水ぬるむ春の夜。寝間着をまとった審神者と宗三左文字は縁側にいた。胡座を掻いた宗三の膝の上に審神者は座り、彼に背を預けている。寝間着の裾から伸びる彼女の足はすらりとしていて、月光を跳ね返して白く輝いた。
「宗三、空を見てごらん」
「はい」
夜空を示す審神者の左手には、指輪があった。それを認めて、宗三はふっと表情をゆるめる。
「夜なのに、虹が見えるだろう? 月虹(げっこう)と言うんだって。夜が明るくないと見れないものだから、けっこう運がいいぞ、私たち」
「そうですね」
中空にぽっかりと浮かぶ満月の下に、七色の橋が架かっている。夜空はいつもの群青色ではなく、昼と見まがう青い色をしていた。
「宗三と見る月虹はまた格別だなあ」
「お酒は、要らないのですか? こんなに素敵な眺めを見ながら、一杯」
うーん、と女審神者はちいさく唸るが、すぐに首を横に振った。
「いいや。酒なんかなくったって。この眺めはお前が居れば格別だって、言っただろ?」
にまっと笑う彼女に、宗三は驚いて目を丸くする。
「そんな歯の浮くような台詞をよくもまあ、素面で言えるものですね、貴方」
「えー? だめかー?」
審神者は軽く口を尖らせて、むくれてみせる。もちろん本気などではなく、伴侶をからかっているだけだ。言っていることは、至極本気ではあるが。
「……だめでは、ありませんけどね」
囁くような声音で、宗三は言う。白皙の容貌はわずかながら赤く染まっていた。
「そっか。良かった」
今にも鼻唄を歌いそうなほどに、審神者はご機嫌だ。霊力で染めた紅蓮の双眸には、喜悦の色が浮かんでいる。
ふたりは、不意に静かになった。無言で指を絡めあったり、夜着越しの体温を楽しんだりと、言葉一つもなくお互いを楽しんだ。宗三の優美さと刀を握る無骨さが絶妙な加減で混ざり合った指と、審神者の柔らかいしなやかな指が触れ合う。心もち、少し低い宗三の体温と、審神者のやや高い体温が溶け合う。
何の前触れもなく、宗三は指をほどいて審神者の顎を掴み、彼女の視線を上へと向けさせた。炎のような、血のような紅い視線と、瑠璃と琅玕(ろうかん)を思わせる青と翠の視線が結ばれる。
どちらからともなく、ふたりは唇を合わせた。最初はただ唇同士で触れるだけだったが、やがて深く相手を貪り始める。
「……っ、ん、ぁ……」
「ふ、ふふっ……」
唾液の跳ねる音が審神者の耳朶を刺激した。離れようかと思ったが、いつの間にか腰に回った宗三の腕のせいで、離れることは出来なくなっている。相変わらず準備のいい奴だと思いつつ、彼女は愛する男に酔った。
ふたりの周囲に、甘い香りが漂う。宗三の神気が待つ桜の香りと、審神者の霊力のリンゴの匂いだ。唾液に溶けた各々の神気と霊力が漂う事態に、流石に審神者は戸惑い、恍惚に痺れる身体に鞭打って、宗三を引き離した。
「……ぷはっ! 宗三ストップ! ちょ、ちょっとこれ以上はまずい」
「何故です? 僕はまだまだ足りません」
「気持ちは痛いほど分かるけど、ちょっとタンマ! こ、これ以上は縁側ではちょっと節操なしと言うか……。分かるだろう?」
神気や霊力を制御することなくだだ漏れにさせるのは、そういう行為をする以外に何もない。ただの口吸いでこんなに乱れてしまうとは、と彼女は羞恥に悶えた。
審神者は無節操よりも危機感を抱くのは、宗三の神気が心地良いと思ってしまうことである。元来、人間と神気は混ざり合わず、お互いにとって異物であるのだから感じ方に差異はあれど不快に思うはずなのだ。それを良い匂いだと知覚してしまっているのは、良くないことだ。
なのに。
「お前の神気、すごく良い匂いだな。相変わらず」
「ええ、貴方も」
腕に閉じ込めるように抱いてくる宗三に、審神者は逡巡することなく身体を預けた。
「……なあ、宗三。私は、お前にとっての『格別』か?」
「無論です。いとしい僕の旦那さま」
言霊を贈るように、あるいは愛の言葉を封じ込めるかのように、宗三はまた審神者に口づける。
ああ。帰れなくてもいい。この手を離さないで欲しい。幸せってきっと、こういうことなんだ。
審神者も、宗三に応えて深く口づけた。
夫婦の夜は静かに、熱く更けていく。そんな二人を、月虹が彩った。
〈了〉
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