黒竹
2023-07-10 00:29:29
6619文字
Public プロセカ
 

てのひらの向こうで待ってて

【プロセカ】【みのはる】

 クラスメイトが数学の教科書を忘れてこはねに借りたというので、ちょうど次の配信についてみのりに確認したいことがあったからついでに返してくるよと教科書を預かった。丁寧に扱われている教科書は傷も破れもなく、開いたときにできる折り癖だけが強い。
 A組の教室を覗くと、こはねは自分の席でスマートフォンを眺めていた。誰かとやり取りをしているのか、動画やなにかのサイトを見ているのかと思ったが、声をかける前にちらりと見えた画面はそのどれでもなかった。
「────こはね」
「あ、遥ちゃん? みのりちゃんなら先生に呼ばれて職員室だよ」
「え? みのり、どうかしたの?」
 なにか問題が起きたのだろうかと気色ばむ遥に、こはねがひゅるりと気の抜けた笑みを見せる。
「先生の親戚の子が、モモジャンの配信を見てすっかりみのりちゃんのファンになっちゃったんだって。それで、サインがほしいってお願いされて」
 説明を受けた遥も想像とは全然ちがう事情だったからほっと息をついた。
「そうなんだ、良かった。そんなふうに言ってもらえて嬉しいね」
「みのりちゃんもすごく喜んでたよ。サインは、いいんだよね?」
「うん、そういうのはそれぞれ自分で考えて線引きを決めようって話し合ったから。みのりがオーケーしたなら大丈夫だよ」
 まあ先生のほうはある種の職権濫用では、と思わなくもないが、サインくらいなら大丈夫か。みのりが何日も頭を悩ませていたサインだ、披露できるチャンスなら歓迎したい。
 それにしても、遥の顔を見ただけでみのりに用があるのだと判断されるのはなかなかこそばゆい。もちろん、こはねは自分たちがアイドル活動をしていることも知っているのだから、そっちの用件なのかと思うのは当たり前だけれど。
 それはそれとして、目の前の小豆沢こはねとも良い友人関係でいるつもりなんだけれど。
「はい、うちのクラスの子が借りてた教科書、預かってきたよ。こはねに今度お礼するねって」
「ありがとう。お礼なんていいのに」
 少しだけ首をすくめるこはねに微笑みかけ、そのままこはねと世間話をしていてもみのりが戻ってくる気配がなかったから、確認はあとでメッセージを送っておこうと自分の教室に戻った。
 とりとめのない話の中、こはねのスマートフォンの話題は出さなかった。
 廊下を歩きながら思い出す。
 こはねが見ていたのは待ち受け画面だ。
 時計を確認しているにしては長すぎる時間見つめていたそこには、真剣な表情で前を見ている花里みのりの横顔があった。


 自宅で愛用のダンベルを上下させながらひとり黙考する。
 こはねとみのりの仲が良いのはずっと前から知っていることだ。高校生になって初めて話した相手で、一番に仲良くなったクラスメイト。己と杏ほど長い付き合いではないけれど、それでもずっと一緒の友達、と言って良いだろう。
 だからって写真を待ち受けにするだろうか?
