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ぶんどき
2022-05-20 18:42:45
5821文字
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雨の日
ドロディス自陣の出会いの話
確か、今日のように雨が降っていた日だったと思う。窓の外を見れば止めどなく降り注ぐ雨粒が地面に叩きつけられていた。
*
この家が今よりももう少し広く感じていた五年前。夜中、自室で書き物をしていると扉が強くノックされた。診療所の方はもう営業時間外だ。急患だろうか。こんな時間に仕事を増やすというならそれ相応の割増料金を払ってもらう必要がある。逆に言えばそれさえ払ってもらえるなら料金分の仕事はこなそう。とは言ってもこの裏社会では真夜中こそ昼間のようなもの。この時間の患者は珍しくないし、それをわかっていて割増料金にしているのだ。患者は主に一般の医療機関にはかかれない連中だ、診察を受け入れるというだけで多額の金を積んでくれる。
「はい、どうしましたこんな時間に
……
」
扉を開けた瞬間、暴雨が勢いよく部屋内に入り込んでくる。眼前の人物はボロボロのコートを着て傘も差さずに立っていた。水をたっぷり吸ったまとまりのない長い髪は重く垂れている。しかし、何より目を引くのはその顔だろうか。暗くてはっきりは見えないがそれでも十分わかるほどに端正な顔立ちをしていたのだ。いっそ恐ろしささえ感じるほどに。雨でぺったり張り付いた長い前髪の奥から覗く鋭い濃藍の双眸。その暗い瞳を見て確信する。あれは「人を殺めたことがある目」だ。現在殺気は感じないものの、相当な手練れだと見た。そして、そういった行為に一切躊躇いもないのだろう。職業柄そんな人間はこれまで山ほど見てきたが、こんなにも見目麗く鋭いナイフのような尖った雰囲気を纏った人間は初めて会った。気を抜けば足が竦んでしまいそうになる。
こんな世界で生きている以上、自衛程度の戦闘術は持ち合わせているがこの青年の前では恐らく無意味だろう。こいつは危ない、あっさり殺される、と本能が警鐘を鳴らす。
そんな私の胸中など知らずに青年が口を開いた。
「
……
これ、書いたのあんたですか?」
そう言って彼がポケットから取り出したのは薄汚れた封筒だった。
「これは、」
「落ちていたのを、俺が拾いました」
「それを読んで、わざわざここに?」
確かにそれは見覚えのある封筒だった。自分が書いて、街に捨てたはずの手紙だ。本当に拾う人がいるなんて思ってもいなかった手紙だ。誰にも開かられることもなく読まれることもなくゴミとして闇に消えていくと思っていた手紙だった。
師が何者かに殺害されてから独り身になった私は、何を思ったのか誰に当てたわけでもない手紙を書いた。そしてそれを街に放流したのだ。しかしそれには住所まで書いてはいない。小さな診療所を開いているということしか書いていなかったはずだ。この青年はわざわざこの手紙の主を探しにやって来たというのか。
「はい」
「
……
正しく、この手紙は私が書いたもので間違いありません」
「本当ですか
……
! はぁ、ようやく見つかった」
彼は安心したようにため息を吐く。その表情は先ほどまでと打って変わってあどけないものだった。相当な手練れだと思ったのは気のせいだったのだろうか。
「とにかく、そんな格好で外にいるのもなんですし中に入ってくださいな。シャワーくらいタダで貸しますよ」
「え、いいんですか? じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」
ずぶ濡れの彼を家の中に入れ、着替えとタオルを渡し風呂場へと案内する。台所でお湯を沸かしていると、風呂場の方から何やら知らない音楽の鼻唄が聞こえてきた。初対面の人の風呂場を借りているというのに相当寛いでいるようだ。別に構わないがなかなか図太い神経の持ち主だ。
シャワーから上がった青年はその長い髪を縛ることもせず歩いてきた。十分に水気が取れていない髪からはぽたぽたと水滴が落ち廊下を濡らしているのが容易に想像できる。嘘だろ。
「シャワーありがとうございまし、うわっ?」
「赤ん坊じゃないんですから髪ぐらい自分でしっかり拭いてきてください。ドライヤーも置いてあったでしょう」
意味をなしていなかったバスタオルを引っ掴み、彼の髪をまとめて包み込む。そのままぽすぽすと軽く叩いて水気を取る。なぜ自分は初対面の相手のこんな世話まで焼いているのだろうか。私らしくもない。
「あぁ、すみません、ドライヤーを使う習慣がなくて。ありがとうございます」
