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ぶんどき
2022-09-20 10:22:36
2742文字
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碧落一洗、雲は行く
六畳半の夏 現行未通過❌ エンド4自陣のその後の話。
昊天にわきあがる入道雲。
烈日が地面を照りつける。
そんな、八月某日。
ひとりの老人がひとつの墓石を前に語りかけていた。あたりには、線香の香りが漂っている。長い白髪を束ねた老年の男はしゃがみ込み、愛おしそうに目を細めた。
「結局、俺より先に逝くんだなぁ。でも、最期まで幸せそうだった」
「──なぁ、清。本当にすまなかった。俺は、お前とは知らなかったとはいえお前に酷いことをした。到底許されるべきではない。そのせいで、お前の孫にまで」
「過去は変えた。実験はなかったことになった。だが、俺がした事実が消えたわけじゃぁない。許してもらおうだなんて、甘っちょろいことは考えていないさ」
「でもお前は、市さんとの結婚式に俺を呼んでくれたし、子どもが産まれて真っ先に俺に顔を見せてくれた。そして、孫が産まれたときも」
「ほんの小さな赤ん坊を、俺の腕に預けてくれたよなぁ。泣いていたはずの赤ん坊がぴたりと泣き止んで、笑ったんだ。俺に向かって」
「お前にそっくりだと思ったよ。特に目元がよく似ている。
……
身体にどこも異常はない、健康体そのものだだった」
「でもそれ以来俺は過去の罪意識からか、なんとなくお前にもお前の孫にも会いに行けなかった。さすがにお前が入院するようになってからは何度か見舞いに行ったっけか。俺だってもう立派な爺だっていうのに」
「そして、お前が死んだと聞かされた。あぁ、市さんから聞いたよ。家族みんなに看取られて、安らかな顔をしていたそうじゃないか。よかったなぁ」
「市さんは呼んでくれたけど、お前の葬式には行かなかったよ。俺にそんな資格はないからさ。それに、お前の孫に会うのがなんとなく怖かった。どんな言葉をかけたらいいのかわからない気がして。
……
だからこうして、ひとりで墓参りに来たんだ」
「はは、約束したんだけどな。
……
会いに行くって。いざとなると怖気づいちまっていけねぇや」
さて、と。男は膝を支えながらゆっくりと立ち上がる。老人にしては伸びた背筋は体を鍛えているのであろうことが窺える。
「俺はそろそろ帰るぞ。
……
あぁこれ、置いていくな。スーパーで買った水饅頭。俺これ好きなんだ」
墓前にパックに入った水饅頭を供える。
その時、背後からジャリ、と地面を踏みしめる音が聞こえ思わず振り返る。そこに立っていたのは、小さな少年だった。小学校低学年くらいだろうか。茶色の癖毛に大きな瞳、下がった眉。
「おじーちゃん、だれ?」
少年は小首を傾げた。その声は少年らしく高くあどけないものだったが、確かに懐かしく聞き覚えのある声だった。男は目を見開いた。
「俺、は
……
」
少年は不思議そうに男を見つめている。男の声が震える。最後に会ったのは赤ん坊の時だ。覚えていないのも無理はない。それから数年、こんなにも、こんなにも大きくなったのか。
──ぶわりと、男の中で記憶の濁流が押し寄せる。親友を助けるために時間を渡ったこと、過去には渡れず未来に着いたこと、庭の池に落ちたこと、記憶をすべて失っていたこと。
そして、最初に出会ったのが今目の前にいる少年をもう少し大人にしたような十七歳の少年だったこと。
思い出が蘇る。最初に食べたものは茄子の煮物だった。シャワーの使い方がわからず教えてもらった。一緒に海に行って釣りをしたら鯛が釣れた。夕飯はカレーで。森に行ってカブトムシを捕まえた。ヘラクレスオオカブトというとても珍しい種類だった。夜は海で花火をした。線香花火は彼のほうが長く保った。二人で星空を見た。彼は空を指差し、流れ星だ、と笑っていた。
そんな風に共に一ヶ月を過ごしたのだ。それは確かに、確かに存在したのだ。
八月の終わり、すべてを思い出した。自分の名前、自分の罪、自分の使命。彼は言った。「俺の命と今鳴いている蝉の命、どっちが長いかなってくらい」と。オーバーサイズの服の下に隠された彼の身体は不健康なほどに痩せ細っていたことをこの時はじめて知った。そしてそれが、自分が友に行なった人体実験の後遺症だと気付かされた。
腐肉喰らいの獣を倒し、二人で過去に遡った。今度こそ友を助けるために。友の説得に成功したのも束の間、彼はその場に倒れ込んだ。彼の身体はもう限界で薬に耐えられなかったのだ。自分の腕の中で彼は息を引き取った。最期に彼が大切にしていた指輪を自分に託して。彼は、最期まで笑顔だった。
「俺の、名前は
……
」
「
……
ハル
……
晴、だよ」
それは、記憶を失った自分に彼がつけてくれた名前だった。大切な、大切な名前だった。
「ハルおじーちゃん?」
少年は確かめるように名前を呼ぶ。その声で、その名前を呼ばれるのは何十年ぶりだろうか。
「
……
ああ、そうだよ。君のお祖父さんの、お友達」
「じーちゃんのおともだち!」
少年はあっさりと警戒を解いたように朗らかな笑みを浮かべた。何度も何度も見たことのある笑顔だった。考えるよりも先に、身体が動いていた。
「
……
ハルおじーちゃん?」
男──晴は少年を抱きしめていた。つよく、つよく。きょとんとした顔の少年が腕の中でもぞりと動く。
「
……
ごめん、遅くなって。ありがとう、会いに来てくれて。──くん」
皺の寄った晴の目元から熱い水滴がぽたりぽたりと落ちる。それは晴れ渡った空から落ちる雨粒のようだった。
少年から離れると、晴は首からさげていた指輪を外し、彼の前に差し出す。それはプラスチック製の玩具の指輪だった。だいぶ劣化が激しいがこまめな手入れのおかげかまだ壊れずに形を保っていた。
「これなぁに?」
「これはね、俺の大切なもの。大切な友達からもらったものなんだ」
「くれるの?」
少年は晴を見上げた。指輪が気に入ったのかその瞳は輝いている。
「それは君のものだから。ずっと、返したかったんだ」
「? よくわかんないけど、ありがとうハルおじーちゃん!」
少年は小さなその手で、指輪をぎゅぅと握りしめた。
吸い込まれるような蒼穹に白い飛行機雲。墓前にはもう誰の姿もない。ふたり分の並んだ影が坂道を下りてゆくのだった。
嗚呼、あの夏の日はもう戻らない。
空を流れ行く雲のように時は進む。
それでも、こうして未来を紡ぐことができたのなら──。
ありがとう、友よ。
僅かな命の灯火を最期まで燃やした大切な親友。
生涯忘れることはないだろう。
皺だらけの骨ばった男の手には小さなやわらかな手が握られている。
──まだもう少し、そちらで待っていてはくれないだろうか。
──────────────
碧落一洗:雨が降った後に、空が澄んで綺麗に晴れ渡ること。
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