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黒竹
2022-05-30 22:43:16
10083文字
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プロセカ
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そらのおと
【プロセカ】【みのはる】
右足を軸にしたターンから細かなステップに移行するところでみのりの足がもつれた。視界の端でそれを捉えた遥はそれでも自身のステップを止めない。逆隣で踊っていたルカの表情も変わらなかった。
「わ、た、た!」
崩れたバランスを立て直せなくてみのりが派手に尻餅をついた。そこでようやく遥が動きを止める。「みのり、大丈夫?」声をかけながら手を差し出して、ころんだみのりを引き起こしてあげる。
立ち上がったみのりは少し悔しそう。昨日、自宅でひとり練習していて、その時にはできていたらしい。
この頃、ミクたちが教えてくれるダンスのレベルが上がってきた。まずみのりに動き方の基礎を叩き込む段階が終わって、いよいよ本格的にステージを意識した振り付けやパフォーマンスの指導に移っているようだ。下地も地力もちがうから一緒に踊っていても遥はついていけているが、みのりはまだそうはいかない。
「ずっと踊りっぱなしだし、みのりちゃん、ちょっと疲れてきてるのかもしれないわね。そろそろ休憩しましょうか」
ルカが優しく申し出ると、みのりが一瞬だけこちらを見てきて、遥もうなずき返した。体力的な面もそうだが、なにより笑顔が少ない。余裕がなくなっている状態で練習を重ねるよりは、ここで休憩を入れて気持ちを切り替えたほうが良いと思えた。
ドリンクを流し込んで息をつくみのりの額からは汗がとめどなく流れている。セカイは暑くも寒くもないが、風もないから動きを止めるといつもこうなるのだ。
自身は涼しげにしつつ、みのりを眺めてふむと一考。
「みのり、少しこのへんを散歩しようか。完全に腰を下ろしちゃうと身体が冷え過ぎちゃうから、疲れない程度にウォーキングしよう」
「うん、ありがとう遥ちゃん」
タオルで丁寧に汗を拭いてから遥の隣にてこてこやって来る。ステージのセカイは広い。遥たちもすべてのステージを見たわけではないからちょっとした冒険気分だ。
「行ってらっしゃい。迷子にならないように気をつけてね」
「行ってきます」
送り出してくれたルカに手を振って歩き出す。セカイ中の諸国を遊歴、というわけではないけれど、目に入るステージを眺めながら思い出話に花を咲かせる。
「あ、あれってASRUNの新メンバーお披露目ライブがあったところだよね! 真依ちゃんが加入したときの!」
「ほんとだ。懐かしいな、お披露目で新曲を一緒に歌うことになって、みんなでずっと練習してたっけ」
「みんなダンスも歌もすごく揃ってて可愛かったなあ。あっ、あっちはQTのステージ!」
「あれはいつのライブの?」
みのりが額を指先で押さえながら記憶をたどる。「あ、そうそう!」思い出して声を弾ませるが、どうしてかすぐに表情が曇った。
「えっと
……
愛莉ちゃんがソロ曲を初披露するはずだったライブの
……
」
ああ、と口の中で相槌を打つ。愛莉が初めてもらったソロ曲については、遥にとっても思い出深いものになった。まだ少し遠いステージを見つめる。そうか、立てなかったステージもここにはあるんだ。
想いと一言でまとめてしまえるけれど、そこには様々な意味が含まれる。
希望とか夢とか、憧憬とか思慕とか。
悔恨とか。
けれど『ある』ということは、きっとそれは愛莉に必要なものなのだ。つらくても、苦しくても、彼女にとって目を背けたくないものなんだろう。
「あれ
……
? ステージのあたりでなにか光ってる?」
「え?」
「なんだろう?」みのりが好奇心を隠しもせず光に近づいていく。「あ、みのり!」見覚えのあるあの光。きっとみのりはこのセカイに危険なんかありはしないと信じ込んでいて、それは間違いではないけれど正しくもない。
