を数ミリ内側に折り込んで、慎重に針を刺していった。
細かい縫い針の動きに少女は興味津々で、小さな口をぽかんと開けて凝視している。いつも物騒な武器を扱う手が、可愛らしいぬいぐるみの傷口を癒していく様は自分で見ていても似つかわしくないとしか言いようがなかった。
最後に足跡と思われる汚れをスーツの袖口で拭ったが、残念ながら完全には消えない。
「家帰ったら水で洗ってやり」
「すごいすごい!!お腹の傷なくなっちゃった!!ありがとう!!」
立ち上がった少女がぴょんぴょんと飛び跳ね、黒猫のぬいぐるみを愛おしそうに抱きしめた。ひらひらとワンピースの裾を揺らしながら猫の前足を取って一人と一匹で踊り出す。そんなに喜んでもらえるなら、昔の記憶を掘り起こした甲斐があるというものだ。
不意に針を持っていないほうの手を取られ、ぎゅっと握られる。自分の手の大きさの半分にも満たない手からじんわりと温もりが伝ってきた。
「すごいね!お兄さんの手!ねこちゃんを助けてくれたヒーローの手だ!」
死臭の染みついた手、銃の引き金を易々と引ける手、人を殴ることを厭わない手。
青空みたいに明るく弾ける笑顔に目が眩み、目蓋を閉じる。
「…嬢ちゃん、おおきに」
「なんで?お礼を言うのはわたしの方だよ?へんなの!」
手を握り返すことができない代わりに一言だけつぶやくと、少女は長い髪を揺らす。
軽快な笑い声が渇いた空気に吸い込まれていった。
△
「遅ぇよ!!!!何してたんだよ!!」
バイクの部品を手に入れてから待ち合わせ場所のダイナーへ向かうと、トンガリ頭の男はぎゃあぎゃあと喚き散らした。テーブルの上には水の入ったグラスだけ。もう昼飯の時間はとうに過ぎていたが、どうやらまだ何も食べていないらしい。
「もう昼飯じゃなくて晩飯になっちゃうよ!」
「ほな、今日の晩飯、オドレの奢りな」
「なんで!?こんなに待たされたのに!!?」
「今日は絶対オドレの奢りや」
鼻先がくっつきそうなほどの距離で睨みを利かす。事情を話す気は一切ないが、だからといって尻ぬぐいをさせられっぱなしなのは腑に落ちない。
「……なぁ、なんかいいことあった?」
薄青がきらきら煌めき始め、ヴァッシュが頬を緩ませる。いつもそう。この男はどんなに罵倒されようと、冷たい目を向けようと、相手の表面だけを見ない。奥底の小さな善の欠片を見つけて、誰よりも喜ぶ男。
「オドレの目ぇはほんま節穴やな」
ゴツン、と鈍い音を立てて頭突きを食らわせてやると、ヴァッシュは長い足をバタつかせながら椅子から転げ落ち額を押さえて悶絶する。
「おっちゃん、注文ええか?勘定はこのトンガリ頭で!」
気分がいいので、今日はたらふく飲み食いしてやろう。
旅の連れのだらしない面を拝みながら食う飯は最高に旨いから。
△読まなくてもいいあとがき△
盟友、ひとりで行動してる時にあった出来事の全部をお互いに話したりはしないけど、何か良いことがあったんだなっていうのはすぐに勘づく。ヴァッシュにいいことあった時もウルフウッドは絶対気づく…けどウルフウッドの場合は多分聞かずに放っておく。ヴァッシュがニコニコ笑ってると煙草が旨い。
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