 これが二人や志歩を入れた三人の自撮りなどなら分かる。遥も一時期は杏も含めた四人でフェニックスワンダーランドへ遊びに行ったときの記念写真をグループチャットの背景画像に設定していたし、みのりもたまにそういうことはしていた。
 しかし、あの写真はそういうのとはあまりにも毛色が違う。一人だけで、カメラ目線でもなく、ちらりと見ただけだから確実なことは言えないけれど、どこかの観光スポットの記念写真とは思えなかった。それにあの真剣な表情。あんな顔をしているみのり、いつどこにいたっけ。
 こはねは確か、以前はチームのみんなと、それから一緒にイベントをしているという人たちが集まった写真を待ち受けにしていたはず。初めて自分たちでイベントをしたんだよ、と照れながら教えてくれた。それと、クラスメイトのソロショットではギャップが大きすぎる。
……こはねに限って、まさかとは思うけど……
 みのりは最近ファンも増えてきて、ますます輝いている。応援してくれるみんなの影響でアイドル自身が磨かれるのは自身の経験でも覚えがあるところだ。
 つまり、最近のみのりは、すごく可愛い。
 待ち受け画面を見ているこはねはどこか憂いを帯びた微笑みで、こころなしか瞳が潤んでいた気がする。あの表情を、どう捉えるべきなだろう。
 まさか。
 ずっとそばにいた子の本当の魅力に気づいた、的な。咲希が読んでた少女漫画にそういうのがあった。
 ダンベルアームカールは何回やったか分からなくなっていた。


 あのお、と、みのりに遠慮がちに声をかけられて、はっとそちらに顔を向ける。少しぼんやりしていたみたい。練習の合間に一息ついていたタイミングだったから気が抜けてしまったのかも。
「ごめん、どうしたの?」
「あ、ううん、さっきのフリのところちょっと見てほしかったんだけど、遥ちゃん疲れてるみたいだし、練習再開してから愛莉ちゃんたちにお願いするね」
 休んでるところ邪魔してごめんね。やや遠慮がちな視線に首を振ることでそんなことないと答え、手にしていたタオルで無意味に額を拭った。
「ちょっと考え事してただけだから。みのりが気にしてるのはここの腕の動き?」
「うん、そう! すごい、なにも言ってないのに分かっちゃうんだ」
「さっきの練習中、なんとなくそこを気にしてるみたいだったから。あそこはね、こうして……
 隣に腰を下ろしてきたみのりに実演してやりながら教えると、彼女は目をキラキラさせて両手を組み、感動の面持ちで見つめてきた。「遥ちゃん、かっこいい……」できれば顔ではなく腕の動きを見てほしい。いや顔を見てもらえるのも嬉しいんだけれど。
「で、ここだけ裏拍になるから、このタイミングでこう」
「そっか、そこで切り替わるんだ! ありがとう遥ちゃん、やってみる」
「でも今はちゃんと休もうね。みのりの頑張り屋さんなところは好きだけど、無理はしちゃだめだよ?」
「っ! ひゃ、ひゃい……
 褒めた時の反応もいつもどおり。特にこはねとなにかあったようには見えない。ということは、あれはこはねの秘めた行動だったということで、つまり、それは。
 また『ぼんやり』してしまいそうで、みのりに悟られないようそっと歯の裏側を舐める。かすかな刺激が思考をクリアにした。
 いや、そもそも彼女の反応を見るためにわざと「好き」なんて言うのは失礼だ。己の弱さにため息が出そう。本当に出してしまったらみのりに心配されるからこらえる。
 別に、ただのちょっとした興味本位みたいに聞いたって良かったのだ。「あれ、みのりを待ち受けにしてるの?」全然おかしな質問じゃない。グループの仲間の写真が見えたから尋ねてみた、それだけのことになるはずなのに。
 聞けなかったのは自分の気持ちが原因で。
 あさましくて嫌になる。
 休憩時間はあと五分くらいあった。屋上での練習に、最近の暑さの影響は大きくて、倒れてしまったら大変だから休憩を眺めに取ろうと四人で話し合って決めたのだった。いつもならみのりと楽しくおしゃべりをしているとあっという間に過ぎてしまう時の流れが今日は遅い。
「あの……みのり」
「ん? なぁに?」
「こ、こはねとは、最近どう?」
 我ながらひどい質問の仕方だった。
 ちらりと横目でみのりを伺うと、やっぱり彼女は不思議そうな顔をしていた。
「どうって、特になにもないよ? 志歩ちゃんたちのバンドのライブに一緒に行ったり、学校で一緒にお昼食べたり、仲良しだよ?」
 みのりは、こはねと仲違いをしたと誤解されたのだと思ったらしい。安心させるように話してくれたそれらは遥もとっくに知っていた。要するにそれくらいしか話すことがないのだ。今までと同じように仲良しだから。
「そ、う、だよね」
「遥ちゃん?」
 みのりに目を覗き込まれて、己の瞳の奥底にあるものを見つけられそうで焦燥感を覚えた。
「みのりちゃーん、お客さんよ」
 ほんわかした雫の呼び声に遥も目線をそちらにやると、通学リュックを背負ったこはねが佇んでいた。「あ、こはねちゃん」隣でみのりが声を弾ませる。
「お邪魔します。今、大丈夫だったかな」
「うん。ちょうど休憩してたところだよ」
 こっちまで来たこはねがホッとしたように肩を下ろして、みのりに自分のスマートフォンを見せた。一瞬、遥の心臓が跳ねる。え、あの待ち受け画面を本人に?