危険ではないけれど、思いがけない事態に遭遇することはある。
「光る玉? 舞台装置じゃないみたいだし、誰かの落とし物かな?」
「みのり、触っちゃだめ!」
警告むなしく、みのりの手がそれを拾い上げる。近くで見ればやはりあれは想いの欠片だ。ということは。
咄嗟にみのりの腕を掴んで引き寄せる。直後、視界が歪んで何も見えなくなった。
次に意識が浮上した時、見えたのは壁だった。
壁だ。一面どころかどこを見ても壁、壁、壁、壁。そして同じ質感の天井と床。窓どころかドアすらない。教室ほどの広さの部屋(だろうか?)にいるらしいが、いったいどこなのか見当もつかなかった。なにせコンクリートしか見えないのでなんの当てもない。
手近な壁に軽く触れてみるが特に変わったところはない。デザイナーズマンションとかにありがちなコンクリート打ちっぱなしの部屋と同じような、冷たい感触と灰色だけがある。
「あれ? ここどこ?」
みのりも気づいたようで、ぽかんと口を開けたまま周囲を見回している。ざっと見た限りでは怪我などはしていないようだ。少しほっとする。危険はないだろうけれど、彼女のことだから動転してころんだりしそうで。
セカイにまだなっていない想い、とはいえ、あまりにも殺風景に過ぎないだろうかと思っていると、不意に壁の一面に映像が浮かび上がった。
「ほえっ!? なになに!?」
急な映像に驚いてみのりが思わず遥の腕にすがり、しかし次の瞬間にはなんて畏れ多いことをと慌てて離れる。遥のほうは別にくっつかれても嫌ではなかったのだけれど。
砂嵐のような映像が次第に像を結び始めた。誰かがカメラの前に座っているようだ。奇妙なシルエットと鮮やかな桃色の髪がはっきりしてくる。
『ようやくお目覚めかしら?』
映像の人物がふてぶてしい口調で話しかけてきた。遥もみのりも壁の前で呆気にとられている。
「愛莉?」
「あ、愛莉ちゃん、だよね?」
「違うわよ! わたしはダークネスエブリデイ!」
「ハッピーエブリデイの仮面の色違いだね」
「あれ、モノクロバージョンもあったんだ」
顎に手を添えてふうむと唸る。「ハッピーエブリデイ? なにそれ知らない子ね」ダークネスエブリデイとやらが白々しく口笛を吹いた。あんまり上手くはない。
くい、とみのりがシャツの裾を引っ張ってきたので、遥は考えるのをいったんやめて彼女のほうへ視線を送った。みのりは片手をついたてのように遥の顔の近くに立てて、こそこそと内緒話をしかけてくる。
「もしかして、ドッキリ?」
「え?」
「愛莉ちゃんが出てたバラエティでこういうの見たことあるよ。隠しカメラが仕掛けられてて、わたしたちが慌てるところを撮ってるのかも」
「ああ、そういうのあったよね。ASRUNの時も楽屋にカメラが置いてあってこっそり撮られてた企画あったなあ」
懐かしい。本当になにも知らされていなかったからけっこう驚いた。そんなに変わったことはなかったからあまり撮れ高がなかったんじゃないかと思ったが、放映後はSNSとかで盛り上がったらしい。
みのりが目を輝かせる。「もちろん見てました!」
「収録前に台本チェックしたりスタッフさんに確認してる遥ちゃんがそれはそれは凛々しくて
……
! あれぞプロの顔ですよ。楽屋でまでプロ意識が途切れないなんてアイドルの鑑! それにメンバーのケアも細やかで、テーブルにジュースがこぼれちゃった時も自分のタオルが汚れるのも構わずすぐに拭いたりして! 一生推せるって思ったもん」
「あはは
……
ありがと」
よく覚えてるなあ、と半ば感心してしまう。
『ちょっと! こっちの話を聞きなさーい!』
「あ、ごめん愛莉」
『ダークネスエブリデイだってば!』
気を取り直すためにか一度咳払いをして、ダークネスエブリデイがシリアスな口調で話し始めた。
『見てのとおり、あなたたちが今いる部屋には窓も出入り口もないわ。壁は分厚いコンクリート製。したがって自力で出ることは不可能。そこから出たければ』
口を閉じて溜めを作る。みのりがごくりと喉を鳴らした。
『──嘘をつきなさい』
「え? 嘘?」
