黒竹
2022-11-06 23:53:17
12829文字
Public プロセカ
 

#7 CAN YOU KEEP A SECRET?

【プロセカ】【東雲彰人】【暁山瑞希】【MAKE IT REAL】
※近親注意

 なんでもできるボクたちは、だからきっとなんでもないものに惹かれてしまう。



 放課後、賑々しい神山高校の校門前で、違う学校の制服に身を包んだ少女が所在なさそうに佇んでいる。宮女だ、と通りしなに囁かれて思わず少しだけ身をすくめた。ただでさえ目立つのに、背中にかけたギターケースがさらに悪目立ちする。
 ソワソワと落ち着かない様子だったが、しばらくして待ち人を見つけたか表情が明るくなった。
 少女の手前で別の少女が立ち止まる。「星乃さん?」やや驚いたように名前を呼んだ彼女の灰緑の髪が動揺で揺れる。けれどその動揺はけして嫌なものではなかった。思いがけず良いことに出会った、そういう揺れ方をしている。
「ごめん、急に。ホームルームが早く終わったから、良かったら練習場所まで一緒にどうかと思って。この前草薙さんに教えてもらったことの確認もしたいし」
 歩きながら少し話せないかな、と提案されて、言われた側が恥ずかしそうにうつむいた。
「う、うん。大丈夫……
「良かった。じゃあ行こうか」
 並んで歩き出した二人の少女を眺めている姿がある。二人はまったく気づいていない。当たり前だ、はるか頭上で顔の視認すらおぼつかない距離から自分たちを見ている存在があるなんて思いも寄らない。
 神代類は屋上のフェンスに軽く指をかけた姿勢で幼なじみとその友人を眺めている。並んで歩くその姿はまだ少しぎこちないけれど、そのうち自分たちと同じように馴染むのだろう。
「覗き見? やーらしいんだー」
 どうかと思うよそういうの。からかい口調が後方から届いて、類が振り返る。声で分かっていたけれどそこにいたのは旧知の友だった。桃色の長い髪は丁寧にケアされていてなめらかに揺れる。ところどころ改造されている制服はもちろんよく似合っていた。
「来てたのかい、瑞希」
「お昼からねー。こないだサボった日にやったテスト受けないと進級に響くって先生に脅されてさー」
 不満そうに唇を突き出しながら瑞希がうなずく。登校日数の少なさはともかく、勉強自体は嫌いじゃない子だ。テストとやらも点数は心配いらない。類も「そうかい」と相槌を打つだけにした。
「今日は新しい動画作ってモモジャンの配信見ようと思ってたのに」
「配信?」
「そ、今日は生配信やる日なんだ。類も見る? これは前回のアーカイブなんだけど、このみのりちゃんって子がボクの推し。すごく可愛くて一生懸命なんだよ」
 スマートフォンで再生された動画を見せてくる瑞希に合わせて、類が画面を覗き込んだ。振りコピ講座、と銘打たれたコーナーで、少女がにこやかに踊っている。
 女の子が四人。なるほど、アイドルらしく華やかだ。自分たちがしているショーとは趣が違うけれど、こういうのも見てみると楽しい。
 瑞希が「推し」と言う少女を眺めつつ、類はふむと息をつく。
「素敵な子だね。でも……他の子たちとは少し違う」
「ああ、みのりちゃんだけアイドル経験ないからね。類は知らないかもだけど、他の子たちはめちゃくちゃ有名なアイドルだったんだよ。けどボクはみのりちゃんもすぐ追いつくと思うなー。ファンフェスタでもキラッキラしてたし」
 瑞希が別の動画を再生して、「この曲のダンス、前は苦手みたいだったけど最近のはすごく上手なんだ」熱っぽく語り始める。
 他の三人よりやや地味な、そう、『普通の子』という雰囲気の少女。それでも画面から伝わる一生懸命さと、アイドルがしたいという熱意は凄まじいものがある。
 そういう子、好きだよねえ瑞希。声には出さずに胸中だけで呟いた。
 人のことは言えないんだけれど。