「こはねちゃん、やっぱりそれ、ちょっと恥ずかしいよぉ」
「ふふ、でもみのりちゃんはアイドルなんだから、ファンの子もしてるんじゃないかな」
「そういうのとは違うよぉ〜」
 全身で照れているみのり。あの様子からすると、こはねの待ち受け画面のことはもう知っていたらしい。
 ということは、どういうことだろう。
 そろそろと片手を上げてアピールし、こはねとみのりの視線がこちらにそそがれたところで、遥はゆっくりと口を開く。
「あの……こはね、どうしてみのりの写真を待ち受けに?」
 ツーショットでもなく、笑顔でもなく、それどころかカメラ目線でもない、言ってしまえば隠し撮りみたいな構図の写真。
 どうしてそんな写真を、という遥の意図に気づいていないのか、こはねは小首をかしげながらスマートフォンを操作して動画を開いた。
「この前、みのりちゃんが自主練したいって言ってて、動画に撮って見返すと分かりやすいよっていう話をしたんだ。私もチームの練習とかでよくやってたから、撮影して、見る時に分かりやすく編集したのをみのりちゃんにあげる約束してたの」
「う、うん」
「編集作業してる時に、すごくいい表情があったから、そこだけ画像にしてみのりちゃんに送ったんだけど、私もこのみのりちゃんの写真、見てると元気出るなって思って。その……今、チームのみんなも、イベントを作ってるみんなもショックなことがあって元気がなくて。私も家にいる時とか、みんなの写真だとそのことを思い出しちゃうから……
 それで、みのりの写真にして元気をもらっていたのだとこはねは言う。みのりは隣で照れていた。
「そ……っかあ……
 少女漫画とかどこにもなかった。こはねにとって花里みのりは「明日を良い日にする元気をくれるアイドル」だった。それだけの話だった。
 それは自分たちが目指すものだ。王道であり、真っ当である。ひとりで葛藤していたのが馬鹿みたい。
 こはねが持っているスマートフォンの画面では、真剣に同じフリを繰り返すみのりの姿が映っていた。
 思わず手のひらで顔を隠してため息。
「遥ちゃん、どうしたの? 頭が痛いの?」
「ううん、ちょっと自己嫌悪中……
「ええっ!? 遥ちゃんが自己嫌悪するなんてっ、何が、何がそんなに遥ちゃんを悩ませてるの!? わたしにできることあるかな!?」
 慌てふためくみのりが両手を拳に握りしめてぐいっと迫ってきた。
 指の間からみのりを目だけで捉えて、うぅ、と無意識の喉の奥で唸った。
……私も、その写真ほしい」
「え?」
「こはねが待ち受けにしてる写真」
 少し拗ねた口調になってしまっただろうか。子供っぽいやきもちだとバレていないといいんだけれど。
 こっちだって。
 こはねより出会いは遅かったかもしれないけれど。
「私にとっても、みのりは元気をくれるアイドルなんだから」
 だから、そういうの、くれたっていいでしょう?
