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黒竹
2022-05-30 22:38:28
6842文字
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プロセカ
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#2 制服が邪魔をする
【プロセカ】【みのはる】【花里先生パロ】
まる二年と半年ほども通えば職員室にも慣れるもので、「失礼しまーす」やや間延びした緊張感のない礼とともにドアを開ける。いくつか固まった島になっている先生たちのデスク、その真ん中あたりの席に向かった。
なんとなくぼんやりしている教師の横で立ち止まり、軽く首を傾げる。
「みのりセンセ。さっきの小テスト、机の上に置きっぱなしで忘れてたわよ」
片手にまとめた粗い紙の束を差し出すと、現代文の教師である花里みのり先生がハッと顔を上げてこちらを凝視してきた。「あっ、ありがとう。ごめんね桃井さん」
「別にこれくらいいいけど。なんだか授業中もぼーっとしてたし、調子でも悪いの?」
「ううん、平気。なんでもないよ」
ふぅんと相づちを打って、桃井愛莉は不思議そうに目を細めた。この先生、普段からわりとぼんやりしているというか、うっかりミスが多いというか、しかもなにやら不運にも見舞われやすいらしく、何かとトラブルに巻き込まれているが、今回はそういうことではないようだった。
「ま、先生だって人の子だもの。本調子じゃないときだってあるわよね」
いたわるように言うと、みのりは「はふ」と小さく情けないため息をついた。
「生徒に心配されちゃうの、先生としては複雑」
「そう? なんか悩んでそうな顔してるのに誰も気にしないよりいいと思うけど」
他の教師がベテランばかりなせいか、年齢が近くてやや放っておけない感じをかもし出しているみのりは生徒たちの人気が高い。今年赴任してきたばかりだというのに、よく生徒にじゃれつかれているし、いうなれば愛されるタイプだ。
本人は尊敬されるような威厳ある教師を目指しているらしいけれど、まあ無理なんじゃないかなと愛莉は思っている。尊敬される先生は生徒に「みのりセンセ」なんて呼ばれない。なんなら愛莉も今ちょっと頭を撫でてあげたくなった。
小テストの束をトントンと机に落として揃えつつ、みのりがふと愛莉を見上げた。
「あの
……
桃井さん、好き嫌いある?」
「え? なんの?」
「食べ物」
藪から棒に投げかけられた質問を、愛莉は片方だけ上げた眉で受け止める。
「ないわね。うち、親が料理人だし、小さい頃は苦手なものもあったけど、工夫して食べられるようになったから」
「そっか。いいな
……
」
十近くも年上のしかも先生に、食べ物の好き嫌いがないことを褒められるどころか羨ましがられて愛莉はやや気味悪さを感じた。愛莉自身は別に嫌いな食べ物があってもかまわないと思っている。人生の半分を損しているだとか、そういうことを言うつもりもない。
「何が食べられないの?」
「
……
ブロッコリー」
「ふぅん。まあ好き嫌いが分かれるといえば分かれるか。食感が苦手な人とかいるものね」
いくつかアドバイスは浮かんだものの、こちらがすぐに思いつくようなことはもう試しているだろうし、そもそも、なぜブロッコリーが食べられないことをこんなにも悩んでいるのか分からないので、愛莉としても話の進め方に迷う。
両手を腰だめにして小さく肩をすくめる。「苦手なら無理に食べなくていいんじゃない?」あっさりした口調で言うと、みのりは目を閉じて細長く息をついた。
「無理に食べなくちゃいけないわけじゃないんだけどね」
「けど?」
「
……
すごく悲しい顔をされる
……
」
「なるほど」
実家暮らしだという話を聞いたことはある。しかしこの表情から察するに親が作った食事のことではないだろう。うっかりが加速してしまうくらい気にしているようだし、まあ、十中八九そういう相手がいるんだろうなと愛莉は心中で推し量る。
あまり突っ込んだ話をする間柄でも(教師だし)場所でも(職員室だし)ない。「ま、がんばって」無責任に告げてみのりの肩をぽんと叩いた。みのりが小さく呻く。痛かったわけではない。心はすでに痛めているようだが。