「みのりちゃんは、この遥ちゃんって子にあこがれてずっとアイドルを目指してたんだって。それまではちょっと後ろ向きで悩んだりしてたけど、遥ちゃんに出会って救われたんだよ」
 並んで笑い合う少女たちを指差しながら瑞希が教えてくれる。
 救い、か。
 屈託なく笑う彼女にはあまり似つかわしくない言葉のように思えたけれど、それは類が今この時のみのりしか知らないからかもしれない。
「──僕が瑞希を救えたら、君もこんなふうに笑えただろうか」
「え?」
「いや……なんでもないよ」
 馬鹿馬鹿しいわずかな未練を覗かせてしまったことに我ながら動揺した。にこやかにごまかそうとしたが、瑞希は困ったように眉を下げた顔で類の胸元を叩いてきた。泣き笑い、に見えたけれど、瑞希は泣いてもいないし笑ってもいない。たぶんもっとフラットな感情だった。それくらいには時間が経っていた。
「ボクたち、どっちも救えなかったね」
……ああ」
 出会いは同じ屋上で、けれどこの屋上ではなかった。ギリギリのところから助けられはしたのだと思っているけれど、引っ張り上げるほどの救いはなかった。
 未練とか後悔とか、そういうものなのだと思う。
 あの頃、神代類も暁山瑞希も、お互いに相手がほしいものをたったひとり知っていたのに、どちらもそれを持っていなかった。
 あの窮屈な中学校の屋上で、どうすれば相手が救われるのか知っていたのに、どうしたってそれを自分が差し出せないのだとも分かっていた。
 だからひとりだって悪くはないとうそぶいて、ひとりとひとりでいるしかなかった。
 ぼくたちは賢いから、自分でなんでもできるから、ひとりでいたって平気なんだと、お互いにそう言って慰めるしかなかった。
 抜け駆けしたのは類だ。
 暁山瑞希をひとり、屋上に置き去りにしてしまったのは神代類だった。
 楽しそうに笑ってくれるようになった友人は、しかしおそらくは今もこの屋上にひとりきりだ。
 胸を突く華奢な拳をそっと下ろして、瑞希は屈折した笑みを見せた。
「大丈夫。ボクだって毎日楽しいよ。こうやって類と話したり、杏たちと遊んだり、サークルのみんなと動画作ったりさ。もちろん一人の時だってアニメみたり洋服アレンジしたり、楽しいこといっぱいあるし」
「ああ。うん、そうだね」
 それらはすべて、瑞希が本当に欲しいものじゃないことは分かっていた。けれどそれらはすべて、瑞希が本当に大切にしているものなのだ。
 だからひとつだけ。あとたったひとつ、瑞希に『それ』をあげられる誰かが現れてくれるといい。
 無責任な願いなのかも知れないけれど、この友人に、そんな幸いがあればいいと、神代類は心から願った。



 今日はついてない。体育の授業がサッカーなのは良かったが、試合形式でプレイしている最中に飛んできたボールが耳をかすめて、その拍子に緩んでいたらしいピアスのキャッチが外れてしまった。土埃舞うグラウンドでキャッチはすぐに見えなくなり、試合を止めるわけにもいかなくて探すこともできなかった。仕方なく本体も外しているが、どうも耳元が心もとない。
 加えて、先日のテストで赤点を取ってしまったので放課後に再テストを受ける羽目になった。冬弥にみっちり教えられたので今回は大丈夫だと思うが、数人だけ残ってテストを受けさせられるのはうんざりする。自業自得なのだけれど。しかも今日は杏とこはねが友達と出かけるとかでチームの練習もないのだ。ストレスが溜まる。
 再試を受けて帰ろうとしたところで、珍しい姿が目に入った。「暁山」思わず声をかけたものの、特に用はないので、振り返った瑞希に「よう」と無意味な挨拶をする。
「あっれー弟くんじゃん。どうしたの、居残り?」
……再試だよ。お前こそこんな時間に学校いんの珍しいじゃねえか」
「あ、それボクも受けたんだ。ボクは再試じゃなくてこの前のサボっただけだけど」
