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黒竹
2023-12-02 02:50:21
5986文字
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リコリス・リコイル
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∞hit darling
【フキサク】大学生パロ
うまく回らない思考の隙間に規則正しい音が入り込んでくる。開けっ放しのドアの向こう、キッチンでなにか野菜を切っている音だ。包丁がまな板に打ち付けられる音。「うおお、目がっ」やや大きい独り言が聞こえてきた。切っているのは玉ねぎらしい。音だけで手慣れた様子なのが分かる。そういえばあいつ上京組だっけ、と、いつだったかに聞いたことを思い出した。付属高校に進学した頃から一人暮らしをしているなら自炊のスキルもけっこうなものなんだろう。
ピ、と脇の下で電子音がする。挟んでいた体温計を取り出て液晶を確認してみれば、昨日から一度ほど高くなっていた。寝てりゃ治る、と電話で強がったのに朝から押しかけてきた後輩のおせっかいは、実のところありがたかった。
「先輩、味付けは和風と洋風どっちが好きっすか? 出汁利かせたのと、コンソメチーズ」
「
……
洋風」
「了解っす」
答えたものの、熱で舌がやられているし鼻も詰まっているのでどちらにせよ味なんて分からないかもしれない。
ベッドの上で寝返りを打って深く息をつく。
季節外れの夏風邪は春川フキの身体を深く蝕み、頭は朦朧とするし喉の痛みは治まらないし汗が止まらなくて昨日から何度着替えたか分からない。そう、洗濯機の駆動音も脱衣所の向こうから聞こえてくる。今はキッチンにいる後輩が床に脱ぎ捨てていた部屋着やらTシャツやら、はては下着までまとめて洗濯機に入れてくれたのだった。他人の汗が染み込んだものをよく平気で触れるな、と思ったけれど、見ている限りそういうことは気にしていないようだった。まるでこっちだけが意識しているようだから、癪なのでフキも何も言わなかった。
少し包丁の音が変わる。玉ねぎよりもっと柔らかいものを切っている音だ。なんだろうな。ぼんやりと包丁が建てる音を聞く。リズムの良い音が心地良くて目を閉じたら、意識がどんどん沈んでいった。せっかく来たのに部屋の主が寝ていては失礼過ぎるか、と思いつつ、しかしあいつになら別にいいかと思ったりもする。
「サクラ」
「っと、なんスか?」
包丁を操る手を止めて、ふたつ後輩の乙女サクラが振り返る。
「うるさい」
「ええ? じゃあドア閉めときます?」
「駄目だ」
「なんすかそれ
……
」
サクラは弱りきった声で応じつつ、なんとか音を立てずに料理をしようと奮闘し始めた。体育会系だな、と口には出さずにぼやいた。同じ学部、同じサバゲーサークルの先輩後輩ではそうなっても仕方がないのかもしれない。
春川フキは自分が不機嫌なことを自覚している。
「サクラぁ」
「はいはい、なんでしょう?」
「千束がバイトしてるカフェの団子が食いたい」
「わかりました、後で買ってきます。先輩、抹茶好きですよね? 抹茶団子にしましょうか」
「
……
は〜〜
……
」
「え、違いました? 抹茶よりあんこのほうがいいっすかね?」
的はずれなことばかり言う後輩に、これ見よがしなため息をついたら、サクラがわたわたと包丁を置いてこちらに来ようとして、タイミング悪く吹きこぼれそうになった鍋の火にさらにわたわたしていた。
「そうじゃねえだろ
……
」
思わず漏れたつぶやきが、サクラに対するものなのか自分に対するものなのか、どちらなのかはよく分からなかった。