その日は天気が良くて風もなく、昼食を屋上で食べたら気持ち良さそうだったので、愛莉は弁当箱片手に階段室のドアを開けた。高いフェンスに守られているせいか、学校には珍しく屋上へのドアに鍵はかかっていない。ベンチに腰かけて包みを広げる。他に先客はなく、広い屋上を独り占めだ。愛莉はご機嫌で弁当に箸をつけようとした。
「あ」
ドアのあたりから声が聞こえてくる。風がないので小声の独り言もよく聞こえた。顔を上げると同じように弁当の包みを持った生徒がひとり、ドアノブを掴んだまま佇んでいる。
「あら、桐谷さんじゃない。あなたもここでお昼?」
一年下の桐谷遥のことはよく知っている。知り合いというわけではないが、とにかく向こうが有名人なので。それに間接的な因縁もあった。
どうぞ、と促すと、遥は小さく会釈をしてからこちらに近づき、愛莉と同じベンチに腰を下ろした。ちょっと意外だった。てっきり空いている他のベンチを使うと思っていたのだ。ふたりきりで仲良くお弁当を食べるほど親しくはないのにどうしたのだろう。
内心で首をかしげていると、遥がやや困ったような笑顔になった。訝られていることに気づいているし、それに不満もない顔。ただ愛莉の戸惑いについてだけ、申し訳なさを感じている。
「そうだ、夏休み中にうちの部員が迷惑かけたみたいね。ごめんなさい」
「え?」
「家庭科部の部長だったのよ、わたし。夏休みの前に引退してたから、あとで桐谷さんのこと聞いたの」
休み明けに様子を見に行ったら、たまたま学校に来ていた遥を追い回したというではないか。そういう光景を見たことがないわけではなかったけれど、まさか自分の部の子たちがそんなことをするとは思わなかった。刃物や火を扱う部活だし、愛莉が部長だった頃はそれなりに厳しくしていたので、抑止力が働いていたのかもしれない。
遥はああ、と小さく呟いて、それから少しだけ口元をほころばせた。予想外の表情である。それはまるで甘い飴を口に入れた時みたいな表情だった。彼女にとって愉快な出来事ではなかったはずなのにそんな顔をされて愛莉は鼻白む。
「大丈夫ですよ。気にしないでください、桃井先輩」
「あれ、わたしの名前知ってるの?」
「家庭科部の子が、桃井部長の話をしてたので」
「よく覚えてるわね」
直接の知り合いでもないのに、人の口から出た名前なんて覚えているものだろうか。疑問が顔に出ていたのか、遥が苦笑を深めて「いろんな子に話しかけられるから、聞いた名前を覚えるのが癖になっちゃって」と教えてくれた。なるほど、有名人は大変だ。噂によれば告白はNGらしいが、それでも自分のことを知ってもらいたい生徒が大量にいるということか。それに応える遥もすごい。どんな記憶力をしているのだろう。
いよいよ弁当に箸をつけつつ、
「桐谷さんとふたりきりでお弁当なんて食べてたら誤解されるかしら」
冗談交じりに言うと、遥は冗談でもなさそうな視線でうなずいた。「されるかもしれませんね」冗談じゃないと愛莉がうんざり顔をする。
「ふふっ」
「なによ?」
「桃井先輩、すぐ顔に出るタイプなんですね」
その言い方がなんだかからかいじみていたので、愛莉はむっと口をへの字に曲げた。それからハッと気づいて表情を消そうと努力してみる。当然のように遥はこちらの百面相を楽しんでいた。うぬぬ、と口の中で小さく唸る。
「先輩をからかって楽しい?」
「ちょっと」
「
……
あなた、思ってたより可愛くないわね」
なんだか噂とずいぶん違う。噂で聞いた桐谷遥は、もっと落ち着いていて大人びて、しかし物腰柔らかな優等生という話だったけれど。今の彼女は思っていたよりずっと子どもっぽい。
遥も弁当箱を開けて食事を始めた。見るともなく見えた弁当は、料理好きを自称する愛莉から見ても良い出来だった。
「そのお弁当、あなたの手作り?」
「そうですけど?」
「栄養バランスもいいし、ちゃんとカロリー計算もしてるみたいね。やるじゃない」
「ありがとうございます。進路をそっちで考えてるので、今は独学ですけど、一応そのへんは気をつけてます」
