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黒竹
2024-01-02 19:42:07
7115文字
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リコリス・リコイル
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あてもなき小指と小指の
【錦木千束】【井ノ上たきな】
京都に帰りますと告げたら千束の箸の間から餅が落ちた。デロリとした餅はお汁粉の椀の中に戻って小さな飛沫を立てる。目で追っていたけれど椀の外に跳ねてはいないよう。テーブルや千束の服が汚れなくて良かった。
などとたきなが冷静に状況を観測している間に千束が間近に迫っていて、至近距離に目を剥いた相棒の顔がやって来る。近い。
「ちょっ、ちょいちょいちょい! なんで急に!? 一緒に年末特番見て年越しそば食べて初詣も行って、みんなで今年もよろしくってしたじゃん!」
「それは、しましたけど」
「なんでだよぉ〜、なんで急に実家に帰るなんて言い出すんだよぉ〜。こっちで私の相棒してよぉ〜」
やだやだと縋ってくる千束に顔をしかめながら、彼女の手を掴んで無理やり離させた。
「実家じゃないです。というか、リコリスに実家なんてないでしょう。そうじゃなくて、京都の神社で新年だけ出してる特別なお守りがあるから、それをもらいに行きたいんです」
だから二日ほどお休みをいただきたくて。奥でお茶を飲んでいたミカにも視線を送りながら続ける。
千束は自分の想像していたような事態ではないと分かってほっと息をついたが、それから不思議そうに首をかしげた。
「お守り? なんの?」
「それは
……
秘密ですけど」
「男か!? 恋愛成就のお守りじゃねえだろうな!?」
「ああもうミズキは入ってこないで。話がややこしくなるわ」
正月から飲んだくれているミズキに絡まれそうになったところを千束が押しのけて、「なんで今年の初詣もあんたらとなのよぉ〜」ミズキがそのまま崩れ落ちるのも無視。
たきなは自分のお汁粉を最後の一滴まで飲み干して、ミカの反応を待った。ズズ、と音を立てて茶をすするミカが、「ふむ」と小さくつぶやく。
「店は明日から開けるが、正月用の紅白団子とお菓子を出すくらいだし、私たちだけで回るだろう。DAからの依頼も
……
ああ、ちょうど空いてるな。新しい依頼が来たら私のほうで調整しておこう」
「ありがとうございます、店長」
内心で胸を撫で下ろす。どうしても手に入れなければならない、というものではないけれど、諦めたら心残りになる程度にはたきなの中で重要だったので。
果たしてそれがどの程度の重要さであるのかは計りかねるが、ひとまず憂いがなくなって一安心のたきなだ。
千束が椀に落ちた餅を拾い直して口に入れつつ、「それさあ」行儀悪くもぐもぐしながら言ってきた。
「私も行っていい?」
「え、なんでです? 別に千束がいなくても問題ないですけど」
「いたら問題あるの?」
「それは
……
」
ない、こともない、けれど。そうは言いたくない。言ったら絶対に何か勘付かれる。そういう人なのだ、この井ノ上たきなの相棒という人は。「そういうわけじゃないですけど」と答えるしかなくて、たきなはかすかに腰を引きながら心なし小声で答えた。
「じゃー決まり! 一緒に京都旅行しようぜ。あ、たきなは里帰りだから旅行でもないのかな?」
里帰りと言えば言えるのだろうが。京都支部に大した思い出はない。世話になった教官やリコリスがいないこともないけれど、特別に何か思うものがあるような相手はいなかった。
まあいい。別に京都支部が目的ではないのだ。そもそもすでにDAの所属ですらなくなり、リコリスではあるものの組織下にはないという微妙な立場だ。本部への異動の際には栄転だなんだと言われはしたがこの有様である。のこのこと出向けるわけがないし、このふざけたのが歴代最強のリコリスたる相棒ですと紹介する意義も見いだせない。
「えっとー、やっぱこのへんの定番の神社とかお寺とかは行ってみたいよねえ。あ、たきなこれ知ってる? 知る人ぞ知る京都名物だって。こっちの神社の近くだし、せっかくだから行ってみようよ。それからぁ、やっぱタワーには登りたいよね。延空木のほうが高いけど、こっちはこっちで趣があるって言うかさあ」