『そうよ』
「あ、じゃあ、はいはい!」
みのりが元気よく手を上げて、「うちのサモちゃん、実はチワワなんです!」自信満々に言い放った。
手を上げたままのみのりと、隣で腕組みをしている遥と、ダークネスエブリデイ。全員しばし無言。
何も起こらない。あれ、とみのりが首をひねった。
「あれー? どうして?」
『そんな嘘じゃ誰も騙されないでしょ。嘘っていうのは誰かを騙してこそ成立するのよ』
「つまり、ここには私とみのりしかいない以上、どちらかが相手を騙さないといけないってことだね」
『そういうこと。物分りが良くて助かるわ。さあ、お互い疑心暗鬼になりながら騙しあいなさい。あんたたちの友情がいつまで保つか見ものだわ』
悪い笑顔で言い捨てる姿を最後に、映像がフッとかき消える。逆側の壁を見上げるとやはりプロジェクターが天井近くに設置されていた。
「ということは、遥ちゃんを騙さないといけないの? え、ええ、どうしよう、遥ちゃんに嘘をつくなんて
……
それ以前に騙せる気が全然しないよぉ」
「みのり、その前に」
かいつまんで今いる場所のことを説明する。とはいえ、想いの欠片のこととか、それが生まれるきっかけなどの話は遥も詳しくできるわけではない。みのりもよく分からないようで、聞きながらうなずいてはいるが理解には程遠そう。
とにかくテレビ番組でもないしどこかに配信されるわけでもない、ということは分かってくれたらしく、その点に関しては安堵していた。
こうなってはクールダウンのしすぎを心配する以前の問題だ。ふたり、壁にもたれかかって腰を下ろす。
「はっ、今ってもしかして完全に遥ちゃんとふたりっきりなのではっ。はわわ、どうしよう、推しと同じ空気吸ってる
……
っ!」
「そういえば窓もないのに息苦しくはないね。空気の通り道はなさそうだけど、そのへんはけっこうアバウトなのかな」
少なくとも窒息する可能性はなさそうだ。そもそも、セカイのなりかけであるここは長居しようと思っても勝手に帰されてしまうので、おそらくこのまま待っていたらいずれルカのもとに戻れるのではないだろうか。
と、提案してみたら、なぜか燃えてるらしいみのりが力強く首を振った。
「遥ちゃん、ネタ潰しはご法度だよ! アイドルたるもの、いつだって全力で乗っからないと!」
「
……
まあ、愛莉が泣いちゃいそうだしね」
どうして愛莉がこんなことをするのか分からないが、たしかに乗ってあげないとかわいそうかもしれない。シチュエーションからすると、ここは愛莉の想いの欠片が生んだセカイ(未満)なんだろうか。なにかバラエティに関連する未練があったとか。ちょっと想像がつかないけれど。
さて、そうなればみのりに騙されるかみのりを騙すかしなければならない。隣の彼女は一生懸命に遥を騙せそうな嘘を考えている。
「えーとえーと、実はわたし双子なんです!」
「みのりみたいな子がふたりもいるなんて素敵だね」
「はぅっ」
別に射抜くつもりはなかったのにみのりが自身の左胸を両手で押さえて悶えたので、楽しくなって小さく笑った。「うっ、推しの輝く笑顔プライスレス
……
!」ますますみのりの表情がとろけていく。握手とかしたら蒸発するかもしれない。
遊んでいる場合ではない。いや遊んでいるつもりもない。どうやら彼女、至近距離でふたりきりという状況に舞い上がっているようだ。しかも本当に他には誰もいないのである。どこかでダークネスエブリデイとやらが見ている以外、ふたりだけのセカイ。
壁際で体育座りをしながら、こちらをチラチラ見てくるみのりに目を合わせる。「あわわ」なおも慌てふためくみのり。なんだか少し前に戻ったみたいだ。
「みのり、そんなに緊張しないで」
「だ、だって、遥ちゃんとふたりっきりなんて
……
!」
想いの欠片のタイムリミットより先にみのりの心臓が止まりそう。
そうなっては困るので、遥はやにわに真剣な表情を浮かべて考え始めた。
「明日は雨が降るよ」
「そうなの?」
「明日は晴れるよ」
「え、そうなの? どっち?」
「雫は成長期で身長が十五センチ伸びたんだって」
「へー、そうだったんだ」
