黒竹
2022-09-27 00:40:16
6715文字
Public リコリス・リコイル
 

JIVE MY REVOLVER

【リコリス・リコイル】【ちさたき】最終回in宮古島妄想。

 彼女の顔より先に身につけた制服に懐かしさを覚えた。
 あれだけ毎日欠かさず目にしていて、それより何より、自分自身が色違いの制服に毎日腕を通していたはずなのに、不思議なものだなと一瞬だけ懐古する。昔、というほど日も経ってはいないのだけれど。
 さすがにもろとも海に倒れ込んだずぶ濡れの身体でハワイに赴くわけにもいかない。たきなを自宅に招いて、海水のせいで色の暗く落ちた制服をしみじみと眺める。リコリス。初めて会った時、そう彼女を呼んだ。制服の代名詞として、彼女の呼称として。
「はいとりあえずタオルねー。お風呂はあっち。シャワーだけで大丈夫?」
「はい、ありがとうございます」
 たきなの頭めがけて投げた大判タオルは難なく彼女の手にキャッチされ、やや適当な仕草で髪を拭き始める。相変わらず己の容色に無頓着な彼女の様子に、呆れたような、少し安堵したような、微妙なラインを唇が作った。
 たきながシャワーを浴びている間に着替えを用意してやって、出てきた彼女と入れ違いに自身も海水を洗い流す。無造作にシャワーを浴びながら、ようやく実感が沸いてきた。
「そっか。たきながここにいるのか」
 当然だが彼女は幽霊などではないし、自分自身もそうだ。生身のある人間同士、会話をして、触れて、未来を語った。最初に荒っぽい歓迎をしたことは忘れようと思う。だいたい、先に撃ってきたのはあっちだし。
 もう会えないと思っていた。
 もちろん会わない選択をしたのは自分で、後悔もない。命が延びているなんて思いもよらなかったしこっちの生活も楽しかった。だから感動したわけじゃなかった。
「──ふっ」
 我慢しきれなくてひとりで吹き出す。
「ああいう顔がまた見れるとは思わなかったなー」
 憂いのない、こちらを邪険にして悪びれもしない生意気な表情を浮かべているたきなを思い出すと笑いが止まらない。胸元を見下ろして鼓動のないまま働き続けている機械を指先で感じ取る。
「ありがと、吉さん」
 たきなに聞かれたら怒るに決まっているから、シャワーの音で隠れる今だけ、恩人に感謝した。

 広く開いたシャツの襟ぐりをいきなり下ろされて思わず悲鳴が出た。
「なにをする貴様!」
 たきなは千束の抵抗も意に介さず、肩まではだけさせた千束の肌を凝視している。眉間のしわが深い。彼女の視線の先にあるものに気づいて千束は小さくため息をつく。
 不機嫌な顔のまま、たきなはさらに唇を尖らせた。そうしていると年相応の可愛らしさも見えるが、このタイミングで褒めてもたぶん喜ばない。
「やっぱり跡になってる。あのままおとなしく病院にいれば、ちゃんと治療を受けられてきれいに消えたかもしれないのに」
「まーまー、別に目立たないし、動かしても違和感もないしさ。大丈夫だって」
「そういう問題じゃないです」
 千束の左肩に残る銃創は丸く引き攣れてまだ赤い。さわられても痛くはないから、千束はたきなの指先がゆっくりと赤い印を撫でるのを好きにさせている。
 おそらく赤みが引いたあとも、組織が再生した跡は残るのだろう。あいつどうしてんのかなー。この傷をつけた張本人のことをうっすら思う。あの高さから落ちて助かるとは思えないが、どうも、しぶとくどこかでバランス取りをしている気がしてならない。顔を見たら何をしようか。コーヒーを淹れてやるか、ジュースをおごるか、一緒に映画を見ても良い。どうせ何をしても最後にはお互い銃を向けることになる。たぶん映画のお約束みたいにそう決まっている。
「千束!」
「うおっはい!?」
「今、なにを考えてましたか?」
……たきなのこと♡」
「ハートマークつけても無駄です!」
 銃創を覆うみたいに肩を掴まれた。隠したってなくなりはしないのに。
 たきなが大きく嘆息して、それから真正面から見据えてくる。あーこうやって見られるの久しぶりー。千束は呑気に考えている。
