黒竹
2022-12-19 20:35:38
22634文字
Public プロセカ
 

Harvest

【プロセカ】【MORE MORE JUMP!】
和風パロ。

 家から見える大きな山の最奥には神様がいるのだと幼い頃から聞かされていた。人の足で何日もかかる奥の奥に社があって、そこに龍神様が祀られているのだと。龍神様の加護のおかげでこの村は飢饉にもならず疫病も流行らず平和に暮らせているのだから常に感謝しなさいと父親は口癖のように言っていた。
 十五になる頃、大人たちの集まりに呼ばれて集会所に赴くと、彼らの顔つきが一様に強張っていることに息を飲んだ。
 しきりに額の汗を拭う父親の隣で正座する。正面にいる長は落ち着いた表情に見えたけれど瞳だけがいやにつるりとしていて、彼の孫が不意の事故で亡くなった時に同じ目をしていたことを思い出した。
 それでなんとなく察してしまった。私が死ぬのか。
……遥」
「はい」
 父親が握っている手ぬぐいはもう汗を吸い込む余裕がないようで、折った隅からポタポタ水滴が落ちていた。その中に、汗ではないものが混じっている。それとは正反対に遥は全身から水分を抜き取られたような感覚があった。身体じゅうが乾いていている感覚。椀に一杯の水があればどれほどありがたいだろう。
 ぐう、と隣から低い唸り声が聞こえる。母親を早くに亡くして男手ひとつで育ててくれた父親の静かな慟哭に初めて哀しい気持ちになった。「お父さん」そっと膝に手を置いて、震える肩を撫でた。
 数十年に一度、龍神様に世話役を送る習慣がある。
 よく晴れた日に一条のいかづちが落ちるのが龍神からの要請のしるしなのだと言う。そういえば十日ほど前にひどく大きな音と稲光に襲われた。その時はたまたま家にひとりでいたから少し驚いただけだったが、あれを見聞きした大人たちは何を思っただろうか。
 世話役には村で最も見目麗しく、最も美しい舞をする女が選ばれる。龍神が美しいものを好むからだとよく言われていた。それがどういう意味なのか、大人たちの口調から察するのはもう難しいことではなかった。
 数十年に一度の、それもいつ来るかも分からない風習だ。前に行われたのかいつなのかも遥は知らない。もしかしたら父親ですら知らないかもしれない。
 だからなのか、あまり実感がない。自分が選ばれて、これから数日のうちには龍神に供されるのだと理解してもなお、明日からも今日と同じ毎日が続くのではないかと、そんなふうに思えてしまう。現実逃避をしているだけなのだろうか。
 死ぬのは怖い。まさか龍の口でばくりとひと口、となるのだろうか。なんといっても村を守ってくれている神様なのだし、もう少し恩寵があってほしいものだ。
 長が淡々と説明しているのを神妙に聞きながら、遥は見たこともない龍神の恐ろしさから目を逸らし続けていた。



 そぼ降る雨の中、輿に乗せられて山を進む。少女の足では到底たどり着けないような山奥に社はあるのだから当たり前だ。一人で行けと言われたらきっと途中で力尽きていたに違いない。そういう意味では、これはれっきとした儀式なのだ。一人放り出してあとは知らぬふりというわけではない。
 口減らしなど必要のない村だ。気候は穏やかで病もほとんどなく、冬の厳しさはつらいが蓄えがあるから飢えや寒さに苦しむ者もない。
 それらがすべて龍神様のおかげなのだと輿を担ぐ男のひとりがずっと話し続けていた。遥を慰めているつもりなのかもしれない。そんなありがたい龍神様のもとに行けるお前は幸せものだと、だから心配しなくていいと何度も繰り返している。遥は無言でいた。彼のことは小さい頃から知っていたので、それが彼の本心ではないことも気づいている。
 ただ一言、社に入る前に、「明日もいい日になるよ」とだけ告げた。
 私が神様に捧げられるのだから、明日も今日と同じように良い日だと、そう言って、笑った。
 雨の湿気で蒸し暑かったのに、社に入るとひやりと空気が冷たくなった。龍神は水を司る神様だから涼しいほうがいいのかもしれない。
 がらんとした広い板間に膝をつき、深々と頭を下げる。
「龍神様、本日より世話役を務めます、遥と申します。お目見え願えますでしょうか」
 まず名乗れ、と長から強く言われていた。こちらから名を告げるのが礼儀なのだと何度も忠告されていたので早速名乗る。聞こえているのだろうか。板間には逆側に扉がひとつあるきりで、本尊のようなものも見えないしもちろん気配ひとつ感じられない。
 床についた前髪が冷えてきたあたりで、シャラ、と布のこすれる音がした。
「よく来てくれたわ。顔を上げてちょうだい」
 甘い、しかし高くはない心地良い女性の声だった。龍神という言葉からむくつけき異形を想像していた遥は、思いがけない声音に思わず見開いた目を声の方に向けてしまう。
「────っ」
 喉が締まった。息がしにくくて唇が開く。
 その美しさをなんと言おう。
 水の色をした長い髪はまさしく清流のように柔らかく流れ、落ちた前髪から覗く瞳は涼やかで澄んでいる。微笑みを形作っている唇には血色があるもののどこか生命の匂いが薄かった。抜けるように白い肌は白魚の透明さで少しも触れてはいけないと思わせる神々しさがある。そう思ってから神様相手に神々しさなどと言うのはかえって失礼では、と考える。
 白と水色の着物の裾がシャラシャラ鳴っていた。さっきの音はこの衣擦れだったようだ。
 その音で遥ははっと我に返って、ぽかんと開けていた口を慌てて閉じ、再度平伏した。
「お、お目見えいただきありがとうございます。このたびは……
「いいのよ、そんなにかしこまらないで。これから一緒に暮らすのだからずっとそんなでは疲れてしまうわ」
 挨拶を遮られてしまったので仕方なく下げていた頭を上げて、おずおずと龍神を見やる。龍神の表情はずっと穏やかだ。思っていたのと違うな、と内心で首を傾げた。てっきり慰み者になるか頭から食われるものだと思っていた。いや、どちらもまだ可能性としては残っている。
「いらっしゃい、ここでは寒いでしょう?」
「は、はい」
 差し出された手を取っていいものか悩んでいると、龍神がなんとなくしゅんとしたように見えたから急いで白魚の手を掴んだ。見た目より冷たくはなかった。こちらのほうが緊張で冷たくなっているかもしれない。
 親指一本分ほど上にある龍神の顔がほころんで、そうするとどこか人間味がある。
「わたしのことは雫と呼んでちょうだい。これからよろしくね、遥」
「かしこまりました、雫様」
 これは、本当に言葉通りの世話役をするだけなのでは。
 どこか緩んだ空気をかもし出している雫に遥の張っていた気も緩んできた。