「
……
少し寝る」
「どーぞどーぞ。これできたら起こしますんで」
洗濯機が回る。くつくつと鍋で何かが煮込まれている。乙女サクラは手慣れた様子で料理を作っているけれど、春川フキの視線に本当は少し緊張していた。
肩をゆすられて目を覚ます。「先輩、ご飯できましたよ」腕時計で時間を確認する。やけによく眠ったような気がするけれど、二十分しか経っていなかった。
ベッドから身体を起こしてヘッドボードにもたれかかる。サクラはリゾットの椀とほうれん草のナムルが入った小鉢をトレイに乗せて持っている。ベッドのふちに腰かけて、「まだ熱ありそうですねえ」フキの顔を覗き込みながら言った。
「動くのもきついっすよね。ここで食べます?」
「
……
あぁ」
喉が痛くて声がかすれるせいで、肯定なのか相槌なのか判別しにくい返答になったが、サクラはきちんとどちらなのか聞き分けて、椀を取り上げるとひと口分をスプーンで掬って冷まし始めた。軽くぎょっとして思わずサクラの手を掴んで止めた。
「おい、なにしてんだ。自分で食える」
「いいからいいから、先輩はそのまま。冷蔵庫にプリンも冷やしてあるんすよ。風邪っていったらプリンですよね」
「あ? 普通は桃の缶詰だろ? プリンくらいいつでも食うだろうが」
「えっ、あーし小学生の頃から風邪のときだけプリン食わせてもらえてめっちゃ楽しみだったんですけど」
各家庭、それぞれあるらしい。先輩、いつでもプリン食えたんですか、いいなあ。本気で羨ましそうな顔をされた。お互い成人した今となってはプリンなんてコンビニで気軽に買えるのに、幼少期の思い出はまた別の話のようだった。
「はい先輩、あーん」
リゾットの乗ったスプーンを差し出されて、フキは逡巡してから口を開けた。下唇にスプーンが当たった瞬間、しびれるような痛みがやって来て反射的に顔をそむける。
「あっつ!」
「す、すいません、まだ熱かったっすね」
「っ、馬鹿、気をつけろ!」
苛立ち紛れに振るった手がサクラの腕に当たり、その拍子に彼女が持っていた椀を取り落した。「っ、
……
っ」チーズのせいか冷めていなかったリゾットがサクラの左手にかかる。「あっ」サクラが顔をしかめた次の瞬間、己のしでかしたことに気づいて青ざめるフキ。サクラはひゅっと軽薄な笑みになって手早くトレイに椀を置いた。
「すいません、こぼれちゃったんで新しいの持ってきます」
「わ、悪いサクラ、いいから、早く冷やさないと火傷になっちまう」
「これくらい平気っすよ」
鍛えてるんで、とサクラは笑ったが、いくら鍛えたところで皮膚が強靭になるわけではない。とにかく起き上がってサクラの手をなんとかしようとするフキを、当のサクラが制してくる。
「風邪っぴきの病人さんは寝ててください。先輩、本調子じゃないんだから」
苛立ちも狼狽も熱のせいにするサクラ。それが、それがフキは嫌だ。
キッチンで腕を冷やしてから新しい食事を持ってきてくれたサクラに、今度は有無を言わせず手を突き出して椀を受け取る。さっきの失敗があるせいかサクラも無理に食べさせようとはしなかった。
玉ねぎと舞茸のチーズリゾットはきっとおいしいんだけれど、やっぱり味はよく分からなかった。
「
……
手、大丈夫か?」
もそもそとスプーンを口に運びながら尋ねると、同じものをパクパク食べていたサクラが快活にうなずいてきた。
「全然大丈夫っす。火傷にもなってないし。ほら、赤くもなってないでしょ?」
サクラが軽く広げて見せてきた左手は確かにいつもと同じで、骨ばっており、フキのそれより大きくて、五本の指はずいぶんと器用に動く。しなやかに椀を取り上げるその左手の動きをフキは黙って目で追いかける。