 些細なゆらぎから人の動きを読める千束だが、心まで読めるわけではない。これはそういった特殊技術ではなかった。ただ単にたきなが自分の感情を発露させているだけだ。出会った頃よりずいぶん感情豊かになったのは喜ばしい。ちょっと喜んでばかりもいられない状況ではあるけれど。下手なことを言ったら殴られそう。幼なじみの腫れた頬を思い出す。けっこう容赦ないからなー、たきなのパンチ。
 まだ湿っているたきなの髪を指先でいじりながら、軽く首を傾げて笑ってみせた。
「妬いてんの?」
「そうですよ」
 臆することなくたきながうなずく。これはなかなか本気だと千束はみぞおちのあたりに力を込める。
「べっつに、ただの傷じゃん。意味なんかないよ」
 そこにはなんの秘密もないし、隠された言葉もないし、訳知り顔の青年もいない。
 鉛玉が身体を通った、ただそれだけだ。
 たきなの手から少しだけ力が抜ける。唇を引き結んだまま、募らせていた思慕を隠しもしないで。
「千束にとってはそうでも、わたしにはそうじゃない」
「ねえたきな、笑おうよ。せっかくまた会えたんだから楽しく過ごそうぜー」
 生きているか死んでいるか分からないような誰かの残滓より、今ここにいる自分を見てくれると嬉しい。まなざしでそう語りかけるけれど、たきなは納得いかないという顔を崩さない。
 肩を掴んでくるたきなの手首を捕まえて静かに下ろさせる。現れた傷跡にはなんの熱もなく、ただ人体の再生能力が生み出した不格好な肉の盛り上がりだけがあった。
 むにっとたきなの頬をつまんでも笑ってくれないから、どうしようもなくて自分で笑ってみた。つられてくれるかと思ったけれど、彼女の唇は少しも上向いてはくれなかった。
……わたしがどうこう言えることじゃないのは分かってます。それでも……
 そんなもんかね、と千束がこっそり呆れて、その手がそっと後ろに回された。
「分かった。じゃあはい」
 背後に転がっていた金属の塊を取り上げてたきなに差し出す。「え?」たきなが一瞬きょとんとして、千束の手にあるものを認めて目を丸くした。
「好きなところ撃っていいよ。あ、でも一発だけね。二発以上はバランスが悪いって言われそうだから」
 悲しいほど手に馴染んだ無骨な武器の、銃口が暗く光っている。
 無意識に受け取ったたきなはしかし、焼けた鉄を持たされたような仕草で一度それを手の中で跳ねさせた。慌てて取り直すと、半ば呆然とその銃を見下ろして「何言ってるんですか」と無色の声で問うでもなく呟く。
 平坦な声は幼くもあり、なんとなく愛しささえ感じさせた。
「たきなが『それ』をほしがるなら、千束さんとしてはかまわないよ?」
「っ、そういうことを言ってるんじゃないです!」
「この距離なら外しようもないし、たきななら後々影響するようなところ撃たないでしょ。大丈夫、私も避けないから」
 たきなの顔が大きく歪んで、それから泣きそうな目が一瞬だけ現れて、自分で気づいたらしくて眼差しはすぐに怒りでラッピングされた。
 しっかりと握られた銃把。仄暗い銃口が額に定められた。千束は動かない。たきなだけを見ている。銃口がゆっくりと下りていって、肩、胸、みぞおち。そこからさらに下腹部までたどって止まった。
「そこがいい?」
…………
 すぅ、と息を吸い込むのが見える。
 次の瞬間、見えた通りに﹅﹅﹅﹅﹅﹅思いっきり頭突きを喰らった。ひどく鈍い音がふたりの間から響く。予想より痛くて千束は床に転がってもんどりうった。「くぁ〜……っ!」額を押さえながらゴロゴロ転がっていると、たきなが銃の安全装置をかける音が聞こえた。
「これで勘弁しておいてあげます」
「そ……それは、どうも……
「だいたい、これじゃ撃ってもあなたに傷はつかないじゃないですか」
 手慣れた動作でマガジンを抜き取るたきな。込められた銃弾は鈍い赤が目立つ非殺傷弾だ。至近距離で喰らえば気絶するほどのダメージを受けるが穴は空かない。
 千束はうひひ、といたずらっぽく笑い、頭突きを受けたせいで浮かんだ涙を軽く拭った。
「だってやっぱ怪我するのやじゃん。たきな、まともに弾受けたことある? 貫通してもすっげー痛いんだよ? しかもふさがるまでお風呂とか大変だしさあ」
「だったらかっこつけて変なこと言わないでくださいよ」