「一言余計なんだよお前は。あと弟くんって呼ぶんじゃねえ」
 瑞希は苦虫を噛んだようなこちらの表情にもなんら構わず、彰人の隣に並んで歩き始めた。
「あ、ピアス外れてるよ?」
「ああ、キャッチなくしてしょうがなくな。くそ、あれ気に入ってたのに」
 穴の空いた耳たぶを軽く撫でながらため息をつく。「再試もあるし最悪だ……」不機嫌に呟く彰人の横顔を眺めていた瑞希が、ふむと思案顔になった。
「ボクが知ってるお店で弟くんが好きそうなアクセ扱ってるところあるけど、良かったら行かない? 見立ててあげるよ?」
「へえ……そうだな。そろそろ新しいやつ買おうと思ってたし、いつも同じ店で買ってるとマンネリするしな」
 瑞希の提案に彰人がうなずく。新しいピアスがほしいと思っていたのも本当だし、瑞希のセンスなら店の間違いもないだろう。瑞希自身はフリルとかレースとかが好きだけれど、まさかそれを彰人に押し付けるわけもない。自分が好きなものより相手に似合うものを選ぶタイプだ。それくらいには信用している。
「どうせ今日は練習もねえし、ちょうどいいからそこ案内しろよ」
「じゃー決まりっ。へへ、弟くんとデートしたって絵名に自慢しちゃお」
「そんなもんが自慢になるかよ」
 なに言ってんだ、と肩をすくめる彰人の腕に瑞希が笑いながら肩をぶつけてくる。どちらかというとこっちの方が妬かれそうだ。サークル仲間として仲が良いらしい姉と友人の間に挟まれた彰人は気苦労も多い。
 詳しく聞いたわけではないけれど、絵名と瑞希にはなにか特別な、絆みたいなものが見える。自分と相棒の間にあるような握れば手応えがあるほど確かなものではない。確固とはしていない、曖昧な、ふわふわした、けれどなくなりはしないものだ。口出しすることはないものの、彰人はその何か、をずっと気にかけている。

 瑞希が教えてくれたショップは意外にもストリート系のアクセサリーショップだった。彰人好みだろうと言うのも納得がいく。しかし瑞希自身のイメージとはそぐわないので首を傾げたら、入り口で瑞希が種明かしをしてくれた。
「ボクがバイトしてるお店の常連さんの、旦那さんがやってるお店」
「なるほど」
 ということは、瑞希自身はこの店とはほぼ無関係だ。「ちゃんと前に遊びに来て傾向は知ってたから安心して」適当に連れてきたわけではないと手を振る瑞希に「そんな心配はしてねえ」穴の空いた耳たぶを触りながら応える。
 セレクトショップかと思ったが、商品についたタグや雰囲気を見るとハンドメイドの店のようだ。プライベートブランドらしいロゴが入ったタグがほぼすべての商品についている。尖ってはいるが逸脱しすぎてもいないデザインは、たしかにストリートカジュアルが多い彰人の洋服などにも合わせやすそうだった。
「悪くねえな。このへんは冬弥でも似合いそうだ」
「えっ、相棒と双子コーデ!? 弟くん可愛いとこあんじゃーん」
「しねえよ!」
 どうしてそんな発想になるんだと思わず怒鳴る。装飾をつけることが少ない相棒でも合わせられそうなデザインのものもあるなと褒めただけだったのに。
 杏とこはねはよくお互いに似合いそうなアクセサリーを贈り合ったりしているが、さすがに自分たちはそんなべったりした関係ではない。機会があれば冬弥を連れて来ようとは思ったが、お揃いにしようなどとは一切考えていなかった。
「なーんだ。ペアセットでいいやつもあるのにな」
「そういうのは杏たちに教えてやれよ。とにかく、今日はオレのピアスが目的だろ」
「はいはいっと。ピアスはこのへんね。前のと似た感じだとこのあたりかなあ。それとも、ガラッと雰囲気変えてみる?」
「つっても、あんま派手だと学校につけて行けねえしな……。まあ、そこまで派手なやつじゃなければいいか」
 ピアスの並んだ棚を順繰りに見ていき、赤い石のついたピアスを目に留める。
「お、それ気になる?」