スマートフォンで検索した観光情報を次々に表示させながら千束がはしゃいでいる。
たきなは彼女のスマホをさっと奪い取り、横のボタンで画面をオフに切り替えた。
「観光をする気はありませんよ。無理言ってお休みをいただくんですから、目的が済んだらすぐ帰ります」
「
……
えぇ〜?」
千束が叱られた子供みたいにしょげた顔をしたけれど、たきなは絆されなかった。
京都市街からかなり離れた観光地は、三が日を終えた平日という微妙な日付のせいか思っていたより人通りが少なかった。
とはいえ、年中観光客が絶えないような土地だ。自分たちと同じように物見遊山な雰囲気を出している人たちがそこらにいる。見覚えのある制服姿の少女もたまに見かけるが警戒態勢ではなさそう。ただの待機要員だろう。
「京都も土地柄、東京と同じくらい狙われやすいところだよね。たきな、ここで前線張ってたならやっぱ優秀だったのね」
「歴史的な建造物がいろいろとありますからね。殺人の許可は下りてましたが文化財には傷ひとつつけちゃいけなかったんで、けっこう面倒でした」
「マシンガンぶっ放すわけにはいかなかったか」
千束は揶揄みたいな笑みを口元に浮かべていて、なにを思い出しているのかは分かりきっていたので、たきなは彼女の喉から洩れた笑声にも反応しなかった。左頬が少しうずく。
目的の神社は大きなところではない。交通の便も悪くてたきなはスマホに表示されたいくつかのルートを見比べながらどうしようかと悩む。
「あっ、トロッコだ! トロッコ乗りたい!」
「それじゃ一番近い駅でもけっこう歩きますよ。こっちの電車でここまで行って、バスに乗るのが一番早そうですけど
……
」
「やーだー! トロッコ乗るぅ!」
「はあ
……
」
私服で良かった。ファーストの制服でこんな醜態をさらされたら、あのへんにいるリコリスに何を噂されるか分かったものではない。まあ、何を言われても千束本人は気にしないだろうけれど。どう言われてもねじ伏せられる実力はあるからなぁ、と、扱いにくい相棒の性質に思わずため息。
扱いにくい、か。
似たようなことは言われていた。京都でも、東京でも。扱いにくいとか使えないとか。千束はたきなが優秀だから本部に異動したのだと言っていたけれども、もしかしたら厄介払いの意味合いもあったのかもしれない。そう自己分析できるくらいには己の変化に自覚的なたきなだ。
日本の平和を守るためだと徹底した教育を幼少期から受けているにもかかわらず、世界的にも価値のある重要文化財を傷つけてはいけないというルールを「面倒だ」と感じてしまうようなリコリスだったから、実はそのへんを問題視されていたのかも。
今でもきっと、仏像を銃で撃ったところで何も思わない。
そういう意味では今のほうが楽かもしれない。千束は人間の命は奪うなと口酸っぱく言ってくるけれど、無機物については無頓着だ。むしろ当人が壊しすぎて喫茶リコリコの財政難の原因になっているくらいである。
「分かりました、トロッコ経由で行きましょう。少し歩きますけど、まあ千束は年末年始に暴食してたのでちょうどいいですね。お餅何個食べたんですか」
「だって町内会の餅つき大会で余ったって言うからさ〜。あと紅白団子の試作品も捨てちゃうのはもったいないじゃん」
山あいをのんびり進むトロッコ列車は、なるほど、乗ってみると風情があって心浮き立つ。眼下に広がる町並みを眺めるのも楽しいし、今は時期ではなくて少しさみしいけれど、桜並木の中を進むのも面白い。
「おおー! すっげー!」
「こういう観光っぽいのは京都に住んでた頃も乗ったことなかったですけど。ふふ、楽しいですね」
「ね、乗ってみて良かっただろ?」
「はいはい、そうですね」
窓に頬杖をついて勝ち誇る千束に肩をすくめつつ、たきなも窓の外の景色を眺める。「桜の季節ならもっときれいでしょうね」「その頃にまた来よっか」渓谷を渡る橋を通る際、ゴウと強い風が吹いた。たきなの返答はその風の音にかき消されて千束には届かなかった。
とはいえ、繰り返す必要もないのだろう。聞こえなかったはずなのに、彼女は満足そうに笑っていたので。
トロッコ列車の目的の駅を降り、山裾の神社を目指して歩き始める。そこそこ距離はあるものの、常人でも歩いて行けるくらいだしリコリスの健脚があれば話にもならない。ふたりとも息も切らせず山を臨み、山門をくぐって更に石段を登っていく。
