1 (<a href="
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緩やかな木材の中に革とワックスの匂い。開けた窓からそよぐ風が鼻にそれを運んでくる。並べられた靴は秋物の新作だろうか。何度か訪れたことのある靴屋にアトロはいた。
「栞を
…?」
「うん、この間もらった試作品、使い勝手がよかったから、ちゃんとオーダーしようと思って」
眠たげなようなのんびりとしたような目が向けられる。店の主人にアトロは言葉を続けた。
「といっても俺のじゃなくて、贈り物で、できれば二つなんだけど
…」
大丈夫かな?と。いきなりの注文でしかも二つ。
「
……やってみる」
返答に、ほっと安堵する。
お世辞でもなんでもなく、以前もらった革の栞は飽きが来ず、使っていて楽しいのだ。アトロが手にしたのは葉の模様があしらわれ緑のリボンがついた栞。一冊分厚い本を読むときは彼に使い、普段は日記帳に挟んでいる。紙と違いへたれず、使うほどに馴染んでゆく手触りとしなやかさは革ならではだし、少しばかり存在を主張するそれはかえって本を飾る。
それを、贈りたかった。
「形とか、模様と、あとはリボン
…どれがいい?」
受ける、と決めたら早速と言わんばかりに話を進める。ユルシュルのおっとりとスローペースとみせて飛躍するようなところは時に驚かされる。ノートとペンを取り出し、「こういうのは、作れると思う」とさらさら形を描いていく。さあどうしようか。アトロもいよいよ椅子に腰掛け、思考をそちらに集中させる。あの子は、あの人は、何がすきだったろうか、何が似合うだろうか。想いながら考えることは、なんと難しく、
「こうやって、決めてくの、たのしいね」
「
…うん」
なんと楽しいことか。
*
2 (<a href="
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少年の手には、一冊の本。G・F・ノヴァーリスの秋の新刊『ムーンドロップ』、月と雫模様を丁寧にあしらった薄青色の装丁
…キュナブラ製の初版だ。種族の違う二人の少年、ルノとティコが月世界で出会い、時を過ごし、やがて別れてしまう。そこに秘められた世界の真実
…直面するそれに迷い、決断する少年たちの想い
……。氏の独特な、幻想的な言葉で描かれる物語は、文字通り涙なしには読めない。
当然、話にのめり込んで感情に影響してしまうアトロもそれで、一周読み終わったあとも暫くテーブルに突っ伏していた。この時ルノは、ティコは何を想っていたのか、あの時伸ばされた手は震えていたのだろうか
…絶え間なく情景が思考が浮かんでは膨らみ、雲のように流れていく。
赤くなった目で本の表紙を見る。透明の中に白、光が当たると青みを帯びたりもする、そんな不思議な色をもつムーンストーンは、ルノの掌に残った泪は、きっとこんな色を放つのだろう。
のそりと顔をあげ、マグに手を伸ばす。淹れていたコーヒーは残り少なくぬるくなっていた。秋の夜は長い。もう一周読んでもまだ十分に寝れる時間はとれるだろう。そう思考が結論をだし、ぐい、と中身を飲み干し、アトロはキッチンへと立ち上がった。
読書の時間、喉を潤し一息つかせてくれる紅茶やコーヒーは、その香りも演出のうちだ。読む本によってどちらにするか、どの茶葉、どの豆にするか選ぶのも楽しい。ただ、少年にはまだ奥が深く有識者の知恵頼りなところはあるのだが。
ドリッパーに挽いた豆をさらさらと入れる。流れが細く速くなり、するりと最後の粒が落ちた。どうやらこのブレンドは今夜でおしまいらしい。
(そういえば、明日はチガヤさんの所に行くんだった
…)
なんというタイミング。手伝いついでに、この夜長におすすめの豆を聞いて買おう。
ああそれから。頼んでいたものも、次にいくときに用意してくれると言っていたことを思い出す。どんな風になっているんだろうか。飲み慣れた味も、記憶にある店に並ぶパッケージも、信頼するには申し分なく、アトロは期待に胸を膨らませた。
淹れたての深い香りが鼻をくすぐる。今回はミルクは少な目に、砂糖は入れずに。香りの演出家と共に部屋に戻ったアトロは、再び月世界へと潜っていった。
*
3 (<a href="
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時は遡って七月二十二日、都会にて。母親の墓参りを済ませたアトロは書店にいた。ここに住んでいた頃から通っていた店。二年ぶりに足を踏み入れたが、配置は当時とさほど変わっていない。既に何枚かの地図を抱え、向かった先は絵本がずらりと並ぶ棚。配列された物語たちの背を指で辿り、頭に浮かんでいる文字を探していく。作者の名前順になっているのだが、時々ちぐはぐになっているのは子どもたちが読んだ跡だろう。
「
…あった、」
一冊の本で指先が止まる。絵本というものは息が長いもので、親から子へ、孫へと受け継がれる作品も少なくはない。目当ての本も、淘汰されずに在った。アトロはそれを列から取り出し、懐かしむ様に表紙を見る。母親にねだったのは、あの時が生まれて初めてだったか。幼い少年の目を惹き、心をときめかせたこの鮮やかな色たちは、きっとあの子には全く違うように映るのだろう。けれど、いつか
…。そんな日が来てほしいとアトロは願う。
だって、この七つの色の物語は、夢と希望に満ち溢れているのだから。
*
彩りの欠片
*
4 (<a href="