「チームカラーを入れんのも悪くねえなと思ってな。赤ならライブでも映えるし」
 鏡に向かって合わせてみる。瑞希も隣で鏡を見て「いいんじゃない?」と笑っていた。値段も手頃だしさして迷う理由もない。
「これにするか」
「それなら、こっちのピンとかネックレスを合わせてもいいと思うよ。あとはそうだなあ、あ、帽子とか合わせてみる?」
 いそいそと陳列棚から持ってきては彰人に当ててみる瑞希。マネキンにされた彰人は苦笑しつつもやめさせようとはしなかった。悪い気分ではないし、紹介してくれた恩もある。
 ふと視線を感じる。気付かれないように目の動きだけで視線のもとを探ると、同じ年くらいの女の子がふたりこちらを見ながらヒソヒソと話していた。雰囲気で察して彰人が軽く目を眇める。
 半歩。瑞希を避けるように移動した彰人に、アクセサリーを見繕っていた瑞希が訝しげに顔を上げた。
「オレらデート中のカップルだと思われてんぞ」
 瑞希は吐息のようにああと相槌を打つ。それでまた彰人で遊び始めながら平然と答えた。
「まあそう見えるよねー。弟くん、そういうの気にする人?」
「なわけねーだろ。お前が気にするかと思ったんだよ」
「あはは、ありがと。でも大丈夫だよ。別にボクのこと知ってる人じゃないでしょ?」
「多分な。うちの生徒じゃなさそうだし」
 瑞希の指先につままれたピアスが彰人の耳朶に触れる。「じゃあどうでもいいよ」泥濘をかき混ぜるような声だった。
 柔らかいはずなのにどこか硬い、桃色珊瑚に似た瞳が彰人を見上げている。
 その視線を彰人は何度か受けていたが、未だにどういう意味なのか捉えかねていた。
……ま、気にならねえならいいけどよ。それじゃそろそろ買ってくる。お前はまだ見ていくか?」
「うーん、ボクは特に買いたいものもないから大丈夫。それよりちょっとお腹空いてきちゃったな。お会計したらどっかカフェとか寄らない?」
「そうか。──ああ、そういやこないだ駅前のカフェで新作のパンケーキが出たって」
 目線で伺うと、それでいいよと瑞希がうなずいたので、ピアスを買ってから駅の方へ向かう。「サンキューな。いい店教えてもらった」アクセサリーだけでなく、帽子やストールなどの小物も置いてあったから、イベント用の服を揃える時にも役立ちそうだ。瑞希は「どういたしまして」と笑って、彰人の背中を気安く叩いた。
 駅に近づくにつれ人混みが密をなしていき、彰人がはぐれかけた瑞希の腕を掴む。
 ほうほうの体で彰人の隣に戻ってきた瑞希の口から深くため息がこぼれ落ちた。
「平日のわりに混んでんな」
「あれだよあれ。チアデのコラボショップが期間限定でやってんの」
 瑞希が指差す方向を見やれば、なるほど、Cheerful*Daysと大きく書かれた看板の下に大行列ができている。アイドルに興味はないが、親しい人がアイドルをしていたので名前くらいは聞いたことがあった。男性ファンが多いようで行列も人混みも目につくのは男性ばかりだ。彰人でさえ埋もれそうになるのに、十センチは小さい瑞希では余計である。
「暁山、ちょっとつかまってろ。このままじゃはぐれちまう」
 瑞希の手を引いて自分の腕に掴まらせる。「ひょえー、雫ちゃんが抜けてもすんごい人気だなあ」瑞希も目を回しそうになりながらおとなしく彰人の言う通りにした。
 両手ですがりついてくる瑞希を守りながら人混みをなんとか抜け出す。ふたりで安堵の息をついて、それから力なく笑いあった。少し心の距離が近づいた気がする。同じ苦境を乗り越えた戦友、みたいな。
「わりぃ、リボンほどけちまった。せっかくきれいに結んでたのに、もったいねえな」
 途中どこかで引っかけたらしく、瑞希の髪に結ばれていたリボンがほどけて外れかけている。瑞希の髪に触れるギリギリの位置まで手のひらを持っていってリボンの様子を示すと、ん、と瑞希が自分の頭上を見るふりをして、それからそんなことではリボンは見えないと気づいたらしく手を伸ばして様子を確認した。
