いを
2024-01-10 21:51:02
6184文字
Public タグ、掌編、その他
 

タグまとめ3

刀神・ブツメツフツマ。
それぞれフォロワーさんのお子さんお借りしています。

1月/冷たい水で顔を洗う日(刀神/菊司と容先生)

 いくら天照の水道でもお湯が出ないこともあるだろう。これだけ寒ければ。
 ぼんやりとした頭は、覚えがある。三十分ほど前、安定剤を一錠むところを二錠服んでしまったのだ。間違えて。喉を錠剤が滑った感覚を覚えてからではあとの祭りである。
 吐いたら胃におさまっているかもしれない一錠分がむだになる。
 一錠分なら深刻なオーバードーズというわけでもあるまいし。おそらく。とりあえず冷たい水で顔を洗って頭を冷やそうとした。
 ふと、蛇口を捻ったあとに周りに影ができた。
――ん?」
 座りすぎで痛む腰をトントンと叩きながら、顔を上げた。
 顔がびしゃびしゃで、おまけに眼鏡をかけていないので「彼」が誰か分からない。手をさまよわせて眼鏡を探していると、「これかね」という落ち着いた声が降ってきた。ついでに眼鏡も。
「あ。それ、僕のです。どうもありがとうございます」
 そういえばハンカチを忘れた。タオルでもいいのだが。頭がぼんやりとしていた弊害がここにも。
 仕方ないので白衣の袖で拭う。
 それ後に降ってきた声の主を見上げた。
「ああ、あなた。あなたでしたか」
「ん?」
 眼鏡をかけてようやく顔がハッキリと見え、菊司はにんまり笑った。
「芹賀谷・ワシーム=容先生。でしょ?」
 片眉を上げた彼は、おそらく菊司のことを知らないだろう。十年前に彼と同じ凪鞘班にいたけれど、たったの二年間だ。
「ずっと前ですけど、論文拝読しましたよ。面白かったなぁ」
「興味が?」
「んまー、ないといえば嘘ですけどもね。僕、意外となんでも……とは言い過ぎですけど、目についたものについて知りたくなっちゃって」
 この濡れた手はどうしようか。
 とりあえず手首を振って水滴をステンレスの流し台に落とす。
「あ、もちろん好奇心がありすぎるのもいけないので、自制はしてますけどね。けど最近データベースを見るのが止められなくて、脳内麻薬っていうんですか。なんだかそういうのが――
 と、とくちびるを閉じた。
 静かな目で見ている芹賀谷・ワシーム=容を見返して、誤魔化すように笑ってみせる。なんでもないように。
「論文はデータベース化しているから、興味があれば見てみるといい。ただし、あまりのめり込んで見過ぎるといけないよ」
「はい。それはもう。今痛感しとるとこです」
 それじゃあ、といい、彼は去っていった。きっと手を洗いに来たのだろう。ハンカチで手を拭うそぶりを見せていた。
 窓を見上げるとすでに銀色の月が出ていた。
 あれ、おかしいな。さっきまで真っ昼間だったのに。そう胸中で思うも目で見たものは事実なのだから仕方がない。ふ、と息をついて再度、自分の研究室に向かった。


12月/星がきれいに見える日(刀神/天霧と玉響菊花さん)

