不況の煽りを受け、本職だけで食べていくのが苦しくなった光忠は自由がきくのをいいことにダブルワークとしてファミレスで働き始めた。これが案外性に合っていたらしく、元が部屋に籠もりきりでこなす職なのも相まって非情にいい気分転換となっていた。
そんなバイト先で昨今気になる常連がいる。二人連れなのだが煤色の髪のやや小柄な――といっても光忠や連れが大きい所為でそう見えるだけだ――青年が先に来店し席を取り、あとからつなぎ姿の一回りほど上の男と落ち合い、二人並んで帰るのだ。その際支払うのはつなぎの男で、会話の端々から生活費も、それに住居もすべてつなぎの方が面倒をみているとのこと。つまりはヒモだとか若い燕だとかそういった類いの関係のようである。男女でも驚きの関係であるが彼らは男同士だ。しかし嫌悪感が浮かばなかったのは、恐らく煤色の髪の青年が整った容姿をしていたからだろう。
明くる日もいつものように青年が先に来店し、光忠が紡ぐお決まりの説明を聞き流し、何も注文することなく背筋を伸ばして席に座っていた。結局全ての代金はつなぎの男持ちなのだから先に何か頼んでしまってもよいだろうに、何故だか彼はそういう几帳面なところが端々に滲み出ており、ヒモという職にしてはなんだかとても不釣り合いに思える。
ちょうど別の席で注文された料理が出来上がったようで、つなぎの男が来る前に光忠は厨房の方へと身を翻す。最近入ったばかりでまだ雑用しかしていない大倶利伽羅という高校生アルバイトから熱々の皿を受け取ろうとするも、何故だか彼はこそこそと隠れるようにして渡してくるものだから「ちゃんと渡さないと駄目だよ」と注意をする。無口で親しみやすさとは正反対の性格であるが仕事はいつもちゃんとこなす子だというのに今日は一体どういった風の吹き回しだろうか。
「……叔父がいる…………」
「おじさん?」
「そこの煤色の髪の男だ」
指差されなくとも誰だかはわかってしまった。あのヒモと思わしき男がまさか後輩の親戚だっただなんて! 世の中は狭い、というべきかなんというか。
「彼は常連さんだよ」
「ああ、確かに世話になっている男の家がこの近くだ」
ついでに光忠が断片的な情報で組み立てていた予想も当たっていたらしい。しかし普通ならば親戚にヒモの男がいれば苦々しいだとか後ろめたいだとかの感情をこめそうなものであるが、どこか大倶利伽羅の台詞はほっとしたような響きがあった。
それが滲み出ていたのを自分でも察したのだろう、妙に慌てた彼は皿を押しつけながらどこか弁明染みたことを告げてくる。
「あ、いや、勤めていた会社で何かあったらしくて、知人に引き取られたものの一時期外にも出られない状態だったからな……」
「そ、そうだったんだ」
「ほら、冷める前に運べ」
呆然とする光忠の様子などお構いなしの大倶利伽羅であるが、光忠も今はそちらの方がありがたかった。彼の親類に対してひどい勘違いをしていたのだ。穴があったら入りたい、少なくともおじさん達の席には近付きたくない。
しかし無情にも別の客の会計を済ませ、皿を重ねて戻ったところで再度大倶利伽羅から料理の皿と、彼のおじさん達がいる席の番号を告げられた。君が行けばいいじゃないか、と抵抗してはみたものの、元々厨房担当の彼は頑としてその提案を拒絶する。
「とにかく頼んだ」
そう言って光忠が運んだ食器類を引ったくるようにして洗い場の方へと立ち去ってしまった。これは仕事だ、仕方がない、と重い足取りを笑顔で隠し、光忠はいつも通りに皿を運ぶのだった。
「おまたせいたしました」
あとから合流したつなぎの男の前にビールとポテトフライ、それに唐揚げを置く。これが彼のつまみであり食事だ。この後運ばれてくる大盛りライスのハンバーグセットがおじさんの夕食である。しかしおじさんとはいうものの、彼は自分と同じくらいの年代ではなかろうか。どちらかといえばつなぎの男の方が叔父というのに年齢という意味で納得がいく。それとも彼の兄、あるいは姉とは歳が離れているのだろうか。しかしつくづく綺麗な顔だ。これならば実態がヒモだったとしても驚きはない。