「大丈夫だいじょーぶ。毎日結んでるからね。ほら、こうしてちょいちょいっと」
 手慣れた仕草でリボンを結び直す瑞希に彰人が感心したように吐息を洩らす。
「うまいもんだな」
「まあね。いっちばん可愛く見える結び方を研究したんだ」
 自慢気に胸を張る瑞希に思わず苦笑した。まあ確かに可愛い。言わないけれど。こういう手合いは褒めると図に乗る。似たようなのが近くにいるからよく分かる。
「ちょっ、ちょっと、彰人!」
 突如背後から名前を呼ばれて思わずちょっとのけぞる。聞き覚えのありすぎるその声に、瑞希も眼を丸くしていた。
 恐る恐る振り返ると、やはり、そこにいたのは姉だった。
「げ、絵名、なんでここにいるんだよ」
「絵画教室の課題で使う画材が足りなかったから買いに来てたの。それより、なんであんたたち二人でいるの!? しかもさっき、腕、腕組んでなかった!?」
 あちゃあ、と瑞希が小さく呟くのが聞こえる。実際には瑞希が腕にしがみついていただけだが、まあ、仲良く腕を組んで歩いていたように見えなくもない。
「それに、頭ポンポンもしてなかった……?」
「はぁ?」
 絵名の表情がどんどん強張っていく。彰人は誤解を解こうとして、思い直してフフンと笑った。
「そりゃ、オレたち仲良しだからな。放課後一緒に出かけたり、くっついて歩くくらいするだろ」
「ええぇちょっと弟くん!」
 今度は瑞希が青い顔で腕を引っ張ってきた。制服の生地が頑丈なのでびくともしないが、彰人はわざとよろめいて、瑞希に顔を近づける。絵名の顔が真っ赤になった。赤と青に挟まれた彰人は涼しい顔をしている。
「なんだよ、お前だって後で絵名に自慢するって言ってただろ、オレとのデート」
「そんなの本気なわけないでしょ!? 言うわけないじゃんそんなこと!」
 「冗談に決まってるよ〜!」堪えきれない苛立ちを地団駄で表現しつつ瑞希が歯噛みした。そんなに焦るとは思わなかったので、彰人もなんだか興醒めしてしまって、意地の悪い笑みを引っ込める。
「はいはい。冗談だよ。オレのピアスが壊れたから暁山の知ってる店に連れてってもらっただけ。で、腹減ったから適当になんか食おうってことになって、カフェに行くところだったんだよ」
「そうそうそう。絵名が思ってるようなことはなんにもないから」
「な、なんだ……。もう、やめてよね彰人」
 絵名が胸をなでおろす様子に、彰人はそっと目を眇めた。大切な友人が弟とそういうことになったらどうしようと本気で心配している表情だった。
 それ以外にもなにかあるのかもしれないが……
 「あ、ほんとだ、ピアス一個ない」いきなり耳を引っ張られて「いでで!」思わず声を荒らげる。引き寄せなくてもピアスがないことなど見れば分かるだろうに、どういうつもりだろう。からかったことへの意趣返しだろうか。
「絵名と弟くん、相変わらず仲いいねえ」
 瑞希がしみじみとうなずいている。「仲良くねえよ」「仲良くなんかないわよ」見事にハモった。仲いいじゃん、という表情を瑞希がしているけれど、姉も弟も言及しない。やぶ蛇だと分かっているせいだ。
「あ、絵名もカフェ行かない? 弟くんが言ってたけど、限定のパンケーキがあるんだって」
「行きたいけど……課題の提出までけっこうギリギリなんだよね。また今度、ニーゴのみんなで行こうよ」
 わりと本気で苦悩していそうな表情で絵名が首を振った。以前の絵名なら課題は徹夜で仕上げればなんとかなるとか言ってついてきたような気がするが、教室に通い直して心境の変化があったんだろうか。
 あるいは、覚悟、といったようなものが。
 東雲彰人は覚悟を決めた人間を評価する。それが姉であってもだ。
 土産にケーキのひとつでも買っていってやろうかと内心で思う。