「まあ、難を言えばちょっと彩りが足りないかしら? もう少し緑のものがほしいわよね。ブロッコリーとか茹でておかかで和えちゃえば、そのまま入れてもおかずになるから便利よ」
家庭科部元部長らしくアドバイスをしてみると、遥は小さく声を詰まらせて、それから細長くため息をついた。
「そうしたいのはやまやまなんですけど」
「あれ? もしかしてブロッコリー嫌い?」
「いえ、私は食べられるんですけど。えっと、近くに、苦手な人がいて」
はてと首をかしげる。なんだか似たような会話を数日前にしたことがあるような。
まあブロッコリーが嫌いな人間なんてそこまで珍しくもない。愛莉は深く気にせず会話を進めた。
「あー、家族全員でおんなじメニューにすると面倒よね」
「栄養価も高いし、できれば食べてほしいんですけど、難しくて」
もぎもぎと鶏つくねを噛み締めながら愛莉がふむと思案する。
確かに何かと便利なのだ。ふたりが言うように、彩りも良いし栄養価も高いし、値段だって財布に優しい。ボディビルダーやスポーツ選手の食事を調べれば必ずと言っていいほど出てくる。それくらい健康に良い食材なのである。これだけ考えられた弁当を手作りするくらいだ、遥もなんとかして相手に食べてほしいのだろう。
「ミキサーにかけてペーストにしちゃうとか、ハンバーグとかに練り込むとか」
「そのへんは試してみたんですけど全部気づかれちゃって
……
」
遥が一度箸を置いて肩を落とした。
「みのりさん、普段はぼーっとしてるのにそういう時だけ鋭いのなんでだろう」
ぼやいてからひじき煮を取ろうとした箸が、ふ、と止まる。
愛莉は咀嚼していた高野豆腐を飲み込んだあとも弁当箱から目を上げなかった。
「
……
えーっと
……
」
遥の目が泳いでいる。こんな様子を見たことがある生徒は他にいないかもしれない。もしかしたら先生だって見たことがないという可能性もある。
なんとかしてごまかそうとしているのがありありと伝わってくるが、遥の口から言い訳は出てこなかった。
なるほどなるほど。愛莉の中で色々なものがつながっていく。この美少女にお弁当を作ってもらったらそれは全部食べてあげたいだろうし、悲しい顔をされたら小テストの解答用紙くらい忘れたって何の不思議もない。
「そういえばみのりセンセもブロッコリー嫌いって言ってたわね」
面白いのでつついてみる。あるいは武士の情けの介錯だったかもしれない。
「ぐ、偶然ってあるんですね」
無理がありすぎる返答だった。
さっきの仕返しにもっとからかおうかと思ったが、曲がりなりにも先輩なのに後輩をいじめるのは良くない。それに彼女の場合、誰かに知られたら本当に困るに違いない。みのりの身に危険が迫らないとも限らないのだ。
「ああ、心配しなくても言いふらしたりしないわよ。どうせ三学期は自由登校で学校にもほとんど来ないし」
だから安心して、と食事をしながらなんでもないような口調で言う。
それにしても、みのりとは意外だった。この四月に赴任してきたばかりなのに、もうお弁当を作ってあげる間柄なのか。
少々野次馬根性は働いたけれど、誰にも言わないと約束した直後だし、根掘り葉掘り聞くのもはばかられる。愛莉は努めてなんでもない風を装って食事を終わらせた。
「でも気をつけなさいよ? わたしだったから良かったけど、他の子だったら大変よ」
「
……
すみません。桃井先輩、ちょっとみ
……
花里先生と似てるから油断したかも」
「似てるかしら?」
遥は箸を持った手で口元を隠しながら、なぜかやや引け目を感じているような眼差しでこちらを見てきた。
「からかうと楽しそうなところ、とか」
「
……
あのねえ」
年上に向かってなんて言い草だと思ったが、そもそもみのりをからかって楽しんでいるらしいので、そんなことを言ってもなんの効果もなさそうだった。
ここでなにか言ったら狭量をさらすようで口ごもっていると、遥の双眸が軽く細められた。
「あ、でも私、花里先生にしか興味ないので大丈夫ですよ」
「わたしだってあなたなんかタイプじゃないわよ」
「助かります」
含み笑いで言ってくるのが生意気で、愛莉は心のなかで拳を握りつつ真正面から遥をにらみつける。にらまれたほうは涼しい顔で受け流していて、それも絵になるのがまた生意気だ。