食事を終えるとサクラが食器を片付けてくれた。今日は朝からいたれりつくせりだ。そうされるたびにフキは腹の底がもやもやして落ち着かない。
「そうだ、食材の代金払うよ。いくらだった?」
「あ〜、いいっすよ
……
と言いたいところなんですけど、ちょっと手持ちに余裕がなくて。レシート置いてきますから、後ででいいんで精算してもらえると助かります」
「分かった」
サクラは浪費家ではないものの、バイト代だけではなかなか追いつかない程度には遊んでいることをフキも知っている。友人たちとアミューズメントパークに遊びに出かけるところらしい姿を駅で見かけたこともあった。それを先日、なんの気無しに伝えたら、じゃあ先輩も今度一緒に行きましょうよと誘われて、後輩たちの中にひとりだけ先輩が入ったら気を遣うだろうと断ったら、
「なら私とふたりで行きません?」
ニコニコと、いたずらっ子みたいな笑みで言われて、なんとなく気圧されてうなずいてしまったのだった。
その約束の日が今日だ。
喉が痛くて咳をする。サクラが背中をさすってきた。それがなんだか煩わしくて身を捩ることで振り払う。サクラは小さく肩をすくめておとなしく手を離した。
平均より小柄な身体をベッドに投げ出して深く息をつく。胸がずっとモヤモヤしていて晴れない。暗雲を肺と肺の間に飼っている気分だ。暗雲は正体が分からない。暗雲というより、アンノウン、なのかもしれない。
「飯、サンキューな。助かった」
「いえいえ、これくらいお安いご用っす」
「といっても、私はこのとおりだし、ここにいても暇だろ? こっちは大丈夫だから、もう帰っていいぞ」
「まだ洗濯物干してないっすよ?」
「お前、私のパンツ干す気なのかよ」
「先輩のなら喜んで」
怒っていいのかどうなのか悩むラインだった。
「いいから、そんなの自分でやるから気にすんな」
「気にするとかしないとかじゃないんすよねえ。先輩には分かんないかもしんないっすけど」
「あぁ?」
なんだよ、とそのつもりはないが結果的に凄んでしまったらしい視線にサクラが怯む。けれどそれもほんの一瞬で、すぐににぱりと笑ってベッドに顎を乗せてきた。
自然と上目遣いになったサクラがこちらを伺って、その視線に不穏なものを感じ取る。不穏なのか、不安なのか、どっちなのか本当は俯瞰する自分自身は気づいている。
「先輩、今日ぜんぜん笑ってくんないっすね」
「
……
あ?」
風邪で熱があって辛いし、喉は痛いし、関節の軋みも出てきたし、こんな状態で笑えるか。
そうは思っても声にはならない。そんなのは全部うそだと分かっているからだ。
本当じゃない。
本当は。
「
……
だっ」
喉がかすれてさらに上ずった。
「だって、せっかくお前と遊びに行くはずだったのに
……
」
楽しみすぎて前日に熱を出して、そのまま風邪まで引いてしまうなんて。
情けなくて自分に腹が立つ。
もしょもしょと半分口の中だけでぼやいた言葉に、サクラがちょっときょとんとして、それからフキの言葉を咀嚼しきった様子でこれはまいったと相好を崩した。
「え、じゃあ先輩、私と遊べなくなったからって私に八つ当たりしてんすか!?」
「マジかー!」大口を開けて笑い、それどころか後頭部が床にくっつかんばかりにのけぞるサクラ。そこまでされたらさすがにフキもムッとして、「わりぃかよ!」苛立ちのままに肩へパンチを食らわせた。
「先輩、なんすかそれ可愛すぎ」
サクラがひーひー言いながら目尻に浮かんだ涙を拭う。この人が可愛くて仕方ないという風情。フキは熱とは違う理由で顔が赤くなっていくのを感じる。「サバゲじゃ十人がかりでも勝てない鬼のフキさんが!」とうとう身体を折り、腹を抱えて笑い出した。今すぐ部屋から叩き出してやろうか。