「お似合いです」
 と、天霧はそうっと笑った。玉響菊花の左のこめかみに天霧が贈った山茶花の髪飾りが、ゆっくり揺れる。
「ふふ。ありがとうございます。天霧様。何度も仰ってくださるんですね」
「ええ」
 夜の空の下でも光を放って見える玉響菊花は天霧にとって唯一無二の存在であるし、なによりも愛おしいそのものであった。
「冬の星はとても美しく見えるそうですよ」
 彼女はいとけない手を空にかざす。天霧はその指先を追って視線を上げた。
 片方しかない視界でも、星々はたしかに美しく見えた。彼女の言うとおりだ。
 冬特有の鉛色から濃い青に変わる空はいつ見ても飽きない。白い光を放つ星々も、いつの間にか冬の星座に変わっていた。
 二百何十とくりかえした冬も、今年の冬はうつむかない。空を見上げられるほどの余裕ができた。
「じきに今年も終わりますね。玉殿、今年は特別な年になりました」
 玉響菊花は微笑んで、そっと頷いた。
「ええ。そうですね」
「寒くはありませんか?」
 天照から与えられているこの部屋は、硝子戸一枚しか隔たりがない。隙間風は厳しくはないが、すこしは入ってくる。
 天霧はこの厚着なので寒くはない。
「大丈夫です。わたくしがいた場所は雪がとても多いところでしたから」
「そうですか。いつか、聴かせてください。あなたの故郷くにのことを」
「はい。……あ。天霧様。お茶が冷めてしまいます」
 支えの低い机の上に置かれた湯呑みを持ち上げて飲む。渋さもあるが甘さも勝っている、いい茶葉だった。
「来年も」
 天霧がぼそりと、じゃりじゃりとした砂のような声でつぶやく。
 それでも玉響菊花は嫌な顔ひとつせず、くちびるの端をほのかに上げて天霧の言葉を待った。
「来年も、変わらず私と共にいてくださいますか。玉殿」
「はい。もちろんです。天霧様」
 背中を丸めながら、彼女に向かって不器用に笑ってみせる。
「春になったら桜餅、夏には葛桜、秋には栗きんとん、冬には酒饅頭」
 彼女が指折り数えながら、茶にあう和菓子をあげた。天霧はその甘い声を、歌を聴くように耳を傾ける。
「おいしいものがたくさんあります。来年もきっと、忙しくなりますね」
「はい。玉殿」
「変わるものも、変わらないものも。刀神も人間も同じです」
 彼女は目を細めてゆっくりと笑い、湯呑みにくちびるをつけた。


3月/見送る日(ブツメツフツマ/無告と未谷先生)

 「卒業式」とは、教育課程をすべて修了したことを認め、それを祝う式典のことである。 日本では、教育課程が修了するごと卒業式を催すことが学校教育法施行規則によって定められている。 学校教育法によって規定されている小学校・中学校・高等学校等で行なう場合は、卒業式という。
  
 無告は非常勤講師なのでクラス担任は持っていない。それは当たり前のことなのだが、卒業していく子どもたちを見送ることはできる。彼らの門出だ。祝わなければ教師の名に恥じる。――と、少なくとも無告自身は考えていた。誰に対しても「そう」あるべきとは思わないし、他の非常勤講師に押しつけるつもりは毛頭ないけれど。
 ここを卒業する特待生は祓魔師になる子も多いだろうし、一般生徒はそれぞれ進学や就職をするのだろう。もちろん、それに囚われない子もいる。
「未谷先生」
 まだ桜は咲いておらず、それでもつぼみは確かに膨らんでいた。
 三つ編みをゆっくりとゆらして、振り返った懸は目尻を下げて微笑んだ。
「卒業していく子どもたちを見ると感慨深いですね」
「卒業式、慣れない?」
「そうですね。もう何度も経験しているのに」
 花束や色紙を手渡される高等部の生徒たちをすこし離れた場所で見守る。
 彼らとは「さようなら」だけれど、生きてさえいればまた会う日も来るだろう。
「今日くらいは七億不思議も大人しくしてくれていればいいのですが」
「思いが通じていればそうなるだろうね」
「あまり期待しないでおきましょうか」
 懸は「ふふ」と吐息だけで笑った。
「桜、まだ咲かないね」
「ええ。まだ。もう少し先でしょう。4月に入れば、きっと」
「入学式にはすこし遅いかな」
「桜の咲く期間は短いですからね。だからひとびとに愛されるのでしょう」
 儚いから。
 その淡い、うつくしい色を昔から日本人は愛してきた。
 日本人の根底に「儚さ」は「美しい」と喩えるものがあるのだろう。
 そっと目を伏せる。
 ――私たちは――
 儚い存在なのだろうか、と思いかけて、ちいさくかぶりを振った。
「未谷先生」
「ん?」
「友情関係は同等関係である。友情とは、二個の人格がお互いに等しく愛し合い尊敬し合うこと。と、言います」
 拳をつくって、懸の目の前に差し出す。
「来年度もよろしくお願いします。懸」
「もちろん。こちらこそ、無告」
 懸は差し出した拳に、自身の拳を軽く打ちつけた。