 扉を越えるとまた広い一間があり、こちらはさっきとは違って調度が揃えられており、居室であることがすぐに分かった。社につながっている部屋は面会にだけ使っているらしい。
「この部屋からは私の許可がある人間しか入れないの。ただ、えっと、代わりに私がいなければこの扉を抜けることもできなくなっちゃうんだけど……
 やや申し訳無さそうに雫が言う。どうしてそんな顔をするのか不思議だった。それは彼女(見た目が女性なのでそう呼称したいけれど確かではない)の力でそうしているのだろうし、嫌なら自由に出入りできるようにしたらいいのに。
 まさか出会ってそう経っていない神様に反論できるはずもなく、遥は「はい」とうなずくだけで、あとは雫の後ろに従っていた。
 居室は整頓されているが物が多かった。壁には巫女舞の絵姿が何枚かかけられていて、棚には丁寧にたたまれた染布がしまわれている。一角だけ妙に華やかだった。
「これはね、今まで私と暮らしてくれた子たちとの思い出なの」
「そう……ですか」
 遥の視線に気づいた雫が穏やかに教えてくれる。世話役は美しい舞手と決められている。だからなのだろう。よく見れば毎装束も何着かあった。
「この絵は雫様が?」
「いいえ、都の絵師さんを呼んで描いてもらっているのよ。自分で描けたら楽しいでしょうけど、こんなにきれいに描いてあげられないもの」
「きれいなものが好きなんですか」
「好き、というか、必要なの」
 土に滲みる雨滴を思わせる笑みをそっと浮かべた雫が、柔らかに遥の手を取る。手のひらを上に向けさせて、親指を内側に折りたたんだ。
「きれいな顔」
 次に人差し指。
「きれいな声」
 その次に中指。
「きれいな手足、きれいな舞、きれいな心」
 五本の指を全部折って、握り込まれた拳を両手で包む。
「それがないとわたしはここにいられないの」
「えぇと……そういうのが雫様の力の源ということですか? 確かに龍神様は水を司っていますし、水は清浄なものの象徴ですものね」
 だから澄んだ少女を求めるのだろうか。これからどう過ごすのかはまだ分からないが、自分の姿ひとつ舞ひとつで故郷が平穏に日々を送れるのなら安いものだ。
 それに、そんなふうに言う彼女のほうこそ美しい。神に対する畏敬とは違う意味で緊張する。一度だけ、都にお使いに行った時に花嫁御寮を見たことがある。その時はこの世のものとも思えぬ美しさだと感動したものだが、簡素な衣しか身に着けていない雫のほうがずっとずっときれいだ。父ともう二度と会えないのは悲しいが、こんなに美しいひとのそばにいられるのだと思えばずいぶん慰めになった。
 雫は包んでいた遥の手を解放して、「あなたもいずれ描いてもらいましょうね」穏やかな、しかし少し乾いた声で囁いた。
「さあさ、ここまで長旅で疲れたでしょう? ご飯にしましょう。今日はあなたが来るから張り切って作ったのよ」
 ぽんと両手を合わせて笑う雫に一瞬呆気にとられてしまった。神様が生贄を手料理でもてなすなんて聞いたことがない。
 雫は気にした様子もなく、意気揚々と厨房から膳を運んできた。「あ、あの、私がっ」「あっ」慌てて近寄る遥の数歩先、衣の裾に爪先を引っかけでもしたか、雫が手前につんのめる。
「ひゃぁっ」
「────! っ、はあ……
 咄嗟に腕を伸ばした遥の手の中で膳が揺れる。椀の汁物が少しこぼれてしまったが、幸い、被害としてはそれくらいで他の料理は無事だった。遥がほっと息をつく。
「ご、ごめんなさい。少し浮かれてしまってたかも……
「いえ、お料理も食器も無事で良かったです。ただ」
 半ば強引に膳を引き受けつつ、遥が困り笑顔で遠慮しながら口を開いた。
「これからは私がしますから、雫様は休んでいてください」
「はい……
 何か言いたそうではあったけれど、失態の直後だったせいか、雫は素直にうなずいて遥に膳を預けた。
 そのしおらしい姿がなんだか可愛らしくて、神様相手に失礼かとは思ったけれどついつい口元を緩めてしまう。数百年も故郷の村を守ってくれている神様なのに、想像とぜんぜん違っていた。頭からがぶりとされたらどうしようなんて考えていたのがもう懐かしい。
 雫は空になった両手をもじもじと組み合わせながら、遥のほうを盗み見るように視線を向けてきた。
「あの……今日からふたりで過ごすのだから、仲良くしてくれたら、嬉しいわ」
「はあ……?」
 突拍子もないことを言われた気がして思わず生返事になってしまった。それから我に返って慌てて頭を下げる。
「は、はい。雫様のお眼鏡にかなうよう、誠心誠意お務めいたします」
 膳があるので膝をつけないが、それでも床を見つめながら雫の要望に応じた。不興を買ってしまえば故郷にどんなことが起こるか分からないのだ。気に入られるためならなんでもしよう。
 床を見つめている遥には雫の表情が見えない。
 身体の前で重ねられた手が、少しだけ震えたのも、見えなかった。



 手にした鈴がシャリンと鳴る。脇息にもたれて目を細める雫の前で、遥はゆったりと奉納の舞を踊っている。音楽がないから拍子だけを合わせて田植えの歌を口ずさんでいる。舞と歌は、本当はまったくの別物だったけれど、雫が喜んでくれるからいつもそうして歌と踊りを一緒にしていた。
 シャン、シャン、と、一定の拍で鈴を鳴らす。雫が目を閉じてその音に聞き入っている。「植えよう植えましょ、みんなのために」「植えよう植えましょ、みんなのために」小声で唱和してくる声は潤みを帯びていて心地良い。神々しさより親しみやすさのほうが強いその声を、遥は衣の袖で巻き取って、応じるように足踏みをした。
 最後にひとつ鈴を鳴らして止まる。衣の裾が翻らないように膝をつき、深く礼をする。
「お手前様に失礼いたしました」
「今日もとっても素敵だったわ。ありがとう、遥」
 舞台に使っているのは居室の奥にある板敷きの間である。裏手の川に面した部屋で、夜に戸を開け放つと月明かりが川の水面に反射して実に風流だ。そこで遥は週に一度ほど舞を雫に捧げていた。もう一年になる。
 遥は奉納の舞の他には、いくつかの神楽舞を知っていただけで、半年も経てば新しい舞など尽きてしまって何度も同じ舞を披露することになる。飽きないだろうか、と不安になって尋ねてみたが、雫は相変わらず穏やかに笑ったまま、「とてもきれいだもの、何度見たって飽きたりしないわ」と髪を撫でながら言ってくれた。
「遥は顔も声も手足も舞も、みんなきれいだわ。今までで一番きれいかもしれない」
「雫様はお優しいから、ここに来たみんなに同じことを言ってるんでしょう?」
 クスクスと笑いながら言い返すと雫が困ったように肩をすくめた。肯定なのか否定なのか、どうにも読みにくい表情だった。彼女のそういう表情を見るといつも喉が渇いた。雫の微笑みに、身体の水分を吸い取られてしまうような気がする。乾いた舌を湿らせるためにつばを飲み込んだ。雫は何も気づいていない様子で、優雅に長い足を床板の上に伸ばす。川の流れを眺める雫の横顔を盗み見て、しばらくそうしていたそうだったから、遥は装束から普段着に着替えると茶の用意をして一式を彼女のそばに運んだ。