「本堂じゃなくて、途中にあるお社のほうなんです」
「ふぅん? あ、あれのこと?」
千束が指差す先にはやや小ぶりの鳥居があった。たきなも初めて来たから確証がなかったが、目の前までやって来て鳥居にかけられた宮名を読んで「あ、ここです」足を止める。
「電電
……
? 変わった名前してんね」
かたつむりっぽい、と笑う千束に苦笑を返してから鳥居をくぐった。小さな社だ、他に人の姿はない。
たきなはひとまず千束と並んで賽銭箱に小銭を放り、ゆっくりと手を合わせた。まず第一に神様に挨拶せんといかんよ、と教えてくれたのは誰だったっけ。
「
……
電気とか電波の神様なんだそうです」
「ん?」
「大事な機械が壊れないように、とか、新しい製品がうまくできますように、とか祈るらしいです」
彼女の胸の中心を埋める機械は、検査を受けているわけでもなければ臨床試験が行われたわけでもない、ただ一人の天才が作り出した手製品だ。
何が起きるか、何も起こらないのか誰にも分からないし、一分後に止まるかもしれないしこの先五十年も安定稼働するかもしれない。
どちらにせよ、井ノ上たきなにできることは何もない。正しく動いているか確かめることも、壊れたら修理してやることも、あるいは、そうできる誰かを探す力すらなかった。
祈るしか。
祈るくらいしか、できることがない。
「そっか」
「別に、必死で探したとかそういうことじゃないです。京都にいた頃に誰かから聞いたのを思い出しただけで」
「うん」
「たまたま検索してみたら、この時期だけ出してる特別なお守りがあるって出てたんで。まあ、気休めですけど」
もって二ヶ月。あの言葉の意味を悟った瞬間を思い出すだけで膝が震える。
だというのにこの相棒ときたら数ヶ月も姿をくらますし、その間なにひとつメンテンスを受けていないし、生きているとは分かっていても何があるかは分かったものじゃなかったのになんか悠々と南の島で暮らしてたし。
自分勝手な言い草であることは分かっている。
色々と矛盾しているなと我ながら思う。仏像に価値を見出していないくせにお守りをもらいに行こうとしていて、無機物が壊れても平気な彼女のためにこんなところまで来て。
ああそうだ、無機物を壊しても平気な彼女は、自身の命をつないでいる機械にすら無頓着で、井ノ上たきなはそれが嫌だったのだ。
神頼みをする程度にはそれを大事にしてほしいと願っているのだと、知ってほしかったのかもしれない。
「たきなぁ」
それはからかっているような、慈しんでいるような、自己嫌悪しているような声だった。
こちらの肩にグリグリと額を押し当ててくる。「ありがと」「どういたしまして」その返答は正しくない気もしたけれど、他にどう答えていいか分からなくて、仕方なくそう言った。
授与所に行ってみると「新年の特別神札がご入用の方はお声がけください」と札がかかっており、たきなが指示通りに建物の中にいる巫女へ声をかけた。
「電機の安全祈願のお守りをお願いします」
奥から出てきたのは一見他のお守りと変わらない、袋入りのお守りだった。しかし他のものよりやや値段が高い。そういうところをケチるほど狭量ではないし、それだけご利益があると思えば安いものである。喫茶リコリコの経理担当ではあるが必要経費については寛容なたきなだ。
「普通のお守りっぽいね」
「いえ、中に入ってるのが
……
」
たきなが袋を開けて中に入っている小さな板状のものを取り出す。厚紙に包まれたそれをそっと開くと、中にあったのはたきなたち若者にはおなじみの物だった。
「へ? SDカード?」
「ちゃんと清められてて、中に菩薩像の画像データが入ってるらしいですよ」
「さすが電機の神様じゃわ
……
。しかも金ピカだし」
「金箔でメッキされてるみたいです。だから表に出してないんでしょうね」
どうぞ、と千束に差し出す。「使えんの?」「使えますよ、もちろん」千束が自分のスマホを取り出して、SDカードを入れ替えてみる。フォーマット済みだったカードはすぐに認識されて、画像がひとつだけ入った中身が表示された。
「うはは、ほんとに仏様の画像が入ってる!」
「容量が少ないんで普段使いはできませんけど、邪魔になるもんでもないと思うので、どこかにしまっといてください」
「おっけー」
こんな、冗談みたいな物ひとつで彼女の心臓にこの先なんの問題もなくなるなんて、本気で思っているわけではないけれど。