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コーヒー豆の香りと木のぬくもりと。そんな空間で、黙々と、ちまちまと細いピックでついと豆を摘まんでは小袋に除ける。今日のアトロに課せられた仕事は出来損ないの豆のピッキング。地味で地道な作業だが、豆たちの様子を見極め、選んでいくのは退屈ではなかった。ひと山終わったら、次の集団をザラリと掬いあげ、またちまちまと観察する。唯一の難点といえば、目が疲れることか。区切りがついたところでアトロは目頭をぎゅうと押さえ休む。
「はい、これ」
淹れたての香りが漂う。目を開けるとコーヒーカップが差し出されていた。
「頼まれてたやつ、試しに飲んでみたら」
「
…!ありがとうございます
…!」
店主に言われカップを受け取る。深みのある香りが肺に届く。口に含むとしっかりと苦いが、舌の中ほどにくると口当たりがやわらかくなって喉を通る。「美味しい、」と言葉が漏れる。いや、今まで何度かテイスティングと出されたもので、美味しくなかったコーヒーなど一度もないのだけれど。
三口飲んだところで、なんだか違和感を覚えた。
首を傾げながら再びカップに口を付けるアトロを店主は面白そうに眺める。
「どう?」
「
……推理小説を読みながらだと、犯人が分からなくなりそうな味
…」
「なかなかいい感想じゃないか」
味を解読しようと眉間に皺を寄せる様子に、チガヤは満足そうにふと笑い、用意しておいた袋とリボンをテーブルに並べる。それから、ついでにデコレーションでもすれば、とラバースタンプをいくつか。そんなものが出てくるとは、と言わんばかりの顔をするアトロを、別に私の趣味じゃないさと投げやりに牽制する。
クラフト紙の袋に、青いリボン。ラバースタンプは切手模様だったりコーヒーミルに豆、薔薇に
…ああ、これがぴったりかもしれない。アトロが手に取ったのは羽ペンのスタンプ。こういう組み合わせを選ぶのは仕立屋な友人の方が得意だろう。うろうろ迷いながら袋に柄をつけ、チガヤの教えに倣いながら豆を詰め、口を折り、リボンを巻く。
そうして、たったひとつのブレンドが出来上がった。
あの人は、このコーヒーの味をなんと表現するだろうか。
袋を手に取り眺めながら、アトロはそう思う。ちょっと、楽しみだ。
*
5 (<a href="
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「栞、できたよ」
そうユルシュルに言われたのは、昼間、ニコルの家でたまたま居合わせた時。布生地の配達中だったアトロは、バイトの後に立ち寄ると約束した。
夕方、靴屋のドアを開ける。いらっしゃい、とのんびりした声が出迎えた。
「こんなかんじに、なったけど、どうかな?」
並べられた二つの栞。一つは赤茶の革に明るい緑のリボン、もう片方は深い青の革に光沢のない金のリボン。先日、アトロとユルシュルがどうしようかと練ったデザイン通りの仕上がりになっていた。それぞれの革生地にカービングされた猫の足跡と、葉っぱに羽根の模様は二人の遊び心だ。
「うん、すごいな
…頼んだ通りだよ」
指先で確かめながら感嘆するアトロに、ユルシュルはほっとしたようだった。
「よろこんでくれると、いいね」
「
…うん」
本に囲まれた彼らの生活に、ほんの少し、彩りを添えられますよう。
*
6 (<a href="
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夜。サラサラとペンを走らせ、便箋に文字を綴っていく。別々の封筒に入れ、濃い緑の封蝋で閉じる。印は一枚の葉。数年前にペンと共に祖父からもらったそれは、今では手紙を書く時の必需品だ。乾くのを待つ間、綺麗に包装された贈り物たちを紙袋に並べ入れる。
…もう少し時間はあるか。立ち上がり、キッチンに向かう。真新しい紙の袋を開けると、それまで微かだったコーヒーの香りが一気に空間に広がる。店主が言うには、この間のよりまろやからしい。自分がそこまで違いが分かるかは、少し不安なのだが。迷宮入りはしないんじゃない、という言葉を思い出し、アトロは小さく笑った。
じんわりと夜が更けていく。アトロはいつものように日記帳を数行だけ書き進める。頁はまだまだたくさんある。彼の物語は、ゆっくり描かれていくのだ。
革の栞と白鳩の羽根を挟み、パチンと留め具を鳴らす。今日の物語はこれでおしまい。きっと明日は二人の黒猫によって、少年の記憶は色鮮やかになるだろう。二通の手紙を紙袋に入れ、アトロは待ち遠しいようにベッドに潜りこんだ。
また、明日。
*
幻想を紡ぐ作家先生へ
未だに尊敬する貴方に出会えたこと、友と呼んでくれることが夢心地です。
日記帳、ありがとうございました。自分なりに物語を描いていこうと思います。
お礼と、感謝を込めて。先生のこれからの一日を、少しでも彩れますよう。
栞の使い心地は、保証します。
追伸、コーヒー、飲んだ際は是非感想を聞かせてください。
*
絵本好きの子猫の友人へ
遅くなってしまったけれど、マフィンありがとう。
読書のお供と朝食に美味しくいただいたよ。
これはお礼。俺の一番のお気に入りの絵本なんだ。
きっと、君も気に入るようなお話だと思う。
色は、そうだな
…次に遊ぶときにでも語ろうか。
これからの君に、彩りを。
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