「ありがとう。ごめんなさいね、疲れているのに」
「舞で汗をかいたので、私も涼めて助かります」
 それは正直な言葉だった。今日は夜風が柔らかくて心地良い。川のせせらぎも耳に涼やかだし、なにより仕えている彼女の姿に凝ったものをすべて流されそうだ。
 ぬるめに淹れた茶をふたり並んで口にする。雫が空いた手を軽く振ったり上げたりし始めた。おや、と遥は首を傾げながらその様子を見ている。
「さきほどの舞の頭のところですね。覚えられたのですか?」
「あんまりきれいだから真似してみたくなっちゃって。今ので合っていたかしら。見様見真似で恥ずかしいけれど」
「ええ、とてもお上手ですよ」
 雫が嬉しそうに口元をほころばせた。顎あたりにあるほくろが唇に合わせて動くのを、遥の視線が追いかける。そんなかすかな動きすら美しい。
 自ら望んでここに来たわけではないけれど。
 今は、彼女のもとに来たのが自分で良かったと、心から思えた。
「少し合わせてみましょうか? 型を覚えているところだけでも」
「いいの? うふふ、実はこの前からちょっと踊ってみたかったの」
 どこか無邪気な様子で声を浮つかせる雫。嬉しそうに両手を口元に持っていって、神様らしからぬ幼い仕草に遥の頬も緩む。
 タン、タン、と口で拍子を合わせながら並んでさっきの舞の型をなぞっていく。見様見真似と言いつつも、雫は覚えが良いようで、間違えずに一曲舞いきってみせた。
「雫様、すごいです。私、ここを覚えるのに十日はかかったんですよ」
「ずっと遥が舞っているのを見ていたもの。それに、部屋で練習してみたりもしていたのよ」
 心臓に軽い痛みが走る。それとあの乾き。雫が笑ってくれると嬉しい。身の回りの世話をして、舞を捧げて、話し相手になって、あとは何ができるだろう。
 彼女のためならなんでもしたい。
 言葉にするのはどうにも気恥ずかしくて、目を逸らしながら自分の座布団に戻った。雫は舞ができてご満悦だ。「見ているより自分で舞うほうが楽しいかもしれないわね」上機嫌で茶を含む雫に、「それでは私の仕事がひとつなくなります」半分冗談で告げると雫はおかしそうに肩を震わせた。
 少し落ち着こうと湯呑みに口をつけた。まだ半分ほど残っている茶の表面に月影が映る。
「もうすぐ満月ですね」
「ええ。……そうだ、次の満月は遥の村のお祭りよね」
 言われて遥も思い出した。そうだ、その祭りのあとでここに来たのだった。一年経ったのだから祭りの日もまたやって来る。
「龍神祭ですね。祭りの日に降った雨を溜めておいて、その日のお風呂に混ぜると一年風邪を引かないって」
「そんな言い伝えがあるの?」
 知らなかったらしくて雫が面白そうに笑った。
「他にもありますよ。祭りで焚いた火の灰と川の水を混ぜたものを赤ん坊に塗ると丈夫に育つとか、その日に取れた野菜を馬にかじらせると長生きできるとか。全部、雫様の御加護ですよ」
 まじないの類なのだろうが、代々言い伝えられて、連綿と受け継がれてきた伝統だ。遥ももちろん灰を塗られたし毎年馬に採れたての野菜をかじらせていた。
 指折り数えていく遥を見やる雫の眼差しは優しい。「そうね」すごいわね、とどこか他人事のように呟く雫が不思議で、遥は折っていた指を元に戻してから自分の顎を軽く撫でた。
「祭りの日は、必ず雨が降るでしょう」
「はい。私が知ってる龍神祭は毎年雨でした。たぶん私が生まれる前から、そうなんでしょうね」
「この五百年くらいはずっとそうよ」
「それも、雫様の神通力?」
 脇息で頬杖をついていた雫が身体を起こして、どこか悪戯に笑う。
「ええそう。あれは私の力なの。いつもこっそりお祭りを見に行っていたのよ。だから雨が降るんだわ」
 さすが龍の神様だ。雨と雷を司る神様が山を降りて見に来ていたなら、それは雨くらい降ろうというものだ。遥が感心していると、雫はまたふいと月に視線をやって、湯呑みから茶をひと口飲んだ。
「明日は一緒にお祭りを見に行きましょうか。といっても、村の人達に姿を見られるわけにはいかないから、こっそり覗くだけになってしまうけれど」
「いえ、もし村のみんなを見て里心がついてしまうといけませんし、それに」
 腰を越えて床まで落ちた雫の髪を、不敬と知りながら一房手のひらに乗せる。
 すくい上げた薄浅葱の髪に、そっと頬で触れて、遥は小さく吐息をついた。
「今は、雫様とふたりでいるほうが、大切です」
「っ、は、遥……
 美しくて、優しくて、捧げる舞を宝物のように扱ってくれる神様。
 この感情が尊い神に対する信仰であるのか、もっと俗な意味を持ったものであるのか、どちらなのか遥はとうに気づいている。
 柔らかな髪を掴んだまま、遥は雫と目を合わせずに笑った。
「龍神様のもとに行くのだと知った日、私はあなたに食べられるんだと思っていたんです」
「え?」
「大きな龍の神様に、頭からむしゃむしゃと食べられて死ぬんだと、そう考えたんです」
「そ、そんなことするわけない……じゃない」
「そうですね」
 今となっては荒唐無稽な想像だけれど、あの頃は本気でそうなると思っていた。
 そして今は。
「食べてくれませんか?」
…………?」
「顔も声も手足も身体も。あなたにすべてを捧げられるなら本望です」
 めちゃくちゃだ。自分でもそう思う。求めるほうが足りないと言うなら分かるが、捧げる側がもっと捧げさせろと迫るなど。
 ずい、と膝を詰める。雫は喉を引きつらせたのかひっと小さな悲鳴を上げた。不興を買っては一大事だ。だというのに、遥は膝を進めることをやめない。
 白皙を朱に染めた雫があわあわと後ずさりしていく。遥が追いかける。雫がさらに下がる。遥は逃さない。
「いけませんか?」
「い、い、いけません……っ!」
 雫はもう涙目だった。
 雫の身体を乗り越えるように腕を伸ばして両手を床につく。至近距離まで迫られて雫が「ひょえ……」と情けない声を洩らした。
「雫様は、私がお嫌い?」
「き、嫌いなわけ……大好き、だけど」
 だけど、の続きが音になることはなかった。
 うろたえるばかりの唇が震えている。
「と、とにかく、だめです!」
 着物から覗く首元まで赤くしながら、雫が両手で押しのけてきた。存外強い力に抗えず、遥は後ろに押されて尻餅をつく。動揺のあまり肩で息をしている雫を離したくなかったけれど、これ以上近づいたら大変なことになりそうだったので、最後の理性で持ちこたえる。
