黒竹
2023-08-28 23:39:15
5700文字
Public リコリス・リコイル
 

まだ約束じゃない

【乙女サクラ】【春川フキ】

 喫茶リコリコのカウンターの端っこに陣取り、乙女サクラは斜め前を視線だけで見やる。
「千束、六番さんお会計です」
「あいよー」
 視線の先には同僚ふたり。今は客と店員の関係だが、お互い、人知れず日本の危機を救うエージェントという姿もある。その、トップクラスのファーストと、相棒のセカンド。サクラとはなかなか因縁浅からぬふたりだった。
「千束、スペシャルパフェがあと三つでオーダーストップです」
「オッケー」
 ふぅむ、とひとつ唸る。その瞬間、セカンドが胡乱な目つきでこちらを見てきた。「なんです?」
「なにがっすか?」
「さっきからこっち見て何か言いたそうにしてますけど。何か気になることでもあるんですか?」
 盗み見に気づかれていたらしい。殺気を発しているわけでもなく、挑発しているわけでもなかったので、喫茶店の店員としての仕事を優先して無視することにしていたようだ。残っていた客が帰り、仕事の切れ目ができてようやくこちらの相手をする気になったらしい。
 サクラは半分ほど空けたあんみつを匙ですくって、「別にぃ」と肩をすくめた。
「呼び捨てにしてんすね、と思っただけっす」
「? ああ、千束のことですか? それがなにか?」
「いや、一応あの人ファーストでしょ、あんなんでも」
「聞こえてるぞ小僧。『一応』と『あんなんでも』は余計じゃわ」
 キッチンから首だけ伸ばして口を挟んできた千束に挑発的な笑みを見せて、ハッと鼻で息をする。
「こりゃ失礼しました。電波塔をぶっ壊したうえ、DAを勝手に出てってろくに仕事もしない問題児を『あんなん』って呼んじゃいけないとは習ってなかったもんで」
「こっ、このガキ……っ」
「安い挑発に乗らないでください、千束」
 やや呆れがちにたきなが割って入ってくる。いつぞや、自分もまあまあ「安い挑発」に乗ったことは棚上げしているようだ。
 たきなは伝票をまとめてからミカに呼ばれて一度奥に入り、戻ってきたら手に湯呑みをひとつ持っていた。「サービスです、店長から」温かいほうじ茶が入れられた湯呑みを目の前に置かれて、「どもっす」と軽く礼を言う。素直に礼をしたのは、それがミカの厚意だったからで、きっとたきなの意思で出されたものなら皮肉のひとつも言っていた。それが分かっているのか、たきなはサクラの言葉に反応せず、少し何か考え込むような仕草を見せた。
「最初は千束さんって呼んでましたけどね」
「おっ、なんだか懐かしいねえ、その呼び方」
「ああそうだ、ちょうどあなたたちと模擬戦をした日からですよ、千束って呼ぶようになったの」
「そうなんすか?」
 つられて模擬戦の結末を思い出してうっかり苦い顔になった。とはいえ、実力通りだったとは思っていない。少々向こうを侮りすぎていただけで、本気を出したら結果はもっと違っていたはずだ。きっと。
 それでも自分があの時足を引っ張ってしまった自覚もあるので、下手につついても仕方ないと模擬戦については深く言及しない。
「どういう心境の変化で? あ、あれっすか、歴代最強のリコリスって聞いて期待してたのに、実際会ってみたら思ったより大したことなかったとか?」
「いちいち失礼なヤツだな、キサマ」
「そうですね……ああそうだ、千束、今思い出したんですけど砂糖が切れそうなので納戸から予備の分を持ってきてもらえますか?」
「ん、いいけど。小僧、たきなのこといじめんじゃねえぞ」
 またいじめたらただじゃおかんからな、と釘を刺してから千束が奥の納戸に向かう。いや単純すぎるでしょ、と内心で呆れる。たきなが席を外させたがったから出した言い訳なことは明白なのに、疑いもしないで言うことを聞くなんて。
 千束の気配が消えたことを確認してからたきながこちらに向き直る。
「さっきの話ですけど、逆ですね。尊敬できるところもあるって分かったから、対等になりたかったんです」
 ふと柔らかく微笑んでたきなが言う。あ、無意識だこれ。あのファーストほどではないが観察眼の鋭い乙女サクラはそう察して目をすがめた。
「あと、いつまでもさん付けで呼んでると千束が拗ねて話にならなかったので」
 ただでさえ非常識で扱いにくいのに、そんなことで煩わされるのも非効率的でしょう。
 やれやれとでも言いたげな態度だったが、おそらく千束が聞いていたら「その台詞、そっくりそのまま返しちゃるわ」とでも言っていたと思う。
「それ、どんな感じで呼び方変えたんすか? 今から呼び捨てしますよ、みたいな?」