 まあそれ以外の部分において、姉を評価できるところがあるかという微妙な話になってしまうが。
「そっか。うん、じゃあ今度のニーゴの打ち上げはそこにしよっか。いつもファミレスじゃマンネリだしね」
 後ろ髪を引かれながら絵名がふたりと別れる。彰人に「くれぐれも瑞希に変なことしないでよ」と釘を差すのも忘れなかった。変なことってなんだよ、と彰人は不満顔を隠しもしない。
 カフェは多少混んでいたが、大して待つこともなく二人がけのテーブルに案内された。向かい合ってメニューを開きながらどれにしようかと思案する。
「オレはこの限定スペシャルパンケーキと、カフェラテにするか」
「うーんと……あ、ポテトとチーズのガレットだって、美味しそう。ボクこれにしよっと。飲み物はストレートティーかな」
 彰人が手を上げて店員に合図し、伝票を持ってやってきた店員に手際よく注文を告げる。
「スペシャルパンケーキにホイップ追加と、ポテトとチーズのガレット。あと飲み物をカフェラテとストレートティーで」
 注文したものが届くのを待つ間、彰人はさっき買ったばかりのピアスを取り出して耳にはめた。心もとなかった耳たぶがやっといつもの調子を取り戻す。赤い石の強い光を持ったそれを眺める瑞希が「似合うよ」と目を細めた。
「ピアスが飛ぶわ再試になるわで踏んだり蹴ったりだったが、お前のおかげでいい一日になった。サンキューな」
「えへへー。もっと感謝してくれてもいいんだよ、弟くん?」
「調子に乗んなっての。ていうか、いい加減、弟くんって呼ぶのやめろ」
 瑞希はテーブルに頬杖をついて楽しそう。桃色珊瑚の目がきらめいている。学校にいる時はなかなか見られない眼だ。いつもそうやって笑っていればいいのにと思うけれど、そういうわけにもいかないのだろうということも分かっている。
「おまたせしました」
 店員がパンケーキとガレットと飲み物を持ってきて、それぞれをふたりの手前に置いていく。
…………
…………
「ごゆっくりどうぞ」
 彰人はゆっくりと腕組みをして、目の前にあるガレットとストレートティーを静かに眺めた。
 瑞希は困り笑顔で固まったまま、山盛りホイップクリームが添えられたパンケーキの皿をそっと押し出した。
 店員を呼び戻して文句を言うのも大人げない。まだ高校生だけれどそれくらいの分別はある。
「まあ、見た目で判断すりゃそうなるだろうな」
「えっと……店員さんもどっちがどっちの注文か聞いてほしいよねー……
 ピアスしてメッシュ入れた男の子が甘いもの好きでもいいじゃん、ね?
 目線で言ってくる瑞希に、彰人は眼光鋭く当然だと返し、パンケーキを受け取ってガレットを差し出した。



 そういえば土産のケーキを買うのを忘れた、と思い出したのは、日付が変わる頃に絵名が部屋に入ってきた時だ。
「お腹すいた。彰人、なんかない? 下行ってみたけどなんにもなかったんだよね」
 さっきまで絵を描いていたのだろう、エプロンはないが絵名の腕や顔には絵の具がいくつもついていて、集中していたために疲労もあるのか、表情も冴えない。
「そんな都合よく食い物なんかねえよ……あ、いや、確かこのへんに」
 バッグをあさって目当てのものを探り当てる。缶入りのクランチチョコだった。先日、杏とこはねがフェニックスワンダーランドに遊びに行った時に買ってきてくれたものだ。もらってから開けずにそのままになっていた。
「ほれ、手ぇ出せ」
 缶を開けて軽く振ってみせる。絵名が両手を揃えて出してきたので、その上に適当に個包装されたチョコレートを振り落としてやる。
「ありがと彰人、ないよりマシかな」
「恵んでもらっといてその言い方はねえだろ」
 この姉、本当に弟に対する敬意がない。礼を言ってくるだけ良いと思うべきなのか。