千束だったらこういうの見て面白がるだろうな、とは思っていたから、予想が当たってそれは嬉しい。
「じゃ、せっかくなんで。たきなこっちおいで」
「はい?」
ぐいっと肩を抱かれて密着される。それからスマホのインカメラを起動させて自分たちに向けてきた。
「ほら、たきなさんも笑って」
「写真ですか?」
「旅行の記念ったら写真でしょうよ」
撮るよーと気楽に言われたので慣れない笑顔を浮かべてみる。どうしても少し不自然なその笑顔を、千束はそれでも「いいねえ、可愛い」と褒めてくれた。
千束の親指がシャッターボタンを何度も押して、そのたびにカシャカシャとスマホが音を立てる。何枚撮るつもりなんだろう。まさかSDカードの容量いっぱいまで撮るわけではないだろうけれど。いくら容量が少ないとは言っても、それだけで埋まるほどではない。
千束は十枚ばかり写真を撮って満足したようで、スマホを構えていた手を下ろして、たきなの肩を抱いていた腕も離した。
「撮りすぎじゃないです?」
「いいのいいの」
SDカードを元の物に戻して、千束は菩薩像と二人の写真が収められたカードを厚紙に丁寧に挟む。
「来年も来ようよ。そんでまた、一緒に写真撮ろ」
「いいですけど」
「再来年も、その次もさ。おばあちゃんになって階段がきつくて登れなくなるまで、ここに来ようぜ」
お守りをくるくると弄びながら千束は穏やかに言う。
一年経つとお守りって効果なくなるらしいじゃん? ほのかに笑ったまま千束が続けた。
それはたきなも知っている。一年間邪気を吸い込んだお守りは、新年のお焚き上げで燃やして清めてもらうのだ。じゃあさっきの写真も一年後には燃やされてしまうんだろうか。「ちゃんとクラウドに上げといた」電子データ、そういうときに便利。
この先ずっと、と思ってしまえば不安が残る。
ただ、一年だけ。この一年だけお守りがあるから大丈夫と思えて、それで、一年後にはまたここに来て祈るというなら。
ずっとではなくて、一年を繰り返す、そういう相棒との約束があるのなら。
「でも、リコリスはある程度成長したら
……
」
「約束する」
「
……
っ、あ
……
はい」
本当はその約束さえずいぶんと不確かだ。
それでも、彼女がそう言うなら、『そう』なるような気がした。
「たきなが千束のために祈ってくれるなら、千束もたきなのために祈るよ」
「
……
なにを、です?」
「君の居場所が続くように」
ああ、それは。
それだけが。
聞こえない心音も金色の小さなチップも不確かな約束も、彼女がそう言ってくれるなら祝福になる。
「帰ろう、相棒」
「はい」
差し出された手を取るとそれはじんわりと温かかった。
石段を降りて山門を出ると、不意に千束が「うぁぁ」と唸った。
「おなか空いてきた。たきなさん、どっかおすすめのお店ない? 食べてから帰ろうよ」
さっきまでの荘厳なあれこれが霧散している。早すぎないだろうか。人の感動を返してほしい。
「知りませんね」
「なんでだよ、ジモティーだろ〜」
「
……
本当に知らないんです。京都支部に所属していた頃は、待機命令中はずっと歩き回っていただけだったので」
「ご飯はどうしてたの」
「コンビニのイートインとかですぐに食べられるものを」
いつ緊急招集がかかるとも知れないし、京都時代に組んでいたファーストは千束みたいな食い道楽ではなかった。
千束は腕組みをして低く唸ると、「よし」とひとつうなずいてたきなの手を引いた。
「せっかく京都に来たんだから名物の食べ歩きをしようっ。新幹線も最終に乗れば間に合うし」
「は、はあ
……
」
「たきなさんにはこれからも、千束のやりたいこと最優先に付き合ってもらうかんね。覚悟しとけよー?」
にひひっと笑って宣言する千束に、たきなの頬も思わず緩んだ。
千束には振り回されてばかりだ。去年もそうだし今年もそうなんだろう。
その次の年も、その先もずっとずっと、そうなんだろう。
その中にはさっきの約束も含まれていて、きっとずっと、二人であの小さな社まで石段を登って、二人で写真を撮るんだろう。
最後には自然に笑えてるといいな。こっそりとそんなことを思う。
何十枚と撮られた写真を眺めて、最後にとびっきりの笑顔で並ぶおばあちゃんたちがいたら最高に素敵だ。
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