 やれやれと息を吐くたきな。転がったままの千束の両手を捕まえて、逃さないように絡め取る。
 なにかを諦めた眼差しは、頭突きひとつで許してくれる彼女の優しさだった。
「いいですよ。傷跡それ、残してても」
「え、ほんと? たきなやさしー」
 相好を崩して喜ぶ千束にようやくたきなも口元を緩める。離れていたのは季節がひとつ巡るにも足りない期間だけなのに、なぜだか彼女の笑顔がひどく遠いものに思えた。
 時間の流れが違っていたのかもしれない。いくばくもなく終わると思っていた命に急かされるように様々な場所を訪れて、その旅路はおそらく傍から見たらずいぶん忙しなかった。そのせいで、実際の時間よりも速く過ぎた気がしているのだろうか。
 たきなの右手が絡んだ指をするりと解いて、千束の目尻に触れてきた。
「お別れはみんなに来る」
……でもそれは、今日じゃない?」
「それが『今日』になる日まで」
 もうどれだけ先かは分からなくなった、いつか訪れるその日まで。
「わたしはあなたと生きたい」
 そこにあったのはただ純粋な思慕だった。激しくはなく、燃え上がってもおらず、かといって冷たくもない常温で、鋭くもないしへこんでもいない。そして硬くもなければ柔らかくもなかった。
 平穏、のような。
 井ノ上たきなが差し出してきた、手のひらに収まるほどの小さな世界を、錦木千束は静かに眺める。
 制服を着ていない彼女に代名詞はない。
……プロポーズみたいだね、たきな」
「そういうことでもいいです。それであなたを離さずに済むなら」
 たきなの目はうろたえない。「お前、本気で離さん気だな」「そう言ってるじゃないですか」人を出し抜く目と逃げ足には自信がある千束だったが、どうも今の彼女には通用する気がしない。
 譲れないものを湛えた瞳がまっすぐに射抜いてくる。銃の引き金は引かなかったくせにその眼差しの容赦の無さといったら!
 射抜かれて、打ち付けられて、身動きが取れなくなった千束は気の抜けた笑いを口の端からこぼして右手をたきなの背に回した。
「ああもう」
 こらえきれない苦笑を浮かべながらたきなを抱き寄せ、目を閉じる。
「君を好きになるんじゃなかった」
 なにも後悔はなく、守りたいものは守れて、毎日ぐっすり眠って、翌朝を迎えられたことに感謝して、そのうちきれいな海を見ながら生ききることができたらそれで良かった。
 それで良かったはずなのに。
 どれだけ密着したってとくとくと脈打つ彼女の鼓動は伝わらない。それは寂しくはなかった。
 たきながわずかに身じろぎして、どこか無垢な声で言う。
「あれ、わたし今ふられました?」
「なんでだよ。ふってねーよ。これから一緒にハワイ行こうって話してんのになんでふるんだよ」
「ならいいです」
 満足そうに笑うたきなが可愛くて、千束もくしゃりと笑った。
 頬を手のひらで包まれたので軽く顎を上げる。
「目、閉じてください」
 少し甘い、わたあめみたいな声が鼻先で揺れて、千束は素直に従った。
 掴まれたままの左手が離れて。
 金属が擦れる音がした。
「ん?」
 左手首の冷たい感触に眉をひそめ、なんの感触も訪れない唇の寂しさとともにまぶたを上げる。
 首をひねって自身の左手を見ると金属の輪っかがはまっていた。
「なんじゃこりゃあ!」
「手錠です」
 カシュン、と乾いた音がして、チェーンで繋がっているもう片方の輪がたきなの右手首で閉じた。
「ちょっちょちょちょーい! たきなさん? なにこれ?」
「寝てる間に逃げられると困るので」
「逃げないって! 信じてよたきなぁ〜」
「信用できませんね。心臓埋め込まれたばかりなのに逃げ出したのはどこの誰ですか」
 それを言われると弱い。だってあの時は本当にもう時間がないと思ったのだ。
 エンゲージリングには大きすぎる銀色の輪が鈍く光っている。「朝になったら外しますから安心してください」淡々と手錠のロック状態を確認しつつたきなが言う。
 起き上がって重みのある手錠を目の高さまで持ち上げる。穴を空けるどころか穴にはめられてしまった。どちらのほうが意味として強いのだろう。
「トイレ行きたくなったらどうすんの」
「ついていきますけど?」
 当たり前じゃないですか。なにか問題でも?