 怯えたような眉尻の下がった表情ですら美しいし、愛しいと思う。この一年で彼女がどれだけ優しいかも嫌というほど知ってしまった。きっと彼女を怒らせたとして、故郷に害が及ぶことなどない。そう思ってしまったら駄目だった。そう、駄目だったのだ。打ってはいけない目に石を打った。
 それで後悔もしていないのだから始末が悪い。
 雫が深々とため息をついて、気を取り直すためかゆるりと自身の髪を指で梳いた。
「そんなことを言ってきた人は初めてだわ」
「本当ですか? そんなに美しいのに」
…………
 雫はなにも答えない。照れているのかもしれない。
 だって本当に、美しいとしか言えない。他に言いようがない。
 そんな美しい存在に、触れられたいと思うのは愚かだろうか。



 絵筆の走る音が小さく聞こえる。遥は舞装束に身を包みながら、しかし床に腰を下ろして微動だにしない。絵姿を写されながら、自分とさして年も変わらなそうな絵師と他愛のない話をしている。
「へえ、じゃあ、昔あんたの村で流行った疫病を祓ってくれたのがここの神様ってわけね」
 社の広間で筆を走らせている絵師は大して興味もなさそうな口調で遥の話を繰り返した。絵名と名乗った彼女は、興味がなさそうなくせに会話をやめようとはしなかった。話しながらのほうが調子が出るのかもしれない。
「もちろん私が生まれるずっと前ですけど。それ以来、うちの村からお礼に世話役を送ることになっているんです」
「それがあの見せてくれた絵の人たち?」
「ええ。みんな素晴らしい舞手だったそうですよ」
 なにか区切りがついたのか、絵名が「ちょっとくらいなら動いていいわよ」じっとしていてはつらいだろうと気遣ってくれたのか、筆を振りながら言ってくる。「ありがとう」遥もほのかに笑ってうなずいた。
 遥が少し伸びをしたり首を捻ったりしても絵名の手は止まらない。視線は紙にそそがれていて遥のほうは時々ちらりと見るだけになっている。構図やらなにやらが決まったのだろう。
「けどあんた、まだ十六やそこらでしょう? 親兄弟とか友達とか恋しくならない?」
 仲のいい友達だっていたでしょうに。眉を片方上げて、なんだか納得行かないという表情の絵名。同情されているのだろうか。そうだとしたら彼女はずいぶん優しい。
「それはまあ、たまに懐かしくなったりはしますけど。舞手の四人でいつも一緒に遊んだりしていたので、みんな元気かなって思ったり」
「そりゃそうよね」
「でも今は雫様のそばにいたいので」
 絵名が小さく肩をすくめた。尊い存在なのは分かるけれど、遥の気持ちは理解できない、そういう表情だった。
 遥の村が代々世話役を差し出しているように、絵名の家は代々神に絵を奉納する習わしらしい。
 奉納する神は龍神ではないが、どこかで繋がりができたものらしく、雫の部屋に飾ってある何枚もの絵姿は、絵名の先祖が描いてきたものだ。そして今は彼女がその役目を負っているということだそうだ。とはいえ、年のはじめに奉納するものはまだ彼女の父親が描いていて、絵名はそれが不満なようである。
「ま、私は龍神様に会ったことないし、どうこう言う立場でもないけどね。あんたがいいならいいんじゃないの」
「はい」
 迷いなく肯んじる遥に絵名が呆れたように息をついた。
 時折休憩をはさみながらも作業は順調に進み、日が暮れそうになったあたりで今日はここまでと手を止める。あと三日くらいはかかるだろうと絵名の見立てだった。急ぐものでもないし、絵名に納得のいく仕事をしてほしいとは雫からも言われていたので、遥は特に何も言うことなく次回の予定を立て始める。
「あ、良かったら村の人に言付けでもしましょうか? どうせ麓に降りるし、それくらいするわよ?」
 姿を見せることはできなくても、それくらいはいいのではないかと提案してきた絵名に、遥は困ったように首をかしげた。それが許されるのか自分では判断できないし、なにか伝えたいことがあるわけでもなかった。元気でやってますと伝えるだけで彼女に手間をかけさせるのも心苦しい。
「私のことなら気にしなくていいわよ。山道を出たら弟が馬で迎えに来てるし、ちょっと寄り道するくらい大したことじゃないから」
「そう、ですか」
 どうしよう、雫に尋ねてみようか。今は彼女は自分の部屋にいるはずだ。
 顎に手を当てながら黙考し、やがて遥は顔を上げて絵名を伺った。
「少し待っていてもらえますか? 雫様に聞いてみます」
「いいわよ。私は帰り支度をしてるから」
 絵名に会釈をして早足で雫の部屋に向かう。扉の前で立ち止まり、「雫様、いらっしゃいますか?」柔らかく声をかけた。
「あら、絵を描いてもらうのは終わったの? どうぞ」
 扉の向こうから応じる声がしたのでゆっくりと引き戸を開ける。
「失礼します。すみません雫様、ひとつお伺いしたいことがあって」
「どうしたの?」
 本を読んでいた雫の真正面に進んで腰を下ろした。雫はどことなくいとけない表情で小首をかしげている。それに愛しさをかきたてられつつ、遥がやや彼女の瞳を覗き込むようにする。
「絵名さんが、もし良かったら私の村に」
「っ、────」
「? 雫様?」
 一瞬。雫の眼差しに切り傷みたいなものが走った。一本線の、深くはない、よく目を凝らさなければ気づかないような傷だ。痛みそのものであるような傷。冬の寒い日に気がつけば関節の皮膚が切れていた、そんな、誰のせいでもない傷だ。
「村に伝言を持っていってくれるということなんですけど……あの……
「え、ええ。きっと村の人達も遥を心配しているもの。それくらいなら大丈夫よ。絵名にお願いするといいわ」
……雫様。泣きそうですよ」
 傷が滲みるのかもしれない。無意識なのだろう、潤む瞳を遥が覗き込むと、とっさに視線が逸らされた。遥は思わず雫の頬に手を伸ばし、その白皙に手のひらを添える。
 雫の視線は逸らされたままだ。だから遥は片手だけだった手を両手に変えて、彼女の頬を包み込んだ。「雫様、こっちを見て」半ば脅すようにねだる。雫がおずおずと目を戻してきて、けれどやっぱり泣きそうだった。
 ぷかりと、遥の口から泡玉のような吐息が洩れた。川に落ちた果物が発酵して、水の中で光る泡みたいな呼気だった。
「どうしてそんな顔をするんです?」
……遥が、村の人に何を伝えたいのか分からないから」
「ふふ。帰りたいと言うとでも思ったんですか?」
 そんなわけがないのに。ここで幸せにしているから、ここで幸せに過ごすから心配しないでと、そう伝えたいだけだったのに。
 まだ雫の瞳は揺れている。「証拠がいりますか?」膝立ちになって、彼女の目をまっすぐに見下ろした。垂直の愛情が降り注ぐ。色とりどりの、少し尖った、けれど淡い、川に流されて丸くなっていく小石みたいなもの。
「はる、か」
「あなたのそばにいさせて」
「──それは」
 それは、わたしの言葉だよ。
