yasaka
2022-11-25 22:24:25
4538文字
Public Star trek
 

【JJST】ゲーム理論と感情論

冒頭のスポックが「楽しいですよ」と六文字返せば終わる話

March 11, 2018

「俺なんかとチェスやってて楽しいか?」

まるで明日の予定を尋ねているかのような気軽な一言に、スポックは呆けたように動きを止めた。
頑固で保守的なヴァルカンの導師が見れば『無様にも赤い血の側面が露出している』とでも叱咤されただろうか。スポックはわずかに空いたままになっていた口を閉じると、まじまじと発言者を観察した。感情豊かなはずの彼が少しでもその言葉の真意をにじませてくれたのならば、即座に言葉も出ただろう。己の視線を真正面に受けながら、冒頭の言葉の主にしてエンタープライズ艦長、そして今まさにチェス盤を挟んで対局中のジム・カークは、盤上の布陣を眺めつつ何事もなかったかのように自分の次手について思案している……

「今のは、どういった意図の発言でしょうか?」
論理的な異星人の口からやっとの事で零れたのは、困惑を隠しきれていない問いかけだ。
対局中に相手の動揺を狙った発言だというのなら十分にその役割を果たしたことが分かるにも関わらず、カークは難しい面持ちのまま盤上から視線を動かさない。
「うーん、たいした意味はないさ。白のビショップをd3Hからd4H」
本当に、彼の中ではたいした問題では無かったのだろうか。何もかもうやむやのまま対局を進めようとする相手を遮るようにスポックは強い調子で尋ね返した。
「私の対応に何かしら不満な点を感じたのなら、包み隠すことなく伝えていただきたい。私の振る舞いは、時に地球の文化圏で非礼な行動となっている場合があるようですが、私自身にそういった意図は……
「おいおい、頼むよスポック。本当にたいした意味は無いんだ。深刻に考えないでくれ」
この期に及んでようやく相手の動揺に思い至ったらしい碧水晶の瞳が困惑したようにスポックを捕らえる。
「君の対応に何か問題があったわけじゃない。君は完璧で最高なチェスプレイヤーだよ。問題があったとすれば……むしろそれは俺の方だ」
返された答えの意味が分からず、スポックは片眉を跳ね上げる。再度盤上を見渡せば何の変哲も無い、強いて上げるならやや自分が優勢な棋譜が見えるだけで、イカサマのような問題ある行為が行われた様子はない。
……発言の意図が理解できません。なぜ、あなたは『私』が『あなたとのチェス対戦に不満を覚えている』という認識に到ったのですか?」
「あぁ、だからそんな深刻な話じゃないんだって!!」
カークは『面倒なことになったぞ』という顔でダークブロンドの髪をかき混ぜた。一度こういう状況になってしまうと、この優秀なヴァルカン人は己の納得できる答えを得るまでテコでも動かない事はよくよく知っている。そして、自分が何も考えずに放った一言がこの状況の発端ある以上、彼に総てを説明する義務が自身に発生している。カークは恨めしそうに声を上げた。
「今日の昼食の時、チェコフから聞いたんだ。うちの副長はグランドマスターレベルの優秀なチェスプレイヤーだってね」
「いささか誇張が過ぎる評価ですね。現在の連邦統一ルールにおけるGMの定義は年間の公式レーティング二五〇〇以上の……
「ストップ、ミスター・スポック! チェコフの発言はあくまで比喩表現で、君が現実的にGMに該当してるかは問題じゃない。要するに、俺が言いたいのは。君はとってもチェスが得意な人物だって事だ。対人戦に飽き足らず自分でチェスの対戦プログラムを書き上げて、自分の対戦結果をフィードバックしながら、どんどんそのAIを優秀にしていってるぐらいに優秀ってこと」
スポックは数日前に行ったチェコフと自作AIとの対局を思い出した。元々自艦の副長が組んだという対戦AIに非常に強い興味を持っていたチェス好きの航海士が自ら対戦を申し出たことで行われたその実験対局の内容を、カークはその本人から聞かされたのだろう。若いながら艦内どころか艦隊でも強豪レベルの実力を持つ彼との対局はスポック視点「あくまで辛勝」という物であったのだが、カークの語り口を聞く限り、対戦側の認識はだいぶ異なっていたようだ。
「ひるがえって、俺はただのチェス初心者だ。正直、チェコフや他のクルーに教えてもらうまで何が面白いのかよく分からなかったし、それこそアカデミーに来る前はかび臭いお遊びって馬鹿にしてた。だから、そんな相手との対局をトッププレーヤーの君が本当に楽しめてるのかちょっと疑問に思ったんだ。……もし、君が副長として『キャプテン』との相手を勤めるのが一種の義務だと思っているのなら非常に申し訳ないと思うし。それに、AIに様々な棋譜を覚えさせる目的があるにしても、悪手ばかりの俺のデータなんか入れたらノイズにしかならないだろう?」