2月/昼間に本を読む日(刀神/小夜子と八雲さん)

 今日は平日だが学校が休みなので、小夜子は午前中から天照に来ていた。
 だから、というわけではないが制服ではない。黒いハイネックのセーターに、臙脂色の膝丈のスカート、厚いタイツ。
 今日は内勤だ。すなわち、パソコンや書類を見なくてはいけない。
 本を読むのは得意だが、相手が機械だとそうはいっていられなかった。昼休み、慣れない肩のこりを癒やそうと、中庭に出た。冷たい風が小夜子の髪の毛を嬲る。
……
 思わず目をつむり、手許の文庫本をぎゅっと抑える。
 風が去ってから顔をあげると、ベンチに座っている男がいた。むき出しのうなじ。派手な柄シャツの上にジャケットを着ていた。どう見ても八雲だった。間違いない。こんな寒い日になにをしているのだろう。小夜子は自分のことは棚に上げて思った。
 他に誰もいない。バディで八雲を心酔している白映も見当たらなかった。
 昼食はもうとったし、特にすることもないので八雲の前に立つ。
「小夜子ちゃん」
 八雲は顎をあげてサングラス越しに小夜子をみとめた。
「今日、私服なんだね。はじめて見たかも」
「今日は内勤だから」
「そうなんだ。寒くない?」
 小夜子の視線が八雲の胸もとに移動する。有名な海外ブランドのアイコンが印刷されていた。たしか、とても高いジャケットだ。
「わたしは今きたからべつに。あなただって寒くないの。こんなところにいて」
「このジャケット防寒仕様がえげつないから大丈夫」
「えげつない? ふうん……
 だからって何故外にいるのだろう。
「ああ、今ね、白映くん待ってるんだよ。もう少しで来ると思うんだけど」
「そう」
 小夜子は納得し、いつものように八雲の隣に座った。きんと冷えているベンチだが、寒くないふりをした。オフィスの中はあたたかいが、その分眠くなる。眠くなったまま午後に入るのは許せなかった。
 膝に単行本を置いて、手袋をしたままの手で頁を捲る。
「なに読んでるの」
「高村光太郎」
「あ。古本屋で見たよその名前」
「そう」
 手が滑って、栞が靴もとに落ちた。しまったと思い、すぐに拾う。八雲は背中を丸めてそれを見ていた。
 クリスマスに「お礼」として渡した栞と同じものだ。色は、違うが。
 小夜子は内心動揺しながら栞を表紙と1ページ目に挟んで隠した。たぶん見られた。けれど、八雲はなにも言うことはなかった。
 冷たい風が小夜子のほおを突き刺して、八雲は足を組んで空を見上げていた。
 寒いが晴れた昼の日のことだった。


6月/青い花が咲き始めた日(刀神/月草と祭さん)