 触れ合う直前の彼女の唇からそんな声が届いて遥の口の中に吸い込まれて消えた。



 半月ほどで絵が完成し、受け取った雫が大はしゃぎで喜んでいるのを絵名と並んで見ている。写し取られたのが自分自身のせいか、なんだか照れくさい。
「すごいすごい、素敵だわ。お部屋の一番目立つところに飾らなくちゃ」
「そこまででは……
「私は絵を褒められて嬉しいけどね。実際、我ながらよく描けたと思うし、題材も良かったわ」
 絵名は鼻を高くしてご満悦だ。彼女は自信家であり、やや傲慢だが、その態度は不思議と不快にはならない。自分自身に対する傲慢な自信を、他者を見下す根源にはしていないせいであるように思えた。端々に見える気遣いや思いやりを追想して遥は笑う。彼女が良い仕事をできたのなら良かった。
「ありがとう。大切にするわね」
「って言っても、遥はずっとここにいるんでしょ? 私の作品を大事にしてもらえるのはありがたいけど、それより本人を大事にしたほうがいいんじゃない?」
 言われて雫の頬に朱が差す。「大事に」の意味をどう捉えたものか。尋ねてみたいけれど意地が悪すぎるので我慢する遥だった。
 んん、と軽く咳払いをして、「そうね」と小声で答える雫。
「それはもちろん、遥は大切なお友達だもの」
「友達、ですか?」
「え? ……いえ、その……
 どうとも答えられずに口ごもる雫に軽く唇を尖らせる。口付けはあの一回だけで、あれ以来なにがあったわけでもなく、そもそも彼女からなにか決定的な言葉や行動をもらったわけでもない。
 拒まれなかったのだからただの世話役だと思われているわけではないだろうが、それ以上になにかであるかどうかは、さて、どうにも怪しい。
 人の分際で神に懸想するなんておこがましいにも程があるけれど。遥はもう己の想いを隠したりはしたくなかった。
 とはいえ、あれからどうにも彼女の態度がよそよそしく、舞も見せることがなくなって、食事の際の会話も弾まない。絵姿を喜んでくれたのがせめてもの救いだ。
 何も知らない絵名はふたりの態度に不思議そうな顔をしつつ、首を突っ込む気もないのか何も言及せずに「まあいいけど」と話を打ち切った。
「それにしても、龍神なんてかなり上位の神様なのに、こんなに気さくだなんて思わなかったわ」
 絵名がほっと息をついて言う。遥もそうだった。数百年に渡って故郷を守ってくれていた神様だし、龍神といえば天を司る神の一人だ。どれほどの威容が現れるのかと戦々恐々していたものだが、蓋を開けてみればたおやかな美女だったのだから。
 しかも、薪用の木の枝を拾おうとしたら踏んづけて転んだり、大雨の日に川の氾濫を制御しようと見に行ったら足を滑らせて転んだり、遥と舞の型を練習していて足がもつれて転んだり、とにかくよく転ぶ。世話役を送るよう言いつけているのはそのせいではないだろうかと勘ぐってしまうくらいだ。
 まあそこも可愛らしいのだけれど。転ぶとしゅんと落ち込んでしまうが、遥が手を取って立ち上がらせると少し嬉しそうに笑ってくれて、それが好きだ。
 雫はほのかに口元だけで微笑んで、「神様らしくない?」冗談のように問うけれど、なんだかそれは薄布に包まれたようなはっきりしない声だった。
 絵名はそんな雫の口調に気づかなかったのか、ふふんと笑って人差し指を立てて言う。
「思ってたのとは違ったけど、私は今の雫様のほうが好きだわ。でっかい龍が雷を落としてる姿なんておっかないもの」
「ふふ、ありがとう」
「あれ? 雫様、髪になにか付いてるわよ? 絵の具でも落としちゃったかしら」
 ふと、絵名が雫の髪の先を立てていた人差し指で差した。遥も視線でその先を追うと、確かにきれいな薄浅葱の髪の先端だけ、茶色いなにかが付着している。遥が胸元から懐紙を取り出して膝をつき、雫の髪を拭ってみるが、染まってしまったのか少しも取れては来なかった。
「全然取れませんね。絵の具でもなさそうだし、果物の汁か何かでしょうか」
「あ、ええと、大丈夫よ、気にしないで。先の方だけだし切ってしまって構わないから」
 雫がするりと身を翻したせいで手の中から髪が逃げていく。それをかすかに惜しみながら、「そうですか」遥は素直にうなずいて腰を上げた。

 絵名を見送ってから、受け取った絵をどこに飾ろうかと雫が部屋中をうろうろし始めた。今まで飾っていたものを外したり戻したり、ここでは調和が乱れてしまうか、こっちに移してはどうかと忙しなく動き回る雫を手伝いながら遥は思わず相好を崩す。
「うぅん、ここが一番よく見えるけれど、寝るときに陰に隠れてしまうわね。絵名にもう一枚描いてもらえないかしら」
「寝るときまで見たいんですか?」
「それはそうよ。朝目が覚めて一番に見るのも、夜眠る前に最後に見るのも遥がいいわ」
 なんだかすごい言葉をもらってしまった気がする。
 さすがに恥ずかしくなって無言でいると、雫も自分で気づいたのかひゅっと息を呑んで声を詰まらせた。
「そんなに、私の姿が好きですか」
……前にも言ったじゃない。遥が一番きれいって」
 そっと、白魚の手が髪に触れてくる。
「深い海みたいな髪の色も、なめらかな手触りも、宝石みたいな目も、少し削ぎれた頬も。笑っている時も、真剣な時も、舞っている時も、眠っている時も。遥がこの世で一番きれいだわ」
「ふふ。言い過ぎですよ」
 「あなたのほうがきれいです」撫でてくれる手に首を委ねながら目を閉じる。
 小動物でも扱うように、あるいは赤ん坊を寝かしつけるように優しく髪を撫でている手が、嬉しいけれど少しもどかしい。
「寝るときに絵姿が見えなくなってしまうなら、あなたが眠る時には隣にいましょうか?」
 やや悪戯に声を震わせると、雫は撫でていた手を止めてきゅっと小さく喉を鳴らした。目を開けた先では酒でも一気飲みしたかのような顔をした雫がわなわなと震えている。それがどうにも可愛らしくて、遥は少し目線が上にある彼女の首に両腕をかけて引き寄せた。
「ちょうど、ひとりで眠るには少し寒くなってきてたんです」
……本当?」
「もちろん」
……眠るだけよ? 他にはなんにもないわ」
「ええ。かまいませんよ」
 腰を柔らかく抱きかかえられる。穏やかな両腕と、対照的に困ったようなため息。大切なひとを困らせてしまった罪悪感と、それでも受け入れられた歓びが同時に訪れる。
 外では強く雨が降っていて、川べりの石に雨の当たる音がうるさかった。



 ドォン、と地響きが轟いて跳ね起きる。隣で寝ていた雫も何事かと飛び起きて外の様子を見に走った。
 裏の川辺に連なる部屋の戸を勢いよく開けると、山裾が一部えぐれており、崩れた土砂が麓の手前で積み上がっていた。
「っ、これ……