 椅子に腰かけ、自分でもチョコレートをひとつ口に入れて、その甘さで怒りを鎮める。絵名は「ちょっと休憩」と彰人のベッドに寝転がった。いや自分の部屋に帰れよ、と彰人が苦い顔をするが絵名は知らないふりだ。
「なんだよ、煮詰まってんのか?」
「それもあるけど……
 ベッドに寝転がったまま、絵名は首をこちらに向けて、どこか不透明な視線で見つめてきた。
「ほんとに瑞希となにもないんでしょうね」
「まだ言ってんのかよ……。あるわけねえだろ、あいつは……
 ぐ、とクランチチョコのパフが喉に詰まる。何度か咳をして詰まったパフを取り除き、「ともかく」と仕切り直した。
「マジであいつは学校のダチってだけだ。杏のほうが仲いいし、今日だって偶然会っただけで別に約束してたわけじゃないしな」
……それならいいけど」
「ずいぶん突っかかってくるじゃねえか」
「そんなことないけどっ?」
 ギザギザになったチョコレートの包装を指先で千切る。小さな音を立てて裂ける包装は柔らかくてもろい。中のチョコレートを口に入れて噛み砕くとひどく甘かった。口の中で溶けて、パフも粉々になって、舌に貼り付いてくる。手の中で空っぽの包装を握りつぶした。
「絵名、お前……
「なに?」
「──いや。そろそろ戻ったほうがいいんじゃねえの。課題、期限ギリギリだって言ってただろ」
 絵名が嫌そうに口をへの字にした。彰人が言わなければこのままダラダラと朝まで居座りそうだった。昼過ぎまで寝ていられる姉と違って、こちらは明日も朝から学校なのだ。いつまでも居座られても困る。
「あんたに言われなくても分かってるわよ。さーてと、さっさと最後の仕上げして寝よっと」
 あからさまな強がりを捨て台詞に、絵名が部屋を出ていく……かと思ったら、引き返して置いてあった缶からチョコをひとつかみ奪っていった。「あ、おい!」不意をつかれて止めようとした手はむなしく空を切る。缶を覗いて確認すると半分くらいなくなっていた。「ごっそり持っていきやがって……」仏心を出すんじゃなかったと後悔するが遅い。
「うわ、しかもオレの布団に絵の具つけてんじゃねえか。ったく、これどうやって取るんだ」
 絵名についていた青い絵の具が移った掛け布団に顔をしかめる。油絵の具らしく、こすった程度ではにじみもしない。明日、絵名に聞いてみるしかないだろう。
 掛け布団から手を離して、ベッドにどさりと腰を下ろす。
「勝手に寝んなよ……
 思わず両手で頭を抱えた。
 ため息は、誰にも聞こえない。



 弟くんとこちらを呼ぶのはいまのところこの世でひとりしかいない。特別な呼び方だなどと喜ぶわけもなく、「その呼び方やめろ」珍しく二日連続で登校している友人にげんなり口調で言い返す。
 瑞希は言い返された言葉には反応せず、廊下の端に彰人を引っ張って小声で話し始めた。
「昨日、おうちで変なこと言ってないよね?」
「なにがだよ」
「だから! 絵名に勘違いされるようなこと、言ったりしてないよね?」
 どこか焦ったような様子の瑞希に首をかしげる。窓枠に腕を預け、並んで景色を眺めているような牧歌的な光景に見えなくもないふたりは、しかし妙な緊張感をはらんでいた。
「絵名もなんか妙に気にしてやがったけどな。そんなの、本気にされるようなこと言うわけねえだろ。昨日は偶然いっしょになっただけだってちゃんと説明したよ」
「そ、そっか。良かった……
「お前、わざわざそれ確認するために、今日学校に来たのかよ」
 うぐ、と瑞希が言葉に詰まる。この問題児がそうするまで気がかりにしていたとは思わなかった。昨日ちょっとからかっただけでいやに動揺していたし、どうしたというのだろう。
 赤の他人ならどう思われてもいいし、『暁山瑞希』を知っている相手の場合は自分のことではなく彰人に妙な噂が立つことを心配する。
 それでは、今のこれは、東雲絵名に誤解されることを恐れる理由は、なんだろう。