「あ、あの、俺の顔に何か……?」
そう声をかけられ、まざまざと彼のことを見てしまっていたことにようやく気付く。失礼しました、と頭を下げ、次いでじっ、と注視してしまったことの弁明を口に上らせる。
「大倶利伽羅君のおじさんなんですってね」
いくら常連で互いに顔馴染みとはいえ注文と会計以外の言葉を交わすのは初めてだ。当然相手もつなぎの男も目を瞬かせてこちらを見上げている。
「昨日から厨房に入っているんですよ。身内がいる、って引っ込んじゃいましたが」
「そうなのか。世話になる」
「だからあんな熱心に見てたのか」
その台詞には曖昧な笑顔だけを返しておく。とてもではないけれどヒモでもおかしくないのにな、と考えていたとはおくびにも出せない。察せられたらクレームどころの問題ではない。光忠はこの職がなかなかに気に入っているのだ。
「ではごゆっくりどうぞ」
だからボロを出す前に定型句とともに下がる。ついでに厨房の方へ顔を出せば、どこかそわそわと落ち着きのない大倶利伽羅の姿が見受けられた。
「良い人だね、おじさん」
「な、なにか話したのか?!」
「君が厨房にいる、ってね」
それは全くのなりゆきであるが、大倶利伽羅が余計なことを、を睨めつけてくるのは仕方がないことだろう。それにも誤魔化すような曖昧な笑みを浮かべた光忠は、そろそろ時間だよ、とトイレ掃除をしに行くように促した。下っ端の仕事という訳ではないけれど、彼が一人で出来ることというのはまだ限られているのだ。
ふとホールの方へ視線をやれば、別のフロアの子がハンバーグセットを運んでいったようである。気まずさ故助かった、と内心安堵の息を吐いた光忠は会計も行わなかったが、次の来店時の案内はばっちり引き受ける羽目になってしまった。いつも通り一人で来た大倶利伽羅のおじさんだけを決まり文句と共に案内をして下がろうとした時、今度は彼の方から声をかけられたのは意外だった。
「……あいつはうまくやっているか」
あいつというのは間違いなく大倶利伽羅のことだろう。言葉少なで協調性があまりないものの仕事自体は真面目に取り組んでいる為覚えもよく、独り立ちもすぐだろう、と店長も太鼓判を押していた。そこまで説明はしなかったものの、問題ないことを告げれば安堵したかのように表情を緩めたものだから光忠はそこから目が離せなかった。
「……よければ本人を呼んできましょうか」
「いや仕事の邪魔はしたくない。ああ、これも仕事の邪魔になるかな」
「いいえ、これくらいは大丈夫です」
けれどしまった、という顔をするおじさんに赤くなっているだろう顔を見られたくはなくて、席を離れるきっかけになったのはありがたかった。一礼して下がれば、もう注文の時まで何も話すことはないはずだ。それも何か別の仕事を見つけて他のフロア担当の子にしてもらおうか。
今までの来店でも一度足りとして見たことのない、先程のおじさんの顔が脳裏に焼き付いてしまったのは何故だろうか。深く考えてはいけない、と自制した光忠は代わりに厨房にいる大倶利伽羅へまたおじさんが来ていることを告げに向かうのだった。
いつもおじさんとつなぎの男が来る曜日は月曜日と水曜日と固定されているが、何故だか今週は金曜日にも現れた。いつもどおりおじさん一人であったので喫煙の二人席に案内しようとしたが、「あ、いや……」と曖昧な言葉で引き留められてしまった。
「今日は俺一人だから禁煙で頼む」
「かしこまりました」
色々な意味で驚きだ。そういえばまざまざと見たことはなかったけれど、煙草を吸っていたのはつなぎの男だけだった気がする。ならば満席という訳でもないので案内してしまって構わないだろう。
いつもと同じ、来店の数だけ説明している台詞を告げて下がろうとしたが、一人だからか注文はもうすでに決まっているようで、おずおずと光忠のことを引き留めてきた。当然断る謂われもないのでハンディターミナルを取り出し、それを伺う。大体は予想がつくけれども。
「ハンバーグセットをご飯大盛りで」
「ハンバーグセットのライス大盛り。ドリンクやサイドメニューはいかがでしょうか」
「……いや、いい」