「いえ、別に……普通です。帰る途中で呼んだだけ。千束もなにも言ってこなかったし」
 サクラは音を立ててほうじ茶をすすりながら黙考する。
 先輩、と、敬称なしに呼べないあの人のことを、自分はどう思っていて、どうしたいんだろう。



「フキ」
「あ?」
 凄まれて思わず両手を胸まで上げた。
……先輩。フキ先輩」
「なんだよ」
 トレーニング帰りのフキはシャワーを浴びて濡れた髪をタオルでガシガシ拭きながら訝しげな顔をしている。サクラの行動表を確認し、「今日の任務でなんかあったか?」今日は新しく結成された裏組織の偵察任務だった。人数も少ないし構成員の危険度も低いからお前ひとりでも大丈夫だろう、とフキに任されたものだった。実際、メンバーのひとりを尾行してあっさりアジトを発見したし、取引ルートも判明した。簡単な仕事だった。それこそ、帰りに時間が余ったからあんみつを食べに行けたくらいに。
「え、えーっと、先輩、トレーニングしてたし腹減ってません? あーしもちょっと甘いもの食べたいんで、食堂行ってかりんとうもらって来ようかな~って」
「ああ……そうだな、私の分も頼む」
「了解っす」
 ひょいと軽快に立ち上がって部屋を出る。足早にドアを離れて食堂に向かいながら、背を落ちる汗を意識していた。
「め、めっちゃ緊張した……
 なんであいつ、あんなに平気で呼び捨てにできんの?
 しかも結局は誤魔化してしまったし。いやだってフキさんなんか怒りそうだったし。あの人怒るとめちゃくちゃ怖いし。
 そもそもフキを千束と同じように考えることに無理がある。正反対だろう、どう見ても。フキ自身、楠木司令に対する礼儀にはものすごく厳しいし、それをこちらにも求めてくる。サクラもたまに司令に生意気な口をきいては叱られているのに、後輩がいきなり呼び捨てにして怒らないわけがない。ちょっと今のは拙速だったな、とひっそり反省。
 食堂でシェフご自慢のかりんとうを二人分もらって部屋に戻ると、フキの髪はすっかり乾いていた。秀でた額があらわになっていて、そのせいで鋭い目つきがいやに目立つ。舐められなくていいだろ、と本人はなにも気にしていない。頭半分くらい低い位置からあの目で睨まれると未だに身がすくむ。
 フキがサクラの手元を見やってかすかに眉をしかめた。
「持ってきすぎだ。どんだけ食うつもりだよ」
「いやあ、成長期なもんで」
「あぁ?」
「あ、いや、横に……?」
「駄目だろそれは」
 くっと口元を苦笑いの形に歪めてフキがツッコんでくる。「いやいや、その分世界に占めるあーしの割り合いが増えますからね」「意味ねえだろ」フキがかりんとうを受け取りながら頭を叩いてきた。いてて、とおどけたポーズで痛がるふりをすると、ぐしゃりと髪の毛をかき混ぜられた。
「少し控えないとほんとに横に成長すんぞ。リコリコでも食ってきただろ」
「えっ、な、なんのことっすかねえ」
「腹。出てっぞ」
「はあ!? あんみつ一杯で出るわけないでしょ!?」
「やっぱり食ってきてたか」
 引っかけられた。普段ならこんなミスはしないのに、どうも今日は調子が悪い。
 フキは呆れてはいるようだが叱るつもりもないようで、それきりサクラには声をかけず、かりんとうを自分の机に置いてつまみ始めた。サクラも自分のベッドに腰かけてもそもそとかりんとうを口に入れる。一流シェフの手作りであるそれはさすがのおいしさだけれど、こればかりでは飽きるというのは向こうのファーストと同意見だった。
「──千束になにか言われたか?」
「え?」
「さっきから面白くなさそうな顔して。どうした、なにかあったか?」
 もともとの鋭い目つきが柔和に細められて、話してみろと顎をしゃくられる。サクラは叱られてもいないのに無意識に首をすくめた。
「別に、なにも言われてないっす。ああ、相棒いじめんなとは言われましたけど」
「相変わらずたきなを甘やかしてんのか、あいつは。そんなだから命令違反に独断専行でDA追い出されんだってのに」
 殴り飛ばしたのだと、聞いた。命令を無視してターゲットを皆殺しにしたたきなを、全力で、ひと月は青あざが残るくらいに。
 それは単純な怒りからだったのかもしれないし、あるいは、そうやって先に罰を与えることで上層部の温情を狙っていたのかもしれない。いや、やっぱり怒ってただけかな。組んでまだ数ヶ月ながらフキの性格を細かに把握しているサクラは思い直す。
 じゃあ、今は、今のは。
「勝手にリコリコ行ったこと、怒らないんすね」
「あぁ? なんだよ、いきなり」
「命令違反ですけど」