しばらくしてサクラがようやく少し落ち着き、それでも顔をベッドにうずめてこらえている。震える背中をどうともできずに見つめながら、やっぱりこいつの誘いになんか乗るんじゃなかったと後悔するフキだ。
鬼の春川だのなんだの言われているのは知っている。鋭い目つきと容赦のないプレイスタイルで、サバイバルゲームの界隈ではちょっと知られた存在だった。サクラと出会ったのはそんなゲームの会場である。まだ高校生だったサクラがサバゲー体験のイベントに申し込んできて、サポート要員としてイベントを手伝っていたフキが担当したのがきっかけだった。
それ以来、なぜか懐かれ、大学は同じ学部を選んできたしサークルも当然のようにフキのいるサバゲーサークルに入部した。それからずっと、なんだか、微妙な付かず離れずな距離を保って接してくる。
その距離が崩れた。
シーツに顔を押し付けたまま、サクラがふう、と長めに息を吐き出した。
「
……
そういうことだと思っていいっすかね」
「知らん」
「なんですかその答え」
「知らん。お前が決めろ」
「うわ、ずっる」
じゃあ今度ふたりで遊びに行ったときにちゃんと言います。
シーツごしのもごもごした声だったのに、いやに輪郭の冴えた言葉としてそれはフキに届き、「
……
ん」とらしからぬ返答を引き出すに至った。
「だが、今日の約束を破っちまったことはちゃんと詫びる」
「いやいや、いいですよそんなの」
「なあなあにすると私の気が済まないんだよ」
ゆるりと顔を上げたサクラが、それでもまだ顎はベッドに乗せたまま、小さく唇を尖らせる。なんだかおやつを待っている犬みたいだった。
「
……
そんなら、今度キスの一回でもしてもらえたら御の字ですかねえ」
「
……
あ?」
「まあいつでもいいんで。そのうち」
勢いで言ってから照れたのか、サクラが身体を起こして赤くなった顔を逸らした。そのまま立ち上がろうとするのを腕を掴んで引き止める。ん、とサクラは少し不思議そうな顔をして、それからこちらの眼差しに含まれたものを見て取ったのか、瞳の奥の色をわずかに濃くした。
「それでいいのか?」
「
……
ぅ、はい
……
」
「分かった。ただ、ちょっと気持ちに余裕がなくてな。今でもいいか?」
「
…………
大丈夫、です」
掴んでいた腕を引き寄せて、逆らわずに近づいてくる首を逆の手で捕らえた。
「目、瞑れよ」
「は、はい」
ぎゅっと力いっぱいまぶたを閉じる姿に苦笑しながら唇を重ねる。
熱のせいで少しかさついている唇が、サクラのふくよかな唇と触れ合って潤みを得る。
いつもうるさくて生意気な後輩が今ばかりはおとなしく、フキのなすがままになっている。
「────っ?」
と思ったらサバゲーで鍛えられた身体でベッドに押し倒された。
手を取られてくさびみたいにシーツに押し付けられる。
必死そうな表情が少しおかしくて、ふっと思わず吹き出す。
「あ、やっと笑った」
「うるせえ」
「やっぱり、今言ってもいいですか?」
「かまわんが、熱でぼーっとしてんだ。明日には忘れてるかもな」
「じゃあ明日も言います。明後日も、その次の日も」
「なんだよそれ。鬱陶しいな」
「駄目ですかね」
しゅんとしっぽを垂れる犬みたいな表情になるから、抱きしめて大型犬をなだめるみたいに背中を撫で回した。
「ばーか」
押し倒すだけで何もしないヘタレの鈍い飴色の髪を両手でグシャグシャにする。
「一生言ってろよ」
これでサクラに風邪がうつったりしたらきれいなオチがついたのにな、と、すっかり熱も引いたフキはその日八回目の愛の言葉を聞きながら、元気いっぱいの恋人に十六回目のキスをした。
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