狛乃
2018-08-01 02:51:39
4279文字
Public
 

ホームタウン 1/4

モブしか出ない。


『7月20日
2年ぶりに昔住んでいた区域に着いた。故郷、というには何だかもう疎遠な気がする。なんと形容すればいいのだろうか。
到着時間が夜になってしまった、祖父母の家に行くのは明日にする。』
 ――アトロの日記より





手紙を受け取って、大慌てで荷造りをして、少し留守にしますとバイト先に伝えてアッシュバレーを出たのが1週間前だったか。都会の大きな街までいって、そこから馬車を乗り継いで別の街へ。最寄りの停車場に着いたのは夜もとっぷり更けた時間で、近くの宿に足を運ぶ。しばらくは、ここに滞在するつもりだ。
慌てて出てきたけれど、よくよく手紙を見れば、速達で届けてきた割にはその字はゆったりと落ち着いていて、他愛のない話の最後に、本当に最後の追伸にそれは書かれてあった。
意外と元気なんじゃないか?)
道中、多少の気を宥めるには十分な気づきだった。とはいえ、「顔をみせなさい」だの「帰っておいで」だのといったことは今までの手紙に書かれていたことはない。(それが約束だからだ。)ましてや祖母はこんな嘘をつく人でもない。

「床に臥せっているのは、確かなんだろうな

宿の部屋で、小さなろうそくの灯りを頼りに日記を綴り、手紙をなぞりながらアトロは呟く。
『追伸、おじいさんが少々体調を崩しております。珍しく会いたがっているので一度訪ねてください』便箋の最後2行には細く流れるように整った文字がそんなことを綴っていた。
ゆらゆら揺れる炎を左目に映しながら、ぼんやりと記憶の中の祖父を思い起こす。教育者であり評論家であり作家であった彼は、昔は街に貢献していたらしい。本格的にアトロが読書にのめり込む様になったのも、知識を与えてくれたのも祖父であった。厳しくも優しい、というよりは少し風変りな人だと、幼い頃からのアトロの認識は変わっていない。

今ここで、これ以上あれこれ考えるのは杞憂にしかならないだろう。そう判断したアトロは、ろうそくの火を吹き消した。





翌朝、軽い朝食を済ませ、宿を出る。一つ呼吸をするとそれがいやに窮屈に感じた。
(前はこれが当たり前だったんだけどな
あちらの空気に慣れたのか、気分のせいなのか。今のアトロには分からない。気分が何となく優れないのは、祖父母宅に叔母一家もいることを思い出したせいもある。特に叔母本人からはよく思われておらず、いやアトロとしては極力関わろうとしていなかったのだが、それでも顔を合わせる度に厄介者扱いをされるのはさすがにへこたれる。
鉢合わせしませんように、と無駄に祈りながら家へと向かった。

住宅街の中に、周りと比べれば大きめの、屋敷と言っても過言ではない家がある。白いレンガ造りで門から玄関までは手入れの行き届いた庭が広がる。右手に見える、花壇の側のベンチでよく本を読んでいたっけ。あの頃とさして変わりのない緑を眺めながら、小径を進む。
たどり着いた玄関の呼び鈴を鳴らす。ドアの向こうにチャイムの音が響き、程なくしてガチャリ、と鍵が開いた。

「はい、どなたで……

半分程開けられたドアから顔を出したのは、(なんとまあ祈りは届かないものだ、)叔母だった。2年前よりは少し更けたようにみえるその顔は、アトロを見るや否やあからさまに不機嫌そうになった。

お久しぶり、です」
「のうのうと家を出て行った身で、よくぞまあ現れたもんだよ」
何しに来たんだい、と刺々しくいう彼女の背中に、「私が呼んだのよ」と穏やかな声がかけられた。

「お母さん
「それにあの人も会いたがっているのだから、大目に見て頂戴なアマリア」
窘められた叔母アマリアは、苦虫を潰したような顔をしながら「さっさと入んな」と促す。小さく会釈をしながらアトロは彼女とすれ違い、祖母についていった。

「よく来てくれたわね、アトロ。長旅で疲れていないかしら?」
「久しぶり、ヘイニばあさん。宿で休んできたから大丈夫だよ」
アトロよりも頭一つ半ほど背が低く、灰緑色のゆるくウェーブのかかったショートボブの髪をしたこの老女こそ、手紙の送り主である。足取りはゆったりだが腰は曲がっておらず、優雅な立ち振舞いは教養の高さを伺えた。
彼女の言葉に少しほっとしながら、アトロは半歩後ろをついていく。元気そうでよかったわ、少し日焼けしたんじゃないかしら、あら背も伸びたわね、と嬉しそうに話しかけるヘイニに、一つ一つアトロは返事をし、短い会話を続けた。

ダイニングルームを通り越し、廊下を進み一つ曲がった突き当りの部屋にたどり着く。
ヘイニはノックをして返事を待たずにドアを開けた。(昔からいつもそうだ。部屋の主は没頭していると居ても返答が全くない人なのだ。)