口を閉ざしてしばらく待ってみるが、どこかに出口が現れる気配はない。
「
……
うん。判明してない未来の話とか、私自身が本当か嘘か分からないことじゃ、たとえみのりが信じてもだめみたいだね」
「あ、さっきのはそれを確認してたんだ」
先にみのりに説明してしまうと検証にならないから不意打ちするしかなかったが、みのりは気分を害したりはしなかった。
さて、こうなれば正攻法を探すしかない。
足を伸ばし、軽く手を組んで、まるきり友人同士の語らいのような姿勢で並ぶ。
「去年のお正月は家族でハワイに行ったんだ」
「え、去年はお正月生特番の企画でシブヤに新しくできたクレープ屋さんのレポートしてたよね?」
秒で返された。まさかこんなところで彼女のASRUN知識が障壁になるとは。
「実は昔、猫を飼ってたんだけど」
「うーん、インタビューでもそんなこと言ってないよね。猫を飼ってみたいって話なら、あの雑誌の質問コーナーで答えてたと思うけど」
「筋トレのメニューは腕立て伏せ五十回、クランチ百回、スクワット二十回──」
「スクワットは三十回じゃなかった?」
「初めてソロ曲を歌った時に着てた衣装の小物が落ちちゃってスタッフさんが拾ってくれたの」
「あ、拾ったのはスタッフさんじゃなくてメンバーの子だよね」
だめだ、難しい。どうしてそんなに細かいことまで覚えているんだろう。
みのりはみのりで、遥が信じそうな塩梅の嘘を思いつけずに苦戦している。
『ふっふっふ、苦戦しているようね』
プロジェクターからダークネスエブリデイが投影され、どこからか勝ち誇ったような声が聞こえる。おそらく天井あたりのどこかにスピーカーも備えられているんだろうが、なにせコンクリートなので反響してやや気持ち悪い。愛莉の声じゃなかったら厳しかったかも。
「愛莉ちゃん、難しいよぉ〜」
『ダークネスエブリデイだって言ってんでしょ!
……
コホン、そろそろ降参かしら?』
「ちなみに降参するとどうなるの?」
『今日から一ヶ月、みのりの晩ごはんがサーモンとブロッコリーのサラダになるわ』
「鬼の所業!」
サーモンとブロッコリーを一緒にするなんて! と激しく抗議するみのりにも、ダークネスエブリデイはどこ吹く風。それ別に私はなにも困らないなあ。遥が一瞬静観しようかなと迷う。
『遥には定番のわさび寿司を』
「それは宣戦布告だよ愛莉」
『ダークネス
……
そんな睨まないでよ、けっこう怖いわよあんたの真顔』
やる気が出てきた。
『とにかく、降参しないならあんたたちはずっとそこでふたりっきりよ』
「ちょっとそれでもいいかなって思ってたけど、そういうことなら本気を出すよ」
「遥ちゃん、冗談なのは分かるけど、ずっとここにいたら色々大変だよ。ご飯とかお風呂とか」
生真面目に言ってくるみのりの頭をわしわし撫でる。不意の接触にみのりが卒倒しかけた。
みのりを見ていると穏健な笑顔が自然に浮かんでくる。
一緒にアイドルがしたいと手を差し伸べてくれた彼女。その手を取った気持ちに嘘はない。
「みのり」
「はい?」
「好き」
みのりの身体が硬直する。
遥はかまわず、にっこり笑ってみのりの手を両手で包み込んだ。
「これからも今までと同じように、グループの仲間として一緒にいたいな」
「ひ、ひえぇ、そんな、遥ちゃんにそこまで言ってもらえるなんて光栄でしゅっ」
みのりが動揺のあまり見事に噛んだ。相変わらずな反応に遥が笑みをこぼす。
カコンとどこかで小さな音がした。振り向くと、ゆっくりと壁の一部がスライドしていき、外の様子が見えてくる。継ぎ目が見えないほどぴったりとドアが作られていたらしい。
ドアが完全に開いた先には、モノトーンの仮面をかぶったダークネスエブリデイがなぜか肩で息をしながら仁王立ちしていた。
ぜえぜえと鈍い呼吸音を吐き出しつつ、伸ばした人差し指をこちらに突きつけてくる。
「ざ、残念だったわね! 時間切れでゲームオーバーよ!」
「そんなぁ! じゃあわたし、これから晩ごはんがサーモンとブロッコリーのサラダになっちゃうの!?」
「落ち着いてみのり。ここは一時的なセカイなんだから、元の世界に戻ればそんな罰ゲームなくなるよ」
