両親が亡くなったという連絡を受けて緊急帰国をしたのは大学四年生の時だった。まだ卒業研究に着手したばかりの初夏の頃。久々に帰国した日本には若葉が生い茂っていた。
交通事故だったらしい。母が助手席に座り、父が運転していた車は居眠り運転をしていた大型トラックにより一瞬で鉄屑となったそうだ。
葬儀を終えた僕に残されたのは大きな日本家屋と一人では持て余してしまいそうな程の莫大な遺産だった。他に兄弟はいないため、両親の遺産はすべて僕が受け継ぐことになったのだ。もちろんそれに反対した親族もいたが、僕が成人していること、何より父が遺していた遺書にそう記されていた。とんとん拍子で物事が進み、手続きが終わり、実家に集まった親族も帰っていった。正真正銘、僕は独りになったのだ。もともと何不自由生活を送ってはいたが、さらにこんな大金を手にしてどうすればいいというのか。これだけあれば働かなくても一生、生活に困ることはないだろう。
その頃の僕といえば四学年になっても将来のことをまったく考えていなかった。就職活動をするわけでもなく、かと言って大学院に進むほどの熱意もなく。このままなんとなく生きて、生きている意味を見出だせないまま死んでいくのだろう、そう思っていた矢先に起きた両親の事故だった。どうして死んでしまったのが自分ではなく父と母だったのだろう。父も母も立派な人間だったのに。こんな、自我もなく流れるままにふらふらしているくせに一丁前に反発だけはする息子よりも先に逝ってしまうなんて。
──海外の大学に進学したのは、実家の息苦しさから逃げたかったからだ。厳格な祖父が支配するあの家から。そんな祖父も僕が海外へ渡るとほぼ同時期、寿命でぽっくりと亡くなったのだが。最後に病室で見た祖父の姿は、威厳の欠片もなく機械によって命を繋ぎ止められているひ弱な老人そのものだった。ああ、こんな人物に僕はずっと怯えていたのか。身内が死ぬ間際だというのに思ったことはそんなことだった。
祖父の葬儀も、両親の葬儀も、不思議と涙は出なかった。祖父はまだしも両親の死というものは少なからず僕の心に訴えかけてきたはずだったのだが。そんな僕を「薄情だ」と陰で吐き捨てた親族がいることも知っていたが、それも理解できるから何も言わなかった。
ただ、淡々と時が流れていくのだ。僕のまわりだけ時間が止まっているような感覚に感覚に陥る。雲は流れてゆくのに。夜が来て、朝もくるのに。間違いなく時間は進んでいるのに。カチコチと鳴り止むことのない秒針の音がそれを証明していた。
勉学に励む傍ら、趣味に没頭するようになった。寮の自室には一抹の寂しさを埋めるかのように、一つ、また一つとテディベアが増えていった。
大学での成績は上から数えるほうが早かったが、結局卒業する頃になっても就職先は決まっていなかった。卒業研究の内容は学会でも高評価だったようで、その道に進むことを勧められはしたが断った。教授にも何度か今後のことを訊ねられたが働かなくても、誰も困らないのだ。僕という存在が世界にいてもいなくても変わらず地球は回るし悲しむような人もいない。別に死にたいわけではない、しかし、特に生きている理由もない。自分という存在が定義できないのだ。僕は一体、自分の力で何ができるのだろう。遺された遺産で何をすべきなのだろうか。
卒業式が終わりキャンパスから足を踏み出せば、やけに空が広く見えた。
その後しばらくフラフラしていたが、「探偵とかやったらどうすか。レンゲさん頭良いし」という桔梗くんの何気ない一言をきっかけに、面白そうだというただそれだけの理由で帰国して探偵事務所を開くことになった。実家の日本家屋は自分好みにリフォームし、和洋折衷の奇妙な建物になった。桔梗くんから買った調度品の数々で、自分の好きなものだけで家の中を満たす。伝統ある日本家屋を大胆にリフォームすること、探偵業を始めることはもちろん親族には猛反対されたが、「この家はもう僕のものなので僕がどうしようと勝手でしょう?」と言ってねじ伏せた。連日工事の音が響き渡り古い建物は見る影もなくなった。伝統の終わりはこうも呆気ないものだった。
「──だからね風音くん、僕はね。君がこんな僕のことを『ヒーロー』だって言ってくれてとても嬉しかったんだ。あの日から、君のヒーローでいることが僕の生きる意味になったんだよ」
綺麗な翠色の二つの硝子玉。ふんわりと結ばれた胸元の淡い黄色のリボン。繊細なタッチで縫製されたテディベアに──和田塚レンゲは今日も話しかけていた。やけに広く感じる事務所の真ん中で、まるで雨街風音がそこに存在しているかのように。彼の存在を肯定し続けた。
あのとき伸ばした手は、届かなかったというのに。
*
「レーンさんっ! どうしたんですか、ぼうっとしてますけど」
ころころと鈴が鳴るような声が聞こえる。幻聴ではない、本当に側にいるのだ。
「風音くん」
声がした方を見遣れば翠色の瞳を爛々と輝かせ風音くんがお茶を入れてくれていた。
「僕はどうして君を助手として雇ったと思う?」
「え、唐突ですね!?……人手が欲しかった、から?」
彼は可愛らしい仕草で小首を傾げた。
「ふふ、どうだろうね」
「なんですかその含みのある言い方〜!?」
ぷく、と頬を膨らませた彼を見て微笑む。
日常がそこにあることに安堵した。
自分の存在理由、その答えを出すのは難しい。
それでも、少しはわかったんだ。
君が教えてくれたから。
君が与えてくれたから。
君が、一部になってくれたから。
だから君と共に歩む未来を願ったんだ。
君の手を、僕はもう二度と離さない。
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