 そういう表情をするものだから、千束は歯噛みしながら頭を抱えるしかない。間違いなく彼女は本気なのだ。そこは腐っても相棒、確信がある。
 縄で縛られるわ手錠をかけられるわ、再会から踏んだり蹴ったりだ。「鍵どこよ?」「秘密です」ほんのかすかにもたきなの視線は動かない。けれどごくごく小さく、彼女の腰が震えた。左足のサイホルスターか。千束はそしらぬ顔で手錠を外せと騒ぎ続けた。たきなが眠ったらこっそり外そう。
 結局、頼み込もうと泣き落としをしかけようとたきなは頑として手錠を外そうとはせず、つながれたまま並んで寝具に寝そべった。
 千束は夜更けにたきなが寝入ったのを確認してからすんなり鍵を見つけ出し、ついでにたきなの太ももがすべすべで気持ち良かったので軽く撫でてから、銀色の輪っかから己の左手を解放した。
……逃げないっつーの」
 安らかな寝顔を見せるたきなに目を細めながら彼女の髪を指で梳く。
 なにか夢を見ているのだろうか。それとも夢も見ないほど安心して眠っているだろうか。
 そばにいなかった間、彼女が悪い夢を見ていなければいいと思った。



 なんとなく左手が痛い。「……なんだあ?」寝ぼけ半分に呟いて目を開け、左手を確認する。
 手形がつきそうなほど強く、たきなに握られていた。
「おお……
 何があってもこの手は離さないという強い意思を感じる。いつの間に捕まったのだろう。手錠を外したことで安心しきって心置きなく熟睡したのはさすがに油断しすぎたか。
 起き上がってシーツの上であぐらをかく。軽く引っ張ってみるがびくともしない。
「手強いな」
 たきなの必死な両手を見下ろし、千束は肩から力を抜いた。下げた左手に刻まれた赤い輪はいつまで残るだろうか。
 「ふむ」唇をへの字に曲げつつ眉は開いた思案顔で、千束がひとつ唸る。
 たきなに捕まったまま、身体を精一杯伸ばして部屋の隅に置かれた固定電話の受話器を取る。スマホないとこういう時不便だなー。胸の中だけでぼやき、暗記している番号を指でなぞった。
「おっはよーございまーす、千束でーす!」
 電話口の店主相手に元気よく朝の挨拶。左手だけが元の場所に残った無理な体勢のまま、千束は快活に話し続ける。
「急なんだけど、今日ちょーっとやることができちゃって。悪いんだけどおやすみしまーす。……うん、そうそう、そんな感じ。うーんちょっと無理かも。それがさあ、今もう────」
 ぎゅっと掴んでくる手の温かさと力強さに苦笑して。
「手が離せなくなってんのよ」
 そういうことで。ごめんねー。あくまで軽い調子で通話を終え、受話器を置く。「うおお、脇腹攣りそう」妙な負荷がかからないよう、ゆっくりと体勢を戻していく。
 たきなの隣に戻ってきた千束は、ひひっと品なく笑って相棒の頬を優しくつついた。
「そんなんで千束さんを欺けると思ってんの?」
…………
 わずかに。ほんのわずか、千束にしか気づけない程度に、たきなの頬が紅潮する。
「うひひ。このたぬきめ。そんなに千束と離れたくないのかなー?」
…………
 意地でも寝たふりを続けるつもりらしい。まったく弱まる気配のない左手の拘束はそのままにして、ごろりとシーツに寝転がる。
「たきな。今日はふたりでどこに行こうか?」
 少女のまつげが儚く震えた。
……ここがいいです。千束だけの、ここが」
「そっか」
 なにひとつお膳立てされていないふたりは、南の海で同じ夢を見る。


「てか、そろそろ離してくんない?」
…………
「ずっと掴んでるわけにもいかないでしょうよ。手錠とかもさー、外じゃ無理じゃん」
…………
「他になんか探そうよ」
……考えておきます」