狛乃
2018-08-03 01:29:08
3534文字
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ホームタウン 2/4

またモブしかいない。


人生は、旅である
そんな最早陳腐化された喩えを賛歌するわけでも揶揄するわけでもない。
ただ、“旅”とは何か。それは単にどこかを歩み回ることではない、それは単に一つに留まらないことでもない。
それは心の在り様だ。
とはいえ、これから語るのはある「旅人」が文字通りの「旅」で出会った者たちの話である。彼の足取りを共に辿ろう。そうして触れた“旅”を覗いてみるとしよう。

旅は繋がる黄色い眼はそれを知っている。』
 ――『Yellow Journey』冒頭より抜粋





翌朝、アトロは再び祖父の部屋にいた。「話しておきたいことがあるから、明日また来なさい」と昨夜宿に戻る手前に言われていたのだ。

「なんだ、眠そうな顔をしているな。さてはあの本を読んでいたな?」
顔を合わせて早々にシルヴォはにやりと笑う。
まあね」
「相変わらずじゃなー、別に初めて読むものでもなかろうに」
あの本昨日書斎から見つけ出したシルヴォの著書を、懐かしいと思いつつ昨晩読みふけっていたのだ。気が付けば窓の外が薄明るくなっていたので、さすがにと思い少し目を閉じたのが3、4時間程前だっただろうか。眠気覚ましにと、今日はコーヒーを淹れてもらっている。口を付けると、深い豆の香りと苦味が喉を通った。

それで、話って?」
「まーそう急かすんじゃあない。とっておきが台無しになるだろう」
カチャリ、とコーヒーカップを置く。目の前の老人はコーヒーはもう飲んでいないらしく、代わりのミルクで白んだ髭をナプキンで拭っている。脇のテーブルにそれを置くと、今度はゆっくりとシャツの片袖を捲った。“初めて見る”彼のその動作にアトロの視線が追いかける。
間もなく見えたそれに、アトロは息を呑み、目を見開いた。

……それ、」

痩せ細った皺だらけの腕に生える、少し灰色がかった羽毛。紛れもなく、ヒトにはない毛並み。確認するやいなや、アトロの脳裏にはある単語が浮かぶ。いやでも、まさか。

ふっ、あっはっはっは!!」
シルヴォが耐えかねて声を上げて笑う。
「思った以上の反応で愉快だ」と腹を抱える夫と、「え、え?」と混乱してこちらと交互に顔をみる孫を、ヘイニはゆったりと笑いながら眺めていた。

「ふふ儂が何であるか、言わずとも分かるだろう」
聞いてないよずっと、当たり前にヒトだと思ってた」
しばらくして互いに漸く落ち着いてきた頃に、シルヴォが切り出した。昔から長袖のシャツばかり着ていて、肌が弱いからなどと言っていたはずなのだが、どうやらこの毛並みを隠すためだったらしい。訊けば、この家族ではヘイニしか真実を知らないという。

「娘らも、息子も、その孫たちも、今の今までお前も、儂がセリアンだとは知らぬよ。まあ、お前にくらいには話しててもいいかなと思ってな」
「打ち明け方が軽い
「そんなもんじゃよ」
セリアンとして幸か不幸か(都会で生きていくには幸いではあるが)、それらしい要素は腕にしかなく、あとは瞳がその鳥の色だということ以外は、ただのヒトと変わらなかった。
「みんなばあさんを継いでヒトで産まれてきてな、儂らしさといえば、アマリアの髪色と、マリッタそれにアトロ、お前の目の色くらいだ」
そういえば、昔ばあさんに「若い頃のあの人と同じ色ね」って言われたことがあったっけか。アトロはぼんやりとそれを思い出した。

「でも、なんで、そうまでしてここで
アトロの問いに、シルヴォはただ一言、「墓に持っていく秘密だ」とだけ言って、あとは笑うだけで答えてくれなかった。





せっかく来たのだし、とんぼ返りも勿体ないでしょう。その日の夕方、そんな話を玄関先でヘイニとした。乗りたい便も毎日出ている訳ではない、確かまだもう数日先だった気がする。
「久しぶりだし、適当に街を見て回るよ」
「気が向いたら顔を出して頂戴な。いつでも歓迎するわ」
「ありがとう」
そう答えて、屋敷を後にする。

あの後も、しばらくアトロはシルヴォと語らった。友のように談笑するときもあれば、教師と教え子のようなときもあった。朝に告げられた「とっておきの話」と、そこから浮かんだ一つの仮説を少年から聞いた老人は、肯定も否定もせず、「辿ってみればいい」と説いた。