 露草って知ってる?月草のことだよ。すごい青々しいあの花。
 友禅染めにも使われてるんだって。
 俺をつくった人間はなんでそんな色に俺を喩えたんだろう。まあ、きれいだけど。露草の色って。
 ――と、考えても仕方のないことを考えている。
 足もとに露草が咲いていた。隣でしゃがんだ祭は咲き始めた露草の花びらをそっとその手で撫でる。
「これが月草の色だよ。お前も見たことあるだろ」
 こくんと頷いた祭は露草を見下ろしながら、ペンを持った。慣れた手つきで文字を書いたあと、月草にノートを掲げる。
「きれいな青ですね。」
 と、書かれていた。
 月草は目尻をさげて「そうだろ」と笑った。
かさねの色なんだってさ。月草って。表がはなだ色で裏が薄縹色。秋の季語みたいだけど、今頃咲くんだぜ。人間ってちぐはぐなことしてるな」
 祭は立ち上がって、月草を見上げる。
 ほんのすこし、微笑んでいた。
「分け入っても分け入っても青い山、ってな」
 たくさんの意味の青があるものだ、と月草は感心している。
 一口で「青」といっても。
 だから、「人間」といってもさまざまな人間がいるのだと月草は知っている。そう、それくらいは、知っている。
「なあ祭。その花をさ、押し花にしたら覚えていられるかな」
……?」
「今日、一緒に露草を見た記念だよ。けど、まあ、ちぎっちゃったらもう生えてこないかもしれないもんな。葉っぱとは違うし」
 これ、花だろ。
 月草が左の人差し指をさげると、祭はもう一度、頷いた。
「じゃあ……あ、なあこれ。桔梗だろ」
 桔梗の花が地面に伏している。
 首元から折れているから不吉と思うかもしれないが、月草が拾いあげると祭は目を細めてそっとくちびるを開いた。
 どうやら合格、らしい。
「これをな、水分抜いて、押し花にしよう。押し花つくるの、俺得意なんだ。一緒につくるか?」
 彼はもう一度、頷いた。
「それじゃ、ちり紙と新聞紙と……あと、重たい本。本は桂木の本棚からちょろまかせばいいや」
 祭は目を瞬かせて、「よろしいのですか?」と言いたげだった。
「いいのいいの。あいつ、たぶん気づかないから。押し花できたらこっそり戻せば気づきやしねぇよ」
 手の中の桔梗は、まだ水分があってみずみずしかった。だれかが切り落としたのだろうか。それとも、動物がちぎってしまったのだろうか。
 分からないが、ありがたく貰っておこう。
 月草はそっと袂に桔梗を忍ばせた。


8月/残暑見舞いを書く日(ブツメツフツマ/無告と蛇石さん)

 筆を執る。
 
 残暑お見舞い申し上げます。
 そちらはどうお過ごしですか。元気にやっていますか?
 残暑と言っても、まだまだ暑いですね。
 どうかお体には気をつけて。
 この手紙が今年も無事にあなたに届くことを祈ります。
                     黛 無告
 
 筆をそっと置く。
 面白みもなにもない残暑見舞いだ。
 ただ、あの子が元気だと嬉しい、という気持ちをこめて書いた。
 カナカナと、ひぐらしが鳴いている。
 夕暮れでも、立秋をすぎれば盛夏よりは暗くなる。
 猛暑といわれるこの年だ。まだ暑さは続くだろう。
 文机にむかってペンを見下ろす。
 蛇石崇我。
 彼は今、どうしているだろう。
……卒業式のことを思い出しますね」
 なんの飾り気もないはがきに語りかけるように呟く。
「どうか、元気で。」
「君が幸せだと思える人生を歩んでください。」
――立派になんてならなくていい。ただ、」
「ただ、生きていてほしい。そして、心から幸せだと思える日がくることを私は祈っています。」
 ――私は、祈ることしかできない。
 祈りや、願い。
 それがなにになるというのだろう。
 彼にとって少しでも自分の授業が、彼の糧になれただろうか。そうであればいいと思うけれど――。彼の授業態度を思い出して、ふと笑う。
……そうですね。祈りや願いはきっと、なんの力も持たない。それでも、覚えていてください。あなたの幸福を望む人間がいるということを」
 はがきに触れて、腰を上げる。
 アパートの近くにあるポストにはがきを入れて、真っ赤な空を見上げた。
「性格は運命である。」
「自らの性格を受け入れ、どう行動するべきか。君にはそれを考えて欲しい。私の、最後の願いです。」
 あの日、そう言って崇我を見送った。
 ポストの前で目を細め、沈みはじめた太陽に背中を向ける。
 無告の背中を、西日が赤く照らした。