きさぎ
2024-01-10 21:33:18
2255文字
Public Wednesday Strangler
 

昔話

ジャックが18のころの話 養父母には青蓮幇に入ることを最初反対されてたってのとジャックは養父母には敬語じゃないっていうだけ

 朝夕の寒さも次第に和らぎ、日中には半袖で過ごすことも増えてきた四月の下旬のことである。
 四人がけの食卓に並んだ夕食を前にして養父母がいかにも神妙な顔をして見上げてくるものだから、ジャックはつい笑ってしまった。
「本当にいいのか、ジャック」
「もう決めたから」
 うん、と難しげに唸った養父に、養母が続いた。
「私たちは何もあなたに黒道ヘイタオを歩ませようと育てたのじゃないのよ?」
「お前は自由に、お前のやりたいように生きていいんだ。青蓮幇に入る必要なんてないんだぞ」
 養父母がそう思っていたことを、ジャックはよく理解していた。人生の大半を裏社会で生きてきた養父は特に強く、ジャックには陽の当たる世界に住んで欲しいと望んでいることも、よく。
「青蓮幇に入って恩を返す、これが俺のやりたいことなんだよ、父さん。身元も記憶も不確かな俺を育てるリスクを受け入れてくれたのは青蓮幇だろう? 俺が学校の不良に殴られたとき、やり返せって鍛えてくれたのは支部の人だった。支部の人達はどこの誰かも分からない俺を父さんの息子として受け入れてくれたし、認めてもくれた。父さんと母さんだけじゃなくて、青蓮幇の人達にも俺は育てられたんだ。だったら幇に入って役に立つことで、恩返しをしたいんだよ。不義理なことはするなって、父さんが教えてくれたんだろう?」
「それはそうだが……
「親としては息子にわざわざ法に背くような道へ進ませたくないものなのよ。恩義のためだと危険な世界に足を踏み入れようとする息子のことは、やっぱり止めたくなるの」
「青蓮幇はここら一帯の華人社会の治安と秩序を保ってはいるが、それは結果としてそうなっているだけであって、決して清廉潔白な正義の組織ではない。どうあろうと黒幇だ。すすんで法を犯しもするし、命のやり取りをすることもある。お前に優しくしてくれた、それだけの世界ではない。――重々承知だろうな?」
 養父が目付きを鋭くして、脅すように一言一言に圧を乗せて言う。
 ジャックは黒道を生き抜いてきた男の眼光を正面から受け止め頷いた。
「わかってる」
「こんなはずじゃなかったと後悔したとき、それを誰のせいにもできないんだぞ。お前自身が黒道を選んだのだから」
「それもわかっているよ」
 決して口先だけではない。養父には本当の裏社会を知らない若造の認識の甘さのほどに聞こえているかもしれないが、これはジャックの本心だった。
 裏社会で生きることの危険性や重さを真実理解しているとは、確かに言い難い。支部の構成員に鍛えられたといっても、青蓮幇の仕事を手伝ったことがあるわけでもなく、裏社会の空気を肌で感じたわけでもない。ジャックが知っている黒道とはすべてが伝聞のもので、しかも誰もが正確に話してくれてはいなかった。それは彼らなりの気遣いであったのだろう。
 だから覚悟が甘いと思われるのは当然で、養父母が心配するのも当たり前のことだった。
「危険な世界であることはわかってる。犯罪にかかわることになるのも、ひょっとすると逮捕される可能性があるのも。抗争で死ぬかもしれないのも、真っ当な人生をおくるのが難しくなるのも、ちゃんとわかってる」
「わかっていても、それでも青蓮幇に入りたいと言うんだな?」
――はい」
 かしこまって、養父の目を真っ直ぐに見てうなずく。
 養父はジャックの視線を受けたまま沈黙した。壁にかかったアナログ時計の秒針の足音が、ダイニングルームに大きく響く。家の外を車が二台通って行った。車のドアの閉まる音は、帰宅した向かいの住人のものだろう。そうしてまた静かになった。秒針だけがこの場で唯一、時の動きを示している。
 ――養父がふたたび口を開いたのは、結局三分経ってからだった。
……わかった」
 重いため息とともに吐き出された了承に養母が「あなた」と少しばかりの非難を向ける。養父は妻を片手だけで制した。視線はジャックから一度も逸れることはなかった。
「覚悟の上だと言うのであれば、もはや止めまい。男の覚悟をしつこく疑うのもいささか無礼だ」
「ありがとう、父さん」
「あまり礼は言われたくないな。大事な一人息子を裏社会に送り出すんだ、親としてこれ以上の不適格なおこないもないだろう」
「本当よ。ジャックのことは自分で腹を痛めた子のつもりで育ててきたのに」
「ふたりの育て方がよかったんでしょう、恩義を蔑ろにしないんだから」
「ため息をつかせてるあなたが言わないでちょうだい、ジャック」
 苦笑混じりに額を押さえた養母に、ジャックは養父と揃って破顔した。
「まったくもう、うちの男どもは……いいわ、早く座りなさいな。食事が冷め切ってしまうから」
「はい」
 応えてジャックは父の向かいの席に座る。
 普段通りの和やかな夕食がはじまる直前に、養父が追加で口を開いた。
「なんにせよ、幇に身を置くのは大学を出てからにしなさい。学生のうちはせめて日の当たる暮らしを謳歌していてくれ」
――わかった」
 先週大学の合格通知が届いたのを機に青蓮幇への加入の意志を伝えて、この一週間結論を出すまで両親をずいぶん思い悩ませてしまった。申し訳なく思うが、それでも青蓮幇ではたらいて恩を返すという意思は通したかった。
 ジョン・ドウになるところだった記憶のない少年を、ジャック・リーという人間として生んでくれた彼らへ抱く感謝の念は、ジャックの人生すべてを捧げて報いたって足りないほどなのだから。