「命令っつーか、任務外行動だろ。たしかに褒められたもんじゃないが、そのくらいなら楠木司令に報告するまでもねえよ」
 どこか訝るような眼差しが少し不満だ。
 手を抜かれているような気になる。
 ガリリとかりんとうを噛み砕いたらかけらがいくつも床に落ちた。「おいおい、ちゃんと後で片付けろよ」ここは私の部屋でもあるんだからなと諌めてくるフキに、真正面から眼差しを向ける。
「あーしはね、フキ先輩を超えるファーストになりてぇんすよ」
 真正面から眼差しを受け取ったフキは力の抜けた顔でわずかに眉を上げた。
「お前それ組んだときから言ってるよな。ああ、超えられるように頑張れ」
「本気ですよ」
「こっちだって本気で聞いてる」
「そうは見えませんけど」
「そりゃお前の思い込みだ。お前が、私に侮られてると思い込んでるからそう見えるんだよ」
 ガリリ、ガリリ、続けざまにかりんとうを噛み砕く。フキが小さくため息をついた。
 思い込み、それは正しいのだろう。射撃の腕が本部でも上位だと褒めてくれるし、連携も取りやすいと言ってくれるし、ひとりで任される仕事も増えてきた。
 そういうのが、そういうのと、フキを先輩としか呼べない自分が相反する。
「サクラ」
「あいつらは!」
 皿に手を伸ばしたらかりんとうはもうなかった。
「あいつらは、いつでも二人で任務に当たってました!」
「あ? ああ、千束とたきなのことか? まああそこは遊撃隊っつーか、特殊な役回りだからな。一人で出てラジアータのバックアップなしに動くのも危険だろ」
 それはそのとおりなのだ。自分たちは任務中であれば常にラジアータに補足され、状況を把握されている。危険が迫ればすぐに助太刀が手配されるし、負傷すれば救護班も駆けつけてくれる。
 でもその映像を見られるのは自分たちではない。
「サクラ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
 ぐぅ、と喉が鳴った。顔をあげられなくて空になった皿を無意味に取り上げていじる。
「──せ、先輩を超えるには、先輩がどうやってるかよく見て分析しないといけないのに、最近、あーし一人で任務につかせること、多くないっすか……
 フキは不可解そうな顔でサクラを見つめていた。不可解そうではあるが、不快そうではなかった。回想するように目を細めながら天井を見上げる。そういえばそうだったかな、と独り言を洩らして、顎先を指で撫でた。
 椅子に横座りし、背もたれに肘を乗せた姿勢で、ふむと息をつく。
……そうだな。お前が成長するのはDAにとっても有意義だし、私が実地で鍛えてやるほうがいいかもしれん」
……っす」
 立ち上がったフキがうつむいたままのサクラの髪をぐしゃぐしゃ撫でた。自慢の髪型が崩れるじゃないっすか、と不満をぶつけたかったのに、何も言えなくてただ撫でられるままになる。
「まあ、精々がんばれよ、相棒﹅﹅
 笑声混じりのエールは明らかにこちらをからかっていて、この人性格悪いわーと自分のことを棚に上げて思った。
 不意にフキのスマートフォンが振動する。「っと、任務だ。お前が偵察してたグループの一部が動いたらしい」サクラの頭から手を離してさっと身を翻すフキ。
 あの連中なら大したことはない。サクラひとりか、サードを数人あてがえば充分だろう。ベッドに座ったまま、伺うようにフキを見ていると、振り返った彼女は呆れ顔で吐息をついた。
「なにしてる。さっさと準備しろ」
「せ、先輩も……
「さっき言ったばかりだろうが。当然私も出る」
「は、はいっす!」
 わたわたと立ち上がって装備を揃え、乱れた髪を直してフキの隣につく。DAからの指示内容を確認してからフキがこちらの胸を軽く叩いた。
「よし、行くぞ」
「うっす」
「いつかお前が私を超えたら、その時は呼び捨てにしても怒らないでやるよ」
 うぐ、と声を詰まらせる。さっきのチャレンジ、やっぱりバレていたらしい。
……了解です。フキ先輩」
「ま、そのためにも精々必死に横で見てろ。特別に期限は切らないでおいてやるよ」
「え?」
 それって。
「ず、ずっとフキ先輩の相棒にしててくれるってことっすか?」
「お前がファーストになるまでな。その頃には私を超えてんだろ?」
……っ、はいっす! よーしやりますよー!」
 腕をぶんぶんと振り回しながら気合を入れると、フキは「うるせえ」と苦笑しながら尻を蹴ってきた。
 まあまあ痛かったので軽く飛んで痛みを逃している間、フキは苦笑いのまま、この可愛げのない後輩にあいつの百万分の一くらいは素直さがあってもいいんだが、と内心で思っていたのだけれど、もちろんサクラはそんなことに気づきもしない。