そう言って照れ臭そうに笑う彼の顔はやはり整っている。明るいところで見るとなおさらわかる。背丈は自分よりも少し高く、確かに男だと認識できるのだが美しい顔立ちだ。血色が悪いとも言えるほどきめ細かな白い肌にすっと通った鼻筋、綺麗な形の薄い唇に、切長の目には長い睫毛が生えている。その一方で全然手入れをしていないのであろう長い髪は枝毛まみれだが。一体何者なのだろうか。
「
……
お茶、入れるので適当に座っててください」
「はい」
手紙にどんなことを書いたかは詳しく覚えていないが確か、来てくれたらお茶くらい入れるとかそんなことを書いたような気がする。彼がどこまで本気にしているのかはわからないが、こうして本当に訪ねてきた以上最低限のもてなしはするべきだろう。
戸棚の中から紅茶の茶葉が入った缶を取り出しポットに入れる。沸騰したお湯を注ぎ約二分半の間茶葉を蒸らす。二人分の温めたカップに茶こしでこしながら注ぎ分ける。そんな特別でもないいつもの手順でお茶を入れる。ただいつもよりも少しいい茶葉を使っただけだ。小皿にクッキーを数枚入れてテーブルへと持っていく。
椅子には彼がどこかぼうっとした顔で座っていた。
「どうぞ、お待たせしました」
「ありがとうございます、いただきます」
彼はカップに口をつける。なぜか緊張するような面持ちで私はそれを見守っていた。一口飲んで顔を上げると頬を緩めた。
「こんなに美味しいお茶、初めて飲みました」
「そうですか。普通の紅茶ですよ」
「普通の紅茶だとしても。俺最近まともな食事してなかったので」
「まともな食事してないって、何しているんですか普段」
「ああ、殺し屋ですよ。最近あまり依頼がなくて」
その言葉は世間話をするようなノリで簡単に彼の口から発せられた。確かに聞き間違いでなければ彼は確かに「殺し屋」だと言った。第一印象からそんな気はしていたが面と向かってそう言われるとどう反応していいかわからなくなる。
「
……
そんなこと言って、私がカタギだったらどうするんですか」
「え? 違いますよね? 玄関で俺を見たときの間合いの取り方が明らかに警戒していて素人のそれじゃなかったので、同業者なのかなって勝手に思ったんですけど」
あのタイミングでそこまで見られていたのか。やはりこの青年は侮れない。警戒心をさらに強める。
「私は殺し屋ではないですよ。通常の医療機関にかかれない訳あり連中を診ている所謂闇医者です。免許も持っていませんし」
「世の為になる立派なお仕事じゃないですか」
「殺し屋にそんなこと言われましてもねぇ」
自分の仕事を誇れる仕事だと思ったことはないがまさか殺し屋にそんなことを言われる日が来ようとは。
「? 殺し屋だって世の為になっていると思うんですが。この世にのさばっているクソ野郎どもを天に召させているんですから」
彼は相変わらずにこやかな表情でそう言ってのける。冗談というわけでもなさそうだ。どうやら独特な思想の持ち主のようだ。
「あなたもなかなか尖ってますね。
……
ところで、どうしてあの手紙を読んで実際に訪ねにきたんですか? 百歩譲って拾って読むところまではわかりますけど、実際にここまでやって来るとは思っていませんでしたよ、正直」
紅茶の残りも少なくなり、いよいよ本題に入る。確かに、もし誰かが拾ってくれたら。そんな風な願いを込めたがまさかこんな、よりにもよって無一文の殺し屋が何を考えて来たというのだ。
「字が
……
綺麗だなって」
「字?」
「はい、こんな綺麗な字、初めて見ました。ただ美しいだけじゃなくて、なんというか、心が震えたというか。あんたの書く文字が好きなんだと思います。だから、これを書いたのはどんな人なんだろうって、気になって仕方なくなったんです」
彼は手紙を取り出し開くとその文字を一つ一つなぞるように愛おしそうに見つめる。
「
……
それだけですか?」
「はい、それだけですよ」
彼は当然のように頷いて紅茶をすすった。あまりに何でもない理由すぎて一瞬言葉を失った。文字を書くのは好きだし、自分の字は綺麗な方だという自負もあるが、まさかそれだけの理由でここまで探しに来たというのかこの殺し屋は。
「あなた、さては馬鹿ですね
……
?」
「え? どうして俺急に罵られたんです
……
?」
「いや、だって、普通そんなことで、」
「あんたにとっては普通のことかもしれませんが、俺にとってはそれほど衝撃的な出来事だったんですよ。こうして、手紙の主に会えてよかった」
かちゃり。飲み干したカップを置き、青年は立ち上がる。
「ごちそうさまでした。シャワーまで借りちゃって、ありがとうございました。それでは俺はこれで。あまり長居するのも迷惑だと思うので。と言っても俺には帰る家なんて
……
」
青年はくるりとこちらを振り返る。長い髪はだいぶ乾いたようで彼が振り返るのと同時に軽く揺れた。
そしてそのままふらりとよろけ、大きな音を立ててその場に倒れ込んだ。