「はっ、そ、そっか! 良かったぁ」
ブロッコリーの脅威が去ったせいか、みのりは興味深そうにあたりを見回している。好奇心を刺激されているようだ。「そのへんちょっと見てくる?」遥が促すと、「うんっ」楽しげにうなずいて散策しに行ってしまった。
声が届かないくらいみのりが離れてから、ダークネスエブリデイが仮面を外して大きな息をついた。こうして直に見ると、どうも小さな違和感がある。確かに桃井愛莉なのだが、いつも見ている彼女とはどこかが違うような。
「あ、ちょっと小さいんだ」
身長の話ではなくて、少しだけ今より幼い。そうだ、思い出した。前に共演した時の彼女の姿なのだ。つまり、QTにいた頃の。
ようやく呼吸がおちついたらしい愛莉は両手を腰だめにしてこちらを見上げている。どこか怒っているような表情だった。
「ちょっと遥、なに考えてるのよ」
「なにが?」
「あそこでドアが開いたら、みのりが勘違いしちゃうじゃないの!」
どちらかが騙されないと開かないドア。
それは、ドアが開いたら、その前の言葉が嘘だと暴かれてしまうということだ。
──これからも今までと同じように、グループの仲間として一緒にいたいな。
愛莉が本気で怒っているから遥は安堵していた。彼女が気づいてくれてよかった。
「それじゃまるで、あんたがみのりをグループの仲間として認めてないみたいじゃない」
きっと彼女は離れたところで部屋の中を観察していて、事態を察知して慌ててこっちに来たのだろう。だから息を切らせていた。全力疾走したから。
ものの本で読んだことがある。一流の詐欺師はほとんどは本当のことを言って、一番肝心な部分でだけ嘘をつくのだという。
ひとつだけで良かった。ひとつだけ嘘を混ぜ込んで、彼女がそれを信じてくれたら。
「あんたは
……
今までと同じじゃ嫌なだけでしょ」
「うん」
「わたしが来なかったらどうする気だったのよ。まさかみのりが勘違いするって思い当たってなかったの?」
「ううん。愛莉なら気づいてくれるって信じてただけ」
ふふ、と悪戯に笑いながら告げると、愛莉は苦いものでも噛んだ顔をして、怒らせていた肩をゆっくり下ろした。
「なるほど。騙されたのはわたしってわけね」
「だって愛莉、みのりに甘いもの」
「罰ゲームだって実現しないと分かっているからあんなことを言ったんでしょう?」「まあね」手持ち無沙汰に仮面をいじりながら目を伏せてうなずく愛莉。
愛莉なら絶対にみのりが傷つくようなことにはしない。たとえうたかたのセカイにいる彼女であっても同じことだ。
降参のポーズなのか愛莉が両手を上げて、そのまま頭の後ろで手を組んだ。
「馬鹿ねえ。あんたはみのりに何をしてもいいのに」
「だから何もできないんだよ」
みのりが探検を終えて帰ってきた。体感的にこのセカイともそろそろさよならだろう。
目の前の愛莉とまだもう少し話していたい気もしたけれど、同じくらい今の愛莉と雫に会いたい。
「嘘になっちゃうかもしれないけど」
「うん?」
「嘘でも、大切なの」
「
……
困るわよねえ、そういうの」
愛莉は幼い顔に似合わない、やけに達観した表情で笑った。
「遥ちゃん、愛莉ちゃん、ただいま! ここ、全部セットなんだね! あっちに行ってみたら境界線みたいなのがあって、その先にはなんにもなかったよ」
セカイもまた、嘘でできていたということか。
ハリボテのセカイの欠片が歪む。もうおしまいらしかった。
みのりの手を取って夢物語の終焉に備えつつ、遥は愛莉と目を合わせる。
「想いの欠片がもっと大きくなって、セカイが生まれたら。あなたにまた会えるかな」
「会えるといいわね」
「そこは嘘でも会えるって言ってよ」
妙なところで律儀なのが愛莉らしくて思わず眉を下げた笑顔になる。
消えゆく景色の中、最後に彼女に見せた顔が苦笑になってしまったことを、遥は小さく後悔した。
おかえりなさいと優しい声が出迎えてくれる。目を開けるとルカが佇んでいた。元のセカイだ。ミクとメイコがライブをしていて、カイトとレンがステージ演出について話し合っていて、リンは衣装をふたつ持ってどちらにするか悩んでいる、そんないつもの光景。