 雫の顔がひどく青い。いつもの白皙と相まってまるで死人のようだ。遥は無意識に雫の手を強く握った。それで隣に遥が来たことに気づいたらしい雫がこっちを見てくる。昨日まで透き通った薄青だった瞳に灰色の濁りが差していた。わななく唇がやっとのことで一息を吸い込む。喘鳴がかすかに鳴っていて、小刻みに震える指先は冷たい。
「し、雫様の御加護のおかげですね。土砂は村にまでは届いてないみたい」
 あれが村にまで流れ込んでいたら大惨事だ。遥がそう呟くのに、雫が痛々しく首を振った。
「いいえ。あれはわたしのせいなの」
「え?」
 雫のおかげと、雫のせい。言葉の意味がずいぶん違う。どういうことだろうと顔を伺うと、雫は青い顔色をしたままぎゅっと遥の手を握り返した。
「さすがにこれは誤魔化しきれないわ。もうすぐ来るでしょうから、準備をしましょう」
「え、あの、雫様?」
 すい、と、雫の額が遥の額に押し付けられる。
「遥。あなたが好きよ。だからこれはわたしのせい」
「どういう、ことですか……?」
 額をつけられたせいで狭い視界の向こう側、かすんで見える彼女の髪がゆらめいた。
 「え……?」川の流れに似た清浄な薄浅葱の髪が半ばから切れ落ちていき、残った髪は乾いた土の色へと変容していく。呆然とそれを眺めていた遥は、なにが起こっているのか分からずただその場に佇んでいた。
 額が離れ、涙を湛えた瞳は不透明な灰色をしている。あの透き通った美しい髪も目も、もう跡形もなかった。
「これ、は……
「まずは着替えましょうか。それから、お話をしましょう」
 悲しみに沈む眼差しがあんまり哀れで、遥はそんな目をしてほしくなかったのに、それをどうして伝えたらいいか、言葉がひとつも出てこずに唇を噛んだ。

 真新しい衣に着替えた二人は社の広間に並んで座る。しばらく待っていると目の前に豊かな光が灯り、耐えきれずに瞼を下ろした遥の先にかすかな気配が生まれた。
 光が消えたのを瞼越しに感じ取って目を開けると、鮮やかな桃色の髪と目をした少女が仁王立ちしている。遥よりもいくぶんか背の低い、幼さの残る少女だったけれど、ただの人間ではないことは明白だった。
……愛莉ちゃん」
「これはどういうことなの?」
 硬い口調に雫が身をすくませる。愛莉と呼ばれた少女は無遠慮に雫のくすんだ髪をつまみ、指先で何度かこすり合わせてため息をついた。
「すっかり戻っちゃってるじゃない。さっきの土砂崩れといい、ここまで封印が弱まるなんてただ事じゃないわよ」
「封印?」
 そこで初めて、愛莉は遥の存在に気づいたような仕草を取った。
「あら、あなたが今の世話役?」
「は、はい。遥と申します」
「私は愛莉。雫とは古い付き合いの野椎のつちの神よ」
 野椎となれば、植物全般を司る神のことだ。なるほど、あの髪色と目の色。桃は植物の象徴であり、豊穣の証だ。
 その神様がいったいなんの用だろう。雫になにかが起こったことは確実だが、具体的なことがなにも分からない遥は緊張感を押さえ込んで愛莉と対峙するしかない。
 愛莉は拳を腰だめに構え、遥と雫を交互に見やっている。
「充分美しいし、心もきれいだけど……信仰心が全然ないわね。これじゃ意味がないわ」
「ま、待って愛莉ちゃん。遥は……
「どういうことなのかしら。あの村の信仰は深いはずだし、今までこんなこと一度もなかったのに」
 雫の制止を聞かず、愛莉は独り言を洩らしながら考え込んでいて、じれったくなった遥は「あの!」と強めに呼びかけた。
「ん? なに?」
「封印ってなんなんですか? 雫様はどうしてこんなことに?」
「どうしてもなにも、あなたのせいじゃない。あなたの信仰がないせいで、この子にかけてた封印が弱まっちゃったのよ」
 なんの説明にもなっていない。「だから、それってどういう……」愛莉に詰め寄ろうとした遥の肩を雫が掴む。逆らうわけにもいかず、遥は引き止める手に従って身を引いた。
 愛莉が困ったように片眉を上げて雫を見つめ、んん、と軽く唸る。
「まあ、ひとまずは説明したほうがいいみたいね。あんたもそれでいいわね?」
……ええ、お願いします」
 両手を揃えて厳かに礼をする雫。愛莉はそれをどこか同情的な目で見つめて、それからふいと視線を逸らした。
 愛莉が腰に提げていた袋から透明な玉を取り出し、遥に示してきた。
「これは?」
「中、よく見て」
 言われてまじまじと玉を覗き込むと、にこやかにこちらへ手を振ってきている人影が見える。遠くて細かいところは分からないけれど、薄浅葱の流れるような髪と龍にふさわしいしなやかな身体つきの、あれは。
「雫様!?」
「そ。こっちが本物の雫。あんたらが祀ってる龍神よ」
「本物って……どういうことです?」
「ちょっと待ってね。雫、こっちの封印はお願いできる?」
 愛莉が玉に向かって話しかける。玉の中で雫が腕で大きく丸印を作った。声は愛莉にも届かないものと見える。
「よし、じゃ、ちょっともとに戻すわね」
 遥の隣にいる雫(?)を向いた愛莉が伸ばした指先でひたりと彼女の額を差した。
 影絵芝居のように隣にいる彼女の姿が変貌していく。ぐにゃりと歪み、すらりとした姿態が縮んでいき、透き通る白皙に赤みが差していき、神々しかった眼差しは弱々しく震えていた。
「雫、様……?」
「いいえ。この子は雫じゃないわ。この子に名前はないの。名前をつけてはいけない子だから」
 変貌が落ち着いて現れたのは、くすんだ灰色の瞳と、乾いた土の色をした髪と、高くも低くもない体躯と、さしたる特徴のない顔立ち。都にいても誰の目にも留まらないような容色の少女がそこにはいた。
 体格に合わなくなった衣を両手で掻き抱き、少女は俯いて唇を噛んでいる。
「これは、一体……?」
「この子は『厄災』。人間あんたたちには『疫病神』なんて言われてるわね。けど、神ではないわ。だから名前をつけてはいけない。名前をつけてしまうと力が増すから」
「厄災……
「人に仇なすもの。人の世に混乱をもたらすもの。五百年前に生まれたこの子をわたしと雫が見つけて封印したの。そのときに使ったのが雫の姿とあんたの村の信仰心で、それが途切れない限りこの一帯の平穏は守られるはずだった」
 五百年前の疫病。龍神が村を救って、それからもご加護により村に災厄は訪れなくて。
 愛莉の言葉をひとつずつ紐解いていく。
 毎年雨が降っていた龍神祭。神様の御加護によるものだと言われていたけれど、子供の時分では出店も出し物もないから少し退屈だった。一晩中続く雨に鬱々としたものは感じていなかったか。
 あれは私の力なの。そう言って陽炎のように笑う彼女を思い出す。
「逆だったんだ……
 龍神が加護をくれているから平和だったのではない。厄災が封印されていたから災害に脅かされることがなかったのだ。そして愛莉の言葉どおりなら、それを破ったのは。
「私が」