「辿る

宿に戻るころには、アトロの腕の中に書店の紙袋があった。
部屋で広げられたのはノートと何枚かの地図。本を片手に、少年はノートにメモを書き込んでいく。ペンが止まれば、また本に戻る。どうしてもわからない章に、栞を挟む。そうして、途切れ途切れの道が地図に現れた。

(あとはまた明日、足りないものを買って、馬車の行先を調べて
充足感と、明日が待ち遠しいような高揚感を抱きながら、アトロはその日を終えた。





そこからの数日は実にあっという間だった。買い出しの途中で目に入ったものをつい手に取ってしまったのだが、包装されたそれは鞄の底に仕舞っておいた。馬車の便を変えよう、日が決まったらまた屋敷に顔を出さなくては。そう考えながら宿に戻ってきたアトロに、「手紙を預かっています」とフロントクラークが鍵に封筒を添えた。

部屋に入り、荷物を置き、封筒を見る。
封がされていないその中に、メモ紙程度の大きさの紙が一枚。

『アトロへ
昨日、おじいさんが息を引き取りました。
明日のお昼に葬式を行います。
あの人はあなたに来ないように言っていたけれど、どうするかは任せます。』





あれからもう数日。いい加減、腹を決めて腰を上げねば。漸くアトロは、あの白い屋敷に再び足を運んだ。片手には、白と黄色の花束。
「いらっしゃい、そろそろ来てくれると思っていたわ」
出迎えたのはヘイニで、そのまま「支度をするからちょっと待っていて頂戴」とまた部屋の奥に消える。玄関先で日当たりのいい庭を視界に映しながら、アトロは待っていた。

しばらくするとまたドアが開いて、日傘を持ったヘイニが出てきた。
「おじいさんのお墓参り、あなたも付き添ってくれる?」
うん、そのつもりで来たから」

7月も終わりになる日の昼下がり。いつもよりは日差しがまぶしい中、二人は歩いていく。
「葬式に来なかったのは、正解だったかもしれないわ」
嫌な思いをさせたかもしれない、というヘイニの言葉に、やっぱりとアトロは呟いた。自分の滞在期間と、シルヴォの死期が重なってしまった。ただの偶然を、まるでお前が呼び寄せた不幸なんだと、そう当たる身内がいたらしい。想像には容易かった。いない相手に当たる位の心中は察するけれど。
「随分と日程、早かったね」
「もういつそうなってもいいようにって、生前から少し手配はしていたのよ、あの人」
抜かりないわよね、と笑うヘイニの顔は、日傘に隠れてよく見えない。数十年共にいたパートナーを喪うことが、この穏やかな人にとってどれほどかは、アトロには推し量り切れなかった。

歩いて10分程。街の喧騒から少し離れた、緑地の多い場所にたどり着く。墓石が立ち並ぶ合間を通り抜け、真新しく瑞々しい花に囲まれた一つの墓の前で立ち止まる。

「あなた、アトロが来てくれましたよ」
あの日と同じようにヘイニが語り掛ける。墓標には見慣れた名前が刻まれていた。
「話しかけても、これだけ飾っても、あの人はここにはいないのでしょうけれどね」
そうかもね」

最後となった彼との語らいをアトロは思い出す。
「人生は旅である。儂はこれは足りぬと考えていてな」
「足りない?」
「あの本には心の在り様だと書いただろ?それは変わらんのだが、あくまで生きている間か、第三者が見たものを形容しただけであって。ではその人が死んだ後は第三者の記憶でしか旅は残らないのか」
……死生観の話だったりする?」
「察しが良いな、さすが儂の孫だ。そう。儂としては生きている間も、死んだ後も、旅なんじゃよ」
さほど宗教観が強くない彼は、故に独特の着眼点で居たのだと思う。天に上るか地獄に下るかだとか、救済だとか、そういうのもひっくるめていたのかもしれないし、ただ自由だったのかもしれない。

花束をそっと置く。かつての彼の羽の色と、瞳の色をした花たちは、アトロなりの餞別だった。

……よい、旅を」

頭を深く下げたその肩は、少し震えているように見えた。





『7月30日
彼は単に、「この世を去った」だけなのだ。此処とは違う世界に、旅立っただけなのだ。
どうか彼の果てしない旅路に幸多からんことを。』
 ――アトロの日記より