「あなた、アトロが来てくれましたよ」
「おお~、来たか来たか!うん、入っておいで」

……思った以上に元気な声が聞こえた。
恐る恐る部屋に入ると、ベッドから半身を起こし片手に本を持った老人がこちらを見ている。

「何だ、死んだと思っていたか?ふふふ」
いや、うん生きててよかったよ、シルヴォじいさん」

いたずらっ子のように笑う老人は、予想に反して元気そうだ。倒れてからしばらく臥せっていたらしいが、手紙を書くころには今ほどに回復したのだと、ヘイニがティーポットを用意しながら話す。拍子抜けしたように椅子に腰かけるアトロを見ながら、全部わかっているかのようにシルヴォは笑う。
回復した、と言いながらも、その痩せこけた顔と細くなった身体からは、逃れようもない「老い」を漂わせていた。

「元気そうじゃあないか。アッシュバレーにはラタトスクには慣れたか?」
「おかげさまでじいさん、やっぱり昔あそこに住んでただろ」
「なんだ、もうバレたのか」
「前から薄々そうじゃないかって思ってたけど図書館の古い本の貸し出し票にじいさんの名前があった」
「あっそれを見つけるのは狡いぞ!」
相変わらずの口調だ。こんな子供みたいな調子で話をしていたと思ったら、時たまいきなり難しい話や諭すようなことを言ってくる。この人はそういう人だ。
ヘイニがくすくす笑いながら紅茶を運んでくる。茶葉の香りが一層アトロの気を休めさせてくれた。

しばらく話をしたところで、シルヴォが「そうそう、」と思い出したように膝を叩く。
「ここの隣が書斎なのは覚えているだろ」
「うん、」
「まー、処分に困っててな。どうせ子供らは売りにだすだろう、その前に好きなのを持っていきなさい」
そういって枕元の引き出しを漁り、取り出した一つの鍵をアトロに差し出した。

「時間はたくさんある。今日選びきれなかったら明日もまたくればいい」
……ありがとう」
鍵を受け取り、アトロは立ち上がる。
書斎は隣といっても祖父の部屋から続いており、出入口もその一角にある。鍵を開けた先は、この家で自室として使っていた部屋と並んで(いや、もしかしたらそれ以上に)馴染みのある場所だった。
木製の作業机を中心に、壁一面に天井まである本棚が並んでいる。それでも足りず、足の踏み場もないほどあちこちに本が積み上げられている。好きな割に整頓ができないところは、孫と似ているようだ。
2年前から増えていなければ大抵は読んだ本たちを、懐かしむ様に眺める。

彼の耳に物音が入らなくなるまで、そう時間はかからなかった。





昼食時と夕食時に、ヘイニが肩をたたいて声をかけるまで、飲まず食わずでアトロは書斎にこもっていた。そんな孫の様子をふたりはあの頃を見ているようだと穏やかに笑う。
ダイニングルームに出れば叔母たちと顔を合わさなければならない。ヘイニの計らいで食事はそのままシルヴォの部屋でとった。

「何かいいのは見つかったか?」
「うん、これだけでいいよ」
食後の紅茶を飲みながら、一冊の本を枕元のテーブルに置く。

『Yellow Journey』

そう表紙に書かれている少し古ぼけた本を見て、シルヴォは驚いたように目を見開いた。
「よく見つけたなあ、それ」
「なんで隠すような場所に置いてたんだよ」
自分の著書なのに、というと「だって堂々と並べるの恥ずかしいじゃあないか」と返ってくる。呆れたようにアトロはため息を吐いた。

祖父が筆を執った本はそう多くはないがそれなりに人気だったようで、もうすっかり引退はしているのに細々と増刷されている。既にアトロも何刷目かのこの本を持っているのだが、どうしても「初版」が欲しかったのだ。

「XX年お前が生まれた年だったな」
「うん」
アトロの生まれた年の春に初めて刊行されたこの本は、とある旅人が立ち寄る場所場所で起こる、小さくも大きい出来事がオムニバス形式で綴られ、一つにつながっていく、そんな話だった。各話には決まって、黄色い目をした鳥が何かしらの形で描写されている。

「そうだ」と思い出したように目の前の著者はペンを取り出しページを戻す。

「これから産まれてくる、親愛なる友へ捧ぐ
 ――シルヴォ・キュラコスキ」


表紙からもう一枚捲った献辞の下に、シルヴォはさらりとペンを走らせた。
「うんうん、これはプレミアものだぞ」
そう満足げに返された本をめくると、癖のある独特な文字彼のサインが加えられていた。

……売れるわけないよ、こんなの」
今度はアトロが目を見開く番。
突然のファンサービスと言えばいいのか、ともかく不意打ちを喰らったアトロはそう言うのが精いっぱいで、絶対にブックカバーをつけようと心に決めたのだった。

ところで、その一冊でいいのか?他はどうする?」
「あとはいいよ、俺の部屋にも入りきらないし。図書館に寄贈した方がいい、じいさんの名前だったら受け入れてもらえるだろ」
絶版した本もあれば、貴重な資料になる研究書もある。もし図書館側の手に余るものが出れば、そうしたら売ればいい。祖父の伝手に書物の査定が得意な有識者がいたはずだ。
そう伝えると、顎を撫でながらシルヴォは頷いた。

(でも、まるで

遺品整理のようだ、と。確実にそれは迫っているのだと、ほんの少しだけアトロの胸が痛んだ。





『7月21日
この人が集めた本たちを、価値の解らぬ人の手に渡ってほしくない
そう、思ってしまったのは、あの人たちへの反抗心だろうか。
否、無駄にしたくなかったんだ、彼の歩みを』
 ――アトロの日記より、抜粋