「かしこまりました。少々お待ちくだ――」
「あと、その」
「なんでしょうか」
注文以外に何かあるのだろうか。それとも前回のように大倶利伽羅の様子を聞きたいのだろうか。一番問題なのは光忠の勘違いに気付いてしまったという事態であるが、流石にそれはないと思いたい。
「名前はなんというんだ」
「名前?」
「俺は長谷部だ」
おじさんもとい長谷部が何の理由で突然光忠の名前を尋ね、自分の名を名乗ったのかはわからない。けれど引っ掛かったのは大倶利伽羅が言っていた彼の過去だ。だからある種のリハビリなのかな、と一応の納得をし、お客様に見せるのよりももう少しプライベート寄りな笑顔を見せて己の名を告げる。
「燭台切光忠。光忠で構わないよ」
「光忠、か。仕事の邪魔をしてすまなかった」
「これくらいは問題ないさ。あと大倶利伽羅君は今日はシフト入ってないから」
「そう、なのか?」
こてん、と首を倒す姿はどこかあどけなく、幼く可愛らしく見えた。相手は社会人だったいい歳した大人だろうになんという感想を抱いているのか。だから光忠はちょうど呼び出しのランプが光ったのをいいことにごゆっくり、と頭を下げ、別のテーブルへご用伺いに向かう。そこで追加のオーダーを受け終え、ちらり、と長谷部の席の方へ視線をやれば、彼はぼんやりと窓の外、通り過ぎゆく人波を眺めている。どこか哀愁すら漂わせているのが気になったが、一店員である光忠が踏み込むことではない。
その日はそれ以上長谷部とは何も会話を交わさず過ごし、結局あれはなんだったのだろう、という疑問を抱える羽目になったが、それが氷解するのは日曜日、大倶利伽羅とシフトが重なった時であった。
「この間叔父と話したそうだが……」
雨で客が少なく珍しく二人で休憩していたタイミングでそう言われ、まかないを口に含んでいたため首肯してそれを認める。ドリンクバーで注いできた珈琲で流し込んで、「それがどうかしたの?」と問えば、普段の仏頂面を更に険しくさせて悩んだ末、大倶利伽羅は頼みがある、と切り出してきた。恐らく長谷部絡みだとは思うが一体どんな内容なのか。
「友達になってほしい」
「…………は?」
だがその内容は成人男性相手に頼むようなものではない。今日日小学生の保護者でも滅多に口にしないだろう。流石に大倶利伽羅も己の台詞があり得ないものだと自覚しているのだろう。あちらこちらに視線をやりながら意味も無く指を動かしていた。その様子に流石に呆けたままではいけない、と光忠はなるべく意識して、お客様相手のように柔らかな笑みを浮かべてその理由を問うた。
「……叔父がしばらく引きこもってたのは前に口を滑らせたから知ってると思うが……」
確かにあれは咄嗟に、というのが相応しい説明だっただろう。そもそもあまり口外するような内容でもない。ましてこの必要最低限以外の業務連絡以外はほとんど喋らない大倶利伽羅だ。自分でもしくじった、と感じている罪悪感もあるのだろう。
「それで家族と医者と号さん――叔父を引き取っている人以外と話したのは久しぶりで、よければ、その、一言二言でもいいから店内で話しかけてほしいんだ」
大倶利伽羅の提案は友達というのとは少々違う気がするけれど、それでもそんな些細なことで誰かの役に立つのならば、あの表情がまた見られるのかもしれないというのならば協力するのはやぶさかではない。
「オーケー、お安いご用さ」
「頼んだ」
ソースすら残らず平らげられたまかないの皿を持って、大倶利伽羅は先に厨房の方へと戻っていく。ひらひらと手を振って見送った光忠は、しかし言うだけ言っただけであると気付いたのは珈琲を飲みきり一息ついたタイミングであった。そもそもチェーンで接客もマニュアル化された中で一体何を話せばいいのか。そもそもそういった繊細な心の状態であるから間違いなく振ってはいけない話題というのもあるだろう。
「……天気の話でもすればいいのかなあ」
はぁ、と溜息を吐いたところで光忠の休憩時間は終了したのだった。
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