流石に慌てて駆け寄り声をかける。ゼェハァと苦しそうに息をしていて返事はない。湯上がりであまり気にしていなかったが、顔を見遣れば真っ赤に染まり熱を持っている。よく考えればあんな激しい雨の中、傘も差さずに玄関前に立っていた。もしかすると今日一日そうしていたのかもしれない。であれば風邪を引くのは当たり前だ。やはり馬鹿なのではないだろうかこの殺し屋は。
無一文だから診察料は払えないだろうし助けたところでメリットはひとつもない。それでも、私は気づけば彼を寝室まで運んでいた。適切な処置を施ししばらく様子を見れば次第に呼吸は落ち着いてゆく。
「
……
私らしくもないですねぇ」
彼の息苦しそうな、それでいてなお美しい寝顔を眺めながら息をついた。今日は自分らしくないことばかりだ。この世界において情なんてものはとっくの昔に捨てたものだと思っていたのだが。不覚にも彼のペースに飲まれている。
実のところ、彼の来訪は嬉しかったのだ。全てに諦めていれば最初からあんな手紙を書いたりしない。心のどこかで期待していた、夢を見ていた。独りっきりの私を、再び孤独から救ってくれる人が現れることを。だから、彼が手紙を読んでやって来たと聞いたとき、思わず高揚感に見舞われた。柄にもなく、できる限りのもてなしをした。彼が帰ろうとしたとき名残惜しさを感じた。今こうして、つきっきりで看病をしているのだ。
名前を呼ぼうとしてふと、彼の名前を知らないことに気がつく。
「そういえば、名前すら聞いていませんでした」
起きたらまずは名前を問うてみようか。
そうして私の看病のおかげもあり、夜が明け昨日の雨が嘘のように晴れ渡った空に太陽が昇りきった頃、ようやく目を覚ました。彼は驚いた様子で辺りをきょろきょろ見回し、私の方を向くとまだ熱に浮かされたような顔で微笑んだ。
「ありがとうございます、お金、持っていないの知ってるはずなのに」
「
……
料金は取りませんよ」
「あんた、やさしいんですね」
「やさしくはないですよ。偶々です。完治したら帰ってもらいますからね」
「わかってますよ。まあ俺、帰るって言っても家ないんですけどね」
「はぁ?」
「何年もそんな生活してるんで慣れましたけど、さすがに風邪引いたのははじめてでした」
あははと能天気に笑う彼に頭を押さえる。これ以上、これ以上情けをかけてはいけないと頭ではわかっているものの、どうしても放っておけないような危うさが彼にはある。このまま帰したら二度と会わないような気がする、どこかで野垂れ死にそうな気がする。様々な考えが頭をよぎっては消え、よぎっては消え。
「
……
わかりました」
「何がです?」
「
……
あなたがこのままうちにいたいなら、いてもいいですよ」
その提案にさすがの彼も驚いたのか目を見開いた。
「えっと、本気で言ってます? 俺とあんた、昨日が初対面で
……
」
「あなた、腕は立つんでしょう?」
「まあ、それなりに。殺し屋ですから」
「ちょうど番犬が欲しかったんです。患者にも色々面倒なのがいますから」
「
……
なるほど。やっぱりやさしいですね」
「違いますよ、利害の一致です」
「はい、ではそういうことにしておきましょうか。俺はお世話になるんですし」
何やら含みのあるような笑みが気になったがこの話はここで終わりにするとしよう。
「ああ、そういえば名前聞いていませんでしたね」
「ジョージ、と呼んでください」
「
……
私は、ナオミです。ナオミとジョージって、たしかそんな登場人物の小説ありましたよね。あまり文学には詳しくないんですが」
ふふ、と思わず笑みをこぼすと彼──ジョージは意外そうに目を瞬かせた。
「ナオミも笑うんですね」
「人をなんだと思っているんですか?」
「まだ出会ったばかりなので何とも」
「それもそうですね」
こうして家に同居人が一人増えた。しばらくは彼の衣服や備品を買い揃えたり部屋を整えたり忙しくなるだろう。その忙しさが不思議と嫌ではなかった。それどころか、心地良ささえ感じている自分がいた。
*
窓ガラスに当たる雨粒を見ていると、不意に整った相棒の顔が視界に入る。
「ナオミ、なに物思いに耽っているんですか? 窓の外なんて見て」
「
……
ん、ああ、あなたと出会った日のことを思い出していました」
「あ、覚えててくれたんですね。わたし、熱出して倒れたんでしたっけ」
「ええ、傘も差さずにずぶ濡れになっているからですよ」
「それにしてもよくあのとき、わたしのこと助けてくれましたね。ナオミに特にメリットなんてなかったでしょう?」
「さぁ、気まぐれですかね」
「
……
はは。やっぱりあなたはやさしいですね」
「そうですかねぇ」
あの後、私の提案により二人で『遺書屋』を始めることになるのだが、それはまた別の話。
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