 このひとを、好きになったから。
 美しい姿と心を持った人間の信仰心。それが必要だったのに、神への畏敬を恋とすり替えた。
「──ごめんなさい」
 隣の少女が床に崩れ落ち、うずくまったまま絞り出すようにして謝罪してくる。
「騙してごめんなさい。きれいな神様のふりをしてごめんなさい。本当のことを言えなくてごめんなさい。これからわたしは、あなたの村を窮地に追い込んでしまう」
 ごめんなさいと何度も額を床板にこすりつける少女に、遥は慌てて顔を上げさせようとした。
 きれいだと告げるたびにほんの少しさみしそうな顔をしていた彼女。今ならあの表情の意味が分かる。
 もう濡れたようなしっとりと心地良い声ではなく、甲高いからくり細工を思わせる声になっていたけれど、それを嫌だとはちっとも思わなかった。
「お願い、顔を上げて」
 額づき続ける少女は動こうとせず、埒が明かないので腕を回して無理やり抱き寄せた。
 胸に顔をうずめてくる彼女は体躯以上に小さく感じられて、思わずきつく抱きしめる。
「私のほうこそごめんなさい。何も知らずにあなたを困らせてた」
「ううん。違うの。遥は悪くない。悪くないよ」
 人と災厄の恋はどうしたって幸福など生まない。きっとこの先にあるのはながの別れだ。
「きれいじゃなくてごめんね。神様じゃなくてごめんね。でも一緒にいたかったの」
 衣を掴む手の強さ。
「遥といるのがとても楽しくて……幸せ、だった」
 生まれてからずっと悲しかったと彼女は言う。望んでもいないのに災厄を降らせてしまう己の業が、誰かの泣き声が聞こえるたびに苛まれる痛みが、耐え難いほど悲しかった。今日も人を悲しませた、明日も誰かを悲しませるのだろう。
 それならいっそ、明日など来なければいい。どうせ良いことなどなにもない、悲しむ人を増やすだけの夜など明けなければいいのに。
 そうしてむせぶ災厄に手を差し伸べてくれたのが、水の神と野の神だった。このままでは辺り一帯が滅んでしまうと危ぶんだせいでもあるが、純粋に『厄災』を哀れんでもいた。だから龍神は自分の姿を貸してやったし、豊穣の神は人とのつながりを絶たないようにしてやった。
「今までの世話役との暮らしも穏やかだったけど、それだけだった。遥と出会って、初めて毎日が楽しいって思えたの。──明日が来るのが、待ち遠しくて。明日はどんないい日になるだろうって、思えた」
 「けど、わたしはあなたを裏切ってしまった」どうして詫びれば良いだろうと涙を流す少女の、土塊の髪がはらりと落ちて顔を隠した。
 遥は腕の中で震える小さな身体を抱きしめて胸の痛みに耐える。
「あなたをきれいだと言っていたのは、姿のことじゃないわ」
……え?」
龍神あなたの姿を見て、好きになったわけじゃないの」
 こんなことならもっとちゃんと伝えておけば良かった。そうしたら、これまでも今この時も、こんな顔をさせずに済んだのに。
「きれいなひと。龍神様じゃなくても、故郷に仇なす存在だとしても。私はあなたが愛しい」
 腕の力を緩めてそっと頬ずりをする。もう二度と信仰心などいだけはしない。そばにいたくて、共に生きたくて、触れていたくて、心が溢れて堪らない。
 名のない厄災は、今ここで消えてしまえたらいいのにと、遥にだけ聞こえる声で呟いた。
「まあ……どうしましょうね」
 固く抱き合うふたりを眺め、愛莉が深く嘆息する。「ひとまず雫の姿は返してもらうわね」もう無意味だし。独り言を洩らしてから手にした珠を厄災へ向ける。風が周囲を舞って、愛莉の手の中で光が瞬いたかと思ったら美しい龍神が彼女の横に現れた。
「まあまあ、ここも久しぶりね。でも埃もないし、おうちの木材も傷んでいないわ。大切に使ってくれているのね」
「そんなこと喜んでる場合じゃないでしょ。この子たちをどうするか決めなくちゃ」
「うぅん、そうねえ。愛莉ちゃん、どうにかならないかしら」
 ご機嫌伺いに流し目を愛莉に送りつつ、本物の雫が問い尋ねる。遥はぼんやりと二柱ふたはしらを見ていた。特に雫を。全然違うんだ。そう思う。確かに顔立ちも体型もなにかも一緒だけれど、社の奥で一緒に暮らしていたこの子とはまったく別の存在だった。
 愛莉は渋茶を飲んだときみたいな顔をしていて、どこか甘えた仕草で裾をつまんでくる雫に弱った様子を見せている。
「そうは言ってもねえ。厄災は封印しないと大変なことになるし、この子は巫女の役目を果たせないし。今度こそわたしたちで厄災を封じて、雫にこの山の主に戻ってもらうしかないわね」
「でも、それじゃ……
 嫌な予感がして遥がぎゅっと厄災を抱き寄せる。少女も怯えた表情で遥にすり寄った。愛莉の顔がますます苦み走って、桃色の髪を指先で遊び始めた。悩んでいるようだ。
「遥って言ったかしら。あなた、このまま故郷に帰れるなら幸福だと思わない? 家族も友達もいるところに五体満足で帰れて、これからも平穏な暮らしを送って、きっと年頃になればいい人が見つかって結婚もできるわ」
 鄙びた山奥で孤独に暮らすよりずっと良いだろうと、愛莉が猫なで声で言う。
 遥はうなずきもせず、ただ静かな眼差しを愛莉に注いだ。それで言いたいことは伝わったらしい。
 そういうのはもういらなかった。
「この子を封じるなら、私も一緒に。独りではあんまりさみしいわ」
「あなたがいてもいなくても同じなのよ?」
「同じなら、いたっていいでしょう?」
 微笑む唇から洩れた吐息が少女のまぶたを撫でる。「遥」切り傷の視線が遥に届けられた。目線を下げて彼女を見やると、ひどく痛ましそうな顔で首を振る愛しい相手がいる。交わし合った目で伝える言葉はわかり合えなかった。
「遥、だめ。あなたがそんなことをする必要ないの。わたしは独りで平気だから」
「嫌」
 ぐずる子どもが可愛くて仕方なくて、喉を震わせながらじゃれるように押し倒す。「ひゃっ」不意打ちに対応できなかったか、妙な悲鳴を上げて倒れ込む少女の胸元に顔をうずめて、遥は深く深く息を吸い込んだ。
 優しい匂いがする。災厄と罪悪の匂い。
「あなたがいない明日に意味なんてないの」
「──はる、か」
 ああ、と、何もかも失った子どもの嘆きがかすかに鳴った。
……愛莉ちゃん」
「ああもう。分かったわよ。そんなに言うならあんたも協力しなさいよ」
 やれやれと肩をすくめる愛莉。雫が顔を輝かせる。
 両手を合わせた雫がその手を開き、何かを指し示すようにゆるやかに両腕を広げた。
「それじゃあ、この社をあげましょう。厄災だけではなくて、この社ごと封印するといいわ。それなら二人ともここで暮らしていけるもの」
「その代わり、あなたは二度と外には出られなくなるわ。それでもいい?」
 愛莉の視線がこちらに向けられたので、遥はかすかに首をかしげることでそれに答えた。どうしてそんなことを聞くの?