「ごめん、弟くんを信用してないってわけじゃなくて、その、絵名とはちょっと、色々あって」
「喧嘩……じゃねえよな。あの様子なら」
「うん。約束っていうか……そんな感じの。あとは、もうちょっと色々」
 色々、と二度瑞希は言った。けれどそれは、一度目と二度目で意味が違うのだと分かった。最初のは二人の問題で、きっと二度目は瑞希自身の問題だ。
 彰人は甘いパンケーキが食べたくなる。それか、メイコの淹れてくれるコーヒーでもいい。むしろそちらの方がなお良かった。胸焼けがするほど甘いパンケーキを口いっぱいに頬張るか、丁寧に淹れられたコーヒーを優しく喉に流し込みたい。
 廊下の隅は喧騒もどこか遠い。通り過ぎていく生徒が時々、瑞希のほうを見て何かコソコソ話している。気に食わないので睨みつけるとすぐに目をそらした。ああいう視線に慣れきった瑞希はそのくせ、もっと優しい視線にさらされることを心配している。
「お前」
 窓枠に腕を置いて、なんとなく階下の地面を眺めながらぼそりと言う。
「絵名のこと、本気なのか?」
…………
 瑞希が一瞬、棒を飲み込んだような顔をした。それから、彰人に向けていた目を、同じように地面に落とす。
「ば、バレちゃったかあ。さすが弟くん、鋭いなあ」
「そうじゃねえかとはちょっと前から思ってたんだけどな。お前、絵名の話する時だけ顔つき違うし」
「そ、そうなの?」
「ほんのちょっとだけな。大抵のやつは気づかねえだろ」
 それに、他にも彰人だから気づけたことがある。
 パーツがいくつかあって、他の誰にもそのすべては見えなくて、彰人だけがそれらを組み合わせられた。
 瑞希が窓枠に突っ伏して深々と息を吐いた。
……内緒ね?」
 彰人は地面を見下ろしたまま表情を変えずにいる。
「フラれてサークルとやらがギクシャクするのが嫌なのか?」
「それもあるけど〜。そういうことじゃないよ」
「だろうな」
 めんどくせえな。言いかけて、誤解されそうだから咄嗟に口を閉じた。代わりにくしゃりと頭をなでてやる。リボンがずれたけれど瑞希は何も言わなかった。
「ほんと、内緒にしててよ。ボクと弟くんの秘密だよ?」
「分かった分かった」
 うっかり暴いてしまったのはフェアじゃなかったなと反省する。昨日のゆらぎがまだ残っていたのかもしれない。
 一方的に秘密を握って優位に立つなんてフェアじゃあない。
 それは東雲彰人のプライドが許さない。
「──じゃあオレら、恋敵ライバルだな」
「────え?」
 思考が追いつかなかったのか、しばし止まってから瑞希が勢いよく顔を上げた。
 まじまじと見つめてくる桃色珊瑚の硬い眼を、彰人は真っ向から見返す。
 嘘でも冗談でもないと理解したか、瑞希の口があんぐりと開いた。
「え、ちょっと弟くん、ほ、ほんとに!?」
「だから、弟くんって呼ぶなってずっと言ってんだろ?」
 姉弟それも気に入っていないわけではないけれど、いつまでもそこに落ち着いているつもりもない。
 瑞希はさっきから唇を震わせている。思わず周囲を見回して誰かに聞かれてやしないかと確認するのが、なんとも暁山瑞希らしくて笑えてきた。まず人の心配をする癖はそろそろ直したほうがいいんじゃないかと思う。
「内緒な?」
 話は終わり。ぽんと叩いた頭の余韻で告げ、瑞希に背を向ける。
「ちょっ……弟くん、重いよそれ〜……
 人のこと言えねえだろ、とか、だから弟って呼ぶなよ、とか言いたいことはあったけれど、廊下の向こうから相棒が来るのが見えたから、そっちを優先した。
「彰人? どうしたんだ」
「なにがだ?」
「いや、ずいぶん楽しそうな顔をしていたから。何かいいことでもあったのかと」
 相棒の言葉を受けて、自覚はしていなかったがそんな顔をしていたのだろうかと小さく肩をすくめる。
……さて、な」
 無垢な視線でこちらを見ている相棒に、彰人は「内緒だ」と笑いかけて、後方にひらりと手を振った。