 目で訴えるとみのりは夏の暑さですら及ばないほど真っ赤になって、ブンブンと激しく首を振った。
「だってこれ、メイクもしてないし髪もボサボサだし、せめて自分なりに可愛く映ってる写真にさせて〜!」
「みのりちゃん、これ、すごく素敵だよ? もっともっと、って言ってるみたいな、まっすぐ前を見てるみのりちゃん、かっこいいと思うな」
「うん。すごくいい表情だと思う」
 こはねが加勢してくれて遥も勢いづくと、みのりはアワアワしたまま気弱に眉を下げ、上目遣いにこちらを見やってきた。
「じゃ、じゃあ、つまらないものですが、どうぞ……
「ありがと。こはね、私のスマホに送ってくれる?」
「うん、今送るね」
 ベンチに置いていたスマートフォンから軽快な音が鳴り、メッセージアプリに写真が送られてきた。いそいそと保存して待ち受けに設定してみる。かっこいい。
 こはねが画面を覗き込んで「おそろいだね」とややいたずらっぽい口調で言ってきた。そう言われればそうだ。思いがけず友達とおそろいになって、それも嬉しい。みのりは恥ずかしさに身悶えていた。
「あの……代わりと言ってはなんですが……わたしも遥ちゃんの写真、待ち受けにしたいなーなんて……
「え? いいけど……せっかくだし私もみのりに何かあげようか」
 もらってばかりなのも悪いし、と画像フォルダを呼び出してスクロールする。そうは言ってもプライベートでソロ写真を撮ることなんてほとんどないし、一歌や咲希と撮ったものは勝手にあげるわけにはいかないし、なかなか見つからない。
 しばらくスクロールしていって、ふと手を止める。
「あ、前に杏がうちに来た時に撮られたのがある。こんなのでいいかな」
「杏ちゃんが? ……ひょえええ!!」
 画面を見たみのりが直後、突如として真上に重力が生まれたかのように仰け反った。「遥ちゃんの、寝顔〜〜〜!!」これ以上直視してしまったら眩しさで目が潰れてしまうと大慌てで両目を手で塞ぐ。まさかそんな反応をされるとは思っていなかった遥は、スマートフォンを持ったまま目をパチクリさせた。
「うたた寝してる間に私のスマホで杏が勝手に撮ったんだよ。他にも杏の自撮りとか、よく分からない何かのアップの写真とか……
「つ、つまり、これは他の誰も持っていない、世界に一枚の写真ということ……!?」
「電子データだから一枚ってわけじゃないけど、こんな写真、他の子になんてあげないよ」
 肩をすくめながら答えると、みのりはさらに上方向からの引力が増したように背中を仰け反らせた。身長が十センチくらい伸びたかもしれない。
「スペシャルスーパーレア……! 期間限定星四……!!」
「これでいい?」
「もちろんでしゅ! 家宝にしましゅ!」
 家宝はもっと違うものにしたほうがいいと思う。
 そう、たとえば。
 差し出していたスマートフォンを戻して、流れるようにみのりの肩に腕を回した。
「え?」
「はい、ピース」
 肩に回したほうの手でピースサインを作り、とびっきりのアイドルスマイルでウィンク。
 次の瞬間、手前に掲げたスマートフォンからシャッター音がして、きょとんとしたまま中途半端なピースサインをしているみのりと、国民的アイドルそのものな遥の写真がフォルダに吸い込まれた。
「え、ええ〜!?」
「これも送るね。好きな方を使って?」
「そ、そんな、究極の選択すぎるよぉ……!」
 自分のスマートフォンに送られてきた二枚の写真を見比べて、「どっちも国宝級……!」と身悶えるみのり。家宝から国宝にランクアップしていた。
 眠っている無防備な姿と、完全なアイドルとしての姿。
 どっちが好きだと尋ねたらどっちも大好きと返ってくるに決まっているんだけれど、聞いてみたくなるのが恋心というもので。
「ねえみのり、どっちがいい?」
「え、選べないでしゅ……! 日替わりでもいいかな……?」
 やっぱりそうだよね。それは嬉しいことのはずなのに、なんとなくモヤモヤしてしまって、みのりを困らせてしまったことにも後悔が生まれる。
「それに、一番好きなのは、MORE MORE JUMP!の隣で歌ってくれる遥ちゃんなので……
「みのり……
 これは、完敗なのかもしれない。なにに、というのは少し複雑で言葉にできないけれど。
 おそらくは夢のようなもの。
 けれど彼女がそれを選んでくれることはどうしようもなく嬉しい。
「そうだね。私もMORE MOREJUMP!の隣で希望をくれるみのりが好きだよ」
 赤みの差した頬に触れるとみのりはへへと照れ笑いをした。
 その表情が好きだった。
「────────」
 寝顔の写真よりも誰にも見せられない秘密がある。
 その秘密は、まだしばらく秘密のままにしておこう。そう、決めた。