やれやれと息をついて、空になった弁当箱を包み直すと小脇に抱えて立ち上がった。
「ま、大変でしょうけど頑張って」
遥は相槌すら打たずに軽く首をかしげただけの反応をした。大変だと思っていないのかもしれない。
遥も食事は終えているが、立ち上がる気配はない。他の生徒もいないし、しばらくここでのんびりするつもりなのだろう。
「そうだ。ブロッコリーだけ食べさせるんじゃなくて、好きなものも一緒にあげてみたら? ご褒美って感じで」
「好きなもの
……
」
適当な進言だったが遥は顎に手を当てて真剣に考え始めた。濁りのない瞳だった。そういう瞳を数日前にも見たことがある。
うわー両想いだーと愛莉は背中にこそばゆさを感じながら空を眺めた。
パスタにかかったソースから小ぶりなブロッコリーをひとつ、フォークで刺して目の前に差し出してみる。潤んだ瞳が恐る恐るそれを捉え、それからこちらに視軸が移った。小動物みたいで可愛い。本物の小動物なら喜んでブロッコリーを食べてくれるんだけれど。現実はうまくいかない。
「みのりさん、あーん」
「あ、あーん
……
」
まるで毒味をするような風情で、はぐ、と、ブロッコリーの先端だけが咥えられた。そこから進まない。ひと口サイズどころか赤ちゃんでもいけそうな小ささなのに、みのりは咥えたまま止まってしまって先に進む気配がなかった。
分かっていたし何度も試しているので仕方がないが、心を込めて作った料理にこんな顔をされるとやはり胸が軋む。みのりはみのりでこちらのそんな心境を分かっているから泣きそうになっている。ヤマアラシのジレンマだ。お互いに愛情を持っているのに傷つけ合ってしまう。
とはいえ、ヤマアラシは実のところ器用に針をたたんで何の問題もなく抱き合えるらしいし、桐谷遥と花里みのりの身体に針なんてない。
遥はエールを送るように拳を握り、まっすぐにみのりを見つめた。
「がんばろうみのりさん。それ食べれたらアップルパイが待ってるよ」
「うぅ〜
……
」
みのりの身体がジタバタ動く。しかし口は一切動かず、ブロッコリーもどんどん冷めていくばかりだ。テーブルの隅には行列のできるベーカリーのアップルパイ。ご褒美として用意したそれが出番を今か今かと待っている。
しばらく待っていたが、やはりどうしてもみのりの口にブロッコリーが入っていかない。なんだかいじめているような気分になってきて、先生相手になにをしているんだろうとやや情けない気持ちが芽生えた。
「
……
分かった。じゃあ、半分だけ」
「うぇ?」
みのりの肩に片手を置いて、逆の手で自身の髪を押さえる。少しだけ首を傾けながらみのりが咥えているブロッコリーの茎を半分かじり取った。
「────」
柔らかく煮込まれたブロッコリーをもぐもぐしながら顔を離す。みのりの唇がやんわりと開いて、そのままブロッコリーが口の中に転がり落ちた。反射的に閉じた唇と、大きく動く喉。
あれ今、丸呑みした?
遥が眉をひそめている前でみのりの耳が見る間に紅潮していった。
「ちゃんと噛んで食べないと駄目だよ。消化に悪いし、咀嚼が少ないと顎が弱って」
「はるっ、遥ちゃん!」
「え?」
みのりは池の鯉みたいに口をパクパクさせて、しかし喘ぐだけで言葉はない。
「
…………
なんでもない」
どうして顔が赤いんだろう、と遥が訝っていると、みのりの手がそっと額を押してきた。押されるままに身体を引いていく。
ああもう、と小さくみのりが呟くのが聞こえた。もしかしたら、今、なにかを間違えたのかもしれない。なんとなくだけれど、引いてはいけなかったような、しかし引くのが正解だったような、奇妙な据わりの悪さを覚える。
「でも今日はブロッコリーが食べられたね。アップルパイのおかげ?」
「
……
えーと、どっちかっていうと先にご褒美をもらったような」
「? なにもあげてないよ?」
「うん、いいの、しばらくそのままでいて。できれば卒業まで」
わけも分からず首をかしげる遥の手を取り、みのりはひっそりと遥を抱きしめてめちゃくちゃに頭を撫でたい衝動と闘っていた。
自分がしたことに全くの無自覚である桐谷遥がその衝動に気づくことはついになかった。
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