「想いの欠片の中に入ってしまっていたのね」
「うん、ごめんルカ、心配させた?」
「大丈夫、この想いはあなたたちを傷つけたりしないって分かっていたから」
戻ってきて気が抜けたのか、その場にへたりこんでいるみのりがルカを見上げる。
「みのりちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫
……
いろいろあってびっくりしたけど、楽しかったよ」
「そう。それなら良かったわ」
へらりと笑うみのりに釣られたのかルカも相好を崩して、みのりの手を引っ張って立ち上がらせた。
とんだ休憩になってしまったなと肩をすくめる。せっかくふたりきりだったのだし、もう少しなにか有意義に過ごせばよかったかも。なんて思ってももう遅い。ここからはまたいつもどおり、他愛のない平和な毎日が続く。
時間を確認するともう帰らないといけない時刻が迫っていた。予定のレッスンはこなせなかったが、これは仕方がない。明日からのメニューを調整すれば取り返せる程度なので、帰ってから愛莉と相談しよう。
「みのり、今日はもう帰ろうか」
「もうこんな時間なんだ。うう、遥ちゃんと一緒に練習したいけど、遅くなると睡眠時間が」
平日だし無理してもいけない、と諭すと、みのりは小さな子どもみたいにうなずいた。素直な様子がかわいらしい。
着替えを置いている部屋に向かう道すがら、想いの欠片の中にいた愛莉を思い出す。
彼女はきっと、バラエティ番組で活躍していて、それが自分の求める姿ではないことに葛藤して、けれど与えられた仕事を全力でこなしていた頃の桃井愛莉だ。
その姿は本当だったろうか。嘘だったのだろうか。
誰かがそれを決められるものだろうか。
誰かにそれを決めてほしかったのだろうか。
すべてが嘘だった欠片のセカイは、いつか『本当の想い』になれるのだろうか。
不意に指先が温かくなって目を落とす。遠慮しいしい、隣の彼女が指先を掴んでいた。
「あ、あのー」
「どうしたの?」
「さっき、ドア、開かなかったよね」
いつの時の話だろう、と首をかしげる。みのりは視線を己の爪先に落としたまま上げようとしない。
「ずっとふたりっきりでもいいって、遥ちゃんが言った時」
──降参しないならあんたたちはずっとそこでふたりっきりよ。
──ちょっとそれでもいいかなって思ってたけど、そういうことなら本気を出すよ。
「あ
……
」
売り言葉に買い言葉だった。わさび寿司がどうとか言って、愛莉が挑発してきたから。
「あ、あの時、きっと冗談なんだって思ったけど、ほんとだったらいいなって、ちょっぴり思ったりもしてて
……
信じたのか信じなかったのか、自分でも分かんなくて」
本当だったからドアが開かなかったのか、嘘を信じなかったからドアが開かなかったのか。
どっち? と、ようやく上がった眼差しが問いかけてくる。
やられた。あれは愛莉のトラップだったのだ。罠にかけられた──いや、ここはやはり、騙されたと言うべきか。
ため息をつきたいのを我慢して、代わりにみのりの手を捕まえる。
「──信じてくれたら嬉しい」
「
……
うん」
まったく妙な心持ちだ。騙したはずだったのに騙されて、騙されたはずの彼女は騙されてなくて、結局、本当のことを言うしかない。
降参だ。ゲームクリアでもなければタイムアップのゲームオーバーでもない。ただの白旗である。
これはなんとしても、もう一度あの愛莉に会わなければ。
モノクロのへんてこな仮面をかぶって悪戯に笑うあの子を、この嘘つきめと叫んで抱きしめてやりたい。
それくらいの完敗だった。
どこか遠くから、彼女の笑い声が聞こえた気がした。
「明日の朝練、ちょっと早く来れる?」
「だ、大丈夫」
「心の準備だけしておいてほしいかな」
「ひゃ、ひゃい
……
」
明日の朝、屋上で彼女に想いを伝えよう。
だってあのおせっかいにここまでされているんだから、そうしなくちゃ嘘だ。
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