 豊穣の神は寸時黙考し、「ま、これはおまけね」懐に手を入れて桃の実をひとつ取り出した。
 差し出された桃を受け取って、しかし意味を測りかねてしまった遥は、先ほどとは違う理由で首をかしげた。
「野椎は不老長寿を司る神でもあるのよ。あなたの寿命を少しだけ伸ばしてあげる。それでも二百年ってところだけど」
 厄災の五百年の孤独に比べれば半分もない。それでも、隣の少女は神の慈悲に涙を浮かべながら深く頭を下げた。
「それじゃ、始めましょうか」
「ええ」
 そう二柱が言葉を交わした途端、空気が変わった。
 厳かな、冷気にも似た流れが生まれる。遥は隣の少女の手をぎゅっと握りしめた。彼女も同じくらいの力で握り返してくれる。
 横並びになった愛莉と雫が、手を合わせて何事か唱え始めた。聞き取ることはできない。人間の使う言葉ではないのかもしれない。
 凄まじい圧力に襲われて、この社の中だけ、重力が倍にもなったようだ。唇を切れそうなくらい噛みしめる。
「────!」
「────!」
 二柱の声が唱和され、その姿が目を開けていられないほど光り輝く。咄嗟に厄災へ覆いかぶさるが果たして合っていたのかは分からない。
 光が消えた後には、音がなかった。
 社の外から聞こえていた木の葉ずれや、鳥の声や、川のせせらぎや、遠くで獣が吠える声。そういうものが一切なくなっていた。それと同時に『隔絶』をひどく確かに感じ取る。ここはもう「どこでもなくなった」のだと、そう肌で確信していた。
 ゆっくりと目を開いた愛莉が、終了、というように両手をひらつかせた。
「これで、この社は外界とは途絶されたわ。もちろん厄災の力も外には及ばないし、外から誰かが紛れ込むこともない」
……はい」
「後悔しても後戻りできないわよ?」
「それでも、今悔やむよりはいいので」
 「なに言っても無駄みたいね」子供はこれだから。手に負えないとさじを投げ、愛莉が踵を返す。
 追随する雫はひどく上機嫌だ。
「それじゃ、わたしたちは帰りましょうか。雫を山に戻す儀式をしなくちゃいけないしね」
「ええ。ふたりとも元気でね。あ、そうそう、良かったら名前をつけてあげて。今なら名前をあげても大丈夫よ」
「名前……
 遥が繰り返すのに「ええ」と優しくうなずいた雫が、そっと厄災の髪を撫でた。乾いた土の色をした、艶のない髪の毛だった。厄災が恥ずかしがって顔をうつむける。雫はくすりと笑い、顔を隠している前髪をそっとかき分けた。
「私もあなたのその姿、とても素敵だと思うわ」
…………
 下を向いていた顔がますます床に近づいていく。恥ずかしがり屋の厄災の首は赤い。
 髪に触れていた手を離し、雫が扉を開けて待っていた愛莉を追いかける。美しい二柱の神は、どちらも優しく笑いながらこちらを一度振り返り、「幸せになりなさい」と告げて扉の向こうへ消えていった。
 残された遥はしばらく呆然としていたが、おずおずと握っていた手を撫でられて我に返り、見開いた目で厄災を見つめた。
「──一緒に、いられるの?」
「う、うん。ふたりとも高位の神様だし、わたし程度の封印は心配いらないと思う……
 腰のあたりからじわじわと何かが昇ってくる。手を差し伸べて頬を包み、額を額にくっつけた。
「嬉しい」
「わ、わたしも……
 遠慮しいしい、厄災の両手が背に回ってきた。さしたる特徴のない、どこにでもいそうな少女の手だった。抜けるような白さもなく、力強い黒さもなく、たおやかでもなければ逞しくもない。それでも、遥にはこの世で最も価値のある手だ。
「あなたに名前をつけなくちゃ」
 なにがいいかな。これからずっと、彼女を呼ぶときに口にする名前。候補がいくつも浮かんでは消えていき、どれにも決めきれない。
「あなたはどんな名前がいい?」
「急にそんなこと言われても分かんないよぉ……。えっと……雫様と愛莉様に関係ある名前、がいいかな」
 そう言われてふむと唸った。水の神と豊穣の神。手の中の桃が不意に重みを増す。
 彼女が一番好きな舞と歌はなんだったか。
 水が流れ、留まり、土に染み込んで、そうして生まれていくもの。
「そうだね……それじゃあ──」
 遥のまぶたの裏側に、懐かしい黄金こがね色の景色が映った。



 ふたうねほど土を掘り返し、額に浮かんだ汗を拭う。こんなところだろうか。社の裏手の土は柔らかく、遥の手でもそれほど苦労せず耕せるのがありがたい。
 小袋の口を開けて、中に入った種を覗く。うまくいくかは分からないけれど、まあこちらは水の神と野の神がついているのでどうにかなるのではないだろうか。
 あれ以来、空腹を覚えない。
 おそらくは愛莉がくれた桃の力なのだろう。あれを口にしたから、自分はもう人ではなくなって、彼女といるしかなくなったのだろう。
 それでも良かった。それが良かった。
 もしもこの先、身に余る長寿を嘆くようなことがあっても、今この時、彼女にさみしい思いをさせるよりずっと良い。
「遥! お水汲んできたよ……わっとっとっ……ひゃあ!!」
 両手に桶を持って揚々と戻ってきた少女が畝を作るときに掘り出した石に躓いて盛大に転んだ。遥は慌てて彼女のものに駆け寄り、ひっくり返った桶の水を頭からかぶってドロドロになった顔を手ぬぐいで拭いてやる。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
「だ、大丈夫……
 厄災の効力は自分自身にも発揮されるのだろうか。雫の姿を借りていた頃から、どうにも彼女はこういった不運に見舞われやすい。
 己の衣が汚れるのも構わず、遥は両腕で抱え込むようにして立ち上がらせてやる。泥で汚れた顔を照れくさそうに手で隠すのを、「だめ」悪戯に囁いてどけさせた。
「かわいい顔見せて」
……すぐそういうこと言う〜」
「だって見たいもの」
 ふにふにした頬をつついてからかうと、餅のように膨れていく。以前は見上げていた顔は今は少し見下ろすくらいになっていて、けれど屈むほど遠くはない。
 目線とかすかな唇の動きで誘うと、灰色の瞳が湖面みたいに揺れて、ふいと顔を背けられた。あれ、と思ったら袖でぐいぐい口のあたりを拭い始める。泥がついていないか気にしたものらしい。ぷかりと笑って、彼女の腕を取ると半ば強引に唇を奪った。
 離れて、眼差しを交わし合って、その中には愛しさが染みている。
「遥」
「なあに?」
「種、ちゃんと芽が出るといいね」
「うん」
 果たしてどうなるものか、尋ねるあてはない。けれど自信があった。たとえ失敗したってやり直せばいい。
「最初は失敗するかもしれないけれど、ふたりで頑張ればきっとうまくできる」
「そうだね」
「今日が駄目でも明日には芽が出ているかもしれない。そう信じられるの、あなたと一緒なら」
 そうしていつか、視界いっぱいに広がる黄金色の景色を彼女と一緒に見られたら良い。
 いつ尽きるとも知れぬこの生命を、そんなふうに温かな黄金で照らせたら素敵だ。
 彼女に冠した名のとおり、神に祝福された豊穣。
 それはきっと今生で一番の幸福みのりである。