ここに到って、スポックはようやくカークの発言の意図を理解した。
覚えてから間もない。とは語るものの、元々の戦略運営に天賦の才を持っており、それこそチェコフを筆頭に艦隊内でも強豪としれたクルー達から親身かつ的確なレッスンを受け、あまつさえ日常的にスポックと対局できるようになったカークが『初心者』を名乗るところから大いに異論はあるのだが。それどころではない相手の『誤解』にスポックはゆっくりと首を振った。
「あなたの懸念は杞憂だ。私は今まで副長としての職務、『あなたが私の上官だから』という理由で、自分の本意に反して対局を行ったことはありません。あなたとの対局が楽しい、楽しくないという判断は、非常に感情的な要素が強く回答できかねますが。あなたとの対局内容は、常に私の知的好奇心を満たしてくれる有益な物に間違いないと断言できます」
「ああ、そう……なら、いいんだけど」
自分に好意的な返事にも関わらず、何故かうつむき加減で声も小さくなるカークの姿にスポックは小首を傾げる。
「そもそも前提として、大きな誤解があるようですね。私が自らチェスの対戦AIを構築している目的は、強い対戦相手を欲しているからではありません」
強い口調で言い切りながら、スポックが対戦中のチェス盤の乗るテーブル脇にあるパネルを操作する。するとチェス盤の直ぐ横に立体映像で形取られた青い燐光のチェス盤が表示された。乗せられたコマが誰の手を借りぬまま勝手に動き出したのをみるに、これがスポックが丹精込めて作っている対戦AIのインターフェースなのだろう。目の前に現れた光のチェス盤を興味深そうに眺めるカークを見つめながら、スポックは続けた。
「チェスはゲーム理論における『二人零和有限確定完全情報ゲーム』と定義されます。この分類されるゲームの特徴は、理論上先読みが可能で、双方のプレーヤーが常に最善手を打ちつづけることで、必ず先手必勝か後手必勝かが確定しうる点です」
まるでアカデミーの講義のような内容ににカークは困ったように肩をすくめた。
「また突然難しい話を始めたな? ……つまりチェスは常に最善手を打つ限り、ゲームを始める前からどちらが勝つのか決まってるって事だな」
「その通りです。ですが、選択肢が多くなればなるほど、一般的な知的生命体では完全な先読みを行う事はできなくなります。常に最善手を打ち続けることは困難であるが故、チェスはゲームとして成立しているのです。一方、対戦AIは常に、論理的に、その盤面の最善手を導き出すことが可能です。よって、対人戦無敵の最強のAIを作成するだけならば、自らこうして棋譜を集める必要も無く、ただひたすらに最善手を打ち続けるようにプログラミングすれば良いだけのこと」

スポックが青いチェス盤に手をかざすと、各陣営の駒が猛烈なスピードで動き出した。しばらくその動きを追っていたスポックのチョコレートブラウンの瞳が同じく光の駒を見つめるカークの明るいブルーをのぞき込む。
「だが、対戦用AIにはこういったマインド・ゲームを進めるにあたって致命的な点があります」
「致命的?」
「あなたは、先ほどご自分のビショップを下げました。何故ですか?」
突然の問いかけにカークはあっけにとられたように目を瞬かせ、それがついさっきまで自分達が行っていた現実の対局のことだと思い至ると、光盤の隣で放置されている現実の盤面を観ながら捨て鉢な口調で言った。
……何故って、あのままの場所にいたら君のクイーンに取られるだろ。しかもここに切り込まれると、後々が面倒に思ったからだ」
そんな答えを聞いてスポックの口元が、僅かに緩んだ。
「対戦AIはそのような思考はしません。なぜなら対戦AIはあくまでその時点での最善手を打ち続けるだけだからです」
言わんとしてることを察したか、カークの瞳に一瞬鋭く光が走る。
「ヒトと対戦AIにおける思考、最大の違い。それはヒトはある目的に対し意味合いを持った思考を行いますが、AIの思考自体に意味は無いという点にあります。AIの采配は、ただその状況に近い盤面を過去の膨大な数の棋譜から探し出し、その中から最も勝率の良い手を選択しているだけにすぎません。あなたが動かしたビショップは『将来の不利を見越して動かされた』という意味を持ちますが、AIの動かすビショップの動き自体に意味は無いし、その動きから我々がAIの次の手を読むことも不可能です。なぜなら、AIが次に打つ手は、そのときの盤面が確定してからでないとAI自体も判断できないのです」
「なんというか、究極の『行き当たりばったり』って感じだな」
せわしなく動き続ける光の駒を眺めながら、カークはどこか哀れむような口ぶりで言う
「そう。故に、AIの思考は我々には理解できない。だからこそAI同士の対戦は『行き当たりっばったり』に手駒を動かすだけの……あなた達の言葉を借りれば、非常に『楽しくない』対局になるのです」
スポックが指を鳴らすと、AI同士で行われていた退屈な戦いごと青いチェス盤がかき消えた。
「本来、チェスとは相手の思考を予測し、それを互いの差し手に反映することで戦局を作り上げていく知的遊戯です。その一方で、チェス用の対戦AI構築は、何億何兆とある棋譜をいかに効率的にいかに少ないリソースで素早く検索させるかというアルゴリズム構築技能を磨く物です。チェスを対局することと、チェス用の対戦AIを構築することは、私にとって全く別の意味合いの活動といえます」
スポックは言葉を切ると、カークを真正面に見据えて言葉を続けた。

「君の差し手は、確かにまだ荒削りではあるが、他者にはない、非常に興味深い戦略を基にした刺激的なものだ。言い換えるなら……こうして君との対局を続ける事を、私は確かに『楽しん』でいる」
現実のチェス盤に置かれた黒い駒を手に取ると、スポックはそれを迷いなく前へと進める。自軍の白いポーンが戦場か追放されるのを横目に、カークはスポックに向けニヤリと挑戦的な笑みを浮かべた。
「はは! 君みたいなトッププレーヤーにこうも褒められるとはね。恐れ多いことだ」
その言葉に先ほどまで感じられた不安げな様子は微塵もない。

みなぎる自信に碧眼を輝かせるカークと深い黒玉に理知の光を湛えるスポックの間で、白黒三二個の駒達が穏やかな光を返していた。